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第十七話:変事

 マージュ姫の婿捜しで集った仲間達は解散して、各自日常の生活に戻った。一悶着あってからバドと和解したニナだったが、あの後バドに照れながら

「団体行動は苦手だ」

 と言い、残留の誘いを断った。そして

「オレにはさすらいが似合うからな」

 男前な口調でそう言い残すと、バドら一行のもとを離れて行った。土色のマントをなびかせて、華奢な少女の小振りな頭には明らかに不釣り合いな鍔広の帽子を揺らしながら歩くその後ろ姿は、滑稽でさすらいの旅人そのものであった。



「暑゛〜〜ぃ…」

 畑仕事を手伝っていたアークは流れる額の汗を首にかけたタオルで拭った。 大気中に陽炎がゆらめき、景色が波打って見える。

 この地方は一年を通して気候が暖かく、春は短くその分夏が長期に渡って続き、秋冬は変化に乏しい。厳しい寒さはあっという間に去り、すぐに春が訪れる。今はその丁度春の時期だったが、快晴の陽光は肌をじりじりと焦がすように強かった。

 ゲアンを師事してアークがこの村で暮らすようになってから早三年。ゲアンが講師を勤める青空教室に行く日以外は、農家の畑仕事の手伝いや雑用をやって稼いでいた。その仕事にも慣れてきたが、この灼熱を思わせる直射日光の熱は苦手だった。暑さにへたばりそうになりながら涼を求めて、漁師か海女さんに転職しようかな? などと考えてしまう。

 他の仲間はというとジャスミン、アールグレイの双子兄妹は近隣の街に出稼ぎに出ていた。アールグレイはアークとともに畑仕事に参加しようと考えていたのだが、妹のジャスミンは

「日焼けは嫌っ!」と反発した。彼女なりの自分の踊り娘としての理想形スタイルがあるらしいのと、活気のある都会で発散したかったようだ。兄のアールグレイに

「たまには人前に出て披露しないと腕がなまっちゃうわ」と相手にも利があることを述べつつ我を張った。アールグレイはそんな妹の性格と扱いを熟知しているので、あえて意を唱えることなく黙ってそれに従ったのである。アークは残念そうに……ジャスミンがイイ感じに日焼けしたら、もっとセクシーになりそうだったのに、見たかったなぁ……と嘆き、小麦色に日焼けしたジャスミンが過激に露出した踊り娘の衣装を身に着けて、くびれた腰に手を当てた挑発的なポーズでアークを誘惑しているというエッチな妄想をしてしまうのであった。

 それはさておきレミアはというと、彼女はディーダに付いていろいろと教わっているようであった。ときに二人で市場へ出かけて食材を仕入れたり、裁縫を習ったりしていた。

 女性らしさを兼ね備えた年長のディーダに、レミアは憧れを抱いていた。以前ゲアンに思いを寄せていた頃は、彼女の気立ての良さや美しい容貌が妬ましかったが、新たな恋が始まってからは胸裡に宿る陰の部分が姿を消して心が晴れ、彼女を同姓の先輩として自然と慕うようになっていた。母娘二人きりの生活が長く兄弟がいないレミアにとって、いまやディーダは理想的な姉のような存在になっていた。

 そしてバドだが、彼はハンターの仕事で各地を周る日々を過ごしており、この日は早朝から出かけていた。



 夕刻、空はうっすらと暮れかけていたが日が延びたため、まだ明るかった。ゲアンはドチュールの城前広場で民衆対象の青空教室の講師(ドチュール王提案)、使者、その他の急務に携わる職務を与えられていた。過去に王から“勇者”という特異な称号も授けられており、彼はドチュール王のお気に入りでもあった。

 彼は今、城を後にして帰宅の路に着いていた。夕餉漂う城下町に、馬蹄が石畳を蹴る音が軽やかに響く。彼は葦毛の牡馬に乗って街道を抜けて行った。平服姿で腰帯に長剣を差し、革地の雑嚢を肩から腰にかけて斜めに背負っただけの軽装であった。勤務時は支給された制服を着ることを義務付けられており、雑嚢の中にはそれが入っていた。翌日それを着て他国を訪問する任を授かっており、アイロン掛けまでされた制服を汚さないために袋に入れていたのである。

 丘や谷を越え、森林地帯を抜けて馬を駆ること数時間。遠方に集落の明かりが転々と見えて来た。彼が住んでいるマドレーン村だ。空は暮色を増した青灰色に染まり、大気も涼しく感じられる。彼は馬を馭して少し速度を緩めた。平らにならしただけのでこぼこ道が続いている。その道をさらに奥へと進んで行った。





 ゲアンが家に着く数十分ほど前。

 帰宅したジャスミンは荒れていた。衣装の上にケープを羽織ったまま、どかっと食卓の椅子に腰を下ろすと、深いスリット入りのワンピース姿で堂々と足を組んだ。肉付きの良い乳白色の太股が露になる。スリットがはだけて片足の付け根辺りまでを無防備にさらした姿が艶めかしい。

「ワォ!」

 アークには嬉しい光景であったが

「〜〜っっ!」

 当人はそんなことは気にもならないようであった。それよりも何かに対して懊脳しているのか、非常に悔しそうに顔をくしゃっとしかめたり、悪態を付いていた。心配したレミアが気を利かせて、水を注いだ杯を渡す。

「ありがと……」

 受け取るなりジャスミンはぐいっとそれを一気に飲み干して、叩き付けるような勢いで卓に置いた。

「なんかあったの?」

 アークが居心地悪くその場を去ろうとしたアールグレイにそっと尋ねる。

「……」

 アールグレイは浮かない顔をしたが、アークを奥にある台所に連れ出してから言った。

「行った先で行儀マナーの悪い客がいたんだ……」

 話によると二人はいつものように道端で踊りと笛の芸を披露していたのだという。そこへ頭にターバンを巻いた船乗り風の男が近付いてきた。連れの男性もいたが後ろで見物していたらしい。ターバンの男は他の見物客に構わずその間隙からジャスミンに接近した。ニヤニヤしながら女性を恥辱する聞くに耐えない悪罵を吐きながら彼は手を伸ばし……

 ジャスミンの豊満な胸を触った。

 激怒したジャスミンは

「何すんのよっ!」

 相手の頬に痛烈な平手打ちをお見舞いした。あとは二人でそのまま逃げるようにと村まで一目散に帰って来たのだという。

「あららぁ……」

 アークは苦笑した。他人事のようである。男のアークには、女性が他人に胸を触られるという屈辱の重さがいまいち伝わらなかったらしい。ちょっとしたおかしな話を聞いた、といった程度の反応だった。

 そこへ衣擦れの音がして、もう一人が帰宅したことを報せた。片紐の雑嚢を斜め掛けにして背中に背負い、腰に剣を帯びた長身の男性だった。その姿を発見するなりジャスミンが駆け寄った。

「ゲアン〜〜っ!」

 ジャスミンは悲しみにくれた表情で彼の胸に飛び込んだ。

「どうした?」

 受け止めたゲアンはそう問い掛け、胸の中で怯えるように縮こまるジャスミンの体をそっと離した。

 ジャスミンが顔を上げる。サファイアを思わせる水色の大きな瞳が潤んで光輝いている。

「酷い目に遭ったの……」

「……」

 ゲアンは一瞬困惑したが

「話を聞こう」

 と優しく彼女の背中に手を回し、食卓の置かれた広間に誘導した。そこに残っていたレミアは席を外して台所へ移動する。去り際にゲアンは

「すまない」と彼女に目配せした。

 ジャスミンはケープを脱いでまとめた。ゲアンは椅子を引いて彼女を席に着かせた後、荷物を床に下ろして向かいの席に座った。

 ジャスミンは何故か落ち着きなく視線を動かした。周りの目が気になるのかとゲアンが思っていると

「こっちに来て……」とジャスミンが上目使いで甘え、ゲアンを隣に座らせた。

 ジャスミンは泣きそうな表情でことの経緯を語った。

「ね、酷いでしょ? その男、私の胸をこうやって触ったのよ!」

 ジャスミンは自分の胸をむぎゅうっと握って再現して見せた。

「本当最低っ」

 とぶるっと身震いして両手で体を抱き締める。豊満な胸が中央に寄せられて深い谷間ができた。

「……」

 黙って聞いていたゲアンの唇が動く。

「しばらくはそこには行かないほうがいいかもしれないな」

「そんなぁ〜〜……」

 ジャスミンは首を横に傾げてがっくりと肩を落とす。尻目にゲアンの顔を見た。谷間に興味を示す様子は見られなかった。ジャスミンは不満そうに口を尖らせる。

「あそこ取締が甘くて気に入ってたのになぁ……」

「そういう所は進められない。おそらく治安が悪い地域だろう。殴った相手にまた遭遇して、因縁を付けられないとも限らない」

「襲われたらゲアンがそいつをやっつけてよぉ?」

 ジャスミンは猫撫で声を出し、上目使いで媚態を示した。

「そういう人間とは関わらないほうがいい」

 しかしゲアンは淡白にそう言って席を立った。ジャスミンの肩を慰めるように軽く叩くと、荷物を持って階段を上っていく。

「……〜〜っっ!」

 一人取り残されたジャスミンは悶々とし、ゲアンに対して密かに敵愾心を燃やすのであった。





「食事の後、皆に話したいことがある」

 食卓を囲む仲間に向けてゲアンが切り出した。

 長方形の卓の向かい側の席に座するアークが表情を曇らせる。スープをすくう手を止めて、スプーンを皿に置いた。

「バドがまだ帰って来てないよ?……」

 バドとは幼少の頃からの知り合いで、彼にとても懐いているアークは、彼の不在中に改まった話――とくに依頼の話をしてほしくなかった。バドは卓絶した剣士であり、戦士としても兄貴分としてもアークは尊敬している。冒険に彼は欠かせない存在であり、彼がいないとアークは寂しいのだった。

 その様子を見て燐席のアールグレイをはじめ他の者も大人しくなり、物音を立てないようにと気を使った。

 ゲアンが眼鏡越しに見える美しい切れ長の瞳を細めて微笑した。

「あいつはいつ帰って来るか分からないから、帰って来たら話すことにする」

 ゲアンの微笑は柔和で宥められていると分かるのだが、少しバドに対して彼は冷たいというか、乾いた印象がある。あまりべたべたするのも考え物だが……

 そんなことを思いつつ、アークはとりあえず重たくだが頷いた。


 食事を終えてとりあえず食器を洗い場へ運び、全員着席したのを見計らってからゲアンが話を始めた。

「ドチュール国王陛下からあるお話をいただいた」

 それはドチュールと燐国との国境南西部で起きた。

 彼らの住む国ドチュール他数ヶ国の国境線が在する大陸をフェイカ大陸といい、その西端から流れているキュラリー河は、ドチュールと燐国を跨いでさらに東へと続いている。問題は丁度その境目で発生した。河の両側にはもともと森林が存在していたが、それは数百年ほど前からほとんど変わらぬ地形であり、森林の面積が大幅に変化したという報告もされていなかった。

 先月のことである。隣国モンスレーで騒動が起きた。その森林が河に接近していると、宮廷画家が言い出したのである。小高い丘の上に建つ屋敷の上から見下ろした景色を描こうとしたところ、彼はその変化に気づいたという。それを聞きつけたモンスレー国王は兵士を送ってそれを確認しに行かせ、話が事実であることが判明した。しかし王はその件を軽んじて扱い、兵士らに拡大したと思われる樹木を伐採させるに止どまった。

 ところが数日後また画家が騒ぎ出し、異変が発覚した。かの森の樹木が異常繁殖していたのである。今度は樹木が河にまで葉を広げ、通行の妨げになってしまっていた。

「これは魔のたぐいの仕業かもしれぬ」

 さすがに今度は軽視することもできずにそう訝った王は、森の実態を探るべく歩兵、騎兵の合計約百名あまりの部隊を編成し、森の最深部まで潜入することを命じて彼らを現場に派遣した。


「それでどうなったの?……」

 アークは小さな戦慄を覚えながら、好奇心からそう尋ねた。他の者は息を潜めて聞き入っていた。

 ゲアンが言葉を紡ぐ。

「兵は、ほぼ壊滅したそうだ」

「なんで、何があったの?」

 アークは話に食いついて前のめりになり、目は驚愕に見開かれていた。

「生き残った兵士はその衝撃で精神失調を来し、まともに話ができない状態らしい」

 前途が閉ざされたかのようなゲアンの台詞に、他の者は唸るだけで言葉を失った。

「じゃあ、どうするの? そのまま放置されちゃうの?」

 アークだけが納得いかずに疑問をぶつけた。

 ゲアンは静かにかぶりを振った。

「?」

 純粋な少年の澄んだ瞳で見詰めるアークの肩に、ゲアンが手を置く。

「再調査しに行く」

「え……?」

 アークはきょとんとした。が、すぐに慌てて問う。

「まさか、先生が?」

「……」

 ゲアンが静かに頷く。

「この話を伺った時にそうすることに決めた」

「そんな、百人も兵士が行って全滅しかけたぐらい危険な場所なんだよ? そんな場所になんで先生が行かなくちゃいけないの!?」

「あの河が塞がれてしまうと船での移動ができなくなり、物資の輸送などに遅れが生じてしまう。これはドチュールとモンスレーだけの問題ではない。他の国にも影響が起きてしまう。早急な対応が必要なんだ」

「でも……」

 アークは反論したかったが、言葉が見付からず言葉を詰まらせた。哀しく一吠えする子犬のような顔をする。

 ゲアンは目を細めた。宥めるようにアークの顔を見る。

「大丈夫だ、アーク。オレはこう見えても偉大な魔術師に育てられた男だ。師から授かった能力ちからは、こういう時のためにある」

「でも、やっぱり……」

 潤んだ瞳でゲアンを見詰めるアーク。

「そうよゲアン、一人で行くなんて危険すぎるわ!」

 堪らなくなったジャスミンの反駁する声が飛んだ。

「オレもそう思う」

 アールグレイも反対した。

「その話、もう受けちゃったの?」

 か細い声でレミアが尋ねた。そうでないことを願う眼差しがそこにあった。

「……」

 ゲアンは何も言わず俄かに微笑した。

「そんな……」

 アークが絶望に目を見張る。

「死んじゃうかもしれないんだよ!? そんな話断ってよ、ねぇ、先生!」

 アークは身を乗り出して、必死でゲアンを説得した。

「……分かった」

「え?」

 アークの瞳が輝く。彼に向かってゲアンは微笑すると言葉を紡いだ。

「誰か同伴してくれる人間を探してみる」

「って……そんな人見付かるの!? 一人や二人増えたって意味ないんだよ? それにそんな所に来てくれるような命知らずのお人好しなんているわけないじゃん!?」

「多分いないだろうな」

「ちょっとぉ!……」

 深刻そうに聞こえないほど屈託のないゲアンの口調に、アークは顔を紅潮させて憤慨した。というか呆れてしまった。

 ゲアンがアークの背中に手を当てる。

「心配するな、強力な助っ人を探しておく。――千人の兵よりも強力な奴をな」

 そう言って微笑した。そして寛ぐように親指に顎を乗せ、両掌で鼻梁までを包み込む。彼はその覆いの中で


 “(ドラゴン)を倒せるような奴を……”

 その言葉を小さく独語した。


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