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第二十八話:精神の中へ

 音もなく、風もなく、何も感じない世界。目を開けているのか閉じているのかもわからない。わかるのはそこに自分が“居る”という朧げな感覚だけ。


 ジャスミン……


 ?――

 今、誰か私の名前を呼んだ?


 ジャスミン……


「誰?」

 ジャスミンは声の主を探して辺りを見渡したが、何もない空間が広がっているだけで誰も見つからなかった。彼女は何が起こっているのか把握できず放心していると、嘲笑う声が聴こえてきた。

 今度はもっとはっきりと。



『ジャスミン、オ前ハフシダラナ女ダナァ』

「!?」

 ギクリとしてジャスミンは表情を強張らせた。

『好ミノ男ヲ見付ケルト手ヲ出サズニハイラレナイ。オ前ノコトヲ皆、軽蔑シテイル』

「っ……」

 胸に打ち込まれた言葉の杭が、深く食い込んでいく。反論ができなかった。

『オ前ノソノ男癖ノ悪サハ一生直ラナイダロウ。例エコノ先本気デ好キナ男ガデキテモ、オ前ノヨウナ尻軽女ヲ誰モ本気デ相手ニハシナイ』

「やめ……て」

 杭が肉を貫いてしまう! 胸が……

 耳を塞いでも、聴きたくない声が聴こえてくる。

『オ前ハタダノ遊ビ相手ニシカナレナイノダ。

 イーッヒッヒッヒ!』

「いやああぁああーーーーッ!」


 絶叫とともにジャスミンの意識はその世界から消滅した。





 アーク……


 誰?


 誰かに呼ばれた気がしてアークは目を覚ました。そのはずなのに何も見えない。色も風景も形あるものが何も見えてこない。見えるのは白一色の世界だけ。どこか虚ろな意識を彷徨わせていると、再び声が聴こえてきた。

 今度はもっとはっきりと。



『アーク、オ前ハ勇者ノゲアンニ憧レテ、好奇心ダケデアイツニ付イテキテシマッタガ、内心オ前ハトンデモナイ奴ニ関ワッテシマッタト思ッテイル』

「……!」

 ギクリとしてアークは表情を強張らせた。幼い日の記憶が脳を掠める。

 “お兄さんすごいや!”

 “ぼくをデシにして?”

 哀しくもない母親との別れ。アークは無邪気にゲアンに付いていった。遊びに行くような感覚で。

『コノママヤツラト共ニイレバ間違イナク命ノ危険ニサラサレル。オ前ハソレニ堪エラレルカナ? ヒヒヒヒ、アイツラト離レルナラ今ノウチダ』

「……!」

 誘惑の毒息がアークの耳に吹きかかる。いやだ。いやだ……! それを必死で拒もうとするアーク。さらに声がいたぶり続ける。

『クックックッ。ソモソモ、オ前ガイテモ何ノ役ニモ立タナイ。オ前ハタダノ“捨テ駒”ナノダ。

 イーッヒッヒッヒ――――!』

「う゛ぅ゛ぅ゛う゛!」


 呻くとともにアークの意識はその世界から消えていった。





 アール……


 ?――


 アールグレイ……


 誰だ。オレの名前を呼ぶのは――

 アールグレイは目を覚ますように瞼を開けた。視界が白色に染まる。眩しいのとは違う、ぼやけたような白に。眠りに付いているのか? ぼんやりと意識を彷徨わせているとそこに再び声が聴こえてきた。

 今度はもっとはっきりと。



『アールグレー、オ前ハ妹ノジャスミンノ男癖ノ悪サニウンザリシテイル』

「!?」

 ギクリとしてアールグレイは表情を強張らせた。声が続く。

『最近ニ至ッテハ、ソノコトデ口論シタクナイタメ、オ前ハジャスミンノ行動ヲ黙ッテ見テイルコトニシテイル』

「っ……」

『オ前ノソノ行動ヲ見タ奴ハ皆、オ前ガイツモソウヤッテ見テ見ナイフリヲシテイルト思ッテイル」

「……」

 オレは悪くない。アールグレイは否定するように頭を振った。気持ちが後退を始める。それを追い詰める“声”が続く。

『ソウヤッテオ前ハ仲間カラノ信頼ヲ失ッテユクノダ』

「やめろ……」

『ジャスミン(アイツ)ノセイデオ前ハ悪者ダ。

 イーッヒヒヒヒヒヒ……!』

「わぁああぁ――――ッ!」


 絶叫の渦の中にアールグレイの意識は埋もれていった。





 レミア……


 レミア……


 気が付くとレミアは白一色の不思議な空間の中に居た。

 ここはどこ?

 まるでその空間の中に自分が溶けてしまったみたいに意識だけがそこを漂っているような感覚。

 私、どうしたのかしら?

 考えているとまた声が聴こえてきた。

 今度はもっとはっきりと。



『レミア、オ前ハ密カニバドト上手クイッテイルト思ッテイル』

「!?」

 ギクリとしてレミアは表情を強張らせた。声が無遠慮にレミアの心に侵入する。

『モシソレヲ仲間タチガ知ッタラドウナルカナ?』

「……!」

 レミアの胸に激しい不安が押し寄せる。

『オ前達ハ釣リ合ワナイト皆ガ思ウニ違イナイ。ヒッヒッヒッ』

「っ……」

『アノ男ハオ前ガ想像シテイル以上ニ恋愛経験ガ豊富ダ。アノ見テクレデ女ガホウッテオクワケガナイ。ククク……オ前ノヨウナ小娘ヲアイツガ本気デ相手ニスルトデモ思ッタカ? 愚カ者メ。

 イーッヒッヒッヒ!』

「いやああああぁ――――ッッ!」

 レミアの叫びと意識は絶望の闇に呑まれていった。





 バド……


 ?――


 自分を呼ぶ声がして、バドはその相手を探した。

「誰だ?」

 しかしそこには誰の姿もなく、空も地面もわからない。自分の姿さえも。そこに再び誰かわかない声が聴こえてきた。

 今度はもっとはっきりと。



「バド、オ前ハ残酷ナ男ダナ。自分ノ命ガモウ永クハナイト知リナガラ、二人ノ女ノ心ヲ弄ンデイル』

「!?」

 ギクリとしてバドは表情を強張らせた。“二人の女”の顔が脳裡に浮かぶ。

『姉ノビアーナハ今デモオ前ノコトヲ待ッテイル。アノ女ハコノママ一生オ前ノコトヲ待チ続ケルダロウ。オ前ノコトヲ――

 深ク深ク、愛シテイルノダカラ』

「……」

 バドの全身に悪寒が走る。ヒヒヒと嘲笑う“声”が彼をいたぶる。

『ソレカラ“モウ一人”。アノ小娘ノレミアダガ、アイツハオ前ノコトヲ知ッテイルヨウデ何モ知ラナイ。ソノ腕ノ封印ノコトハ知ッテイルガ、オ前ガモウスグ死ヌトイウコトマデハ知ラナイ』

「……」

『アイツガモシソノコトヲ知ッタラドウナルカ』

「……っ」

 バドの額に汗が浮かび、血の気が失せていく。良からぬことが形を取らぬ影となって彼の思考を侵食していく。

『オ前ノセイデアイツハ……イーッヒッヒッヒ!』

「わあ゛あ゛ぁ゛あ゛――――ッ!」

 絶叫と俗悪な高笑いが重なって木霊となり、程無くして吸い込まれるように消えていった。





 ゲアン……


 ゲアン……


 その声に引き寄せられるようにゲアンは“その世界”に来た。明るいのに何一つ見えない。夢の中か?――そう思っていると再び声が聴こえてきた。

 今度はもっとはっきりと。



「ゲアン、オ前ノ大事ナ友ハモウスグ死ヌゾ』

「!?」

 ゲアンは驚愕するというより、怪訝そうに眉根を寄せた。

 嘲笑いの声が続く。

『ヒヒヒヒ、コノ世デタダ一人血ノ繋ガラナイ兄デアリ、友デアリ、家族デモアル大事ナ大事ナアノ男“バド”ダ』

「……っっ!」

『オ前ハアイツガ死ヌノヲ黙ッテ見テイルコトシカデキナイト思ッテイルヨウダガ、アイツヲ求ウ方法ガ一ツダケアル』

「?」

 ゲアンはぴくりと眉を上げた。そして引き込まれたように“声”に聴き入る。

『ソレヲ教エテヤロウ。クックックッ』

「……」

 その方法は――

 次の言葉が出ようという瞬間、ゲアンは息を呑み、大きく心臓が飛び跳ねた。

『アノ男ガ腕ニ封印シタ魔物ト契約ヲ交ワスノダ。ソノタメニハ別ノ人間ヲ提供シナクテハナラナイ。勿論ソレハ生キタ人間デナクテハナラナイ。“死体”デハダメダ、ヒッヒッヒッ。友ヲ見捨テルカ、オ前ガ身代ワリニナルカ、別ノ体ヲ用意スルカ、オ前ガ“犠牲者”ヲ決メルノダ。

 イーッヒッヒッヒ!』

 笑い声がゲアンの頭の中に降り注ぎ、降り注ぎ、複数の重なった声となってそれがグルグルと回転していく。

「う゛ぅ゛う゛う゛……」

 頭の中を掻き乱され、眩暈と吐き気の苦しみの果てに、ゲアンの意識はその世界から消えた。






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