山
登山家の陽介さんは、南アルプスの未踏ルートを単独で登っていた。
標高3000メートル、踏み跡も消えかけた尾根を進むうち、異常が起こった。
GPSがほんの数秒、信号を失ったのだ。
ただの誤作動だと自分に言い聞かせ、前に進んだ。
突然、周囲が不自然なほど静まり返った。風の音すらしない。
まるで音を“吸い込む”空間にいるようだった。
彼はふと、足元に奇妙な模様が刻まれた岩を見つける。触れた瞬間――
背後から「カシャッ」と、古いカメラのシャッターのような音が響いた。
当然、振り返っても誰もいない。
気になって、ザックからカメラを取り出すと、いつのまにか電源が入っている。
画面には、上空からこの山を撮影したような画像が表示されていた。
スワイプすると、記録用の画像のなかに覚えのない山の風景が次々に現れる。
陽介さんは震える指で、それらをめくり続けた。
最後の一枚。
山の稜線の奥に、十数体の人影が並んでいた。
どれも顔をこちらに向けているが、等身大ではない。
異様に背が高く、輪郭は“溶けかけた人間”のように曖昧だった。
陽介さんは叫びそうになるのをこらえ、転げるように尾根を下った。
その夜、無事に下山してから恐る恐るカメラのデータを確認した。
彼の撮影した画像は一枚も残っていなかった。
代わりに、山道を下る自分の背中が、十数枚、異なる角度で写っていた。