第十二話: 《婿探し》 婿役のいきさつ【悲恋編】
二人が宿屋に戻った頃にはもう夜の闇は薄くなり、空はだいぶ明るくなり初めていた。彼らはすでに眠気を通り越し、活性化されたように脳も視野も活動していたが、ひとたびベッドに横たわると激しい睡魔に襲われる。そして二人はそのまま眠りに着いた。
丁度心地良い眠りに入った頃、それを邪魔するかのように朝が訪れた。
ノックの音が部屋に響く。それは最初夢の中と混同し、脳も身体も判断できずにいた。
再びノックの音がする。瞼が開き、その音を確かな音として聴覚が捕らえる。
「誰だ?」
最初に目覚めたのはバドだった。薄目を開け、半身を起こしながらドアの向こうの相手に問い掛ける。
「アークだよ」
その声を聞くと彼はドアまで行き、錠前を外した。
「おはよう……」
ドアを開け、眠たそうに目を擦る。
「おは……よ」
アークの表情が固まった。
「あ、あのさ……」
バドの姿を見てである。本人にその自覚はないらしく
「何だ?」
と目覚めきらない表情で髪を掻き上げていた。
「セクシーすぎるから上も着てね。“いるし”……」
その時バドは上半身裸だった。鍛えあげ、ほどよい筋肉のついた肉体美をもろに露にしていたのである。アークの横にはアール・グレーがおり、少し下がった位置にジャスミンとレミアの姿が見えた。彼女達は恥ずかしそうにそれを“見ている”。
「ああ……じゃあ先に出て待っててくれ」
「わかった」
アークや仲間達を先に行かせ、着替えを済ませるとさっそく二人を起こしにかかる。
魔法で深い眠りに着くパルファムを見て
――ここまで連れて来たのは失敗だったかもしれないな。このまま眠らせておこうか……
と一瞬迷ったが、魔法を解かないわけにもいかずゲアンの後に起こすことにした。
二日酔いとまではいかなかったが、睡眠不足で疲れの抜けないゲアンは欠伸をしながらベッドから起き上がった。衣服の乱れを直し、髪を素早く櫛で整える。
バドは睡眠魔法を解く呪文を唱え、パルファムを起こした。
「あら?」
彼だけは呪文の熟睡効果のため、すっきりとしたお目覚めだった。ぱっちりと開いたその瞳は乙女のような輝きを放っていたが、見た目はごついおっさんだった。といっても実年齢20歳である。
彼らは店を出て仲間達と合流した。このあとはニナと民宿で合流し、いよいよドチュール王国へと向かう。果たしてこの二人のどちらかを姫は気に入ってくれるのだろうか。ニナはともかく、パルファムは黙っていれば決して見劣りしない、なかなかの二枚目と言える。日焼けした褐色に近い肌、角張った顎、額の奥に窪んだような彫りの深い目と垂直に伸びた柱のような鼻、肩まである漆黒のウェービーヘア、体型もぶ厚い胸板や太い首が逞しく、非常にパワフルだ。充分外見の男性らしさだけは満たしてくれよう――そうであってほしい……
しかし、あのしゃべり方をどうにかしなければならないのだ。演技してくれるだろうか。
「?」
ふと大事なことを言い忘れていたことに気付いたバドは小声でゲアンに尋ねた。
「昨晩、パルファム(かれ)に“例”のことを話したか?」
「……いや、覚えていないが多分、話してないと思う」
ゲアンに昨晩の記憶はないようだったが、パルファムの緊張感のない様子からして、きっと話していないのだと予想ができた。
ちらりと横を見ると彼の横をキープするようにパルファムが歩いていた。
――確かに見た目は悪くないんだが……
とバドは少し憂鬱な眼差しをパルファムに向ける。
「どうしたの?」
その視線に気付いたパルファムは彼のほうを向いた。
「あ、いや、何でも……」
バドは誤魔化して視線を逸らすが、それがパルファムには“照れ”ているように見えたらしく
「うふっ、かわいい〜」
とご機嫌な笑みを浮かべていた。
ジャスミンと並んで彼らの後ろを歩くレミアは煮え切らない複雑な心境だった。
民宿でニナと合流した。ニナもパルファムも黙って付いてくるが、そろそろ言わなくてはならない。バドは話を切り出すことにした。港に向かう途中の街角で足を止める。
「ニナとあなたに話しておかなければならないことがあります」
仲間達は知っていることだが、そのことを聞いた二人がどういう反応を示すのかが心配でもあった。
「何だ急に改まって? 緊張する言い方だな……」
可憐な金髪の美少女姿のニナがぼやく。
「どうぞ、聞かせて?」
貴婦人ぽい口調のおっさん姿なパルファムが促す。
バドは言葉を吐き出した。
「――姫の前で、婿候補役を演じてほしい」
「?」
「?」
それを聞いたニナとパルファムは目を丸くし、同時に言葉を発した。
「“姫”の」
「“婿候補”〜〜っっ!?」
驚くのも無理はなかった。
と同時にニナは言葉巧みに自分を誘惑したバドと、勝手な妄想を描いていた自分の馬鹿さ加減に落胆し、悔恨の念と憤りをバドにぶちまけた。
「くそ〜騙したな!? “いい所”だって言うから付いて来たのに……全然いい所じゃないじゃないかぁぁ!」
泣きたかった。せっかくバドと二人きりで“大人の営み”を経験できると思っていたのに、夢に描いていたのに。仲間付きな上、よりによって見知らぬ姫君の婿候補を演じろとはいったいどういう落ち(?)なのか……
この詐欺師め――!?
ニナは悔しさと憎しみの混ざった目で長身のバドを下から睨んだ。しかしちっとも怖くはなかった。むしろその怒った顔は、もっとからかいたくなるほど愛くるしかった。
穏やかな口調でバドは続けた。
「気に入られなくても構いません。ただ、その時は男性らしい話し方や立ち振る舞いをしていただきたいのです。それが我々の信用問題にも関わり、その対応の仕方により今後どうお付き合いしていくかが変わって来ます」
彼の瞳が魅惑の色を醸し出す。切れ長で妙な色気を感じさせるその瞳は不思議な魔力を持っているかのようだった。見詰められるとそのグレーの宝石に引き込まれ、我を忘れてしまう。
好きにして……とパルファムは心の中で呟いた。彼のためなら、どんな困難にも立ち向かえる、そう思った。美しいこの男が語る話の内容は疑惑の香りがぷんぷん漂っているが、その甘い言葉と美貌の誘惑は、あまりに魅力的で余計な妄想を抱かせた。
「あたし、あなたのために頑張るわ」
パルファムはバドの両手を取り、そう誓う。その瞳の輝きはまるで恋心を抱く純粋な乙女のようだった。少なくとも彼の心の中の自分像は“美化された美女の姿”で、完全に別人だった。
「ありがとう」
バドは微笑を返した。しかしそれは一つの取引が成立した仕事人の営業スマイルだろう。哀れなパルファムであった。
「……」
ニナは冷たい視線でそのやり取りを見ていた。逃げなかったのはバドに抗議したかったのと、まだ離れたくないという複雑な気持ちが絡み合っていたからである。
「言い方が不適切だったことは謝る。申し訳なかった。だが頼む! 協力してくれないか?」
バドは念入りに懇願した。
「そんなことをして、もしオレが婿に決まったらどうするんだ?」
「?」
バドは少しうろたえた。ニナの顔は真剣で、どうやら本気でそう心配しているらしかった。
「大丈夫だ」
“多分”という疑問符をバドは飲み込んだ。あの姫は結局ゲアンでなければ駄目なんだ、という勝手な解釈をして。
「大丈夫じゃないっ!」
突然ニナは逃げ出した。泣きながらがむしゃらに駆けて行き
「っ!?」
何かに躓いて道端につんのめる。
「ニナ!?」
バドは仲間達の足を止めると、自分はニナの側に駆け寄った。
「う゛う゛ぅぅ〜〜……」
ニナは声を出して泣いている。
「見せてみろ」
転んだ時、辛うじて付いた掌からは血が滲んでいた。彼はその手を優しく握り、瞑想で直す。
「うわぁぁ〜〜ああ!」
激しい雄叫びのような豪快な泣き声を上げるニナ。
通り掛かった人の冷ややかな視線、非難の声がバドに浴びせられる。
「朝っぱらから……」
「かわいそうに」
「喧嘩かしら?」
バドはニナの手を取り立ち上がらせようとするが、ニナは手を振り払って動こうとしない。
「しょうがないなぁ……」
仕方なくバドはニナを地面から抱き上げ、そのまま会話を進めることにした。
「どうしても協力してくれないのか?」
「……!?」
彼の腕に抱えられ、体と体が密着し、顔の距離が近付いたことにニナはしどろもどろになっていた。
「……」
静かに返答を待ち、見詰めてくる彼の瞳はあまりに魅力的だった。
こんな綺麗な瞳で見続けられたら簡単に落ちてしまい、何もかも許してしまいそうだ……
「お、降ろせっ!」
焦ってニナが叫ぶ。バドは言われた通り、地面にニナを降ろしてやった。
「オレは……」
胸の内に隠れた不安の闇がニナの表情を曇らせた。
「オレが婿に選ばれても、お前はそれでいいのか?」
声は聞き取るのがやっとなほど小さく沈んでいる。
「え? いや、そんなことは……」
バドはたじろぎ、ニナは――哀しかった。
バドに他人の婿役を頼まれるなんて、彼は自分のことなどなんとも思っていないからだ!
そう思うと胸が張り裂けそうだった。
初めて会った時、彼は少女のように可愛らしい美少年だった。その頃ニナは何かと面倒の少ない男の身体で生活し、ハンター業をこなしていた。その頃のことが走馬灯のように頭の中を駆け巡る。お互い美貌と才能を同業者に妬まれ、心の奥に言い知れぬ影を潜める二人は何か同じ空気のようなものを感じ、すぐに打ち解けた。そして初めて杯をかわした日――ニナは知った。ウォッカ(酒)を飲むと急速に変身することを。
女の姿になってから彼を見た時、一目で恋に落ちた。見たこともないその清らかな美貌は衝撃的だった。それが今では“殺人的”な魅惑の美貌へと変わっていた。あの時とは違い、包容力と妖艶さが加わり、濃厚な魅力を掻き立てている。どれほど多くの外敵が彼の肉体を求め、その絶大なる美貌はどれだけの女の肉体を喰い荒らしたことだろう。気が付けば遠い存在になっていた彼と一度でいい
――交わりたい
男子として生きる道を選ばざるをえないのなら、その前に……
「抱いてくれ」
ニナは言った。もう、隠すことなどできなかった。意地を張る気力も失っていた。ずっと恋焦がれてきた彼の自分に対する気持ちへの疎外感を知り、女体を捨てる決心をしたのである。
「……?」
彼は戸惑っていたがニナは長身の彼の胸に顔を埋めた。
「好きだ。バド……」
身体が熱くなる。このまま誰もいない二人だけの空間へ行きたい。誰にも邪魔されず、彼を一人占めにしたかった。
「ニナ……?」
バドは困惑しながらニナの身体を離した。確かにニナはかわいい。随分なついてくれて、愛くるしかった。しかし彼にとってニナはかわいい妹、もしくは弟のような存在だった。故に定着してしまったその見方を今更換えることなどできない。彼女の気持ちに気付いていないわけでもなかったが――駄目なのだ。
彼は仲間の視線を気にしたが、無意識に死角となる奥まった場所へと入り込んでいたため、幸いにもこの予期せぬ事態を彼らに目撃されずに済んでいた。深い安堵の溜め息が零れる。
「済まない。オレはお前を抱くことはできない」
「好きな女でもいるのか!?」
ニナの体内の血液が逆流し、激しい追求心が芽生え、彼を攻め立てた。
「分からない」
彼はそう答えたが明らかに動揺し、一瞬目が泳いだ。
「そうか……」
ニナはそれに気付いてしまった。愕然として肩を落とす。
「さっきの話だが、もし協力してくれるのなら、黙って付いて来てくれ」
――完全に振られたな
ニナは頭の中が空っぽになり、情熱の嵐はあっけなく消沈していった。
「分かった」
そして、黙って彼の後を付いて行くことにした……
是非、次話も御覧くださいませ。