第二十六話:導き
これ投稿するの6月になってしまいましたね〜…(嘆息)
もっと早く書けるようになりたいものです(T_T)
「おい! ぼさっとしてないで手動かせ、手ぇ!」
鋭い怒声が大気を割った。その声を背に受けて「ふぇぇ〜〜」と舌を出して肩を竦めるのはアーク。頭の中から不安を追い出せずにいた彼は、農作業をしながらぼんやりと虚空を眺めていた。それを見付けた雇い主の農夫が一喝したのである。付近で作業していたアール・グレイは苦笑した。
「だらだらやってるとクビにすんぞ!」
首に捩った手ぬぐいをかけ、地面に柄を突いて桑を持つ勇ましい姿で農夫は灸を据えた。
「はいっ! やりますやります! ちゃんとやりま〜すっ!」
アークは慌ててせかせかと作業を再開した。
と、そこに突如馬の嘶きが響き渡った。それを耳で捕らえたアークは、声がした方向に顔を向けた。すると畑の向こうに前脚を高く上げて空を掻く馬の姿が見えた。その脚が落下して馬蹄が地面を踏み付けると、それを手綱で操っていた騎手の姿が現れる。
「バド!?」
それはアークが求めていた勇者――バドであった。彼は暑さのせいかマントを羽織っておらず、髪を後頭部の高い位置に束ねていた。遠目からその姿を見たアークは歓喜して、くりっとした瞳を輝かせる。呼び寄せたい、もしくは駆け出したい衝動に駆られるが
「……」
また怒られる。つい今し方叱責されたばかりである。農夫の監視の目が厳しかった。故、諦める。
バドは特に用もなかったらしく、すぐに馬腹を蹴ってその場を去った。そこに置き去りにされた気分になったアークは
「やっぱオレ、魔物ハンターに転職しようかな……」とぼやくのであった。
「暇過ぎる……」
こちらはジャスミン。彼女は店の勘定台に頬杖を突きながら、どんよりとした目で愚痴を零した。彼女は今ディーダの親戚の店にいた。そこは男性の髭剃りや、散髪、女性の髪結いまで行っていた。ディーダの紹介で先月からレミアと一緒にそこで働き始めたのだが、さっそく嫌になってきたらしい。その理由は本人に言わせるとしよう。
「偉いわね」
傍らで黙々と作業しているレミアを眺めながらジャスミンは言った。不満も口にせず、よくやるわ〜、これが本音である。髪をくるくる指に巻き付けながら彼女はぼやいた。
「この村って空気はおいしいし、平和なのはいいんだけど……退屈なのよね〜。人が少ないからお客さんはほとんど来ないし、出会いはないし……」とここで深い溜息。それからすぐに
「町で働きたい〜〜!」と
顔をくしゃっとさせて叫ぶジャスミンを見てレミアは苦笑した。
するとジャスミンはすっと顔を上げ
「私、決めたわ。ゲアンに付いていく」と凛々しい眼差しで宣言した。
「ゲアンと一緒にキュラリー河の調査に行くッ!」
その発言だけは凛々しかったが、理由が軽はずみだった。単なる暇潰しでしかないのだから。
「やめたほうがいいと思うけど……」
ゲアンがそれを快諾するとは思えないが、心配になるレミアであった。
とそこへ来客を報せる扉の鈴が鳴った。開いた扉の向こうから姿を現す長身の男性。勘定台にいたジャスミンは目を見張り、レミアは振り向いた。
「バド〜!?」
ジャスミンは瞳を輝かせて歓呼し、レミアは少し頬を赤らめる。普段と違う髪型をしているバドを見てドキッとした。後頭部に高く結った髪型が精悍な印象を与える。ここにもしパルファムがいたら、“抱いて”と言うだろう。代わりにジャスミンが
「キャー、ポニーテールしてる!? さ○らいみたいで素敵〜ィィ!」と軽く発狂。バドは「暑いからな」と軽く受け流す。
「今、忙しいか?」
「全〜然」と浮かない顔で首を振るジャスミン。
「暇で暇で、な〜んにもすることがないの〜!」とけだるそうに愚痴を零す。バドは苦笑した。
「ここは人が少ないからな。だが、舞踏会がある時には城に呼ばれて忙しくなるだろう」
「そう! ディーダが言ってた!」とジャスミンが感情を込めて大仰に言う。
「二人とももう髪は切ってるのか?」
「あたしはまだ」と首を振るジャスミン。おかっぱ頭しか切れないし、と言ってからレミアの方を向き「レミアは器用だから、もう切ってるけど」とぼやき気味に付け足す。
「じゃあ、レミアに切ってもらおうかな」
「え……?」
バドの呟きにレミアはびくっとした。
「オレの髪を切ってくれないか」
目を見てそう言われ
「まだ無理よ。失敗するかもしれないし……」と尻込みする。
「そしたら短く刈ればいい」
「そんなことできないわ!?」
刈り上げ、もしくはテクノカット――そんなバドはちょっと嫌である。彼ならテクノカットでさえも格好が付くかもしれないが……いや、そんなことではなく、レミアはまだ自信がなかった。切らせてもらえるようになったものの、彼女が今担当しているのは中年男性の頭だった。頭の形に合わせて切る基本中の基本スタイルで、流行を意識したような髪型でもなければ、最初から短かった。バドのように長さがあってレイヤーやらシャギーやらの入った凝った髪型(?)ではないのだ。仕方なく断りを入れるとバドは「わかった」と小さく頷き
「オレで良ければ、いつでも練習台になるよ」
レミアに向かってそう告げて、微笑とともに店から去って行った。
「……」
レミアは頬に赤みを残し、大きな瞳をぱちくりさせていた。それを見てジャスミンは
「よかったわね」
と冷たく言い、目を細めて妬むようにレミアを睨むのだった。
夜というにはまだ明るさの残っている頃、家路に就くバドの姿があった。新しい武器を探しに隣町に行ってきた帰りだった。馬を貸馬車屋の厩舎に預け、徒歩で家に向かっていると後ろから彼を呼ぶ声がした。彼は振り返り、足を止めた。
「バド――!」
そこに大慌てで駆けてくる小柄な少年。アークであった。アール・グレイも一緒だったが、彼は後から普通に歩いてやって来る。
「先生が大変なんだ!」
そう叫んだアークは顔を歪め、今にも泣き出しそうだった。
「早くしないと先生が!」必死でそう訴えるが
「分かってる」
とあっさりバドが即答し、きょとんとするアークにバドが言葉を継ぐ。
「キュラリー河の調査をしに行くことになったんだろ?」
「なんで知ってるの?」
質問したアークと同じように、アール・グレイも顔に疑問符を浮かべる。
「風の精霊に聞いた」
「“風の精霊”〜? すごい、そんなことできるの!?」
知らなかった。アークは驚嘆して驚き眼でバドを仰いだ。その頭をぽんと軽く叩き、先導してバドが歩き出す。歩幅の広い彼の後をとっとっとっと軽く小走りで付いていくアークと追随するアール・グレイ。
「オレもそこに行くつもりだ」
「本当に!?」
「ああ、だから心配しなくていい」
バドからその言葉が聞けて「よかったぁ〜……」と心からほっとするアークであった。
「あ、でも帰って来るかな、先生。帰って来ないで、出張先からそのまま一人で行っちゃったらどうしよう〜?」
アークは不安になってきた。そもそも先生が言ってた“助っ人”って誰のこと何だ? 本当にそんな人いるのかな? さまざまな不安が脳裏に過ぎるアークであった。するとバドは不敵な笑みを浮かべ
「きっと帰って来るだろう。ゲアン(あいつ)には“強力な助っ人”が必要なんだからな」
そう言った。
夜明け前に目が覚めてしまったアークは、再び不安を覚えていた。ゲアンのいないベッドを見て。言いようのない不安が押し寄せ、頭を抱えて髪をくしゃくしゃに掻きむしる。
「……っ!」
苛々してベッドから出ると寝巻姿で屋外に飛び出した。外はまだ夜の冷気を残しており、悪寒に肌が総毛立つ。大気は霞がかかったように遠くの景色を朧げに見せていた。何も聴こえてこない。小鳥の囀りさえも。耳を澄ましても、“あの音”が聴こえない。地面を叩く馬蹄の音が。
自分でも何故だか分からないぐらいアークは焦っていた。宿屋などに泊まって一晩過ごしたとすればこんな時間に帰ってくるわけがないことぐらい考えれば分かることだったが、気になって気になって仕方なく、大人しくベッドで寝ていることなど到底無理だった。悪寒に身震いしながら、それが寒さのためか、不吉な事を察知したためなのか分からなくなってくる。
「アーク」
「!?」
突然呼ばれてアークはびくっとして振り向いた。すると彼の後ろにバドが立っていた。
「どうした。まだゲアンのことが気になってるのか?」
美しい切れ長の瞳を伏し目勝ちにして、労るような眼差しでバドは言った。
「うん……」
アークは表情と声を沈ませた。
「なんかよくわかんないんだけど胸の中がもやもやして、妙に落ち着かなくなってきちゃって……」
「そうか」とバドが頷く。
「だがそんな格好で待っていたら風邪を引くぞ。ゲアンは夜が明けるまでは帰って来ないだろうから、それまでベッドの中で寝ていたほうがいい」
「うん」
それは分かってるんだけど……
アークはバドに背中を押されて渋々部屋に戻った。
朝の訪れは曖昧だった。明け切らぬような薄い鈍色が空に広がり、晴々としない蟠りのようなものを残していた。天に群がる暗雲がまるで凶兆のように不気味に見える。
ゲアンが戻って来ないので、アークは朝、いつもの時間に家を出た。憂鬱な気持ちを残したまま、アール・グレイとともに畑仕事の手伝いに向かう。一応家に置き手紙をしてきたがそれでは不安だった。バドに留守番を頼みたかったが、彼は出立に備えて入れてしまった仕事をキャンセルしに行かなくてはならないため、それはできなかった。
ゲアンが戻ったという報せも来ないまま午前が過ぎていく。畑仕事に精を出して雑念を振り払おうと努めるアークだったが、その胸の奥にはいつまでも暗雲が居座っていた。
「今日はそこまででいいぞ」
昼過ぎ農夫から声がかかり、アークとアール・グレイは早々に作業を切り上げてそこを辞した。
「雨降らないね」
「ああ」
――会話終了。もともと寡黙なアール・グレイと無言で帰路を行く。オレが元気ないのはわかるけど。アールもなんか悩んでるのかな?……。気になるアークだったが、首を傾げるだけだった。横から見たアール・グレイの目が怒気を孕んだように鋭く、唇は固く結ばれ、話しかけずらい雰囲気を醸し出していたのだ。
二人が徒歩で帰宅すると時刻は既に午後の1時近く、腹ぺこだったアークは「飯〜、飯〜」と言いながら家の扉に手をかけた。すぐに開いたので、先に誰かが戻って来ていることが窺える。アークは
「ただいま〜」と言いながら家の中に入った。すると奥で何か物音がした。
「先生!?」
そう叫んだ彼の前にゲアンが姿を現した。
「おかえり。丁度今から昼食を作るところだ。食べるだろ?」
「食べる〜〜!」と元気に返事するアーク。アールの分もね、と付け足す。ゲアンに追随して厨房に入っていく。
「先生、いつ帰って来たの?」
「1時間ほど前だ」
「え? じゃあ、まだ帰ってきたばっかじゃん! 休まなくて平気?」
「ああ、宿屋で充分休んできたから大丈夫だ」
「ならいいんだけど」
ねぇ? と後ろを歩くアール・グレイに同意を促す。アール・グレイはその印に頷いた。
厨房に立つとゲアンは、既に皮を向いていた野菜や他の食材を調理台の上で切り始めた。
「でも助かったよ。腹減って死にそうだったからさぁ、昼飯作ってくれる人がいてくれてちょー助かった。先生のこと好きになっちゃうよ~」と後ろからゲアンに抱き着き、ペットのように甘えるアーク。
「相変わらず良い腹筋してるね」とゲアンの腹部を撫でる。
「危ないぞ」
包丁を使っていたゲアンは手を止めて、頭を後ろに向けて言った。その右手に光る包丁を見てアークは「はい、分かりました」と素直に手を離す。とりあえず食器を用意するようにゲアンに言われ「は〜い」と明るく返事するとアール・グレイと一緒にそれらを調理台の傍らに用意した。それから食卓に着くと両手で頬杖を突き、ウキウキしながら料理ができるのを待つ。
「ところで先生、テーブルに置いといた手紙読んでくれた?」
火にかけたフライパンの上でジュ〜っと肉が焼ける音がする。そこに瓶に入った酒を回し入れ、フライパンを傾けて火を入れる。一瞬赤い炎が高く上がった。
「ああ、読んだ」
ゲアンはフライパンを手早く前後に揺すり、肉を炒めながら答えた。刻んだ野菜や茸をフライパンに乗せてさらに炒める。熱々のフライパンの上で水分が弾ける音が激しくなる。その音に掻き消されないようにアークは声を張り上げた。
「じゃあ、バドが帰って来るまで待ってて! 今、仕事をキャンセルしに事務所に行ってるんだけど、そんなに遠くはないから、すぐ帰ってくるって言ってたし」
焦りからか、アークはまくし立てるように一気にしゃべっていた。
ゲアンが出来上がった料理を盛った皿を「そのつもりだ」と言って食卓に置く。作業を終えた彼が席に着くと
「いっただきま〜す!」とすっかり安心して元気を取り戻したアークが高らかに言い、皆で合掌して食事を始めた。
「ゲアン」
間もなくしてアール・グレイがゲアンに向かって話しを切り出した。
「キュラリー河の調査に、オレとジャスミンも連れていってくれないか?」
「!?」
アークは仰天してコップで飲んでいた水を危うく吹き出しそうになった。軽くむせて咳込む。ゲアンは少し眉を動かしただけだった。
「何故行く気になったんだ?」
と冷静に、アール・グレイの目を見て理由を尋ねる。アール・グレイは不機嫌そうな顔でその理由を述べた。
「ジャスミンがお前に付いて行くと言ったからだ」
唇を舌で湿らせて、さらに続ける。
「あいつは一度決めたら何がなんでも実行しないと気が済まない性格だ。反対しても強引にお前に付いて行こうとするに決まってる。だったらオレも付いて行き、あいつがお前の足手纏いにならないよう見張っていなければならない」
いつになく感情的になって強く訴えかけるアール・グレイの様子に、アークは少し圧倒されてしまった。その話を聞き終えてゲアンが開口する。
「お前の気持ちはよく分かった。ジャスミンが帰ってきたら本人にも確認するつもりだが」
そこで一旦言葉を切り、含むような間を開けてからゲアンは言葉を継いだ。
「行くと決めた以上は、覚悟を決めてくれ」
ゲアンの厳しい眼差しが眼鏡のレンズ越しにアール・グレイを見据えた。アール・グレイに緊張が走り、その表情が引き締まる。彼は言葉の重みに堪え
「分かった」
そうしっかりと返事した。
「……」
そんな緊迫した空気の中、アークはそーっとトマト煮込みをスプーンですくって口に運ぶ。ついでにパンも、遠慮勝ちに口を小さく開けて食べた。アールも大変そうだなぁ。ジャスミンはちょーかわいいけど、性格きついから……。食べながらアール・グレイに同情してしまうアークであった。
「いいにおい〜」
そう声を漏らしたのはジャスミン。少し遅れて彼女も帰宅した。空気中に漂う料理のにおいを鼻から吸い込んで、恍惚とした表情を浮かべながら厨房に入って来る。
「あ、ゲアン!? おかえりなさい〜〜!」
そこに食卓で寛いでいるゲアンの姿を見付けると嬉しそうに瞳を輝かせた後すぐに、「私の分もある?」と仲間たちが食べている料理を見ながら言った。
「今から作ろう」
「いい、オレがやる! お前はもう休んでてくれ」と立ち上がろうとしたゲアンをアール・グレイが制止した。代わりに自分が席を立つ。厨房に向かう彼を
「あ、じゃあオレ手伝う〜」と言ってアークが追いかける。
余っている食材を集め、何を作ろうか、フランベできる? どうやるの? などとアークに相談され、アール・グレイが沈黙して悩んでいる。それを見てジャスミンは苦笑。ちゃんとできるのかしら? と少し不安になった。
「レミアはまだ店か?」
空いている席に座ろうとしたジャスミンにゲアンが尋ねた。
「ええ、レミアは一日店番だから」
「そうか」
ジャスミンが席に着き、椅子を引く音が響く。
「あっ!? アール、焦げてる焦げてる!」
「……え?」
「ほらほらほら、肉が焦げちゃってるってば〜!」とアークに指摘され、慌ててフライパンを火から下ろすアール・グレイ。
「あ〜あ、やっちゃったね。怒られるよ〜?」とフライパンの上にある物体を見てアークが言う。それを見て我に返ったアール・グレイは悄然として青ざめた。
「……」
「とりあえず、これ切ったから炒めて」と乾いた声でアークに言われ、焦げた物体を一応皿に乗せるアール・グレイ。アークがフライパンをフライ返しでカリカリ擦って、焦げ滓を取ってやる。
「どうしたの、アール? さっきっからぼーっとしてるけど」
怪訝そうにアール・グレイの顔を覗き込むアークだったが
「……」
アール・グレイは何も答えず、アークが石突きを取った茸やくし切りにした玉葱を炒め始めた。
「なんかすっごく焦げ臭いんだけど、大丈夫〜?」
後ろのほうから声が飛んできた。懐疑するようなジャスミンのその問い掛けに
「う、うん」
アークはぎこちない感じで一応そう答え、内心冷や汗をかく。それから、しょうがないなぁ、とアール・グレイに代わって試行錯誤し
「よし、これで行ってみるか」と盛り付けをした皿を
「鶏肉のソテーでございます」とジャスミンの席に運んだ。
「何よ、これ〜!?」
即、悲鳴が上がった。自分の前に出された皿を見てジャスミンはぎょっとしたように顔を大きく歪めた。限りなく墨に近い焼け焦げた茶色い物体が中央に乗っかっている。平らで大きなその物体は、香ばしさを通り越して口の中が苦くなるようなむせるような異臭を漂わせていた。上に茸や玉葱を被せて誤魔化そうとはしているが、まばらで隠しきれておらず。
「鶏肉のソテーでございます」と繰り返すアークに
「それはわかった!」と切れるジャスミン。
「そうじゃなくて、なんでこんなに黒焦げなのかって聞いてるの! これじゃ、食べられないじゃない!?」
「只今シェフを呼んできますので、少々お待ちを」
おどけたようにアークが言い、アール・グレイを呼びに行こうとすると
「もう、いいわよ!」
ジャスミンは不機嫌な顔で黒い物体の表面をナイフで切って剥がしにかかった。
「何これ……っ硬い〜」
しかし焼けすぎて硬くなった肉が切れず苦戦。ギコギコとまるでノコギリで木を削るように強引にナイフの刃を食い込ませるジャスミン。「そのナイフでは無理なんじゃないか」というゲアンの助言も無視してひたすらナイフを動かしていると
「あっ!?」
ナイフの刃で押した拍子に肉が皿から飛び出して行った。前方に向かって一直線に飛んでいき――
「あ!?」の形に口を開けるジャスミン。
――空になっていたゲアンの皿の上に肉が着地した。
「……」
「っ……」
それを見たゲアンは、軽く瞠目したが無言。一方ジャスミンは憤りを残した表情のまま凝固して、ゲアンの皿に移動した肉を憎々しげに睨んだ。
すごいよ、先生。この状況で笑わないなんて。アークは口を押さえて必死で笑いを堪えながら肩を震わせた。もう限界……! 堪えきれなくなったアークは逃げるようにその場から離れて行った。厨房に戻ると「アール、最高だよ」と笑声を漏らしながらアールグレイの肩を叩く。
「……」
ぽかんとするアール・グレイに「頑張れ」と付け足すように言って励ますアークであった。
気不味い雰囲気の中、食事を終えて片付けに入る。すると流し場で洗い物をしていたアール・グレイに、ジャスミンが接近してきた。「アール、来たよ」と傍らにいたアークが肘で突いて教える。
「アール」
鋭い声で呼ばれてアール・グレイが振り向くと後ろにジャスミンがいた。豊満な胸の前で腕を組み、自分より少し背の高い双子の兄を威圧的な眼差しで見据えている。
「わかってるでしょうね? 後で部屋に来なさい。“お仕置き”よ」
「……」
沈黙で返すアール・グレイ。その意味は――
「何されるの……?」
恐る恐る尋ねるアークにアール・グレイはぼそっと耳打ちした。
「ええ〜っ、そんなこと!? それって全然“お仕置き”じゃないじゃん? ちょっと羨ましいぐらいなんだけど……」
興奮するアークを見てアール・グレイは「ふっ」と鼻から息を漏らし、苦笑にもならない皮肉を表情に浮かべ
「結構しんどいぞ」と言ってまた食器を洗い始めた。その端整な横顔を眺めながらアークは、いいな、“マッサージ”。とすねたように唇を尖らせるのだった。
夕刻に入ると各自が役割分担して夕飯の支度に取り掛かった。その頃にはレミアも帰宅していたが、バドはまだ帰ってきていなかった。バドとゲアンの双方と話しをして一度は安心できたアークだったが、バドの帰りが遅いことが不安を誘う。それが感染でもしたのか、夕飯の席は重苦しい空気に圧迫されていた。誰も会話をしようとせず、まるで知らない者通しの集まりのように済ました顔で食事を続ける。事情を知らないレミアに関しては、瞳に困惑の色が滲んでいたが。バド、何してんだろう。すぐ帰ってこれるって言ってたのに……! 苛立ちで足を揺すり始めるアーク。テーブルの上の食器が揺れてカタカタ音を立てた。
「なんか揺れてない?」
ジャスミンがスプーンを握ったまま停止した。その不快そうな表情を見てアークは蛇に睨まれた蛙のように畏縮して固まった。同時にテーブルの揺れがピタッと収まる。
「あ、止まった」
言ってジャスミンは何事もなかったように食事を再開した。
おお、怖かった〜とアークは胸を撫で下ろした。そしてふと窓に目をやると空は濃い灰色になっていた。今日中には帰ってきてよね、バド。そうじゃないとオレ、また眠れなくなっちゃうよ。心の中でそう呟く。ゲアンの言ったことが信じられないわけではなかったが、今回は事情が事情なだけにどうなるか分からなかった。バドの帰りがあまりにも遅くなれば、ゲアンが単独で調査に向かってしまうなんてことも有り得る。それはいくらゲアンでも無謀すぎるとは思うが……。
先生、いつ出発するつもりなんだろう。それを聞こうとしてアークは、ゲアンの顔を見て口を開いた。
「ゲアン!」
重なった二つの声が先に出た。全く同時に同じ言葉を発したのはジャスミンとアール・グレイ。二人は顔を見合わせ、不快そうな顔をしたジャスミンに「オレは後でいい」と兄のアール・グレイが順番を譲った。するとジャスミンはゲアンに向き直り、間を置かずに開口した。
「河に調査しに行くって言ってたじゃない?」
「ああ」とゲアンが頷く。
「誰か一緒に行く人決まったの?」
アークとアール・グレイの強い視線が答えを促す。二人ともゲアンがなんと答えるのかが気掛かりだった。ゲアンの唇がその答えを紡ぐ。
「アールが行きたいと言っている」
「アールが!?」
ジャスミンは眉根を寄せ、懐疑するような表情をした。
「なんでアールが?」と問いを繰り返す。
「お前が行くなら自分も行きたいそうだ」
「訳が分かんないんだけど……」
ジャスミンは首を捻り、喜ばしくない表情でアール・グレイの顔を見た。なんであんたまで付いて行こうとしてんのよ、とでも言いたげに彼を睨む。アール・グレイはアクアマリン色の大きな瞳で、瓜二つの顔を持つ妹を見返した。
「お前がどう思ってゲアンに付いて行こうとしているのかは知らないが、ゲアンは遊びに行くんじゃない。だからオレも付いて行くことにした」
「意味がわかんないんだけど?」とジャスミンはまた眉根を寄せた。
「お前には“保護者”が必要だってことだ」
さらりと言うアール・グレイ。
「は? 保護者? 馬鹿じゃないの。小さい子供じゃあるまいし」
ジャスミンは呆れたように頭を振った。
「とにかくオレも付いていく」
「わかんない人ね? こっちは付いて来なくていいって言ってるの。勝手に付いて来ないでよね!」
ジャスミンは噛み付くようにそう言い放ち、眉を吊り上げて熱り立った。アール・グレイは真逆に冷めきった瞳で迎え撃つ。
「頼まれてもいないのに付いて行こうとしているのは、お前も同じだろ」
「違う! あたしは……」と言いかけてジャスミンは言葉を詰まらせる。
「じゃあ、お前は何故、何が理由でゲアンに付いて行きたいんだ?」
「それは……」
「どうせ不純な動機だろ」
「違うわよ!」
「じゃあ、何故だ?」
「っだから……ゲアンがどんな仕事をしてるのか……興味があるからよっ!」
「“興味がある”」
意味ありげにアールグレイが呟く。その言い方が癪に障り、ジャスミンは「な、何よ!」と声を荒げ、動揺の色を露にした。
するとアール・グレイは一人納得したように頷いた。
「それなら尚更オレは行くべきだな」
「っ!?」
ジャスミンは唖然として目を剥き、反論しようとした。だがその言葉が見付からず、悔しそうに歯を噛み締めるだけだった。
アークが声を潜めてゲアンに話しかける。
「アールも素直じゃないよね。本当はジャスミンのことが心配だから付いていきたいくせにさぁ」とアールグレイを尻目に忍び笑いを漏らす。
「ジャスミン」
ここでようやくゲアンが口を開いた。
「もしオレに付いて来る場合、先に言っておきたいことがある」
「何?」
緊張でジャスミンの声が少し震えた。アール・グレイにも同じ緊張が生じる。ゲアンが言葉を紡いだ。
「オレが行こうとしている場所は多数の犠牲者が出ている危険な場所だ。何が起こるか分からない。もし危険に遭遇した場合、できる限りのことはするが――」
ゲアンの鋭い双眸に直視され、銅像のように固まって動きを封じられるジャスミン。ゲアンの唇が言葉を継いだ。
「命の保障はできない」
「……!?」
ジャスミン、アール・グレイ、アーク、レミア、皆が愕然とするゲアンの言葉であった。
「それでも付いて行きたいというのなら連れていく」
「……」
言葉を失うジャスミンに向かって、ゲアンは更に言葉を継いだ。
「それだけの強い気持ちがあるのなら……」
その語尾に扉が開いた音が重なった。「ゲアンはいるか?」と言って長身の男性が顔を出した。
「バド!?」
アークのこの歓声は何回目になるだろう。その中でもこの時が最も希望に充ちていた。荷物を肩にぶら下げて室内に入ってくるバドを見ながら
「よかった〜帰ってきてくれて。ずっと待ってたんだよ?」とアークは瞳を潤ませて喜んだ。そこまで喜ばれるとさすがに困ってしまうバドだったが、そんなアークが愛おしくもあった。優しい声で「ごめんな」とアークの頭にぽんと手を置く。彼は荷物を床に下ろし、空いている席に座った。馬を飛ばしてきて疲れているのか、首を左右に傾けてコキコキと鳴らす。するとレミアが気を利かせてお茶を入れに行き、木のコップに入れたそれをさりげなくバドの席に置いた。
「ありがとう」
そう言うとバドは、湯気の立つ熱い茶をゆっくりと一口すすった。それをコトンと卓上に置く。
「話は聞いた。それでキュラリー河にはいつ行くことにしたんだ?」とゲアンの顔を見て窺った。
「明日の朝、出ようと思っている」
ゲアンがそう答えると
「そうか」
バドは口を閉じて納得したように頷いた。口角の上がった口が、閉じていても不適な微笑を湛えているように見える。
「オレも同伴して、構わないか?」
「ああ」
笑み一つ浮かべない表情でゲアンが言い、バドはアークに“やったな”と目配せした。
なんだかぐだぐだになってしまってすみません!好きなように書きなぐっちゃったみたいなカンジですよね。あはは……(乾)
/次回はシリアスです。書くのも辛い内容になります。それを越えたら作者が最も書きたかった話に入ります。作者の趣味全開の内容になっていると思います。うふふ(←?)