第十三話: 《婿探し》 婿役のいきさつ【変身・対戦・対面編】
一行は自家用の船に乗ると海を渡り、ドチュール王国のある大陸を目指した。穏やかな海を行く途中、イルカが飛び上がる場面に遭遇するなど、喉かな航海を満喫させた。
「着いたぞ」
マドレーンの港に到着し、船を降りる。そこから先は馬車でドチュールに向かうことにした。
「やっぱここが一番落ち着くなぁ〜」
大きく両手を広げ、アークは伸びをした。住み慣れた土地に帰って来てほっとしたのである。それはレミアやジャスミン達兄妹も同じであった。
「へぇ〜〜喉かで素敵な所ねぇ〜〜!?」
ほとんど未開拓なその村は森林など自然の景色で溢れている。すっかり都会暮らしに染まっているパルファムには新鮮で、感動した彼は目を輝かせた。
「ところでニナはいつ変身するの?」
アークは疑問を投げ掛けるが、ニナはあまり答えたくなかった。固い決意をした後である。一度男体に変身したら、もう二度と女体には戻らないと決めたのだ。男体になってしまえば女体の時好きだった相手への恋愛感情も消え、忘れられる――バドのことも。だが女体である今はまだそのことを引きずっており、この気持ちを捨ててしまうことも辛かった。
ところがアークはニナがこんな気持ちでいるなど知るよしもなく、好奇心たっぷりに変身を待ちわびていた。
ああ、自分はこんなに哀しみに打ちひしがれているのに
断崖絶壁から不幸の谷底へと真っ逆さまに墜ちようとしているというのに……
青々としたこの空が憎い!
雲一つない晴天に照り付ける太陽が憎い!
そして無邪気にはしゃぐ……“アーク(こいつ)”がぁぁぁ〜〜〜っ!
「ぐぇ……!?」
アークが呻く。
「?」
仲間達は皆唖然とした。いきなりニナが彼の首を締め付けたからである。冗談か悪ふざけだろうと済ませていたが、そのうちあまりにも苦しがるアークを見てやっとそれが冗談でなかったことに気付く。
「ニナ!?」
慌てて仲間達が助けてやるが
「お……っげほっ!……遅いよっ!?」
その時にはかなり咳込み、衰弱していた。
「大丈夫?」
レミアは普通に心配していたが、ジャスミンは
「もっと加減しなくちゃ」と呑気なことを言い、アール・グレイはただただ呆れていた。バドがニナを見るとニナは不機嫌な顔でそっぽを向く。
「……」
自分が原因の一つだろうと思ったバドは表情を曇らせた。
「ニナに話しておきたいことがある。どこかで時間を潰してもらえるか?」
バドはゲアンに耳打ちした。長身の彼らの交わす小声の会話は他の仲間達の耳には届かない。
「分かった。じゃあ、城下町にある喫茶店で待っている」
ゲアンはそう返し、アークは
「ずるいな塔トーク」とぼやいた。
「ちょっと来てくれ」
バドに促され、戸惑いながらもニナは彼の後を付いて行く。
「どうしたのかしら?」
「さぁ……」
疑問を浮かべるジャスミンと不安で浮かない表情をするレミアは、二人の後ろ姿を目で追っていた。二人が角を曲がり、視界から消える……
「ニナ」
森林が生い茂る森の前に差し掛かると立ち止まり、バドが言った。
「何だ?」
ぶっきらぼうにニナが返す。
「お前がどうしても気が進まないというのなら、婿の権は断ってもいいぞ」
ニナは大きく目を見開いた。
「何で今更!?」
「お前が辛そうに見えるからだ」
バドは静かにそう言いった。
ニナはそれを否定するように吐き捨てる。
「大丈夫だ!」
「本当か?」
「本当だ!」
「そうか……」
バドは思考を巡らせるように空を眺めた。
「だが、あの姫君がお前を選ばないとも限らない……」
姫はゲアン以上の男を求めていた。しかし分からなくなっていた。振られて極限状態に陥ったとき、女は何をしでかすか分からない。過去にそんな経験がなくもなかった。やけを起こしてパルファムを選ばないとも限らない――ニナのことも。
「……」
ニナは弱々しい微笑を見せた。それはなるようにしかならない、とでも言っているようだった。それが痛々しく、彼の胸は痛んだ。
「何か欲しい物はないか?」
「欲しい物?」
「ああ、お前が候補とはいえ婿役を引き受けてくれた礼がしたい」
「欲しい物……」
ニナは考え込む。その顔をバドは見詰めた。
『何が欲しい?』
心の中にバドに質問された場面が浮かび、ニナは頬を紅くした。
「オレは……」
言葉が声に出せず、頭の中でうるさく喚き出す。
「お前の……」
「オレの?」
これは警戒しているな? とニナは察した。きっと“そっち”のことを言おうとしているのだと……そうではなかったが、恥ずかしかった。
「物じゃなくてもいいか?」
俯き加減でニナは言った。
「あ、ああ……“抱くこと”意外であれば」
やはりそのことか、とニナは鼻で笑う。
「じゃあ……」
そこからまた恥ずかしくて言葉が声に出せなくなった。自分で自分を励まして、やっと声に出す。
「キスしてくれ……」
少しかすれたような、か細い声が出た。恥らうあまり声帯が萎縮してしまったらしい。もじもじするニナにバドは言った。
「どこにだ?」
「!?」
そんなこと聞くなあああぁぁぁ――――!?
からかう様子ではなかったが、それはいたぶるような問いかけだった。ただでさえ勇気のいる台詞を吐いたあとだというのに、その言葉がニナの心臓にさらなる衝撃を与えた。心拍数は上がり、異常な速さで脈を打ち、噴火した火山のように血管が破裂しそうになる。頭の中はすっかり錯乱状態だ。
どこって、どこって、どこってぇぇぇ〜〜〜〜っ!?
おろおろとしながら目は泳ぎ、脳内を妄想が駆け巡る。動揺しまくりながらもなんとか
「こ、ここだっ……」とぎくしゃくしながら自分の唇を指差した。
バドは落ち着いていた。正面からニナを見据えると長身の身を前に傾け、ニナに顔を近付けていく。
「……」
バドってこんなに目が大きかったか? こんなに鼻が高かったか? こんなに睫毛が……
彼の顔が接近するにつれ、目に映る彼の顔のパーツの一つ一つにニナは過剰反応した。
「絶対に」
目前に近付き、彼が囁く。
「秘密だぞ?」
密着した。彼の唇とニナの唇が優しく触れ合い、今まで感じたことのない喜びが込み上げてくる。こんなに彼を近くに感じたことはなかった。もっと長くそれを求め、離れられなくなる。感情が高ぶり、ニナは自らも唇を寄せ、重ねた。呼吸が熱くなる。
もう駄目だ……もう止められない。もっと続けて。もっと……
「すまん」
――途切れた。彼は違ったのだ。
この瞬間を永遠に閉じ込めておきたかったのに。
「バド……」
涙が溢れた。男体になってしまえばこの感情は消えてしまう。最後に――抱き締めてほしかった。彼の胸に顔を埋め、温もりを感じ、ゆっくりと呼吸する。彼の手が遠ざけようと肩に触れ
「最後だ!」
鋭い口調でふりきるように言い放った。
バドの手が緩む。
「最後?」
ニナは彼のことが欲しくてたまらなかった。近付けば近付くほど愛しさを感じ、続きが欲しくなる。その感情を捨てるのだ。だからもう少しだけ……
「……」
バドは何も言わずに応じていたが、あまり彼を困らせすぎては気の毒だと思ったニナは少し幸せに酔いしれてから顔を上げた。
「バド、オレの変身する姿を見てくれないか?」
「!?」
思いもよらないニナの発言にバドは戸惑い、切れ長の目を見開いた。
「ふふ、そんなにビビるなよ。変身するからといって男になるだけだ」
二人は森の奥に侵入した。自然に囲まれ、もともと人の少ない村だが、辺りに人がいないかバドは確認する。
「大丈夫だ。誰もいな……」
言い終える前にニナは服を脱いでいた。
「!?……」
慌てるバドにニナが叫ぶ。
「バド!――見てくれ」
服が地面に落ち、全身が露になる。バドは戸惑いながらニナの裸を見た。
「……」
白い肌に上向きでおわん型の胸。その先端はピンク色で、くびれた腰から骨盤の張った腹部、太股へと滑らかな曲線を描いている。つま先まで続く全身の白い肌が眩しい。それは子犬のように懐いて、子猫のように飛び回っていたいつものニナとは違い“女性”を感じさせる姿だった。汚れのないその身体は天使の清らかさと女体の持つなまめかしさが絶妙に混ざり合っている。
彼が女性の裸を見たのはこれが初めてではなかった。抱いた女の数も不確かだが少なくない。だが今目の前にある裸はそれとは全く別物に感じられ、衝撃的だった。
ニナは彼に向かって穏やかに微笑した。
「最後まで見ててくれ」
ゆっくりと両手を広げ、顔を天に向ける。両手から乳白色のベールが現れ、円を描くように腕を動かし、全身を包み込んで行く。
「ああぁぁぁ……!」
悲鳴が上がった。苦痛にもがくようなその声に、思わずバドは顔を歪めた。あのベールの中で“事”が始まっている。性別が変わるのだ。それは想像を絶するものだろう。それは僅かな時間だったが彼にはとても長く感じられた。やがて呻き声が止み、静かにベールが幕を開けた。頭が先に出て、そのままゆっくりと立ち上がると
「!?」
紛れもない男体になったニナが姿を現した。それは滑らかな曲線を描く身体ではなく、直線的な男の肉体だ。ニナは何事もなかったかのように地面に脱ぎ捨てた服を着た。その服は男女体兼用にしており、サイズにゆとりのあるものだった。
「終わったぞ。さぁ行こうか」
男体になったニナはまるで別人のようだった。女体の時と違い、ほとんど無表情で冷めた印象を受ける。つい先程まで悲観に暮れていたあの純粋で愛くるしい少女の人格は何処へ行ってしまったのだろう。この姿の時のニナを知らないわけではないが、バドは戸惑ってしまった。こんなだったか? と。
「オレの名前はニナじゃなくて、“トレゾウ”と呼んでくれ」
「トレゾウ?」
「この姿で“ニナ”は変だろ?」
そうだなとバドは納得した。
彼らは森を抜け仲間達の待つ喫茶店に向かった。仲間達がニナのこの姿を見たらどう反応するだろう。別人を連れて来たと疑われるかもしれない。不思議と顔はあまり似ていないのだ。無表情すぎるのが原因かもしれない。確かに端正な顔立ちは美男子とも言えるが、無愛想すぎる。
店に入ると仲間達は三つのテーブルに分かれて座っていた。変身後のニナを見た彼らの反応は微妙でぽかんとしていた。髪の色と年齢が同じ少年にニナの服を着せただけではないか? と疑ってしまう。顔は似てると言えば似ている程度だし、体型も弛みのある服装では違いを判断しずらい。そして何よりも変身場面を見ていない彼らには、漠然としてしか受け止められなかったのだ。
「トレゾウと呼んでくれ」
無表情な顔で元ニナこと、トレゾウは言った。
「“トレゾウ”?」
「かわいい〜!」
その名前は仲間達に意外と好評で、愛着を込めて呼ばれるようになった。新しい仲間ができたように歓迎され、トレゾウは戸惑った。
ふとバドは疑問を感じて呟く。
「ところで“あの人”はどこへ行ったんだ?」
「パルファムさん? 何か『おめかししてくるわ』ってトイレに行ったよ」
アークが答え
「そうか」とバドは一息つくと、トレゾウの分も珈琲を注文した。テーブルに頬杖を突き、空を見て物思いにふける。
「……」
そんな彼を不安な眼差しでレミアは見詰めていた。こうして戻ってきたものの、彼とニナがあの後どうなったのかが気になっていた。声をかけたかったが、仲間の前では聞きずらい。ましてや隣りにトレゾウが座っていては尚更だ。
「おまたせぇ〜〜」
とそこに着替えを終えたパルファムが現れた。
「おぉぉ〜〜イケてるじゃん!?」
アークは絶賛した。パルファムは得意気な笑みを浮かべ、気取ったポーズを取ってみせる。漆黒のウェービーヘアをジェルを撫で付けオールバックに流し、貸衣装屋で借りた貴族風のひらひらしたシャツが結構様になっていた。逞しい体格のため多少ズボンが窮屈にも見えるが、全体のバランスはいいので見栄えは悪くないはずだ。
「あら、もしかしてニナちゃんじゃない?」
トレゾウを見てパルファムが言った。
「ニナじゃない。“トレゾウ”だ」
「“トレゾウ”? かわいいぃぃ〜〜!」
パルファムは瞳を輝かせ、トレゾウを愛情を込めるようにぎゅ〜っと椅子ごと抱き締めた。
「く、苦しい……っ!」
その馬鹿力にトレゾウの身体の骨のあちこちが軋んで悲鳴を上げる。
「あら、ごめんなさい〜〜うふふっ」
お茶目な感じで言うパルファム。その姿はやはりイカついおっさんだ。
「……」
トレゾウの額に妙な脂汗が滲むが、取り乱すこともなくむっつりと黙っていた。
「本当に元ニナちゃん? あんまり似てないわねぇ?」
無愛想な顔で珈琲を飲むトレゾウを首を傾げながら眺めるパルファムに、ぶっきらぼうにトレゾウは言った。
「本当だ。バドが変身する所を見ていた」
「……?」
仲間達の視線がバドに集中する。
「何でバドだけ!? オレも見たかったな〜」
アークは拗ねるように口をへの字に曲げた。
「お前達には見せられない。“全裸”になるからな」
「全裸……!?」
トレゾウの言葉にアークは思わず赤面した。ニナの淫らな姿がもやもやと目に浮かび
「恥ずかしい〜っ!」と隣りにいたアール・グレイにじゃれて抱き付く。
バドは咳払いした。
「ニナ……トレゾウの服を借りに行かないか?」
それから一行は貸衣装屋へ行き、トレゾウ用の服を借りるとその足でドチュール城に向かった。
「うわぁぁ〜何か凄い!?」
ゲアンとバド以外はドチュール王国城内に入るのが初めてだった。ドチュールの青空教室に通っていた仲間達もその中の様子までは見たことがなかったのだ。過去に一度幻の宮殿に入ったことがあったが、それとはまた別の豪華な空間がここにある。煉瓦を積み上げた頑丈な壁は重圧感と安定感があり、赤褐色の微妙な風合いはだいぶ年期が入っているように見える。中央の入口から城内に繋がる通路は一面の大理石が敷き詰められ、両脇に槍を持った兵士が数名構えていた。中央に敷かれた赤い絨毯が彼らを歓迎する。
「どうぞ、両陛下と姫が首を長くしてお待ちにございます」
兵士から伝言を受け、一行はそのまま城の奥へと案内された。
「こちらへどうぞ」
巨大なシャンデリアがいくつも天井からぶら下がるその部屋は王の間であった。それを形作っている見事なクリスタルは蝋燭の火が点らなくとも日の光を反射して、屈折が織り成すその虹色のグラデーションが透明で幻想的な光を奏でており、それだけでも充分なインテリアに見える。かと思えば王の玉座に用いられた赤い布の光沢は実になまめかしく、磨いたような光沢を放っていた。隣りに座る后は白い孔雀の羽根のような扇子で優雅に顔を仰いでいる。その隣に慎ましく姫君は座っていた。
それらを見慣れない仲間の一部はまざまざと住む世界の違いを実感させられるが、それはまるで別の生き物を見ているような感覚でもあった。
「綺麗……」
アークは思わず感嘆の声を漏らす。姫君は金髪に映える水色を基調としたパフスリーブの控え目なドレスを身に纏い、しとやかに座っていた。裾や縁にあしらわれたさり気ないレース加工が過度に主張しすぎず、清楚な雰囲気を与えている。
胸の辺りまである金色の髪は滑らかな光沢があり、小さめの唇に差した桃色の口紅、仄かに色付いた頬、蜂蜜色した丸い瞳を囲むカールした長い睫毛はまるで人形のようだった。これだけの美貌を兼ね備えた彼女を何ゆえこのゲアンは振ってしまったのか、仲間の一部は理解できずにいた。他の一部の者は彼がディーダを愛しているからだと自分を納得させる。少なくともディーダの存在をよく知るアークとレミアとバドはそう思っていた。ディーダという女性はゲアンにとって最愛の“恋人”だと、そう信じ。
――なんて綺麗な人なんだ……
そう心の中で囁いたのはトレゾウだ。彼は清楚で可憐な女性が好きだった。
――見た所姫君は淑やかで、優しそうで、首など細くて華奢でか弱く見える。それにあのきらきらした瞳はなんと美しいことだろう。流れ星……いや、夜空一面に瞬く星の光――星空そのものだ。いやいや、湖に反射した朝日の穏やかな光だろう。小さめの口も大好物(?)だ。口のでかいヒステリーな女は苦手だしな。ああ、貴方をこの手で包んであげたい……
姫君の外見はトレゾウの好みに命中だった。すぐにでも食べてしまいたいほど気に入り、興奮気味になる。
「姫の婿を志願する者は前へ出よ」
王に呼ばれ、パルファムにバドが促した。
「先に行ってくれ」
「分かったわ」
パルファムは立ち上がった。どうどうとした足取りで前に進み出る。
何〜〜っ!?
トレゾウは切れた。何でオレを先にしなかったんだ!? と激しい憎悪の眼でバドを睨む。
――オレが野犬だったら貴様を今噛み殺しているぞっ!
グロい発想だ。トレゾウは根暗なのかもしれない。
パルファムの身のこなしは紳士的に映った。間違ってもおカマには見えないはずだ。お辞儀のしかたから跪く姿勢まで全て完璧だ。中身を知らない人が見たらきっと惚れ惚れするだろう。
「名を何と申す?」
王が尋ねた。
「パルファムと申します」
挨拶が済むと姫と二人での会話がなされた。彼女は言葉少なく、二言三言話すとそっけなくパルファムを下がらせた。パルファムは落ち着いた様子でもとの位置に戻る。予想通りだが残念そうな様子は全くない。彼は女性に興味がないのだ。
「次」
トレゾウは躍り出したいほどの気持ちをなんとか抑え、前に進み出た。度胸が座っていのか、緊張よりむしろ期待に胸が膨らむ。 挨拶を済ませ姫と対面した。
「お会いできて光栄です。今まで生きて来て、これほどまでに感動したことはございません」
「ありがとう」
姫は微笑した。柔らかくてそれはまるで砂糖菓子のように甘かった。
――なんて甘い微笑をする人なんだろう。とろける蜂蜜のようだ。息も甘いんだろうか? 全身が甘いマジパンでできているようだ。甘い空気が漂っている。確かめたい……
完全に虜になったトレゾウの頭の中は暴走していた。
姫君の婿選びは終了した。彼女が下した決断は……
「じゃあ、ゲアンと対戦して勝った人と婚約するわ」
と言ったのである。
「かわいい顔してどSだろ? あの姫」
控え室で王室から借りた防具を装備しながらトレゾウは悪態をついた。姫の要望に答えて彼とゲアンはその対戦を受けることにしたのである。パルファムは
「あたし、剣なんて使うの怖いぃぃ〜〜」と断念した。
「大丈夫か? 加減したほうがいいよな?」
外見は知性的で洗練された美男子で、血生臭い戦いとは縁がなさそうなゲアンを見て、トレゾウは心配していた。彼は魔物ハンターの中でトップクラスを誇る剣の腕前だ。殺してしまわないかと不安になる。
と、横にいたバドは軽く微笑した。
「大丈夫だ安心しろ。ゲアン(こいつ)は一応勇者として育てられ、やわじゃない。倒れたら治療してやるから思う存分やればいい。だが、急所は外せよ?」
「何! “勇者”だと!?」
トレゾウは目を見開いた。
「勇者が何でこんな所にいるんだ!?」
素朴だが、もっともな質問だ。
「勇者と言っても肩書きだ。ふだんは普通に生活している。オレ達は危機を救う時のために勇者として存在する」
「どういうことだ? “オレ達”って……お前も勇者みたいじゃないか!?」
ますます混乱するトレゾウにバドは苦笑する。
「そうだな。オレは肩書きが嫌いでハンターになったが、そうなれるようにと育てられたからな」
「……〜〜!」
トレゾウは首を捻り
「もういいっ!」と煩わしそうに吐き捨てた。
対戦の場に選ばれたのは城から数km離れた空き地だった。そこは剣士達がよく決闘の場として使用する場所でもあり、切り崩した木々の跡が古びた年輪をさらけ出した切り株となって残っている。森林の伐採が進んだその土地は、周囲を覆っていた木々が姿を消したため雨風の影響を受けやすく、農地として使用されることはなかった。そしてそこは水捌けが悪く、雨が降ると文字通り泥試合を演出させた。
対戦者の二人と兵士、仲間がその地に降り立つ。姫は侍女達と馬車の中で見物することにした。
「姫は殺し合いが見たいわけではない。それを肝に命じておけ。魔法も禁止だ」
審判役の兵士がゲアンとトレゾウに忠告する。
二人の介添人として、バドがそれを掛け持つことになった。謝って死に至るような怪我を負った場合にも対応できるようにと一応、形としてそう決まったのである。
開け放たれた土地ではあったが決闘の場合と同じく、距離は15歩の範囲内とされ、そこにチョークで線が引かれた。
「地味な対戦になりそうだな」
トレゾウは辺りを見ながら不満の声を漏らす。
この距離であれば派手な戦法も限られてしまう。だが、それにより技術が試されることも確かだ。ゲアンとトレゾウの身長差は12cm。ゲアンの高位置からの攻撃はトレゾウには死角になりやすいため、常にある程度距離をおくことが必要だ。しかし、同時に低位置はゲアンの死角になりやすい。この利点と欠点をどう生かすかが、勝敗を決める一つの要素だと言えた。
「選べ」
別の兵士が剣の入ったケースを見せる。入っていたのは片手両手持ち両用のバスタードソードだった。長さはおよそ1メートルの細身で、刺すこと、切ることに適した剣の間の雑種剣とも言われている。
「え? この剣じゃ駄目なのか?」
トレゾウは戸惑う。
「公平に行うため、こちらが用意したものを使ってもらう」
淡々とした説明にトレゾウは駄々をこねるように口を曲げた。
「何ぃぃ〜〜〜? この剣は、あのコロモドラゴンを倒した時に使った剣だぞ! 分かるか? あの固い、ガッッ〜チガチのコロモに覆われて、しかも分厚ぅぅ〜い皮をこう、サクッ! と鮮やかに一刀両断した、それはそれは立派な剣なんだぞぉぉ〜!?」
「立派なら尚更だ」
「く……ぅ〜くそくそくそくそくそぉぉぉ〜〜っ!」
さらりと交わす兵士に地団太を踏むトレゾウ。一方、ゲアンは冷静に自分用の剣を選んでいた。
「お前も早く選べ」
兵士に促され
「〜〜……!」
トレゾウは胸につかえた蟠りを抑えつつ、やむを得ず剣を選ぶ。
「ああ〜もう、これでいいっ!」
二人は兵士から、それぞれ剣を受け取った。
「では、始めるぞ」
兵士に促され、ゲアンとトレゾウは礼を交わす。仲間達は邪魔にならぬよう、離れた位置から立って見守り、姫は馬車の中のクッションに凭れ、侍女と向かい合いながら寛いだ姿勢で眺めていた。そのゆとりは勇者であるゲアンが負けるはずがないという確信からなるもので、彼を打ち負かすほどの者が現れることも僅かながら期待を寄せ、娯楽のように見届けることにしたのである。どちらが勝っても姫にとっては、ある意味嬉しいことだった。
「大丈夫かしら……」
レミアは不安でたまらなかった。教える意外でゲアンが人と剣を交える姿を見たことがない。それはバド以外も同じだったが
「どっちが勝つと思う?」
「いや〜やっぱ先生が勝つでしょ〜?」
ジャスミンとアークは試合を見に来た観客のような会話を交わし
「……」
寡黙なアール・グレイは真剣に見ているが、何を考えているのかよくわからない。
「ドキドキするわ〜」
パルファムはまるで自分の王子様を見詰めるような眼差しを送り、浮かれていた。
介添え人のバドは対戦者達を鋭く見据えているが、楽しんでいるようにも見える。
ゲアンとトレゾウの視線が衝突した。眼鏡の奥に鋭く、挑むような光を宿したゲアンの瞳と、無邪気だが獣を狩るハンターのようなトレゾウの瞳が絡み合い、見えない凶器の存在を連想させた。無駄とも言えるこの戦いを二人は楽しんでいたのである。
「始め!」
合図がした。一本の糸を張り巡らしたような、繊細で神経質な緊迫の時が出現する。数歩距離を置き、身構える両者。その眼差しは探るように相手を見据え、互いに仕掛ける機会を探っていた。
こうして争いとは無縁の国の平穏な空の下、味方同士の対戦が幕を開けたのである……
是非、次話も御覧くださいませ。