act.7
「――じゃあ、私はしばらくの間客人扱いになる、ってことですか?」
「ああ」
陽菜の問いに短く答え、ゼイルは大きく頷いた。
ゼイルの話では、陽菜の存在は限られたごく一部の者にしか伝わっていないらしい。理由を簡単に言ってしまえば、陽菜は“光の姫巫女”としての力が発露していないどころか魔力が皆無であるため、公表の時期を誤れば陽菜自身の身が危険に晒されてしまうからだという。
(光の姫巫女って、存在自体が奇跡だから存在するだけでいいんだって。神の加護を受けてるから……らしいけど、イマイチぴんとこないんだよねえ)
陽菜が光の姫巫女と呼ばれていることを知るのは、国の中枢を担う者や、その身辺警護にあたる少数の兵士や騎士達、そして少数の侍女達のみ。となれば、レティシアはもちろんのこと、陽菜にゼイルからの伝言を届けに来た兵士も、陽菜を文字通り丸洗いした侍女達も、選ばれた者ということになる。いずれも口が堅く、信頼のおける人物が揃っているというが、彼らが口外する可能性も否定できない。
疑問に思った陽菜がゼイルにそのことを質問すると、発覚した瞬間その者の存在自体が消されるというなんとも恐ろしい答えが返ってきた。
この世界では珍しい髪色と瞳についてはどうしようもないので、これから考えていくらしい。状況に応じて対応を変えるとのことだったが、奇異の目に晒されるのは間違いなさそうだ。
ともかく、ゼイルが陽菜の存在を国民の前で発表するまで、光の姫巫女であるという事実は伏せておかなければならないのだ。
「そなたの身の回りの世話をする者達は皆事情を知っている。しかし、そなたをこのまま部屋に閉じ込めておくわけにもいかぬ。明日、城内の者すべてにそなたを客人として迎えると公表しておくが、自ら身分を明かすことのないように。何か不都合があれば我の部屋を訪ねるがいい」
「えっ、いいんですか!?そんなこと言ったら頻繁に通っちゃいますよ!?私まだわからないことだらけで不安ですし。ていうかあれ、今更ですけどここってどんな建物なんですか?」
「……城だ。我が国のな」
「ふうん……」
眉をひそめながらも律儀に答えてくれるゼイルに感謝しつつ、陽菜は心のどこかでやっぱりかと納得する。
(王様が住む場所といえばやっぱり城だもんね。そんな場所に私住んじゃっていいのかな?まあ、ここ追い出されたらどこにも行くところないんだけど)
そこまで考えて、陽菜は自分自身に苦笑する。
あれほど泣いたばかりだというのに、今の自分はここに滞在することを素直に受け入れている。
帰ることを諦めたわけではない。帰りたいという気持ちが無くなったわけでもない。
ただ、ほんの少しだけ、受け入れることができたのかもしれない。陽菜はそう思った。
「……そなた、わかっているのか?」
ふいに、ゼイルの静かな声が響く。
「え?」
「我は先程そなたに臣下ではないと言った。我の部屋、すなわち国王の私室に出入りが許されるということも。それらの意味を、しっかりと理解しているのか?」
「意味って……客人だからってことですか?」
「違う」
ゼイルは首を振り、陽菜をじっと見据えた。
「そなたの身分は、そなたが思うよりも上だということだ。宰相ですら、急用や公務でなければ我の私室には立ち入らぬ」
「……それなのに、どうして私に立ち入りを許すんですか?」
その問いに、ゼイルは答えなかった。
ゼイルはソファーからゆっくりと立ち上がり、おもむろに懐を探ると、陽菜に近付いていった。
「手を出せ」
「?」
言われるままに陽菜が片手を差し出すと、手の平の上に何かが置かれた。
それは、小さな十字架のペンダントだった。ブルートパーズのような澄み切った青色が美しく、十字架の周囲には精緻な細工が施されている。摘み上げてみると、銀色の鎖がしゃらんと鳴った。
「きれい……これ、なんですか?」
「――お守りのようなものだ。肌身離さず身に着けておくといい。言っておくが、それは唯一無二の貴重なものだ。他人の手に渡らぬよう気を付けろ」
「いやいや、こんな見るからに高価そうなもの受け取れませんよ!お返しします!」
無くしてしまったらどうするのだ、と陽菜は焦りを隠せず、ペンダントを突き返す。
しかし、ゼイルはペンダントを頑として受け取ろうとしなかった。
「それは既にそなたのもの。我のものではない」
「でも……」
「――二度は言わぬ。そなたは我を怒らせたいのか」
眇められ、冷たい光を宿すゼイルの瞳に陽菜はぞくりとする。
今まではなんとも思わなかったのに、今だけ、感情を映さない瞳が少しだけ怖く感じた。
ゼイルは興味を無くしたように、固まってしまった陽菜から視線を逸らすと、身を翻して部屋を出ていこうとする。
陽菜ははっとして、去っていく背中に声をかけた。
「――あの!」
呼び止められ、ゼイルは振り返らないままぴたりと足を止めた。
陽菜は、ペンダントを両手で握り締めながら口を開く。
「これ、大切にします!ありがとうございました!」
ゼイルからの反応はなく、陽菜の言葉を背中に受けてからすぐ部屋を出て行った。
けれど、陽菜はペンダントのお礼ができればそれでよかったので、気にはしなかった。
「陛下、か――」
陽菜はため息をつくと、ソファーに腰掛け脱力したように背もたれに身体を預けた。
“氷の王”――唐突にレティシアの言葉が頭をよぎる。喜怒哀楽を表に出さない以外にも、そう呼ばれている所以があるのだろう、と陽菜はつい今しがた目にした冷たい瞳を思い起こしながら考えた。
「国王なだけあって、すごく厳しそうな人……でも」
陽菜は、手元のペンダントに視線を落とす。
お守りだというそれをくれたのは、一体どうしてなのだろうか。
「……やめた!考えても仕方ないよね!きっと私に必要だと思ったからくれたんだよ。うん、きっとそう」
陽菜は自分自身に言い聞かせるように言い、考えることを放棄した。
欠伸をひとつこぼし、壁掛け時計に視線を投げる。思ったより長く話し込んでしまったせいだろうか、時計の針は既に日付を跨いでいるようだった。
「ああ、もうこんな時間なんだ。いろいろあって疲れたし、もう寝ちゃおっかな」
そう言うと、陽菜はペンダントをテーブルに置いてベッドに潜り込んだ。
心地良い布団に包まれながら、陽菜はゆっくりと目を閉じる。
目まぐるしい環境の変化についていくのに精一杯で、疲れてしまったのかもしれない。
布団のあたたかさも手伝って、陽菜は容易く眠りの淵へと誘われた。
* * * * * *
「あらあら、いらっしゃい。待っていたわ」
目を開けると、見覚えのある美貌が嬉しそうな笑みを浮かべながらこちらを覗き込んでいるのが見えた。どうやら自分は仰向けに寝転んでいるらしい。
(ああ、相変わらず美人だわ……一回しか会ったことないけど。たしか、そう、名前は……)
ぼんやりとそこまで考えて、陽菜は唐突に夢から覚めたような感覚に陥った。
「シルヴィア!?」
がばりと体を起こし、陽菜は目を丸くして目の前の女性――シルヴィアの名を呼んだ。
吃驚している様子の陽菜を見下ろし、シルヴィアはくすくすと笑う。
「そうよ、陽菜。“白の世界”へようこそ」
「白の、世界?」
シルヴィアの言葉を反芻し、陽菜はきょろきょろと周囲を確認する。
どこまでも白いその空間には、見覚えがあった。
「真っ白……それにシルヴィアがいるってことは、ここは」
「そう、最初にあなたに出会った場所。安心して頂戴、あなたは姫巫女だからここにいても消滅することはないわ」
「しょ、消滅?そんな物騒な」
「ああ、ごめんなさい。また私ったら。……ここはね、普通の人間には来ることができない場所なのよ。ここに辿り着けるのは、選ばれた者のみ。それ以外の者が足を踏み入れたら魂ごと消滅してしまうの。そうね、禁を破ったことになるから、輪廻の輪にすら戻れなくなるわ」
「恐ろしいことをそんなさらっと言わないで!」
陽菜は、さっと顔を青くさせ敬語も忘れて自分の身体をぺたぺたと触る。
シルヴィアはそんな陽菜を見ながらくすりと笑い、陽菜の目線に合わせてしゃがみこんだ。
「言ったでしょう?あなたは私の姫巫女。私と対等でいられる、唯一の存在。あなたを失うことは、神の怒りに触れるも同じ」
「言っていることの半分も理解できないんだけど……そんなことはこの際置いとくね。ねえシルヴィア、私って本当に光の姫巫女なの?私は絶対ありえないと思うんだけど、何かの間違いじゃないの?」
「間違い……?」
シルヴィアはきょとんとした顔をしていたが、やがてゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、間違いではないわ。私の姫巫女は、まさしくあなた」
「でも、私には魔力が無いって聞いたよ」
「……“騎士”があなたにそれを言ったの?ああ、やはり人任せにせず私が説明するべきだったのかもしれないわ。ごめんなさいね」
困ったような微笑みを浮かべ、シルヴィアは陽菜の頬を撫でた。
陽菜は一瞬だけ驚いたものの、その優しい手つきが心地良くて、されるがままになっている。
シルヴィアは眩しいものを見るかのように目を細め、歌うように続けた。
「光の姫巫女は、その魂自体が特別なものなの。魂の器が普通の人間よりも大きく、そのために稀有な力を宿すことができるのだけれど、問題は世界の壁。私の世界と陽菜の世界はまったく異なる性質を持っているから、相容れない存在を馴染ませるのに時間がかかってしまうの。だから、今は力無い存在だと受け取られてしまうのかもしれないわ」
「要するに、私がこの世界に馴染むまで、魔力はゼロのままってこと?」
「そうね」
「じゃあ……私は、誰が何と言おうと、光の姫巫女だってこと?」
「ええ。ここにいること自体がその証明なのだもの。自信を持ちなさい?」
自信を持てと言われても――と陽菜は困惑したようにシルヴィアの瞳を見返した。
陽菜を置いて、周囲だけがどんどん先に進んでいくような感覚。特別なことも何もできないまま自信を持つなど、今の陽菜にはできそうもなかった。
そんな陽菜の思考を感じ取ったのだろうか。シルヴィアは苦笑交じりに陽菜の頭を撫でてから、陽菜の額に人差し指と中指を揃えてとん、と当てた。指先がうっすらと光ったことを陽菜が確認した直後、ゆるゆるとした眠気が陽菜を襲い始める。
「――話はまた今度にしましょう。今は、眠りなさい。陽菜、これだけは忘れないでいて?私はずっと、あなたの味方よ」
霞がかった視界で最後に見たのは、シルヴィアの慈愛に満ちたあの美しい笑顔だった。
シルヴィアはとっても美人な神様です。
客人として迎えられた主人公はこれからどうなっていくのでしょうか?
次回から話を動かしていきたいなーとは思っているのですが……ううむ。
他の男性キャラも早めに出してあげたいところです。
逆ハーレムになるはずなんだけどね!