第三節 体育館
「やれやれ、環境係にはまたしてもお骨折りいただいちまって」
トウゴが頭を掻く。
学校の敷地をまるまる包囲、という無茶な要求に対して、実に迅速に対応してもらった。
『やあ、急ごしらえでこちらこそすまないねぃ』
ホヅミ氏のチューバみたいな声が無線から聞こえる。
『この間の結界は力作だったのに、活躍の場が無くてむしろ残念だったよ』
「それを言われると複雑です」
『この後、さらに体育館を囲むように結界を張るよ。出来たらまた連絡するぅ』
「感謝します」
無線を切って、ライムとカスミを交互に見た。
校庭の木の陰、体育館が見渡せる場所に陣取って、作戦会議中である。
一係もやや後方に控えて、油断なく見張っている。
頭一つ高いタカシの影が、時折ちらちらとこちらを見る。
ショウコはその傍らに居るはずだった。連絡係としての仕事もあるので、最前線には立たせられない。
「さて、今回いつもよりうんと少ない人数でお送りしなくてはいけないわけだが」
「ま、ユミちゃんはもともと新入りやし絶賛眠り姫中やし。アキラ一人抜けとるだけや」
「……お前らがかっこつけるからだろ」
事情を聞いたカスミは、はなはだ機嫌が悪い。
「ら、っておれも入ってるわけか」
自分を指差すトウゴに
「むしろ筆頭です」
カスミはぷいと膨れた。
そこでお前も来いって言えばよかったのに、むしろ言うべきリーダーとして、とぶちぶち呟いている。
「カスミちゃんはかっこつける場面逃して拗ねてんのとちゃう?」
「は!? 僕は大活躍だったよ? 実質的に避難指揮者だったよ」
おかげで歌瑠も含めて一般人はこの敷地内にいなくなった。
――体育館内の生徒以外は。
「……でも偵察の役目は果たされへんかったんやろ」
ライムが返すと、カスミは目に見えて機嫌が悪くなった。
「仕方ないだろ、結界が特殊だったんだから!」
体育館には、こちらの【一族】とは似て非なる術式で結界が張られていたらしい。
侵入を完璧に拒むほどのものではないが――気づかれずに侵入することは困難、という程度の代物。
フォローが到着していない時点で、単身乗り込むには分が悪いと周辺の観察のみに努めたのだが――。
「集められた生徒が中でどうしとるかはわからん、か」
ライムがため息交じりに事実を確認した。
「しかし、これだけの準備をしているとなると、単純に口封じだけとは思えない」
トウゴが体育館を、それを包む結界を、睨みつける。
確かに、あまり見慣れない感じの紋様を描く光の線が見て取れる。
西洋風――ということなのかもしれない。
「何らかの儀式を企ててるんじゃないかとホヅミさんは言ってたが」
「せやかて、それって兼生け贄やっちゅうだけで、口封じには変わらんのとちゃう?」
じれたライムがもう走り出しそうになるのを、どうどうと収めていると
「諒さんたちから連絡入ったわ」
ショウコがやって来て、報告した。
「星宮医院はもぬけの殻ですって。“都合により休診”の札が出たまま。院長はもちろん看護師の一人もいないし、自宅にも家族はいなかったそうよ」
交代で様子を見に行ったり、それなりに警戒はしていたはずなのに、いつの間にやら、だ。
「――やっぱりな」
ここまで来て、星宮院長が組織とやらと無関係とも思えない。
いち早く逃げたか、逆に消されたか、あるいは――。
「あの中にいるか」
トウゴは体育館を見やった。
その頃天花は、体育館の中にいた。
ステージの下、行事の時に使うパイプ椅子がカートに詰まれてぎっしり並べてある、その隙間に隠れていた。
傍らに、小百合がいる。
ものすごく不本意そうに黙りこくっているが、隠れる必要性は感じているのか、大人しくしている。
あの後。
小百合を追って体育館に駆け込んだまではよかったが、敷居をまたいだところで、天花はめまいを起こした。
へたりこみそうになる。
かろうじてこらえながら周りを見回すと、暗幕が引かれて真昼とは思えない暗さ。
この明暗差で目がくらんだのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
体の奥から不快な違和感がこみ上げてくる。
それでも小百合を探さねば、と中を進む。
床が、ほのかに光っていた。
全体が、ではなく、光る線で紋様が書いてある。
その上に生徒達が並んでいるのでよく見えないが、円と線を組み合わせ、文字らしきものも書かれた――
お札、ええと、違うな、何て言ったっけ。
「……魔法陣?」
つぶやいたところで、小百合を見つけた。
魔法陣に則ってきちんと整列し始めた生徒の列からはみ出しているので、目立ったのだ。
見様見真似で加わろうとしているが、――違う、そこじゃない、というところに位置取りしている。
あれではすぐにばれてしまう。
そう思って、急ぎ近寄ってその腕を取ると、びくりと体をすくませ怯えたようにこちらを見た。
しぃっ、と唇の前に人差し指を立て、天花は小百合を覗き込んだ。
「……テンカ」
声がわなないていた。雰囲気に気圧されているようだ。
これ以上怯えさせないように気をつけて、提案する。
「逃げよう。変だよ、ここ」
「何で来ちゃうの、テンカには関係ないって言ったのに」
「――関係ないなんて関係ない。おかしいことは許せないの。それだけ」
小百合の食いしばった歯が軋む、ぎりっという音。
これだけの生徒がいても、体育館の中は静かで、意外に響く。
「テンカっていつもそう」
押し殺した声に、いつもの快活でどこか人を食った調子はない。
「『許せない』って。潔癖。『天花』なんておキレイな名前、そのまんま」
「――だったら、何だって言うの」
「あたしの気持ちなんて、わかんないよ」
「わかんないわよ。わかったら何? ここにいるのが正しいことだってあたしが言うと思う?」
「同情くらいしてよ! 息苦しいよ!!」
小さく叫んで、腕を振り払った。
同情されたらもっと息苦しいでしょうが!
反射的に答えそうになって、ぐ、と黙る。
瞬間でわかってしまった。自分のこういうところが「息苦しい」のだ。
「……小百合は、どうしたいの?」
なるべく抑えて、聞いてみた。
「……」
「どうして、ここに来たの? ……他の人とは、違うよね。ちゃんと自分の意志で来てるよね」
「……センセイの……カイ先生の……遺言、だから」
「遺言? カイ……先生?」
「……仇、討ちたい……」
そのとき、がらりと音がした。
同時に体育館内がさらに暗くなる。
入り口が閉められたのだ。
天花と小百合の体に緊張が走る。
入り口を閉めた何者かが、さらに奥に進んでくる気配。
慌てて辺りを見渡すと、ステージの下へ続く扉がほんの少し開いている。
もはや有無を言わさず、天花は小百合の手をつかんで、引っ張った。
足音をなるべく殺して急ぎ、扉の隙間に滑り込む。
小百合が続いた。
そして今に至る。
幸い、気づかれた様子はなかった。
しかしどうやらピンチであることに変わりはない。
入ってきた人影は、正にこの頭上、体育館のステージ上で何かを始めたらしいのだ。
空気が変わった。
異様なうねりが遠くに聞こえる。
音楽――それとも、何かの呪文――詠唱だろうか。
そして、微かに鼻腔を刺激する異臭。
甘いような、臭いような、とにかく不快な匂いだった。
そう、この体育館に入ってきたときに感じたような、本能的な気持ちの悪さ。
ふと小百合に目をやると、様子が変だった。
ぐったりしている。
慌てて揺すろうとした、その手に濡れた感覚。
冷や汗をびっしょりかいていた。
――どうしよう。
多分、歌瑠は警察に、あいつに、連絡をしてくれたはず。
だから、今頃こっちに向かってるか、もしかするともう着いて、突入の準備をしてるはず。
でも――遅い!
わめき散らしたくなるのを我慢して、とにかく小百合を抱きかかえた。
そのとき、背後に人の気配を感じた――。
振り向くと、ひとりの生徒が立っていた。
思わず低い悲鳴を上げそうになったが、すんでの所でこらえることが出来たのは、そこに害意を感じなかったせい。
それから、その存在感が、現実と思えないほど希薄だったせい。
ジャージ姿だ。
とても綺麗な顔立ちをしている。
どこか儚げで、陶器の人形めいた繊細な印象だ。
校内では恐らく見かけたことはない。
こちらへ、と手招きされた。
何故かその子の言いたいことがわかった。
今なら逃げられる、案内する、と言っているのだ。
天花はそれに従おうと思ったが、小百合の方が動けない。
半ば意識をなくして天花にもたれている。
ジャージの生徒が、すっと近づいてきた。
手を伸ばし、小百合の濡れた前髪をかき上げて、汗まみれの額に触れる。熱を測るみたいに。
――何かを、吸い取った。そして何かを、注ぎ込んだ。
そんな気がした。
ふ、と小百合のまつげが揺れる。
薄く開いた目がジャージの生徒を捉え、唇が動いた。
「……せん、せ?」
微かにうなずいて、生徒は微笑む。
改めて天花たちを手招きした。
「先生……先生……」
『もう近づいては駄目だと言ったのに』
後について歩きながら小百合が泣きじゃくる。
それに答える声――の、気配だけ。
ああ、この子は今生きてる人間じゃないんだな。
天花はその思いを噛みしめていた。
いくらも歩かぬうちに、ドアが現れた。
ステージの、袖の外側。
直接外へ通じるドアらしい。ステージからは一段低くなっていて、死角となっている。
生徒がドアノブを回そうとして――その手がすり抜ける。
わかった? と言うように天花を見た。
わかった、とうなずいた。
近づいて、そっとドアの鍵を開けた。
かち。
小さな音。小さな、小さな、音。
けれどそれは、大きな頸木の外された音。
生徒は、ほうっと息をついた。
『ありがとう。やっと開いた』
「……あなたは、逃げないの?」
こくん、とその子はうなずいた。
『まだやることがあるから』
「先生、一緒に行こうよ」
小百合がせがむと、生徒は微かに笑んだ。
『その「せんせい」を助けなくちゃ』
どういうこと? と目を丸くする小百合の頬に、生徒が軽く口づける。
『ありがとう。お兄ちゃんの心を最後に守ってくれて』
「――お兄、ちゃん……?」
『ここからは、クルスにお任せ、だよ!』
天花の網膜に焼き付いたのは、まるでそれまでと人が変わったように明るい、その生徒の笑顔。
――少し、いつもの小百合に、似ている。
思ったときには、背中がドアに触れ、押し開けていた。
目に飛び込んでくる光。
倒れる、落ちる、感覚としては階段三段分くらいの高さだけど、頭や腰から行っちゃうとそれなり痛いか――。
一瞬で覚悟して、身構えて、けれど足は普通に地面を踏みしめた。
――あれ?
ぎゅっとつぶっていた目をおそるおそる開き、前を見る。
そこにはドアなどなく、体育館の壁だけがあった。
そうだった、もうここのドアはないんだった――。
違う。
ここには、ドアなんて最初からなかった。
不思議な体験に混乱しながら、しかし天花はとりあえず、小百合の手をつかんだ。
走り出せ、安全な場所へ。
まずは門を超えよう、そこが――境界、だから。
ライムのポケットで、マナーモードの携帯電話が震えた。
また歌瑠から? と見ると今度の表示は「宮本天花」。
びびる。目を疑う。
何となれば、自分の携帯に彼女の番号は入っていても、彼女の携帯には自分の番号は登録されていないはず、なので。
「――もしもし?」
天花ちゃん? と声をかけそうになって、ちょっと逡巡。
ええと、オレ正規の手続きで番号ゲットしたんやったかなあ、みたいな。
いや、多分、していない。
となると、今オレの携帯に表示されてるのは、見知らぬ番号であるべき。うん。
――などということをこの緊迫した局面でも考えてしまう自分の軟派な脳にあきれるまでを含めて、この間〇・三五秒。
『……もしもし』
「天花ちゃん!?」
しかし、こうして実際に声を聞くと、何もかも吹き飛んでしまうわけで。
「何や、無事やったんか。心配してたんやで」
『……歌瑠にも言われた。……ごめんなさい』
「今歌瑠ちゃんと一緒におるんか?」
『小百合も、一緒。……お兄ちゃんとも』
それで大体状況は読めた。
諒たちは今一旦、避難した人たちの方に寄ってるはずで、ちょうどそこへ上手いこと天花たちが合流したのだろう。
歌瑠と諒にやいやい言われて、ライムに報告の電話をした、と、大方そんなところだ。
『えと……兄に、替わります』
『ライム?』
受話器から諒の声がした。
あー、妹に雷落とした後の声しとるわー、とこっそり苦笑い。
「ほいほい。よかったなあ」
『今からそっちへ戻る。妹も連れてくってトウゴに伝えて』
「天花ちゃんも?」
『いろいろ中の様子を見たらしいから。幾分助けになると思う』
「――確かに、綻びてるな」
天花の報告を聞いた後で、トウゴは体育館を覆う結界の様子を確認した。
わかったこといくつか。
一、中で行われているのはやはり何らかの儀式
二、儀式を執り行っている者はさほどの大人数ではない
三、天花と小百合が中から脱出してきた
この三番について、それがきっかけと思われる綻びが出来ている。
『そぉだねえ』
無線からまたしてもホヅミ氏の声。
『宮本くんの妹さんだっけ? もしかして素質あるよぉ』
「単に内側から出てきたからじゃないんですか?」
『いや、ポイントの付き方とかね、巧い。ダイヤモンドにも脆い点ってあるでしょう。あんな感じ』
会話を漏れ聞いていた天花が、慌てて否定する。
「あの! あたしにそんな大それた素質とか、無いです、全然。多分あの子が――」
「ジャージの子?」
「そう、その子が、いろいろ知ってたし、不思議な力も持ってたみたいだから」
「クルス、って確かにそう言ったんだね?」
「はい。その子の名前だと……ちょっと変わってるけど」
「ふむ。――ありがとう、助かったよ。もうここから離れた方がいい」
天花はポニーテールを揺らしておじぎをした。小走りに去る。
その背中に目をやりながら、ライムが尋ねた。
「どうします、大将?」
「ホヅミさんの方でも結界を張り終わったらしいし」
腕時計を確認する。
「十分後、十四時ジャストで飛び込むか。まさかいきなり爆発はしないだろう」
「多分大丈夫やないですか。――知らんけど」




