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第二十七話:導かれし六人

「!?」

 ベッドで寝ていたアークは、突然がばっと飛び起きた。肩を揺らして呼吸しながら、瞳孔が開いた目で虚空を見詰める。汗でびっしょりになったシャツが空気に触れて、水分が気化するとともに体温を奪い、寒気を誘う。室内は家具の輪郭が灰色がかって見える程度の明るさで、窓から覗く白み始めた空の色からも朝の気配を感じ取れた。大気の呼吸も静かで、まだ鳥のさえずりさえ聞こえてこない時刻。

「どうした?」

 隣で寝ていたゲアンが目を覚ました。ベッドから起き上がり、アークのいる方向に顔を向ける。薄暗い上に近視なため、ゲアンは朧げに輪郭を捕らえながら周りの音に耳を澄ませるが

「悪い夢でも見たか?」

「……」

 彼の問いかけにアークは、唇を薄く開けるも、そこから言葉が出てこない。唇がしきりに空を掻く。言葉にすることを恐れているようなその様子は、何かに脅えているようだった。小さく震えている彼の背中にゲアンが手を当てると、掌にじっとりとしたものを感じた。

「シャツが汗でびっしょりだ。すぐに着替えたほうがいい」

「うん……」

 アークの声は沈んでいて暗かった。いつも明るくて元気なだけが取り柄のような彼が、そんな反応を見せることは滅多にない。ゲアンは違和感を覚えて、反対の手でアークの額に触れた。

「熱はないようだな……」

 ベッドから降りて立ち上がる。

「着替えを持ってきてやる」

 そう言って彼はベッドを離れ、傍らの台の上にあった眼鏡をかけると、箪笥から換えのシャツとタオルを出して持ってきた。

「ありがとう」

 それを受け取ったアークはシャツを脱ぎ、背中だけタオルでゲアンが拭いてやる。

「どうしたんだ?」

 隣のベッドで寝ていたバドが目を覚ました。彼は寝ぼけ眼で、ゲアンがアークの背中を拭いている様子を見ながら欠伸する。

「汗かいちゃって……」

 アークは気不味そうに笑って答え、慌ててきれいなシャツを頭から被った。

「熱でもあるのか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 もぞもぞと袖を通しながらアークが答える。すると

「まだ早いから、お前はもう少し寝てろ」とゲアンに体を支えられ、労るようにアークはベッドに寝かされた。

「もし体調が悪くなったら無理はするな。オレは明日以降まで帰って来ないから、レミアに面倒を見て……」

「待って!」

 不意に鋭い声がして、ゲアンは背後に首を傾けた。アークもそちらを仰ぎ見る。

「レミア……」

 ゲアンの背後にある屋根裏部屋に続く梯子から寝衣姿のレミアが降りてきた。彼女はベッドの前に来ると、眉を潜めたとても深刻そうな表情でゲアンと向き合う。彼女は今にも泣き出しそうな――否、泣いた後のように目が充血していた。

「私も連れてって……お願い!」

 少し声が震える。

「……」

 ゲアンの答えを待てずに彼女は繰り返す。

「お願い!」

「!?」

 するとはっとしたように、アークがぱっと目を見開いて叫んだ。

「オレも……オレも連れてって、先生!」

「……」

「行かないといけないんだ!」

 レミアはアークと目すら合わせてもいないのに、まるで同じ意思であることを知っているかのようにゲアンに目で訴えかける。

 ゲアンはその心裡を探るように二人の顔を見た。

「……っ!」

 その鋭い視線に狼狽え、許しを請うようにアークが言う。

「“理由”は、聞かないでっ」

「自分の身は自分で守るから、お願い!」

 レミアも涙ながらにそう懇願した。

 二人が何故急にそんなことを言い出したのかはわからなかったが、それには何か深い訳がありそうだ。二人の必死な様子からそれは窺えた。今一度ゲアンは気持ちを確かめるように二人の目を見詰める。汚れのない少女と少年の瞳には、同じ哀しみを湛えた影が落ちていた。

「分かった」

 ゲアンは静かに承諾した。それを聞いたアークとレミアの表情が一気に晴れやかになる。すっかり安心して元気を取り戻すアークとレミアの横で、ゲアンは思考に暮れていた。

 その肩にバドが手を置く。

「大丈夫だ。オレが付いている」

 彼は口の端をくっと上げて勇ましい笑みを浮かべた。その笑みをした彼は、いつも頼もい活躍を見せてくれた。と同時に、この先に困難が待ち受けているであろうことも予感させていた。







 日が高くなる前に彼等は揃って家を出た。貸馬車屋で馬車を借りて、座席にジャスミンとアールグレイ、レミアとアークが乗り、御者台にゲアンが乗った。バドはそれには乗らず、一人馬に乗って馬車を先導した。途中で舗道が途切れ、道無き道を西へ西へと進んでいく。いくつかの小さな村を通過し、やがて風がじめじめとしたものに変わると、そこから下って南西に進む。キュラリー川沿いにある町の関所にやってきた。そこでゲアンがキュラリー川を塞いでいる奇妙な現象を調査するためにドチュールから派遣されて来たことを説明して通行を許可されると、一行はいよいよその問題の地点へと向かった。







「あれか」

 前方に動く人の姿とその奥に広がる密林地帯を見付けたバドは、鞍上からその光景を眺めながら呟いた。そこがドチュールとモンスレーとの国境にあたる。キュラリー川はそれを跨いでさらに西へと流れているはずだが、川の両端から伸びた樹木がそれを見えなくしていた。男たちが斧を振りかぶって、ひたすらその木々を切り崩している。

「これは酷い」

 バドが馬を寄せて近付き、後から馬車で来たゲアンが、自分たちが王に頼まれてドチュールからキュラリー川周辺を調査しに来たことを告げた。それを耳にした男たちの動きが止まる。

「みんな、ドチュールから救援が来たぞ!」

「勇者だ勇者だぁ!」

 瞬く間に歓声が沸き起こった。すると背の低い中年の男が前に進み出て、ニヤニヤした嬉しそうな顔で「どうぞどうぞ」と手招きした。樹木の壁を形成する原因を作った森へと誘導する。

「あ、馬車と馬は置いていったほうが良いぞ。“足元”がぐらつくらしいからな」

「ぐらつく?」

 バドが怪訝そうに眉を潜めて問い返すと男は口籠もった。バドから鋭い視線を浴びて狼狽える。

「ああ、聞いた話だからよく分からんが……多分、ぬかるんでるかなんかだろう。この辺は湿原が多いしな」

「……」

「あ、その馬と馬車は見張っといてやるから安心して行ってきな」

「じゃあ、お願いする」

 バドが馬から降りて男に手綱を渡す。すると男はやせ細った仲間の男に向かって顎をしゃくり、手綱を渡した。それを受け取った男が手綱を引いて馬を連れていく。同じように馬車も、人が降りてから他の男が預かっていった。それを尻目に中年の男は、したり顔の笑みを両目にじんわりと滲ませた。

 不意にバドがホイッスルを鳴らすように指笛を吹く。

「わあああ!?」

 突然、馬の嘶きと人の叫び声が上がった。

「なんだこいつ……!」

 急に前脚を高く上げて馬が暴れ、先程の痩せた男が手綱を掴んでいた手が振り払われる。馬はそのまま暴走し、付近にいた者は蜘蛛の子を散らしたように逃げ散り、恐怖と驚愕の眼差しで通り過ぎていく馬の様子を目で追いかけた。

「ぅわ!」

 自分たちに向かってくる馬を見て、バドの横にいた中年の男は慌ててバドから離れた。

「バド!?」

 アークが叫び、他の仲間たちも悲鳴を上げる。バドにぶつかる――そう思った瞬間。

 バドがまた指笛を鳴らした。すると馬が耳をぴくっとさせた後、指示を受けたように方向転換して、先程逃げた中年の男に向かっていく。

「わあ!?」

 もう一度バドが指笛を吹くと馬は走るのを止めて歩き出し、ついには立ち止まってしまった。バドが側へ行き額を撫でてやると、馬は気持ち良さそうに瞼を伏せた。

「こいつは指笛を吹くと走ってくる。その際興奮して手が付けられなくなるが、いなくなった場合は今のように指笛で呼び戻す」

 バドは穏やかな口調でそう言ったが、これは忠告である。先程の中年男はぞっとして青ざめた。馬に襲われた時のことを思い出すだけで脈拍が速くなる。冗談じゃない! 彼は拒むように首を振った。

「じゃあ、行くか」

 バドは馬を置いて森の方へ向かって歩き出し、仲間たちがその後に続く。

「ねぇ、なんであんなことしたの?」

 アークが小走りでバドを追いかけ、後ろをちらちらと振り返りながら言った。バドが先程の男たちを尻目に、歩きながら答える。

「あいつらが何か企んでいるようだったからな。ちょっと脅かしてやったんだ」

「?」

 アークが意味を解せず首を捻っていると

「お前にやるよ!」

「いらねぇよ、こんな暴れ馬。お前にくれてやるよ!」

 何やら後ろで押し付け合いが始まった。

「なんかもめてるみたい」

 唖然とするアークや他の仲間たち。するとバドが手を口元に持って行き、ヒュー! と高い音を響かせた。直後、男たちの悲鳴が上がった。馬がまた激しく嘶いて、驚いた男たちが大慌てで逃げていく。すると馬たちは、今度は何故かそれには構わずツンとすました様子で別の方向へと歩き出した。逃げた男や他の作業員たちが不安げに馬の様子を窺っている。それを見て、ちょっとやりすぎなんじゃ……と控え目に言ったアークに対してバドはこう答えた。

「“あいつら”なら大丈夫だ」

「あいつら?」

 アークはまた解せない表情で目を瞬かせた。バドが続ける。

「さっきあの馬に“馬車馬と一緒に、隅っこで大人しく待っていろ”と言っておいた」

「?」

 アーク、レミア、ジャスミン、アールグレイはきょとん。

「バドって、馬と話せるの?」

 アークがまさか? と言いたげな顔で尋ねるとバドは「ふっ」と軽く鼻で笑った。

「馬の言葉は分からないが、こっちの意思を伝えることはできる」

 なんでも、体の一部に触れて念じることで、動物に思っていることを伝えられるらしい。皆「へぇ〜」と一様に感心の声を漏らす。アークは尊敬の眼差しでバドを見ながら、子犬のように足をちょこまかさせてその横を歩く。

「バドってやっぱすごいよね〜」

 とそこまでは和やかな雰囲気だったが……


 すぐに変化は訪れた。


「ふあぁ〜」

 最初にその兆候が顕れたのはアークだった。徐々に足取りが重くなり、瞼が下がってくる。まるで寝起きか、これからベッドに入って寝ようとしているような頼りない足取りだ。バドと並んで歩いていた彼だったが、バドの歩調に付いていけなくなって、最後尾を歩くゲアンの所まで下がってくる。

「眠そうだな、アーク。昨晩はちゃんと寝たのか?」

「う〜ん、寝たと思うけど。歩けば歩くほど眠くなってく気がする……」

 瞼を擦りながら答えるアークを見て、ゲアンは何か不自然さを感じていた。すると

「私も」

 とジャスミンがぼんやりとした声で言った。さらに

「オレもだ」

 とアールグレイまでもが睡魔に襲われ、歩く速度を鈍らせる。その傍らで、レミアが口元に手を当てて小さな欠伸をした。

「レミア、お前も眠いのか?」

「え、ええ」

 立ち止まって背後を見たバドとゲアンが目を合わせて唸る。

「妙だな……この森に入った途端、皆が眠くなるとは」

 確かにずっと異様な空気に包まれているような感覚はあった。じっと何かに見られているような。ゲアンは仲間たちの様子を窺いながら思考を巡らす。バドも同様に考え込み、腕組みしながら首を捻った。すると

「どうしたんだ、みんな!?」

 仲間たちが脱力してしゃがみ込み、次々と地面に倒れていく。それは最初気絶したように思われたが、よく見ると皆寝息を立てて眠っていることがわかった。とは言え異常な光景であることに変わりはなかった。バドがすっと立ち上がり、“何者”かを意識に捕らえるようにして言った。

「どうやらここはただの森ではないようだ」

 倒れた仲間たちの前でしゃがんでいたゲアンは、バドを仰いで鋭く見据えた。

「どういうことだ?」

「敵は“この森そのものだ”」

 その言葉に瞳を硬直させる。

「何だって?」

「この森がオレたちを……」

 言い終わらぬうちにバドは、脱力して地面に倒れた。そして彼もまた、寝息を立て始めた。

「バド!」

 ゲアンだけ残して皆眠りに着いた。ただ一人意識がある状態で取り残されてしまったゲアンは、仲間たちの姿を静かに見下ろした。

 やがて重たい空気が彼を呑み込んでいった。彼は意識を喪失して地面に横たわる。そしてその薄く開いた唇から、静かな寝息を漏らし始めた。





  『精神破壊ノ森ヘヨウコソ』



 不気味な声が、森の中に響いた。




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