第二十話:月夜の乙女
※(時間設定が間違っていたのでタイトルを変更しました。この場面は翌日の夜になります…汗)
一応メインキャラだったはずのレミアとサブキャラのディーダが登場するシーンが少なすぎたので、今回出してみました。そうでなくともこれをかいておかないと後々レミアの恋愛ネタが唐突な感じになってしまうので、という意味も込めて……
南東の空にぽっかりと丸い月が浮かんでいた。それは藍色の夜空にくっきりとした輪郭を見せながら青白く淡い微光で光り、心に平穏をもたらしていた。独りでその風景を眺めていたら、その微光の青白さに心は沈み、物思いにふけっていたであろう。――“彼”のことを思い出して
レミアはふと思考の片隅でそう思った。
今夜彼女は、一つ屋根の下で暮らしている仲間とともにディーダの家を訪れていた。外に長方形の卓を置き、ディーダやその家族と一緒にその卓を囲んで晩餐を楽しむのだ。ゲアンもバドもいない夜はこうして誘われることがしばしばあって、レミアとしてはさまざまな意味でありがたく思っていた。そうやって皆で団欒していると余計なことを考えずに済む。笑ってその日を終えられる気がしたのだ。
「ねぇ、レミア」
「何?」
「今、恋してる?」
「え?……」
調理場でディーダと二人肩を並べて盛り付けをしていたレミアは、動揺して大きな目を丸くした。傍らには、常のことながらワンピースの上にエプロンを身に着けているディーダの母親がいたが、彼女は大鍋をかきまぜることに熱中していて聞いていない。ジャスミンはというと彼女は細かい作業が好きではないので、できた料理を運ぶことに専念していた。ディーダの父親を中心にして、男性陣が外に鉄板や木の卓を運んだり薪をくべたりしている姿を眺めたり、たまにアークにちょっかいを出してふざけている。
「……」
先程ディーダに質問されたレミアであるが、彼女はすっかりどきまぎして言葉が出なくなっていた。ディーダは回答を急かさずに落ち着いた所作で、大皿にもられたラムチョップのソテーにくし切りにしたレモンを添えてぼやくように言った。
「私のほうは全然駄目。ちっとも進展しなくて……」
まだうら若き乙女である彼女にしては、その台詞は少し年期が入っているように聞こえた。
レミアは自分の事から話がずれたことに少し安堵して、さりげなく尋ねた。
「ゲアンのこと?」
言いながら胡桃や乾燥果物を混ぜて焼いた焼き菓子に、仕上げの粉砂糖をまぶす。
「ええ……」
ディーダの声が少し沈んだ。
「こっちはそれとなく態度で示してるんだけど、分かってもらえなくて……」
そこに空の盆を脇に抱えたジャスミンが戻って来た。ディーダが
「次はそれをお願い」と卓上の物を指して促す。レミアが手伝い、焼き菓子や前菜を盛った皿を二人でてきぱきと盆に乗せると、それを持ってジャスミンは調理場から出て行った。
ディーダが釜の蓋を開けて、その中を覗く。鉄板の上に並べられたパンの焼き具合を見て再び蓋を閉めると、傍らで作業していた母親に言った。
「母さん、後は私達がやるからもう座ってて」
母親の背中を押して調理場の向こうへと導く。その背中が遠ざかってからディーダは話を再開した。
「でもね、本当は彼、私の気持ちに気付いてる気がするのよね。だってね、二人きりになってそういう雰囲気になったとするじゃない?」
「ええ」
レミアが頷く。
「沈黙してじ〜〜っと見詰め合ってたら、やっぱりちょっと期待しちゃうじゃない?」
「……」
「なのに彼、“今日は楽しかったよ”とか“風邪を引くといけないから早く帰ったほうがいい”とか言ってさらっと交わしていなくなっちゃうの」
「恥ずかしがってるんじゃない?」
「そうかしら、そうは見えないんだけど……いつも目が真剣だし」
ゲアンの瞳はどこか神秘的で底が見えない深みがある。澄んでいるのに底が見えない泉だった。胸中を窺うのは難しいだろう。しかしレミアから見て二人は時々とても良い空気を醸し出す、お似合いの組み合わせに思えた。そのことを言うとディーダは表情を緩めて「ありがとう」と横にした三日月のような瞳で微笑した。
「告白しないの?」
小首を傾げてレミアが訊ねると
「駄目よ」とディーダは首を振った。
「なんで?」
「だって、恥ずかしい……」
ディーダは微かに笑って少し俯いた。肩を竦めて指先をいじる。
「それに怖いの。もし断られたら、今の関係が壊れてしまいそうで……」
彼女の瞳は憂いに濡れた。長い睫毛の下でそれが弱く艶めく。
「でも、言ってみなければ分らないわ」
ディーダの胸中の蟠りを察して自分も切なくなったレミアだったが、励ますようにそう言った。ディーダは礼を言うように柔和な笑みを浮かべた。瞳が細い三日月になる。
「いいの、まだ……彼が分かってくれるまで、もう少し頑張ってみるわ。
それより先走って、この恋が終わってしまうことのほうが辛いから」
「ディーダ……」
感嘆を込めて小さくレミアは呟いた。
「ところで、あなたはどうなの、レミア?」
「え……?」
急に明るさを取り戻したディーダに不意打ちのような質問を投げかけられ、レミアは困惑して目をしばたたかせた。
「私?」
「そう」
「私は……」
レミアは言葉を詰まらせた。またその話題を振られるとは思わっておらず、すっかり油断していた。
「好きな人はいるの?」
柔らかな声でディーダが尋ねた。
「……」
表情を窺ってくるディーダの視線を避けて、レミアは隠れるように俯いた。
するとディーダがクスリと小さな笑声をもらした。
「“いる”わね、その顔は?」
「……」
それに反応してか、レミアの頬がみるみる赤い薔薇色に染まり、顔全体が同じ色に満ちて行く。
「かわいい〜!」
ディーダは喜々とした声を上げて顔をくしゃっとさせた。かわいい妹の話を聞いてあげる姉のように、擦り寄って優しくレミアに問い掛ける。
「どんな人?」
「言えないわ……」
レミアは恥ずかしそうに顔を逸らした。ディーダは唇をへの字に曲げて、つれないなぁという表情をする。
「歳は近い? 離れてる?」
「……」
「でも、いることはいるんでしょ? 好きな人」
「まだよく分からないわ。憧れてる人はいるけど……」
ディーダは唸って思案を巡らした。
「じゃあ、私の知ってる人か、知らない人かだけ教えて?」
「言ったら絞られちゃうじゃない〜」
「あははは、そうね」
ちょっぴり泣きそうな顔で言ったレミアを見て、愉快げにディーダは笑った。
「なんか楽しそうだね、何話してんの? 仲間に入れてよ〜」
歌うように言ってそこに現れたのはアークであった。
「駄目駄目、女の子だけの話してるんだから」と少し意地悪な笑みを浮かべてディーダが言った。
「ふ〜ん、ガールズトークね」
ちょっぴり唇を曲げてすねるアーク。それを見ながらしたり顔でディーダは呟いた。
「憧れてるってことは、“年上”ね」
レミアは目をしばたたかせた。
アークは「何?」と疑問の表情でディーダを見返すが
「あっ、美味しそっ!」
すぐにその興味は卓上に移った。銀のトレイに残っていた肉の切れ端に、つぶらな瞳を輝かせる。
「いただきっ!」
「あっ、それ……」
レミアが小さく言った。
あっという間に肉の切れ端をたいらげてしまったアークは、束の間に得た至福の余韻を顔に浮かべていた。
「ごちそうさまぁ〜」とご機嫌に言う。
唖然とその様子を眺めていたレミアが呟いた。
「食べちゃった……落とした肉」
「え……?」
アークが食べた肉の切れ端は、床に落としてしまったので家畜の餌にしようと思って取っておいた肉であった。しかし彼は乾いた声で
「大丈夫、大丈夫」と言い、言いながらも微妙に吐き気を覚えていた。が、くるりと踵を返すと
「オレも“アールズトーク”してこようっと」
今起こった小さな禍を忘れようとしてか、また歌うように言って彼は調理場から去って行った。外から「アール、アール!」とアールグレイを呼ぶ声が響いてくる。
その後すぐに
「年上なんでしょ、レミアの“憧れてる人”って?」
とディーダは“ガールズトーク”を再開した。
「……」
答えないが、耳まで顔を赤らめるレミアを見て
「やっぱり」としたり顔をする。
「いいんじゃない、歳上の人」
「でも、自信がないの……」
レミアはもはや否定せず、胸の内を覗かせた。ディーダが優しい声で誘導する。
「どうして?」
レミアは瞼を伏せた。そうしたのは恥ずかしさからではなく、その長い睫毛の奥に見える瞳は悲哀の色に暮れゆく夕日を思わせた。
「その人は大人だから……」
レミアが言葉を紡ぎ、ディーダは急かさないようにと、ゆっくりとした相槌を打つ。後はすぐにレミアの口から言葉が流れ出た。
「私なんて子供だし、美人じゃないから釣り合わないし、何も魅力がないから……」
「レミア……」
ディーダは布巾で手を拭うと、悲観に暮れたレミアのか細い肩にそっと触れた。
「あなたはとても魅力的よ」
「え?」
レミアは顔を上げ、唖然として見開いた大きな瞳でディーダを仰いだ。
ディーダはレミアの肩に手を置いて続けた。
「レミア、あなたは生まれ育った場所で心に深い傷を負ってしまって、それで自分に自信が持てなくなってしまったのかもしれない。でも、あなたは、ここ(マドレーン)に来てから変わったと思うわ」
「……」
レミアは、どんな所が? と窺うように、疑問を浮かべた表情でディーダの顔を見た。ディーダは頷いてから言葉を紡いだ。
「ここに来たばかりの時のこと覚えてる?」
聞かれてレミアは軽く首を傾げた。ディーダは含み笑いを浮かべてからさらに続けた。
「最初あなたは、お料理もお裁縫もできなかったのよ? それが今では私が付いていてあげなくてもできるようになったわ」
「……でも、料理はまだ簡単な物しか作れないし、お裁縫も裾直しぐらいしかできないわ!」
レミアは大袈裟に頭を振って否定した。
「でも、まったくできなかった頃とは違う。あなたは“成長”したわ」
「……」
レミアは仄かに頬を赤らめ、ちょっぴり照れくさそうに肩をすぼめた。嬉しい気持ちを隠そうとするが、唇が弛んでしまう。
「いつでもお嫁に行けるわ」
「そんな……」
大袈裟だわ、と失笑するレミア。
「それだけじゃないわ。最近髪の切り方も覚えたから、将来旦那さんの髪も切ってあげられるし」
「やだぁ……」
表情を隠すように脇を向いて本格的に恥ずかしがるレミアを見て、それを微笑ましく見守るディーダ。幸福感を覚え自然と零れた笑みで、その瞳が細い三日月になる。少し自分のこととも重ねていた。
「それにね、レミア。その紅茶色の髪も素敵よ」
「そんなこと初めて言われたわ……」
レミアは我に返ったようにぱっと顔を上げた。
「幼い頃からずっと、この髪は“魔女の血の色だ”って言われてきたのに」
「そんなことない」とディーダは頭を振った。眉根を寄せ、表情を少し険しくさせる。
「血の色とは全然違うわ。もっと素敵な色よ」
語尾を穏やかに言って、ディーダは眉を下げた憂いの笑みをレミアに向けた。
「ありがとうディーダ」
レミアもそれに似た表情で答え、本当の姉のように慕っている年長の女性を仰いだ。
「だからもっと自信を持って、レミア」
ディーダが鼓舞してレミアの肩をぽんと叩く。
「あなたは自分が思っているよりずっと魅力的なんだから」
「……」
褒められた経験がほとんど記憶にないレミアは、困惑して目をしばたたかせた。ディーダが言う。
「今はかわいらしい女の子だけど、あと数年もしたらとっても綺麗な大人の女性になってるわ」
「なれるかしら……」
呟くようにレミアは言った。彼女は半分実感が持てずに戸惑い、もう半分はまだ見ぬ自分の未来像を脳裏に浮かべ、そこに希望を寄せていた。
「きっとそうなるわ。今だってこんなにかわいいんだから」とレミアの頬を両手で包むディーダ。
レミアは励まされたり、褒められたりしすぎて、なんだか複雑な心境になってきた。大きな瞳が開いたまま夢の中にいるみたいに、きょとんと開かれている。
「だからもっと自信を持っていいのよ」
「本当に……?」
「ええ、本当よ」
少し自分よりも背の高い年長の女性を扇ぐ少女とその少女を笑顔で包み込む女性。そこにディーダの母親の声が響いた。
「ディーダ、あんた達も早くいらっしゃい〜!」
「は〜い、今行くわ!」とディーダが返す。
「お互いにがんばりましょっ」
締めのように彼女はそう言って、レミアの背中に手を回した。そして
「さ、私達も行きましょうか!」
声を弾ませてレミアを促し、二人で調理場を後にしたのであった。
うわぁぁ、なんだこの終わらせ方テンポ悪杉〜Σヽ|゜Д゜|ノ┌┛☆