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きみの手をとる物語  作者: 百賀ゆずは
第七章 無貌の告白
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第三節 無貌の告白

≪主な登場人物≫


藤沢解:兄

藤沢来栖:妹


篠原史行:演劇部員。脚本担当。

友永朝日:演劇部部長。

 ――おにいちゃん!


 叫びは様々なメッセージを含んでいた。

 助けて。

 逃げて。

 許して。

 とめて。

 やめて。

 そして、――死んで。


 どちらが先に始まったのかわからない。

 兄が妹を『解く』のが早かったのか。

 妹が兄を『繰る』のが早かったのか。

 分解された妹はそれでも兄を操り、兄自身をも分解させ。

 操られた兄は自分を分解しながらも妹を分解し続け。


 折り重なって倒れ、輪郭は滲み、二つの存在が一つになる。


 兄妹の両親が部屋へ入ってきたのは、正にそのときだった。

 融け合う二人を前にしてどうすることも出来ず、ただ呆然と立ちすくむ。

 凍り付いたような時の果てに、両親は恐る恐る一人残った子供を抱き起こし、そして呼んだ。


  ――「解!」


 かくしてその存在の真の名が決まった。

 もとから余りにも【力】に近い名前であったが故に、文字を換える必要すらなく。

 ここに二つの存在が喪われ、一つの存在が生まれた。


 両親が兄の方の名前を呼んだのは、何より顔が「彼」のものであったからだが。

 心の底で、どちらかを選べと言うならば兄が生き残るのを望んでいたから、なのかもしれなかった。

 解は賢い少年だった。

 体が弱く学校へはほとんど行けなかったが、それで勉強が遅れたということもない。

 家庭教師がついたことでむしろ級友たちよりも成績はよかった。

 優しく穏やかで、決して親に逆らわない。

 そして美しい外見をしていた。

 こうなるとその病ですら、両親には慈しみの理由にしかならない。

 対して妹は、体は丈夫ではあったけれど、頭も要領も悪く、うるさいばかりで品性の欠片もないのだった。少なくとも両親の目にはそう映っていた

 なので思わず、本当に思わず、抱き起こした解に向かって両親は口走った。

 ――お前が残ってくれて、よかった、と。

 「彼」の体が、はっきりと女性の特徴を備えているのを知らぬままに。

 

 両親は悩んだ末に、呼び方を改めた。

 来栖、と。

 子供が生める体でよかった、藤沢の血を絶やさなくて済む、婿養子を取ればよい、と。

 失われたのは兄の方とされた。

 だがほとぼりが冷めるまではと、その戸籍は残された。

 死亡診断書を書いてくれる医者のつても、礼として包む金もあったが、とりあえずの面倒を避けた。

 もしかして、あきらめきれなかっただけかもしれないが。


 一度は『解』と名づけられた存在は、以降その名で呼ばれることなく、別の型にはめこまれた。

 呼び名に沿って生きるべく、彼は――ばらばらになった記憶と知識をたぐり寄せ、かき集めた。

 「来栖」とは、どんな存在だったろう。

 そう、確か、賑やかで、明るくて、元気で……優しい、子だった。

 学校を休みがちな「解」に、そこでどんな楽しいことがあったのか、友達はどんなに素敵なものか、話して聞かせてくれた。

 振る舞いや言葉遣いに、少し奇矯なところもあったけれど……それすらも可愛い……僕の……妹。

 真の名の故にか、あるいはやはり兄が生存競争の勝者だったのか。

 「来栖」の心は、記憶は、「解」のそれに近かった。

 けれど「解」は最早「来栖」なのだから、「来栖」でなければならなかった。

 「来栖」でなければならなかった。

 それが、自分が命を奪った妹へのせめてもの償いだと――思い、言い聞かせた。 

 私は「来栖」、私は「来栖」、私は「来栖」。


 その名前で高校へ通い始めた。

 その名前で部活に入った。

「えー、やだー。『藤沢さん』って呼んじゃダメ!」

 ――だって「解」も「藤沢さん」だから。

「『来栖』だよ。来栖って呼ばなきゃ、お返事しなーい」

 ――そう、きっと、「来栖」だったらこんな風に。

「うん、『くーちゃん』なら良いよ。許可します!」

 ――こんな風に、楽しく、みんなと過ごせた……。


 何度も何度も何度も、その名で呼ばれた。

 何十回も何百回も何千回も、自らに言い聞かせた。

 いつしか彼は「来栖」であることに何の疑問も持たなくなった。

 それが当たり前だと思っていた。


 あのときまでは。




 周囲の景色が薄茶色になっていく。

 輪郭が徐々にぼかされて、まるで白いキャンバスの端っこまで塗っていない油絵のように、映像が浮かぶ。

 ――あの洋館のセットだ。

 演劇部員が、隙間の床に車座になって座っている。

 新しく仕上がったばかりの脚本を眺めている。

 「僕」の目はその文字に釘付けになった。

 「カイ」。

 そう書いてある。確かにそう書いてある。

 懐かしくて指でなぞった。

 これ、僕の……。

「じゃ、キャストを発表しまーす。といってもノゾミ、イマチ、トオカヤは変わらないけどね」

 朝日ちゃんが言う。

「エイタは篠原ー」

 名前を呼ばれて、フミユキおにーちゃん――フミユキは、口をちょっとへの字に結んで、首だけでひょこっとお辞儀をした。

 よくわかる、あれは照れているんだ。

「そして、我らが少年探偵・カイくんは……くーちゃん!」

 くーちゃん……来栖……来栖は……カイ……解。


 ――脚本の中の言葉たちは、妙に懐かしく、生々しかった。

 カイの台詞、カイの表情、カイの考え方。

 不思議だった。どうしてこんなに『僕』にしっくり来るんだろう。

 忘れていた何かが蘇ってくる。

 そうだ、「解」はこういう物言いをする子だった。

 こういう表情をする子だった。

 こういう考え方をする子だった。

 私は……僕は……。

 エイタ――フミユキを見つめると、ん? と首を傾げた。

「何だよ。何か言いたいことあるか?」

「……どうしてフミユキおにーちゃんはこんなお話が書けるの?」

「友永に書けって言われたから」

「……朝日ちゃんが……お願いしたから?」

「まあ、それは『狂想曲ぜんさく』の方だけど」

 あのやり口はひどかった。あれはもう恐喝だ。そう言いながらもフミユキは何だかとっても嬉しそうで。

「『変奏曲』を書いたのは、……来栖がいたからだよ」

 そう言って、首を掻いた。髪の毛の尻尾が揺れる。

 よくわかる。これも照れているんだ。


「あ、舞台に忘れ物しちゃった!」

 僕は頓狂な声を上げた。

「えー、またぁ?」

「何忘れたの?」

「……だいほーん」

 僕はぺろりと舌を出す。

「あれを読まないと眠れないので、取りに行っちきます! みんなは先に帰ってて!」

 僕は敬礼をして学校へと走り出した。

 ……最近、みんなといるのが、苦痛だった。

 帰り道で、友永さんとフミユキと三人だけになるのが、とても苦痛だった。

 僕が先に電車を降りて、動き出す電車の中で並んでいる二人を見るのが、苦痛だった。

 自分でもおかしいと思う。

 この間のあれからだ。

 足を止めて空を見る。通学路の、建物の隙間の、狭い空。

 あの日、天文部の主催で『星を見る会』をやった。

 屋上で寝転がって、一晩中、彗星と流星群を観察した。何故だかひどく懐かしかった。

 僕の隣にフミユキがいた。フミユキの隣に友永さんがいた。

 僕の手をそっと……フミユキが握った。

 ――繰り返し繰り返し、思い出してしまう映像を感覚を、振り切るように夜道を走る。

 すぐに学校に着いた。

 門はもうとっくに閉まっている。

 ひらりと飛びつき、よじ登って、飛び越えて――

 ああ、まるで夢の中みたいに体が軽い。

 こんなこと、昔の僕なら想像すら出来なかった。

 息をするだけで苦しかった。不規則な鼓動が恐ろしかった。

 それが今は――今は?

 今は、何故こんなに、動けるのだろう。

 答えはわかっている。

 これは、僕の体であって僕の体ではないからだ。

 そっと胸に手を当てる。

 ささやかだけれど、そこには確かにやわらかいふくらみがある。


 脚本は、本当に舞台に置いて来ていた。わざと。

 ステージへ続くドアを、部室から取ってきた鍵で開ける。

 そのとき。

「来栖!」

 呼び止められた。足がすくむ。

 ためらいを隠して、振り返る。

「……あれ、フミユキ、おにーちゃん?」

「おま、足……早すぎ」

 息が切れている。

「夜の学校に一人でなんて、危ないから……」

 追いかけて、来てくれたのだろうか。

「……ありが、とう」

 息が苦しい。

 走ったせいでは全然なくて、急にもう、息が苦しい。

 僕は体育館へ駆け込んだ。

 ドアを閉めた。鍵も掛けた。閉じこもった。

 『三日月仔猫狂想曲』のヒロインみたいに。

 外灯の明かりが遮られると、ステージは真っ暗で。

 まるで僕の心みたいだった。

「――来栖!? おいこら、ちょ、開けろ!」

 がちゃがちゃ、とノブを回そうとする音。

 ばん、と掌でドアを叩く音。


 ごめん、ごめんね、フミユキ。

 僕は君とはもういられない。

 来栖って呼ばれるのがつらい。


 ごめん、ごめんね、来栖。

 僕は君を生きると決めたのに。

 こんなに丈夫な体を君がくれたのに。


 涙すら流せずに立ちすくむうちに、外の音は静かになった。

 怒って帰ってしまっただろうか。それならばそれで。

 もしも待ってくれているとするなら、何食わぬ顔が出来るように心を整えて。

 ひとまず、台本を取りにステージを進む。

 大体どこにあるかはわかっていたから、真っ暗の中を手探りして――。

 あった、と思った瞬間、不意にボーダーライトがついた。

 まぶしさに目がくらむ。

「明かりくらいつけろよ」

 馴染んだ声がした。


 鍵は、かけたはずだった。

 なのに何故、そこに彼がいるのか。

 ああ、部長の――友永さん、の鍵を借りてきたのか――。

 その確認は、彼女の名前を口にすることがつらくて、できなかった。


「……ごめん」

 彼は謝った。

「何が?」

「この間の……『星を見る会』で……」

 言わないで。

 ――繰り返し繰り返し、思い出してしまう映像を感覚を、振り切るように「来栖」は尋ねる。質問で遮る。やや唐突に。

「そうだおにーちゃん、星って言えば前から思ってたんだけど!」

 台本の見返しを開く。

「何でここに献辞が書いてあるの? 『流星群に捧ぐ――』って」

「え、ああ……」

 鼻の下をこする。

「……うん、いつか言わなきゃと思ってたんだけど、お前、十歳くらいの頃に、俺と会ってないか?」

 十歳。僕がまだ――僕だった頃だ。

「地域のプラネタリウム主催で天体観測イベントがあって、そこで、カイって名前の子に会ったんだよ。なんか、大人みたいな口きくんで、最初は何だこいつって思ったんだけど、よく話してみるといいやつでさ、すごい頭よくて、その日ずっと一緒に行動してて」

 ――ああ。

「連絡先交換するの忘れちゃって、以来会ってないんだけど、あのシリーズのカイってそいつがモデルで」

 ――それ。

「初めてお前を見たとき、びっくりしたんだよ、そっくりで。でも名前違うし、確かあいつは男の子だったしって……でもカイの台詞喋るところ見てると、本当にそっくりでさ」

 ――僕だ。



  <お前って、変なヤツ>

  <変かな。何が>

  <えらそう……っていうか>


   そうだ、この間テレビで見た名探偵みたいだ。


   いいね、名探偵。


  <じゃあ君がワトソンだ>

  <なんかつまんねー>

  <助手は必要条件だよ、名探偵の。事件と同じくらい重要だ>



「……行った」

「え?」

「そのイベント、行った」

「あ、じゃあやっぱり」

 フミユキの顔がぱっと明るく輝く。

「お前だったんだな、くる――」

「カイ!」

 自分でもびっくりするほどの声で、遮っていた。

「……え」

「……カイ。カイだよ。カイって呼んで」

 組んだ手が震える。かちかちと歯が鳴る。涙が零れた。

「『解』って……呼んで」

 フミユキは戸惑いながらも、僕の視線を受け止めた。

 そして、ゆっくりと、唇を動かした。

「――解」


 その瞬間僕は、フミユキに向かって駆け出していた。

 嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、両手を広げて、抱きついて――。

 次に気が付いた時は、ただ一人、自分の体を抱きしめていた。

 耳鳴りのするような静寂の中、振り返る。

 舞台に倒れる、僕。僕と同じ姿の、来栖という名前の、存在。

 たった今、僕が脱いで捨てた――少女。

 恐る恐る手を見る。少し、骨ばっている。

 喉に触れる。リンゴの芯を飲み込んだ突起。

 胸に触れる。そこにやわらかなふくらみはない……。

 一つになってしまったものを、もう一度二つに分けるのには、質量が足りなかった。

 それでは僕は、その足りない分を、どうやって埋めたんだろう。

 何を使って――埋めたんだろう。


 逃げ出した。

 来栖を置き去りにして逃げ出した。

 ドアを――抜けた。

 閉まったままのドア、鍵のかかったドア。

 振り返る。

 ノブを回す。掌で叩く。

 けれどそれは、やはりドアで。

 そうかフミユキ。これは君の――宿した力か。

 そしてその力ごと――僕は君を――。

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