act.4
(……どうしてこうなったんだろう……)
陽菜は、目の前で着々と進むお茶の用意をただ呆然と眺めていた。
リードの指示で先程廊下で出会った女性と同じメイド服を着込んだ女性がやってきて、ティーセットとお茶請けのクッキーを準備してくれた。リードの話では、彼女らはやはり侍女なのだそうだ。
侍女は一通りの支度をすると、手慣れたようにティーポットからティーカップに紅茶を注ごうとしていたが、彼女がティーポットを持った段階でリードが自ら紅茶を淹れると申し出たため、早々に退室していった。
(あああ、なんかすごく申し訳ないんですけど!でも私本格的なお茶の淹れ方なんて知らないし……あれ、今思ったけどこの人達名前からして外国の人っぽいよね?そして侍女がいるってことはもしかしてお金持ち?でも待てよ、さっき陛下って……)
そんなことをつらつらと考えていると、リードが紅茶を淹れながら口を開いた。
「この紅茶は僕が愛飲している美味しい紅茶なんですよ。味も品質も良いので陛下――ゼイル様もよく召し上がっていますね」
「えっ、そうなんですか!?そんな高級そうなものを私なんかに出してしまっていいんでしょうか?」
「ええ、問題ありませんよ。もっとも、美味しく淹れることができたかはわかりませんけれど――はい、どうぞ」
陽菜の前に、紅茶が注がれたティーカップがことりと置かれる。
陽菜は礼を言うと、ティーカップを持ち上げて紅茶を口に含んだ。
あたたかいものが喉の奥を滑り落ちていく感覚に、陽菜はほっと息をつく。
そのさまを満足気に眺めると、リードも静かに席に着いた。
「いかがですか?」
「とっても美味しいです!寝起きで少し喉が渇いていたので助かりました」
「ふふ、口に合ったなら何よりです。用意したかいがありました」
「……あの、寝起きといえば、上着を貸してくださってありがとうございました。その、お見苦しいものをお見せしてしまって……」
言いながら、陽菜は先程までの自分の格好を思いため息をついた。
あんなもの、とは陽菜が身に纏っている服のことだ。
ネグリジェのようだ、と思ったのは間違いではなかったらしく、リードからそれは夜着であると教えられたのがつい先程の話。そして、夜着のままうろつくのは控えたほうが良いと、上着を貸してくれたのである。
「いいえ、とんでもない。よくお似合いでしたけれど、妙齢の女性がその姿で初対面の異性の前に立ち続けるのは、と思ったものですから。あ、それと。僕と陛下の名誉のために言っておきますが、あなたを着替えさせたのは僕達じゃないですからね?」
「も、もちろんわかってますよ!」
そこまで気が回らなかったが、もしも彼らが着替えさせたのだとしたら恥ずかしさでいっぱいになってしまいそうだ。
けれど、リードの言葉で少しだけ緊張が緩んだ気がする。
それを感じ取ったのか、リードは穏やかな笑みを陽菜に向けた後、静かに手に取ったティーカップに口をつける。
リードは一口、二口と紅茶を飲んでから、ティーカップをソーサーに戻し、陽菜をじっと見据えた。
「陽菜さん」
「はい?」
「――あなたという存在は、僕達にとって本来とても喜ばしいものなのです。けれど、当人が何も知らない、というのはまさに青天の霹靂。なので、急遽説明の場を設けさせていただきました」
真剣な響きを帯びたリードの言葉に、陽菜は背筋をぴんと伸ばす。
どうやらこのおかしな状況について教えてくれるらしい。
緊張に高鳴る胸の鼓動を感じながら、陽菜は大きく頷いた。
「聞かせてください。いったい、何が起こっているんですか?というより、ここはどこなんですか?」
「その質問に答える前に、まずはあなたについて教えてください」
「私……ですか?」
「ええ。あなたは先程“不思議な現象”に巻き込まれたと言っていましたね。簡単にでかまいません。経緯を教えていただきたいのです」
そういえば、そんなことを言ったような気がする。
しかし、経緯といってもいったい何から話せば良いのだろうか。
(いろいろありすぎてなんて説明したらいいかわかんないんだよなあ……)
どうすればいいかわからずリードを見やるも、彼は陽菜の言葉を待っているようで何も言ってはくれなかった。
陽菜は仕方なく、自分の記憶を頼りにゆっくりと話し始める。
自分は大学生で、帰宅途中に謎の光に包まれて意識を失ったこと、目が覚めたら神と名乗る女性に出会ったこと、彼女から光の姫巫女と言われたが陽菜自身には身に覚えのない話であること。それらの話をひとつずつ順を追って進めていく。
うまく説明できているかはわからない。
それでも、リードは陽菜の話が終わるまで根気良く耳を傾けてくれていた。
「――なるほど」
すべての話が終わると、リードは陽菜から視線を外し、考え込むように顎に手を当てた。
「おおよその内容は把握しました。ダイガクセイやニホンなどわからない単語もありましたが、そこはおいおい教えていただくとして」
「……えっ?ちょ、ちょっと待ってください!大学生や日本がわからないって、どういうことなんですか?いくら外国の方でも、日本はわかるでしょう?」
聞き捨てならないことを聞いた気がして、陽菜はリードの言葉を遮るように声を上げた。
話の腰を折るようで悪いのだが、リードは今自分と同じ日本語を喋っているはずだ。こうして意思の疎通ができていることがその証拠である。そうなると、彼が日本を知らないこと自体おかしくなってくる。
嘘や冗談の類なのだろうかと怪訝な表情でリードを見やるも、彼が視線を戻してから見せた真剣な顔つきは冗談を言っているように思えなくて、陽菜は小さく息を呑んだ。
拭い切れなかった不安がじわじわと胸中を埋め尽くしていく。
陽菜はその嫌な感覚に抗いながら、リードの次の言葉を待った。
「……陽菜さん、あなたにこれからお話することは、すべて真実です。嘘偽りは一切ありません」
「……はい」
「少し長くなってしまいますが、聞いていただけますか?」
そうして、リードの口から語られた内容はにわかには信じがたいものだった。
世界の名は、シルスフェリル。
シルスフェリルは五つの大陸で構成されており、そのうちの一つ、シースランディア大陸を支配しているのが、クロスティア王国であった。
そのクロスティア王国を統治するのは、ゼイル・フロイス・クロスティアという青年王。
陛下と呼ばれていた先程の男は、クロスティアの国王だったのである。
ゼイルが国王に即位したのは三年前の出来事であるが、二代前の国王、すなわち彼の祖父を君主に頂いていた時代に、とある予言が行われていたのだという。
――“光の姫巫女”がクロスティアの地に降り立つ、と。
「光の姫巫女とは、神の声を聴き、強大な力を行使できる乙女を指します。古い文献を見るに、光の姫巫女は数百年に一度世界が必要としたときのみ現れるそうです」
僕もはっきりしたことはわかりませんが、とリードは眼鏡を指で押し上げた。
予言が行われてから、クロスティアは光の姫巫女に関する情報を調べ上げたらしい。
その結果見つかったのが、光の姫巫女について詳細に記した一冊の古い書物だったのだそうだ。
書物には、光の姫巫女は異世界の者であり、神と対話ができる唯一の存在なのだと書かれていた。
この世界の人間が持ち得ない漆黒の髪と、瞳。
それらを併せ持つ神の祝福を受けた乙女が、光の姫巫女なのだという。
その特徴以外にも、書物はさまざまなことを語っていたが、彼女がいつどこで現れるのかまでは記されていなかった。
そこで、時の王は予言された事実と彼女の特徴だけを公表し、民に光の姫巫女の存在を根付かせることにした。
公表された内容は瞬く間に国中に広がり、幸せの象徴として語り継がれてきた。
いつか来たる、そのときのために。
「――そして、僕達の前に現れたのがあなたです」
リードは陽菜の目を真っ直ぐに見つめ、そう言った。
「あなたが出会った女性は、この世界を総べる神で間違いないのでしょう。彼女と対話ができたこと、そしてあなたのその漆黒の髪と瞳。……あなたは、光の姫巫女として、この世界に呼ばれたのです」
「っ、そ、んな……何かの間違いじゃないんですか?だって、この髪と目は、日本人なら誰だって持ってるありふれた色なんですよ!?私は頭が良いわけでもないし、特別な力もない。私が光の姫巫女だなんて、そんなこと絶対にありえません!」
陽菜は首を横に振り、リードの言葉を真っ向から否定する。
しかし、リードはさらに続けた。
「絶対……本当に、そう言い切れるのですか?」
「……どういうことですか?」
「光の姫巫女の特徴はもうおわかりですね?先程は敢えてお話ししませんでしたが、光の姫巫女の証は、実はもうひとつだけあるのです」
「え……?」
「やはり、お気付きではなかったようですね――確固たる証明は、既にあなたの元にあるというのに」
言われるままに、陽菜は膝の上に置かれていた両手を持ち上げ、不思議そうに首を傾げた。
手のひらも、手の甲も、特別変わったところはない。
リードは、陽菜に鏡を見てくるよう声をかける。
陽菜は素直に従い、部屋の隅にある大きな鏡へと近寄っていった。
「っ!?」
鏡を覗き込んだ先にあったのは、赤。
薔薇の花に似た形をした、赤い痣のようなものが胸元にくっきりと刻まれていた。
驚いて振り返る陽菜に、リードは小さく頷いてみせる。
「“花の聖印”――そう呼ばれています。それは光の姫巫女の身体に刻まれるという、神の祝福を受けた者の証。それが、最後の証明です」
部屋の中が静寂に包まれる。
あまりの事態に、陽菜は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
(そんな、嘘でしょ?全部は理解しきれてないけど、要するに私は異世界に来てしまったってこと!?そんなことって……)
リードの言葉を否定したくても、目の前の現実がそれを阻む。
自分の身に起こった出来事すべてが夢であるとは、どうしても思えなかった。
「……私、は、帰れるんですか?」
絞り出すような声で、やっとそれだけを口にする。
縋るような視線を受け、リードは静かに目を伏せた。
「残酷なことを言うようですが――残念ながら、僕はその問いに答えられるだけの知識を持ちません。異世界への扉を開く方法を知る者は、誰一人としていないのです」
「そんな!それじゃあ私は……っ!」
帰れないのですか。そう言おうとして、陽菜はそのまま口をつぐんだ。
リードは嘘偽りは言わないと前置きしていた。
それを信じるならば、返ってくる答えは言わずともわかる。
リードは黙り込んでしまった陽菜をしばし見つめていたが、やがて無言で椅子を引き、立ち上がる。
そして、悄然と立ち尽くす陽菜の傍まで歩み寄っていき、俯く陽菜の頭にぽんと手を置いた。
「今は受け入れられないかもしれません。しかし、これだけは知っておいてください。僕も陛下も、あなたの敵にはなりません。何があっても、僕達はあなたを全力で守るでしょう」
頭から重みが消え、顔を上げた陽菜の瞳に映ったのは、リードのやわらかな微笑み。
彼は退室の意を告げると、陽菜の横を擦り抜けて去っていく。
ゆっくり休んでください、という言葉を残して。
陽菜は、ただ黙って彼の背を見送ることしかできなかった。
久々の更新です!いかがでしたでしょうか?
今回は説明が中心でしたが、主人公は異世界トリップの事実を受け止めきれずにいますね。
彼女には早く元気になってほしいところです。