第二十二話:彼の中の勇者【前編】
さらっと数行書いて終わる予定だったんですが、書いてるうちに面白くなってきてしまい…
夏至の太陽が南中に達する時刻、バドはマドレーンまでの帰路を三分の一ほど進んだ所まで来ていた。その途中で金物屋に立ち寄った。
「おやじ、この剣を鍛え直してもらうことはできるか?」
彼は店に入ると背中に背負っていた大剣を石の台に乗せて言った。刃身がほとんど焦げ落ちて、鉄屑に成り果てている。昨夜魔物狩りをした際に負った損傷であった。彼の、若者にありがちな挑戦心や血の気の多さが招いた過失か。
「う〜ん……」
店の主人は台の上の大剣を手に取って眺め、難しい表情をした。先程バドが“おやじ”と呼んだのは、親しい商売人などを呼ぶ時の愛称みたいなものである。
「こいつはもう使い物にならねぇな。悪いが、諦めてくれ」
「駄目か……」
惜しい表情をしたバドだったが、仕方なくそれは店で処分してもらうことにした。無造作に廃棄物用の箱に放られた剣が、他の鉄屑にぶつかって重く乾いた音を立てた。
「それから、これで首飾りを作ってもらえないか?」
バドが肩に掛けていた布の袋から何かを取り出した。それを台の上に置く。
「?」
主人は“おや”、と言うように片眉を上げた。
台に乗せられたそれは宝石のエメラルドより深みのある碧色で、研磨する前から光沢があった。珍しそうな視線を向ける主人にバドが言う。
「アサセドラゴンの鱗だ」
「アサ……ドラゴン?」
耳慣れない名前を曖昧に聴き取った主人が繰り返した。バドが持ってきた物はこの道具屋には持ち込まれたことのない物だった。主人は興味深げに台の上からそれを拾い上げて観察する。
「これは珍しい。竜の鱗か……これで首飾りを作って、女にでも贈るのか?」
いやらしくニヤリと笑い、ひやかすように言った。
「相手がいればそれもありだな」
そう微笑で交わすバドを懐疑的な眼で覗き混み、相手なんかいくらでもいるだろうに、と内心でぼやく。
「で、どんなデザインが希望なんだ?」
「こんな風にしてくれ」
バドがデザインを書いた紙を主人に差し出した。
「おお、用意が良いな」
受け取った主人は再度珍しそうに鱗を観察した。
その様子を窺いながらバドが尋ねる。
「どれぐらいでできそうだ?」
「う〜ん、そうだなぁ、他の仕事もあるから、ひと月後ぐらいだな」
「ひと月……じゃあ、その頃にまた来る。頼んだよ、おやじ」
「おお、任せとけ!」
威勢の良い主人の声を背に、バドは金物屋を後にした。
同じ日の早朝、ゲアンはドチュールの使者として他国へ赴いていた。前夜戻らなかったバドには“例の話”を告げられず、深まる夜にバドの帰りがその日は絶望的に思えたアークは、堪らずゲアンに言ったものだった。
「今日中にバドが帰って来なかったら、オレからバドに話してもいい!?」
自分が幼少の頃から知っていて兄のように慕っているゲアンが、単身で危険地帯に向かうことを恐れていた。しかしそれもバドがいれば彼がどんな危険からも救ってくれる、そんな希望を見出すことができたのだ。
アークがまだ幼い子供だった頃、ゲアンには内緒で魔物狩りに連れて行ってもらったことがあった。その時目にした光景を今も忘れない。間違いなくそれは地獄絵図であった。恐怖のあまり当時のアークは、好奇心だけで付いて行ってしまったことを後悔して止まなかった。人とはあまりにかけ離れた異形の魔物。その白目のない怨恨と憎悪の塊のような赤い眼に睨まれ、怯えて声も出なくなり、身体は慄え、歯をガチガチいわせながら延々と神に祈り続けていた。
魔物狩りを依頼された場所は一つの村だった。そこにバドを含めた三人の魔物ハンターが立ち会い、魔物狩りが行われたのである。
「この村に晴天の日はなくなった。この通り、昼でもずっと雲に覆われておる」
昼過ぎにその村を訪れた時、生存者の一人である老爺が天を仰いでそう言った。その時も上空を灰色の雲が覆って日を遮り、村全体が陰りを帯びていた。畑に芽吹くものは皆無に等しく、時々民家の窓の向こうに生存者の姿が亡霊のようにぼーっと浮かび上がるという怪異であった。そこが数ヵ月前まで普通に人が生活していたというのが想像できないほどだった。
魔物は夜な夜な現れては畑の作物を喰い荒らしたという。その犯人を捕まえるために見張り役を買って出た勇敢な男たちは無残な死を遂げ、その後も魔物に挑んだ村人たちは次々と惨殺されていき、村には女子供や年老いた者だけになってしまった。
この村に教会はなく、魔物に対抗する術を知るものもいない。そのため村人たちは日に日に荒んでいく畑を前にどうすることもできなかった。そして村で話し合った結果、魔物ハンターに魔物駆除を依頼することになったのだった。
「で、そいつはいったいどんな奴だったんだ?」
武骨な髭面のハンターが老爺に尋ねた。
「……」
老爺は暗い面持ちで頭を振った。
「それを見た者は皆、殺されてしまったんじゃ」
老爺からはそれ以上情報を得られないと分かり、荒らされた畑を調査する他のハンター。
「葉が焼け焦げている。これは毒液を吐く魔物の仕業だろう」
「農作物を食べ、毒液を吐く魔物か……」
畑にしゃがみ込んで葉を調べる髪を束ねたハンターの傍らに、バドがしゃがみ込む。
「“妖蟲”か“魔換種”……」
「その類かもしれない」
「~~っ……」
自分抜きで会話を進める二人を見て武骨なハンターはいらいらとして地団太を踏み、癇に触れたようにまくし立てた。
「っじゃあ、死んだ村人たちはどんな死に方をしてたんだ!?」
「……っっ」
聞かれた途端老爺は青ざめ、吐き気を覚えたのか口許を押さえた。引き付けを起こしかけ、慌てて武骨なハンターが背中を擦って落ち着かせる。
「……うっぷ」
老爺は吐きそうになるのを必死で堪えながら、訥々と語った。
死体は総て両足が切断されていたという。足から上の部分はその周辺に転がっていた。そして奇妙なことに頭部には穴が開き、脳味噌が吸い取られたように中が空洞になっていたのだという。
「人間の脳味噌を喰う魔物なんて知ってるか?」
老爺を家に帰してから武骨なハンターが言った。他の二人のハンターは首を傾げた。それから皆見当も付かずに考え込んでいると、ふと髪を束ねたハンターが立ち上がった。
「夜まで待つか」
「こんな所でどうやって時間を潰すんだよ?」
武骨が抗議した。
「ああ、やってらんねぇ~」と歩き出す。
「どこへ行く?」
髪を束ねたハンターが呼び止めると
「ちょっくら兎でも捕まえてくる。安心しろ、夕日が沈む頃にはちゃんと戻って来るからよ」と軽い口調で、振り返らずに手を振って行ってしまった。
やがてその姿は山脈の前を覆う霞の奥へと消えた。それを見届けてバドが呟く。
「あいつ戻って来るかな?」
「戻って来なかったら報酬を二人で山分けするだけのことだ」
淡白に言って髪を束ねたハンターは、端正な顔に悪戯な笑みを浮かべた。つられてバドも笑う。しかしアークは笑わなかった。厳つく頼りになりそうな男がその場からいなくなり、不安が込み上げてきたのだった。残った二人はというと、バドはまだ痩躯の少年で首も細く、少女とも見紛うほどの秀麗な容貌をしていた。
もう一人のハンターだが、彼は成人に達しているようだが、身の丈は少年のバド――十代半ばの――とさして変わらず、やや小柄であった。立ち居振る舞いからは妙に落ち着きが感じられるのだが、華奢ゆえにどこか頼りない。
「心配するなアーク」
それを察したのか、バドは屈んでアークに微笑みかけた。
「魔物が襲って来てもオレたちがやっつけてやる」
「でも、足をちょん切られるかもしれないんだよ~!?」
恐怖で声が震えるアーク。
「防御魔法をかけるから大丈夫だ」
「……」
不安が拭えずアークは半信半疑の目を向けた。
「怖かったら隠れていても構わないぞ? 村人に頼んで……」
「いっ、いいよ!」
遮るようにアークが叫んだ。
「あんな……どこのうちもおばけ屋敷みたいで気持ち悪い~!」と身震いする。
「ははは、確かにな」
魔物に怯える住民たちが鳴りを潜め、人の声さえ聴こえてこないその村は、もはや死の村と化していた。その民家を尻目にアークは顔を歪めて嫌悪し、バドは失笑した。
「あいつは当てにしないで先に準備を進めよう」
髪を束ねたハンターが切り出した。
それから三人は彼――名をルジェというハンターの指示の下、作業に取り掛かった。アークとバドは手直にあった棒と紐を使って地面に線と円を描き、そこにルジェが手引きのような物を見ながら文字を刻んでいく。
「これって何を描いてんの?」
作業するに連れて、次第に気分が高揚してきたアークがバドに尋ねた。
「魔物を呼び寄せて魔界へ送る罠のようなものだ」
「へ~、鼠捕りみたいなもんかぁ」
「……」
その感想にバドは失笑を漏らした。
文字を描き終えたルジェが立ち上がった。彼は腕を上げて伸びをすると、首を左右に曲げ、腰に手を当てて天を仰いだ。その視線を武骨が消えた山の方に向ける。アークとバドもそこに目をやった。
暮色を増していく景色の中にあって村へと続く道なき道。そこに人影らしきものは見当たらなかった。同じ疑念を胸裡に抱く三人の無言の問い掛けに、返ってくるのは静寂でしかなかった。
「あいつが戻って来なかったらどうする、バド?」
ルジェが言った。悲壮な目をして付け加える。
「村人はあんな調子だ。頼むのは酷だろう」
「……」
「……」
ハンター二人の視線がアークに集まった。
「えっ?」
アークはたじろぎ、円らな瞳を大きく瞠って、二人の視線から逃れるように後退した。
「だいぶ日が落ちてきた。迷っている暇はないぞバド」
「ああ」
「え?え?え?……」
さらに後退するアーク。
その時――――――……
何かの絶叫のようなものが轟いた。
「なんだ今のは?」
声がした方角を見ながらルジェが言った。
「まさか……さっきの男の人だったりして……?」
アークは自分の言った言葉にぞっとした。瞠目して顔が青ざめる。
ハンター二人は何も言わず、緊迫した鋭い目で互いの顔を見詰め合った。
「?」
その様子を見てアークが戸惑っていると
「あれはヨハネギウスが産卵する時の声じゃ」
背後から先程の老爺の声がした。額に血管が浮かぶほど大きく目を瞠り、小刻みに身体を震わせながらふらふらと吸い寄せられるように歩いてくる。
「おじいさん、大丈夫?」というアークの言葉もその耳には届かない。
「ヨハネギウス?」
ルジェが尋ねた。
「ヨハネギウスは太古の昔から、あの山に棲んでいると言われている巨鳥のことじゃ。この村では昔から守り神として崇められておる」
老爺は山に向かって手を合わせて拝んだ。
「お~い、戻ってきたぞ~」
とそこに声がした。後ろを振り向いたアークは唖然とする。
「あっ……」
同じく振り向いたハンター二人は眉を潜め、視力が劣った老爺は目をしばたたかせた。
巨大な黒い何かを引き摺って、無骨なハンターが歩いてくる。その姿が至近距離まで来た時、老爺の身体が震え始めた。
「あ、あれは……!」
「でかいだろ!?」
無骨は意気揚々として、黒い塊を逞しい剛腕で抱え上げた。その塊から黒い羽根がぱらぱらと抜け落ち、垂れた頭の先から先端が湾曲した巨大な二枚の鋭い刃物のような物体が姿を見せる。先端に向かって黄色く濃く色づいたそれは鳥の嘴であった。その上の一対の目は、かっと見開かれたまま白濁している。
「こいつがなかなかしぶとくてさぁ。仕留めるのに結構苦労したんだぜ~」
無骨が抱えている全長5メートル以上もあるその塊は、まさに巨鳥であった。しかし遺骸と化した。
「あぁぁ……ぁ」
その悪夢を目の当たりにした老爺は卒倒した。
盛り下がってるところで切るか普通~(?)しかもシリアスオンリーでは気が治まらず、作者の中の“ふざけ隊”がぁぁ……たしかこれシリアスな話だったはずなのに…