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第十八話:狩人

「っくしっ!」

 フェイカ大陸南部に位置するヴァンホー湿原に、青年のくしゃみが響いた。

「風邪か?」

「……かもしれん」

 青年はどこかしら腑に落ちずに小首を傾げた。彼は馬に乗っており、連れの少年がいた。そちらは狼を巨大化したような紫色の獣に跨がっている。土色のマントと同系色の鍔広の帽子が細い少年の体型には不釣り合いな大きさで、後ろから見るとマントに乗っかるキノコのようだ。

 青年のほうは均整のとれた長身で、背中に背負った見事な大剣がただものならぬ雰囲気を醸し出している。かなりの重量で、明らかに騎士が常用するような代物とは異なる。その勇ましさとは相反するように容姿は端麗でどこか魅惑的だ。髪はミディアムレイヤーで、茶褐色をしている。端整な眉目に上がった口角は挑戦的に映り、切れ長の瞳は女性が見たら目眩がしそうなほど美しく、男性的な色気を帯びていた。こんな二人の組み合わせは異様であり、たんなる旅人一行には見えないだろう。

 この時すでに空は闇に浸食されかけていた。直に濃霧が発生して夜行性の生物が徘徊を始める。湿原はそう長くは続いていなかったが、地面のぬかるみに脚を取られやすく、彼らは通過にてこずっていたのだった。

「この先にあるヴァンホー温泉にでも浸かっていくか」

 青年が馬を馭しながら、独り言のように呟いた。

「それならこの巨狼アマテラスを貸してやるから行ってこい。その間オレはこの辺で一休みしている」

「……」

 少年の提案を聞いて、青年は束の間思案した。

「お前は入らないのか?」

「入らない。オレは平気だが、“ニナ”が嫌がってる」

 少年はぶっきらぼうにそう返す。青年は不思議そうに小首を傾げた。

「ニナが? 男になっている時も女体ニナの声が聞こえるのか?」

「声は聞こえない。意識が伝わってくるだけだ」

「ふ〜ん」

 青年は納得して頷いた。

「だがアマテラスはいい……ふっ」

「なんだその“ふっ”って笑いは!?」

 少年は癇に触って指摘したが、青年の言い方をそのまま真似している所が笑いを誘う。

 青年は含み笑いをして受け流した。視線を少年が乗った巨狼に移す。

「オレが乗ったら重くてアマテラスがかわいそうだ。この大剣だけでもかなりの重量だからな」

 そう言ったのは口実だった。彼のように長身で足が長いと、巨狼の背に乗ったのでは低すぎて地面に足が着いてしまいかねない。その姿を想像して彼は笑ったのだ。とはいえ総重量のことも念頭に置いて彼は

「なぁ?」と巨狼(アマテラス)に首を傾けて伺った。

 すると「ぽっ」と巨狼はときめく乙女のような表情になった。今まで数多くの女性を一瞬にして虜にしてきた魔性の美は、魔獣にも有効であったのか? それを見た巨狼の主人である少年は目を疑った。

「アマテラス……お、お前“オス”だよな!?」

 それに根拠はなく、厳つい外見や吠え声による判断でしかなかったが……

「それに何故バドに懐いてる? お前を倒して主人になったのはこのオレなんだぞっ!?」

「こっちのほうが実力が上だと見抜いたんじゃないか」

 さらっと青年(バド)が言った。悪意はなかったが(多分)、少年をからかうように悪戯な笑みを浮かべて。

「お前……っっ」

 少年は込み上げる憤りに、わなわなと肩を震わせた。

「それならバド、オレと勝負しろ!? 主人の強さをアマテラス(こいつ)に見せてやるッ!」

 剣を鞘走らせ、その剣尖が頭上に降り注ぐ月明りの微光を反射して相手を威嚇する。

「あっ!」

「何だ!」

 不意にバドが喚声を上げて馬主を巡らせた。同時に少年との間合いを取る。

「湿原を抜けたぞ! もう馬で大丈夫だ」

 高らかに芝居がかった口調で言い、バドは馬腹を蹴った。馬がいなないて走り出す。数十メートル先には人里へと続く林道が延びていた。バドは残ったぬかるみの地面を臆することなく馬を駆り、泥を跳ね上げて突き進む。

「待てっ!」

 少年が乗った巨狼アマテラスがその後を追った。アマテラスは巨体ではあるが瞬発力に長けていた。疾駆する馬にもすぐに追いつきそうになる。が……

「おい、どうしたアマテラス!?」

 持久力はなかった。すぐにへたばって失速していく。馬との距離がどんどん開いていった。遠ざかっていく馬と騎手。まるで翼でも生えているような軽やかな足取りで駆けていく。その後ろ姿を見ながら

「くそくそくそくそくそくそ〜〜〜〜っっ!」

 少年は悔しさに顔をくしゃくしゃにさせて地団駄を踏んだ。

「じゃあな、“ニナ”!」

「“トレゾウ”だぁぁ!」

 少年トレゾウの憤努の叫びが響かずに乾いた音となる。その声を背にバドが乗った馬は、1キロメートルほど離れた地点で突如落下したかのように姿を消した。僅かな音を聴いて、それが斜面を滑り降りたのだと察したトレゾウは

「ちっ」とふてくされた顔で舌打ちするのだった。


 そもそも何故この二人が行動をともにしていたのかというと――その経緯はこうだった。



 仕事の依頼を受け、バドはヴァンホー湿原に向かっていた。ようやくその手前にある曠野に着いたのは、まだ日が落ちる前のことだった。視界の奥に森林地帯を見出だした時、同時に彼はその手前に見覚えのある人影を発見した。鍔広の帽子に土色のマント。

「ニナ!」

 彼は歓喜するように叫んだ。鍔広の帽子の主が振り向く。半ば帽子に埋もれたぶっきらぼうな顔がそこにあった。

「トレゾウだ!」

「ふふ……“ニナ”だ」

 バドは嬉しそうに馬足を速めて駆け寄った。

「ストーカーか?」

 帽子の主は少年だった。“さすらい”のトレゾウである。その顔を見てバドは「違う」と愉快げに笑った。

「仕事でヴァンホー湿原に向かってるんだ」

「ふん」

 トレゾウは鼻で笑った。

「その獣はどうした。捕まえたのか?」

 トレゾウが跨っている巨大な狼を見てバドが言った。紫色の体毛が頭部から尾にかけて体の表面を覆い、下顎から腹にかけては白い毛に切り替わっている。右目が銀、左目が濃黄色のオッドアイだ。

「まぁ、そんなところだ」

 トレゾウはふてぶてしい顔で言った。彼が乗っているのは魔獣の一種で、攻撃して負かすと手懐けることも可能であった。トレゾウの場合は襲われたので反撃したところ、獣が降参したのだが、持ち馬がなかった彼は「これは丁度いい!」と乗り物にすることにした。“アマテラス”というのは彼が付けた呼称である。

「お前もあの張り紙を見て来たんだな。だが残念だったな、早い者勝ちだ。ドラゴンの首はオレが戴く」

「何のことだ? オレが受けた依頼は竜の鱗を取ってくることだぞ」

「鱗?」

「ああ、そうだ。フェノル沼に棲む(アサセドラゴン)の鱗を」

「それなら丁度いい。オレが倒した竜の鱗をお前にやる」

「……」

 バドの瞳が厳しいものに代わった。

「それはできない」

「何っ!?」

 トレゾウが反発してバドを見据える。

「オレがしくじるとでも思ってるのか!?」

「いや、そうじゃない。竜を殺すと罰せられる可能性があるからだ。地域によっては神として崇められている種類もある。それに人的被害報告は受けていないとなると、お前が見たその張り紙は詐欺の可能性が高いな」

 トレゾウは眉を潜めた。憤慨して、みるみる顔が紅潮していく。

「事務所の掲示板に貼ってあったんだぞ!? そんなに怪しい仕事か!」

「あぁ、あの掲示板か……あれには事務員の審査が入っていないからな。ハンター自身の目で見極めないといけない」

「……金貨が百枚ももらえるんだぞ」

 トレゾウがぼそっと言う。未練がましい目でバドを見詰める。

「あはは」とバドは乾いた笑い方をした。「やめとけやめとけ」と手を振る。トレゾウはその顔色を伺うように見据えた。

「……おいしい仕事だぞ」

「だから怪しいんだ。だいたい金貨百枚で(ドラゴン)が買えるか?」

「買えない」とぶっきらぼうな顔で首を振るトレゾウ。

「お前は強くなりすぎて感覚が狂ってしまったのかもしれないが、(ドラゴン)を一人で倒しに行くなんて普通では考えられないことなんだぞ? お前ならやってのけるだろうが、そんな大業を成し遂げた報酬がたったの金貨百枚なわけがないだろ。そんな仕事は詐欺だ、絶対やめておけ」

「……」

 トレゾウは不満げに唇を歪ませた。

「ふん、早い者勝ちだ!」

 突如、彼は強行に出た。巨狼(アマテラス)を駆って、廣野を突っ切り逃走する。

「おい!」

 バドは素早く馬首を巡らした。その間にトレゾウは、背の高い雑草の茂みに達していた。

 と、それを追うようにして側方から地面を這って忍び寄る影があった。

 ――蛇か? そう思うより先にバドは動いていた。培ってきた経験が危険を感知する。彼は腰間の柄に手を伸ばした。

 すっと影が身を起こす。三メートルほどの高さになった。女性の胴回りはありそうなほど太く、数十メートルもの長さを持ったそれは、湿地帯などに棲息する蛇型の魔物だった。白灰色に黒の絞り染めを施したような模様が全身を彩っている。その大蛇が大口を開いて歪なひし形を形成し、今まさに人、巨狼もろとも飲み込もうとした――


 その瞬間。


「氷纏斬!」

 氷のやいばが空を裂いた。迸るその尖端が標的の肉に突き刺さる。


 断末魔の叫び。


「黒タイダイン――!?」

 振り向いて驚愕に目をみはるトレゾウ。その背後には、頸部に短剣が突き刺さり今まさに息絶えようとしている大蛇の無惨な姿があった。その短剣から冷気が放出され、刺さった部分からみるみるうちに凍っていく。数秒という短時間のうちに、大蛇の頭部から胴体にかけてが巨大な氷塊と化した。その重みに耐え兼ねて首が折れ、大きく地面を轟かせる。

「わっ!」

 危うくぶつかりそうになってトレゾウは慌てた。近付いて来た青年をキッと睨む。

「危ないじゃないか!?」

 青年はその傍らに来て手綱を引き、静かに馬を止めた。

「助けたんだが」

 そう言った彼の口は綺麗に口角が上がっていて、笑ったかのようにも見えた。バドである。

 ふとトレゾウが巨狼上から、地面に向かって手を伸ばした。

「やめろ、放っておけ」

 バドが叫んだ。

 トレゾウは地面に転がる大蛇の氷塊に向かって伸ばした掌を引っ込め、バドを見る。

「何でだ? 呪文で氷を溶かして、お前の短剣を取ってやろうとしたのに」

 バドはかぶりを振った。

「それはそのまま放置して魔除けにする」

「何っ、魔除けだと? 弱気なことを……」

 トレゾウはいきり立ち、両手を地面のそれに向かって突き出した。

「極烈火!」

 呪文が発動され、炎の帯が地面を走る。

「っ……」

 炎の熱気が顔を扇ぎ、バドは馬を後退させて苦悶の息を漏らした。炎の帯が大蛇の頭部と胴体を舐めるように焼いていく。大気中に黒煙と異臭が立ち込め、跡には炭と化した塊が二つ残った。

 トレゾウは巨狼から降り、その焼け跡から短剣を拾う。黒く煤けて燻っており、もちろん超高温である。しかし

「取れたぞ」

 彼はケロリとした顔でそれを掲げた。見た目こそ妖精のような美少年ではあるが、彼は一応“妖怪”である。人間の身体とはかなり強度が異なるのだった。

「冷めてから渡してくれ」

 数年の付き合いがあってそのことを知っているバドは、見慣れているので動じない。涼しげな面持ちで髪を掻き上げ、やれやれと失笑しただけであった。少し馬を寄せて地面に転がる炭の塊を見下ろす。

魔物(てき)とはいえ、こうなってしまうと憐れだな」

 それを聞いたトレゾウは眉根を寄せた。

「甘いぞ! お前いつからそんな優男になった? 背中に背負っているその剣は飾り物か!? そんなことで(ドラゴン)と闘えるのか――!?」

 激昂するトレゾウだったが、バドは気圧されることもなく余裕のある含み笑いを浮かべた。

「これにはいろいろと使い道がある。竜を狩る“以外”にも」

「……〜〜っっ」

 それを聞いて唸るトレゾウ。彼は憎しみを込めてバドを睨んだ。

「仕方ない(?)、オレが付いて行ってやる!」

 こうして二人は同行することになった。

 二人はアサセドラゴンが棲息する沼へ行き、竜が身づくろいをしに岸に上がって来るのを待った。やがてその瞬間が訪れた時、すかさずトレゾウが呪文を唱えた。そうして竜の動きを封じてからバドが大地を振動させる呪文を唱え、竜の体から古くなった鱗を落とす。こうして剥れ落ちた鱗をバドが拾い集め、それを二人で山分けした。トレゾウはそれを高値で店に売りさばくことに決めて、今回は竜の首を諦めた。

 ――これが二人が同行することになった大まかな経緯である。



「また、この男体すがたの時に会ったら覚悟しろよ……」

 バドが消えた地点に立ち、そこから続く崖に近い急斜面を見下ろして、トレゾウは呪詛のようにそう呟いた。

  

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