表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きみの手をとる物語  作者: 百賀ゆずは
第八章 優しさの陰画
33/42

第二節 現状

 アキラは、ふらふらと寮の自室に戻った。

 崩れ落ちるようにベッドに腰掛け、頭を抱える。

 お籠もり部屋を出てからどうやってここまで歩いてきたか、記憶はおぼろだった。

 ただ、


 ――このままだと、ユミは目覚めないかもしれん。


 トウゴの言葉が頭の中でがんがん響いていた。


「……どういう、ことですか?」

「体の傷は確かに深い。でも今眠り続けているのは心因的なものだ」

 それがシン医師の見立てだった。

 ユミがこのような状態になるのは、初めてではないという。

 過去に二回、同様のことがあった。

 自分が覚醒したとき。それからアキラを覚醒させたとき。

「自分で自分を閉じ込めている。――その能力で」

 精神感応。

 人の心を読み、感覚に同調し、暗示によって肉体にまで影響を及ぼす力が、ユミ自身に向けられたとき。

 潜ってしまう、自分の内側に。

 閉じこもってしまう、殻の中に。

「どうしたら……目を覚ますんですか?」

「前二回は、シノブさんがユミを起こした。精神ダイブして呼びかけて、引っ張り上げた。だが――今彼女は連絡の取れない場所にいる。いつ戻ってくるかもわからない」

 ごく、とアキラの喉が鳴る。

「このまま手をこまねいていても、恐らく事態は好転しない。ユミの体は衰弱していくし――精神は潜り続けて、誰の手も届かないところへ行ってしまうだろう」

 それくらい、ユミの心の底は深い。能力と比例するように。

 体が弱り、心が沈んだら、待っているのは。


「死、だろうな」


 予想はしていても、殴られたようなショックに頭が真っ白になる。

「そもそも、体の傷が癒えないのも、ユミがそれを望んでいないからという可能性がある。自罰的な性格をしてるから」


 ――何でも一番悪いのはわたし。それでいいんです。


「そんな……そんな、誰か他にいないんですか。シノブさんじゃなくて、ユミを助けられる人間は!」

「いる」

 トウゴがアキラを見据えた。

 その目は冷たく冴えていて――黒目の周りがやや青みがかっていた。


「お前だ。お前しか、いない。ユミの心に潜って――連れ戻せるのは」



「……俺……が……?」

 耳を疑った。

 自分には精神感応系の素養は無い。そんな高度なことが出来るとは到底思えなかった。

 トウゴはしかし、うなずいた。

「覚えていないか? お前は一度、入り口までは行っている」


 解との戦いのあと。

 アキラの【罰】と自分の【罰】、二つを受けて倒れたユミ。

 その精神に同調した、という。

 言われて思い出す。

 確かにあの時、どことも知れない水の中でユミと向き合っていた。

 白いサマードレス。

 黒い髪が藻のように揺らいでいた。


「だから、怪我は大した事ないのに、丸々二日目覚めなかった」

「あそこが――入り口、なんですか」

 充分に深いと思った。上を見ても光は見えず、水の圧力に音は消されて、ユミ以外は真っ暗だった。

「おれにはよくわからんが、シン先生曰く、お前が一人で戻って来られる深さなら入り口程度だろう、ということだ。これが何を意味するかわかるか?」

「それ以上潜ったら……一人では戻ってこられない」

 トウゴはうなずく。

「命綱なし、酸素ボンベもなし、地上との連絡も取れず、深度は不明。しかも完全にお前がアウェイだ」

「戻って来られないと、どうなるんですか?」

「死ぬ」

 訊く前から答えはわかっていた。

 しかしそれでも、自分がやるしかないのなら、自分に何か出来るのなら。

「やります、やらせてください!」

「――そう言うと思ったよ」

 腕を組んでソファに深くもたれる。その口元には、冷笑とも苦笑とも取れる表情が浮かんでいた。

「いいか、冷静になれ」

「俺は冷静です」

「冷静なやつがこんな事態に即答するか、バカ。さっきまでの話を思い出せ。お前はユミに人生狂わされてるんだぞ」

「――!」

 どうしようもない怒りがこみ上げた。

 テーブルを叩いて立ち上がろうとするその頭を、トウゴが掴んだ。

 力が逸らされるのか、どうしてもそのまま立つ事が出来ず、アキラは元通り座らされた。

「おれが言ってるんじゃない。ユミが自分で言ったんだ」


 ――ごめんなさい、と謝り続けるユミの姿が脳裏に浮かんだ。


「だって、そんなの――仕方ないじゃないですか。ユミのせいじゃない」

「ああ、そうさ。ユミのせいじゃない」

 アキラをいなしながら、しかしトウゴ自身も苛立っているようだった。

 何に対しての、誰に対しての苛立ちかはわからないが、抑えた声がことさらに低い。

「お前言ったな、ユミを守ってやりたいって」

 先程口を滑らせたことを拾い上げられて、一瞬戸惑う。

「――はい」

「どうしてそう思う」

「――だからそれは……」

 小さくて、方向音痴で、内気で、……可愛らしくて。

「そうだな、あれを見て可愛くないと思う男は、多分いない。いや、女もか。最初の日にショウコがべた褒めだったろう」

 迷子のユミの保護をアキラに頼むときに、並べ立てた特徴。

 顔も可愛い。声も可愛い。ライムとは正反対に、大人しくて素直で穏やかで優しくて。

「好みの問題はあるだろうが、大体の人間に嫌われないタイプだ。そして、その好みの問題すら、ユミはある程度クリア出来る」

「……」

「本来はな、おそらく引っ込み思案で気も弱い。目立つことはしたくない。なのに、あの自己紹介は見事なもんだったろう? お手本みたいな『ご挨拶』だ」

 確かに、違和感を感じた。そして、疎外感も。

「おれがそうするように望んだからだ。以降、会議での発言もそれに準じてる。ライムの軽口には笑ってやる。カスミと話す時は簡潔に無駄なく。相手に自分を合わせることにかけては、ユミ以上の才能を持つやつはいない。そのテレパスの能力ちからコミでな」

「それの何が悪いんです!」

 並べ立てられれば、そのどれもに思い当たる節はある。

 思い当たり、記憶の中のユミをたぐればたぐるほど、本当の彼女の姿がわからなくなる。

 上げた大声は、その迷いを誤魔化すためもあった。

 そうだ、人に合わせようとして、好かれようとして、何が悪い。


「何にも悪くない。だが、ユミ本人はそれに常に罪悪感を抱いている」

「――」

 ……ユミの性格なら、さもありなんと思った。

 自罰的。

 最初に会ったときにも感じた。そう、それがやはりユミの本当の性格で――。

「そう聞いたら、そんなところも愛しいと思うだろ」

「……なっ」

「図星だな」

 言葉に詰まり、下唇の裏を噛む。トウゴも黙った。

 

「……さっきから、トウゴさんが何を言おうとしているか、わかりません」

「お前の人生は、ユミに狂わされた。そして現在進行形で狂わされ続けている」

 きっぱりとトウゴが言い切る。

「ユミと会ってからこっち、体調が悪かったろう。熱っぽくなかったか?」

「あれは……人形たちに襲われた怪我と、【罰】のせいで」

「その前からだ。頭がぼうっとしたり、時々わけがわからなくなったりしなかったか?」

 心当たりは、無いでもなかった。

 特にユミが絡むと、自分でも不思議なくらいにいらついて、過剰な反応をしていた。

 ふと思い至る。

「もしかして……さっきの話の、刷り込みに関係が?」

「それもある」

 守りたいという過剰な欲求。守られたいという裏返しの。

 ライムがしきりに、恋心だと囃していたのが思い出された。

 ――全然、まったく、そういう話じゃなかったわけだ、と時に合わぬ苦笑がこみ上げた。

「それもあるが……さらに根が深い。おれたちが【キャリアおれたち】であるが故に」

 まだ何かあるのか。

「お前はな、無意識下で抵抗していたんだ。ユミの能力に」

「テレパシーで……干渉を受けていたってことですか?」

 思い返す。

 ユミは、息を止めてしまう癖があると言っていた。

 だから、故意でなくても心を読んでしまったらごめんなさい、と言っていた。

「たとえば、俺の心をユミが読みそうになっていて、それに対して抵抗していた、ってことですか?」

「違う。――能力は能力でも、転換した方じゃない。根源の【力】のほうだ」

 きぃん、と耳鳴りがした。アルミ箔を奥歯で噛んだような、不快感。

「……は」

 笑い飛ばそうとしても、ようよう息を吐くのがやっとだった。

「……だってユミは、いつもちゃんと【チタン】をしてたじゃないですか。外してるのなんか見たことないですよ?」

 何をバカなことを、というニュアンスを敢えて混ぜたのは――その不快感が消せないから。

 しかしトウゴはその問いを無視して、話を続けた。

「ユミの本来の【力】は、洗脳だ。いや、洗脳という言葉では生ぬるいかもしれん。人間を、心底から操れる。彼女が本気で望めば世界は滅亡するだろう。全人類が殺しあうか、もっと手早く集団自殺だ」

 信じられるか? とトウゴが続ける。

 予想ではあるが、ユミの【力】を以てすれば、自らを扼殺させることも可能だという。

 自分の手で自分の首を絞めて、苦しくなっても締め続けて、意識を失っても締め続けて――絶命に至る。

 いや、もしかすると、息を止めさせることで殺すこともできるかもしれない。

 ごくり、とアキラの喉が動いた。

 二度三度、口をもぐもぐと動かし、それからようやく言葉を紡いだ。

「……そんなの、別に、俺だって、言われましたよ。『世界を滅ぼすほどの』なんて、俺たちの【力】の枕詞じゃないですか」

 そうだ、つい先日相対したばかりの解の【力】も――【キャリア】の持つ力、そのすべてが、SP症による超能力という枠組みを超えた、デタラメなもの。

「まあそりゃそうだ」

 皮肉な笑い。

「だがその力が、実際自分に向けられてるとなると、お前さんだって穏やかじゃいられないだろう?」

「だから、そのための【チタン】でしょう」

「抑え切れないんだよ、ユミの力は。テレパシーへ転換することに落ち着いたものの、力の種類が近すぎて、境界が曖昧なんだ。そして」

 アキラを指差す。

「ユミと特殊な関係にあるお前、近しいところにいるお前は、その影響をもろに受ける」


 たとえばユミが、アキラに自分を好ましく思ってほしいと思う。

 するとアキラは、ユミを好ましく思わずにはいられない。

 たとえばユミが、アキラに自分を避けてほしいと思う。

 するとアキラは、ユミを避けずにはいられない。


 ユミ本人がことさらに望むわけではない。

 だが、人に好かれたいという気持ちは――抑えきれるものではない。


「当人が、好むと好まざるとに関わらず、だ。いや――もう洗脳を受けている時点で、好むも好まないも無い。それがそいつの本心からの行動になる。普通ならな」

「俺の場合は……その力に対しても、多少の抵抗力がある、っていうことですか」

「そうそう。少し冷静になってきたか?」

 アキラは首を振る。

「抵抗できるなら、いいじゃないですか」

「抵抗力がある、って言うだけで、結局抵抗は出来ん。最終的にはユミの思いのままだ。体が消耗するだけ損してる、そういう状態だ」

 返す言葉が、もう無かった。

 もちろん、ユミを擁護することはいくらでも出来る。

 でもそれは――どこまで自分の本来の心の動きから来るのだろう。

 一度疑いだすとわからなくなる。

「……ま、疑えるようになっただけでも、進歩か」

 トウゴはふうと息をついた。出来の悪い生徒を前にした教師のように。

「要するにお前は、今とんでもなく性質の悪い――魔性の女に引っかかってる。手を切るなら今しかない。卑俗な言い方をすればそうなる」

「手を、切るって」

「見捨てろ」

 言い放たれた言葉に、血の気が引いた。

「ユミをあのまま安らかに眠らせておけ。最初は苦しいかもしれんが、そのうちに忘れられる。お前はこれ以上煩悶することなく、元のお前に戻れるんだ」

「……出来るわけ、ないじゃないですか、そんなこと」

「じゃあ助けに行くのか?」

「当たり前です」

「ユミがそれを望んでいなくても?」

 反論が、止まってしまう。

 その可能性は考えていなかった。

「あのな、そもそも助けてほしくないから、このまま目を覚ましたくないと思ってるから、眠ってるわけだろ」

「――それでも」

「もう一つ言うと、ユミはお前に対しては罪悪感しか抱いていない。もしも心の底でユミの精神と触れあうようなことがあったら、多分今までおれが言ってきたのと、全く同じようなことをぶつけられるだろう。おれに言われても相当混乱するものを、本人に言われて、お前は冷静で言われるか?」

 星宮医院で、ユミと言い争いをしたときのことを思い出す。

 事情がわかった今となっては、ユミがあんなにも自分に対して謝り続けたことは理解できる。

 それでも――。

 今同じことを言われたとしてもアキラは、ユミは悪くないと叫んでしまうだろう。

 そして、ユミはそれを受け入れないのだろう。あくまでも自分が悪いと言い張るのだろう。

 拒絶された、分かり合えない、そのときに感じる絶望の深さ。 

 それはもう理屈ではなくて、身がすくむ思いだ。

「冷静さを欠けば、その分生還の確率は減る。乱されれば乱された分だけ、お前は戻ってこられなくなるかもしれない。生死を賭けた口喧嘩、お前に出来るのか?」

 ――ケンカは、苦手だった。

 人と争ったことなど、ない。記憶にない。

 先程のカスミやライムとのいざこざは、ほとんど人生初だった。

「まだある」

 アキラはもう、トウゴの視線を受け止めきれなかった。知らず知らずのうちにうつむいていた。

 そこにかぶせられる、決定的なリスク。

「……よしんば首尾よく事が運んだとして、そうしたらお前はもう、元のお前には戻れない。精神ダイブは互いに影響し合うから、今まで以上に、心にユミが食い込む。強固な絆と言えば聞こえはいいが、実際は隷属だ。もしこの次にユミが怪我をしたり――万が一、死ぬようなことでもあれば、お前は殉教する破目になるだろう」


 それでも――いいと。

 そんなこと、望むところだと。

 むしろそうなりたいと。

 思ってしまう自分が、もうわからない。

 どこまでが自分の本当の気持ちで、どこからがユミとの関係とその【力】に影響を受けてのことなのか。

 自分という存在は、どこにあるのか。

 

 しばらくの静寂。

 深い海の底にいるような、圧迫感。

 ユミの心の底は、ここよりもっと、絶望的に深い。



「――ああ、そうか、悪い。おれが間違ってた」

 トウゴはいつもの飄々とした風情に戻って、言い直した。

「こう言えばよかったんだ。お前がユミを助けに行くと、ユミはひどく傷つく。多分、死んだほうがマシだと思うくらいに傷つく。お前はユミを傷つけられるのか?」




 ユミを、自分が傷つける。

 アキラは部屋で一人、頭を抱えたまま、唸った。

 脳がその状態を想像することを拒否する。

 もうユミは、充分傷ついている。

 自らの力のせいで。アキラという存在のせいで。

 これ以上傷つけることが正しいとはどうしても思えない。

 でもだからといって、このまま起こさずにいるなんてできっこない――。


 どうしたらいい?

 問いかける対象は、相談出来る相手は、それなりにいるはずだった。

 ライム、カスミ、ショウコ、トウゴ。

 シン先生や義父母。

 ――数え上げて、しかしその全てが、たった一つの存在で上書きされる。


 ユミ。


 苦しくて、苦しくて、どうしようもなく苦しくて、アキラは泣いた。

 この仕事をするようになってから、初めて自覚して流した涙だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ