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1.赤い竜と黒い印

1、赤い竜と黒い印


「竜だ! 早く室内に隠れろ!」

そう叫ぶ声が響いた瞬間、一つの大きな影が街を覆い尽くす。

空を見上げると、巨大な真紅の竜が荒れ狂うように飛び回っていた。

紅の翼は荒々しい凹凸が深く刻まれ、重く鋭い漆黒の爪が、鎌のように光る。

竜の燃え盛る炎のような瞳は焦点が定まらず、まるで何かに怯えているようだった。

 商人も、買い物帰りの母親も、衛兵でさえ恐怖に顔を引きつらせながら、慌てて室内に逃げ込む。――ただ、天空を涼しい顔で睨み見据える、二人の少女を除いて。


* * *


大人びた気配を纏う少女が二人、悠々と街の近くにある丘に向かって歩いた。

茶色い質素な旅装を着た少女は、赤茶色の髪をなびかせながら礼を言う。

「見晴らしのいい場所があって良かった。教えてくれて、ありがとね」

平坦で、ゆっくりとした口調だった。彼女の目は、秋の夕日にほんの少し茶色を混ぜたような色をしている。肩から掛けた小さな鞄からは、独特の香りを放つ薬草と、片手に収まる大きさの小刀が覗いていた。

その隣に、薄いコートを羽織った短髪の少女が立っていた。コートの袖からちらりと顔を出す少女の手には、所々、小さな火傷の跡が見える。彼女は、旅装を着た少女の暖かい目に、視線を向けて頷いた。

「どういたしまして! この街に住んでて良かったよ。高等科の卒業式ぶりに、貴方と会えたんだ

から!」

 明るい笑みを浮かべた短髪の少女は、快活そうな優しい目をしている。焦茶色で、肩に届かないくらいの短い髪が、風に煽られて控えめに揺れた。

彼女は、少し時間を空けて言葉を続けた。

「それにしても、バラックに突然竜が現れるなんてね……まぁ、アンリーがいるから安心だけど」

 バラックはカイン王国王都の、南にある街だ。

カイン王国付近の森には、多くの魔獣が住んでいる。魔獣が森を出て、人を襲うこともある。特に、竜が与える被害は大きい。時には、街一つが壊滅してしまう事もある。

「あれは、東側の森に住んでる赤竜だ。一匹だけで飛んでるなんて、珍しい。竜は普通、四、五匹の群れで行動するはずなのに」

旅装を着た赤茶色の髪を持つ少女アンリーが、不思議そうに竜を見つめる。少し経ってから彼女は、くちをつぐんで重々しい表情を浮かべた。竜の足元に、霧のようなモヤがかかった黒い菱形が二つ見えた。

「呪印だ……あの竜、呪われてる」

 落ち着いた声で、アンリーが呟いた。

 生き物の負の感情が最大限に達した時に生まれる呪印。それが二つ、濃く浮かんでいる。

「えっ、呪い⁉︎ それ本当?」

短髪の少女が、目を丸くする。

「うん。警戒心の強い赤竜が、街の上を一匹で飛ぶなんて不自然。きっと、呪いのせいだ」

 アンリーは飛んでいる竜の、激しく脈打つ右足を指差した。

「それに、竜の足元にあるあの菱形。あれは、呪い特有の呪印だ……とにかく、早く落ち着かせないと。人と街に被害が出たら困る。シーラ、後ろに下がってて」

 シーラと呼ばれた短髪の少女が軽く頷き、近くにあった大きな木に身を隠す。

彼女が退いたのを確認したアンリーは、肩に掛けていた鞄の奥から顔の長さ程の短い杖を取り出した。

彼女はその杖を軽く持ち、真剣な目で魔術の詠唱を始めた。

古の言葉が静かに、だが確かな魔力を帯びて紡がれていく。

――グオォォォオオン!

 竜が突然、威嚇するように大きく唸る。すると、鋭い深紅の瞳で街を睨んだ。

「竜が!」

木の陰で様子を伺っていたシーラが、咄嗟に声を張り上げた。

街に向かって大きく開かれた嘴の奥で、爛々と燃え盛る巨大な炎の塊が作られる。火を吹いて、街を攻撃するつもりなのだろう。

同時に、アンリーが魔術の詠唱を終えて杖を軽く振る。

――轟け!

アンリーの声が丘に響いた。

彼女の魔術が竜の鼓膜を揺さぶった瞬間、竜は胸の底を震わせるような声で鳴き叫んだ。

口の中で作られた炎の塊は、爆ぜるように散り、灰になって消えていく。

そして、竜の体が傾いた。その瞬間、街の中心に落下――するはずだった。

しかし、周囲の風が一斉に渦巻き、竜の体を包み込む。その巨体は圧倒的な威厳を放ちながら、柔らかい風に運ばれて少女たちの足元へ静かに倒れ込んだ。

「攻撃してないのに……どうやって倒したの?」

 シーラが不思議そうに呟くと、アンリーは軽い口調で答えた。

「赤竜にだけ届く位置に爆音を流して、落ちないように風の魔術で運んだだけ。竜は、鼓膜が強いから、耳が壊れる心配もないし」

 その説明を聞いて、シーラの黒い瞳が宝石のように輝いた。

「やっぱり、すごいね! アンリーの魔術は……そんな事までできちゃうなんて。ねぇ、アンリー。貴方は、やっぱり魔法師団に入るべきだよ」

 鍛治職人の家系に生まれたシーラは、魔術には詳しくないものの、アンリーが軽々と使った魔術が、どれほどすごいものかはすぐに分かった。

アンリーは苦笑をうかべ、杖を鞄にしまう代わりに、歪な形の薬草と小さなすり鉢を取り出した。

薬草をすり鉢に入れ、落ちていた小石でそれをすり潰しながらアンリーが口を開いた。

「それ、去年アスカーン先生にも言われたよ。『魔法師団に入れる年齢になったら、私が推薦する』って」

 アンリーは、学生時代に世話になった渋い声をした老教師の真似をして見せた。

「アスカーン先生に推薦して貰えるなんて凄いじゃん!」

 より一層光が入った目で、シーラが言った。

 アスカーンは、シーラとアンリーが高等科を卒業した年の担任だ。そして彼は、この国でもよく知られた魔術研究者でもある。

「魔法師団って、入れるの二十歳からだっけ……アンリーが入団できるの半年後でしょ?入るの?」

 アンリーは視線を遠くへ逸らし、薬草をすり潰す手に力を入れた。

「ううん、入らないよ。先生の提案も断っちゃった」

 短髪の少女が、残念そうな顔をしたが、アンリーは言葉を続けた。

「それに、魔獣の討伐するのは私に向いてない」

「そっか、アンリーは魔獣医になるんだもんね」

 シーラが微笑み、アンリーが軽く頷く。

「うん、魔獣を助けるのが私の望みだから……」

 アンリーは、すり潰した薬草を竜の口にゆっくりと嚥下し、言葉を付け足す。

「そろそろ暗くなってきたから、君は家に帰って。わたしは、竜への処置と報告をするから」

 街に現れた魔獣への処置をした時は必ず、対応したものの名前と共に役所へ報告する必要がある。

「わかった、気をつけてね。また明日」

「うん。また明日ね、シーラ」

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