第三節 二人の午後
≪主な登場人物≫
ライム:超能力事件第二係刑事。関西弁。
天花:女子高生。ポニーテール。
さて、第二係がこのように働いていたとき、宮本天花は何をしていたか、というと。
例の喫茶店にいた。
署の前で戸惑っていた女性――友永を受付へ連れて行ったら兄に出くわし、兄にお茶代を託してしまおうかと思ったらちゃんと自分で返しなさいと釘を刺され、第二係を覗いたらライムは今医局に行ってるからと待たされる破目になり――。
そして帰ってきたライムが、右手にぐるぐる包帯など巻いているものだから、普段通りのつっけんどんな態度が取れなくなってしまったのだ。
「わざわざ来てくれたん……おおきに」
なんて、関西弁はいつもと同じなのに、妙にしょんぼりしてる。調子が狂わされる。
「でも別にそんな、返してくれんでもええんやで? オレが勝手に連れてっただけなんやし」
「いいの、受け取って」
封筒を押し付けて、帰ろうとすると
「……あれ、五百円やなかったっけ?」
中身を確認してライムが首を傾げた。
「百円は返すわ。ほい」
そんなはずはない。物を買うときにはしっかりと値段を確かめる天花である。
これはきっと、ちょっとでも天花の負担を減らそうというライムの気遣いもとい策略に違いない。
故に天花は固辞した。絶対六百円だった。それは譲れない。
するとライムが、そこまで言うなら確かめに行こうと言う。
「大将すんません、オレちょっと早めに昼メシ出てきます」
「おう――ま、適当に行って来い」
そんなこんながあり。
「何や天花ちゃん、温かいうちに食うたらええのに」
――このザマである。
なんだかんだと丸め込まれて、お茶代を受け取ってもらう代わりに食事をご馳走になるというわけのわからないことになってしまった。
おすすめだというシーフードピラフは、上にホワイトソースがとろりとかけてあって、確かに美味しそうな匂いをさせている。
まだお昼には早いのだが、お腹がぐうと音を立てる。
天花は眉間に思いっきりしわを寄せながら、スプーンを持った。
ご飯に罪はない。確かに温かいうちに食べるべきだ。それは作ってくれた人に対する礼儀でもあろう。
いただきます、と口の中でつぶやく。スプーンですくって。
一口。
「――!」
「な、旨いやろ」
にっこりとライムが笑う。自分はカレーを食べながら。
「こっちも旨いで。一口食うか?」
「……いい」
さすがにそこまで、そんな――仲のよさそうなことは出来ない。
それにしても、さっさと食べてさっさと立ち去るつもりだったのに、こんなに美味しいのでは味わって食べないともったいないではないか。
何が秘訣だろう。やはりスープ? それとも香辛料? 具材の下ごしらえに秘密が? ホワイトソースはもちろん決め手だけれど。――うちでも再現できるかしら。
ふと見ると、ライムは左手で器用にスプーンを使っている。
「……ん。何や?」
「左利き、だっけ?」
「いや、右手がこんなやし、仕方なくや」
「……そか」
またしばらく、黙々と食事が続く。
「……手、どうしたの?」
「怪我した――ってゆうたらまた怒るんやろな」
実際「そんなのは見ればわかるわよ!」と出かけた言葉を飲み込む。
「けど詳しくはちょお説明しづらいねん。ええと、まあ、職務上の」
「…………そか」
途切れた会話の隙をうかがうように、先日の茶トラ猫がやってきて、天花の足に擦り寄った。
膝に乗りたそうだったので、ぽんぽんと腿を叩いて合図してやると、そっと飛び乗ってきた。
温かい、熱いくらいの重み。
「……ええなあ」
ライムがうらやましそうにそれを見る。
「もしかして、猫、好きなの?」
「え? ああ、うん。――好きや」
かちゃ、とスプーンを置いて、水を飲む。片手しか使えないと持ち替えが面倒そうだ。
「けどな、どうも向こうはオレのこと嫌っとるみたいで、ちぃとも懐いてくれへん」
「追いかけ過ぎなんじゃない?」
小さい子供が無遠慮に猫を追いかけて、嫌がられるのはよくある話だ。
「あんまり目を合わせ過ぎてもいけないしね。敵対と取られちゃうの。――だから、猫嫌いで目を逸らす人のところに逆に擦り寄って行ったりするんだよ」
「――天花ちゃんは、嫌いなん?」
「ううん。好きよ?」
茶トラがもぞもぞと動いた。より落ち着ける体勢にシフトしたらしい。
少しの間があった。
「……せやろな。猫のことようわかっとるもんな。それに猫のほうかて、いくらなんでもほんまもんの猫嫌いにそこまで懐いたりはせんやろし」
「何かね、動物には昔から懐かれるのよね。犬とかにも」
「犬と猫やったらどっち好き?」
「猫、かな」
「そか。オレも猫派や」
ふ、とライムは目を伏せた。
天花はピラフの続きを食べる。
しまった、ちょっと冷めちゃった。でも冷めても美味しい。お米がスープをよく吸っているからかな。
また二人して無言になり、かちゃかちゃと食器の音だけが響く。
……何かこう、喋らないライムというのは、泳がないマグロみたいだ。息が出来てないんじゃないかと思って、心配になる。
「怪我、痛いの?」
「いや、もうそんなには痛ないで。シン兄が治してくれたよって。あ、医局のな、中富センセが」
「中富先生……」
「天花ちゃんは知らんかな。メガネかけててな、ちょっと茶髪でくせっ毛で、あ、昔流行った外国ドラマの主役に似てて――って余計わからんな」
「何となく、イメージ浮かぶ。でもシン兄って……お兄さん?」
「あー、うん……」
ライムは言葉を濁した。
悪いことを聞いてしまったのだろうか。ピラフの最後の一口を前に天花の手も止まる。
「オレのこと面倒見てくれた家の、跡取り息子なんよ。古くっから続く家でな、中でもあの人、すごい才能持ってるって言われてたんやで」
面倒を見てくれた。ってどういう意味だろう。疑問に思ったが何となく聞けない。
「才能って、お医者さんの? それが家業なの?」
「んーまあ、そう」
包帯巻きの右手に目を落としている。
「天花ちゃんは、うちの部署が出来る前のこと、諒兄ちゃんになんぞ聞いとる?」
「え、と」
急な質問に戸惑う。
「確か、超能力犯罪には、以前は各警察で対応してたって。少し特殊な技術を持ってる人たちがいて、その人たちの協力を得て。でもそれがちょっと難しくなってきたから、不忍署が出来たって」
「うん。せやせや。シン兄はそういう技術職の――【一族】の出なんよ。まあ言わば、オレらの先輩格やね」
何だろう。相槌を打ちながらも、内心天花は首を傾げた。
さっきから、歯切れが悪い。
言いたくない、というわけではないのだろう。
むしろ、本当は何かを言いたくて、言えなくて、それで同じところをぐるぐる回っている気がする。
こういうときは聞いてあげるのが親切だと思う。
「何かあったの?」
「……シン兄な、すぐ無茶すんねん」
また右手の包帯を見ている。
「前にも無理して体壊して、そんで現役引退せなあかんようになったんに、また――オレの世話とか、焼いてからに」
天花も包帯に目を落とす。指の先まできっちり巻かれて、ミイラみたいだ。よくわからないがこの治療をするために、シン兄さんは徹夜などの無理をしたのだろうか。
「それで落ち込んでるの? 迷惑かけたって思って」
「――うん、まあ、そうゆうわけや」
はは、と力なくライムは笑った。
その気持ちは、わからないこともない。
天花が兄に対して時折抱く感情と、多分似ているのだろう。
両親と死に別れたとき、兄は高校をやっと卒業する頃だった。
幼い天花の面倒を、それはもう一生懸命に見てくれた。兄だって淋しく、心細かったはずなのに。今の自分とそう変わらない年だったはずなのに。
でも。それで天花が引け目を感じていても、兄はきっと喜ばない。
天花だって、兄に「お前には家のことばかりやらせて済まない」なんて泣かれたら、困ってしまう。嬉しくない。
だから。
「きっと向こうは迷惑とか思ってないと思うよ。家族みたいなものなんでしょ? ――ううん、違う、家族と思ってるから、助ける――違うな、えっと」
言葉を探して、膝に目を落とすと、幸せそうに眠る猫の耳がぴぴっと動いた。それで、天啓のように天花の中に何かが落ちてきた。
「そう……助けたいから、家族なの」
口に出してみると、あれ? と思う。何か日本語がおかしい。でも、もう一度言い直そうと思っても、同じ言葉になってしまう。
助けたいから、家族。
ライムがちょっと驚いたように瞬きした。それからゆっくりと、噛み締めるようにうなずいた。
「……せやな。シン兄もそう言うてた。一番最初に会うたとき、言うてくれたよ」
君の力になりたい、だから僕たちの家へおいで。そう言った。
「ありがとう」
真正面からのお礼に、ちょっと焦る。
何だか……こいつの印象が変わってしまいそうなのだが、でも、それって、食べ物と身の上話にほだされたみたいで、ちょっと、……どうなのよ、みたいな。
「べ、別に、勘違いしないでよね、ご飯ご馳走になったから、その分の働きをしたまでって言うか――」
――耳たぶ触らせ賃。
小百合の声が不意によみがえってくる。
――テンカも触らせてあげたら? それでお茶代チャラ。
ち、ちがうちがうちがう、そんなことはだんじて!
「ありゃ、天花ちゃん、存外大人やね」
ライムがにやりと笑う。いつもの、ちょっと人を食ったような顔が戻っていた。
「そう、世の中はギブアンドテイク、やで。注意せなあかん。男なんて、下心が服着て歩いてるようなもんやから、ご馳走する時は見返りを期待してるもんや」
それはあんた限定のことでしょ! 自分の基準でものを言うな!!
いつもなら反射のように出てくる言葉が、喉で引っかかってしまう。
あれ、あれ、あれ、何であたし、こんなどきどきしてるの? え、もしかして狭心症?
「……ほんま、可愛えなあ。――触ってもええかな」
「へ……」
天花の返事も聞かず、ライムがちょっと椅子を寄せて、手を伸ばしてくる。
「え、あの、ちょっと、その……」
金縛りにあったように、体が固まって動けない。何で何で何で?
ライムが低い声で囁く。
「じっとしててや。――猫が、起きてまう……」
動けない……のはきっと、そう、猫が起きちゃうからで、別にそんな、あたしが、ほんとは触ってみてほしいとか心の底でそんな風に思っているとかそんなそんなそういう訳では決して――。
……ん?
ねこ?
「ほわー。ぬっくぬくやー。癒されるー」
ライムは茶トラの背中を撫でながら、幸せそうに目を細めている。語尾にハートマークが乱れ飛んでいる。
「お、お、耳がぴくって! 動きよった! 可愛ええ、可愛えなああ。ああもう、このままお持ち帰りしたいわあぁ」
はいお約束ぅ!
という小百合のセリフが何故か聞こえた。
「……アイスココアティー」
「ん?」
「アイスココアティー、追加で」
きっ、とライムを睨みつける。
「触らせ賃よ、猫の! 膝貸してる人間の権利! 文句ある?」
わなわなと震えるが、猫は熟睡しているのかこの間のように膝から飛び降りたりはしない。
「――ないない。こんだけ好き勝手、思う様、いじくり回させてもらえるんなら、お茶の一杯くらいは安いもんや」
なー、ねこー、と文字通りの猫撫で声で話しかけて、にやりと笑う。
くぅ。何この敗北感。
「ああ、ほんまに可愛えなあ」
ライムの台詞が、何かちょっと、聞こえよがしめいてるのは気のせいだろうか。
「だから、もーちょっとだけ、そこで寝とってくれなー、ええ子やなー、ねこー」




