心霊スポット
この話は岐阜県の大学に通っていた直樹さん(仮名)から聞いたものだ。
岐阜県の山間部、長良川のある支流沿いに、古びた祠がひっそりと建っている。
「赤い女の祠」と呼ばれ、地元では都市伝説として語り継がれているという。
噂によれば、「祠の前にある石を持ち帰ると、夢に赤い着物の女が現れて災いを告げる」らしく、今では地元の人々も近づこうとしない。
直樹さんはその噂をもとに、友人たちと検証動画を撮るつもりで祠を訪れた。
夜の川辺は異様に静かで、祠の前に立った瞬間、空気が妙に重たく感じたという。
直樹さんは祠の石のひとつを、軽い気持ちでポケットに入れた。
その夜から夢は始まった。彼の話によれば、赤い着物をまとった女が川の底から
こちらを見上げていたそうだ。顔はぼやけ、口元がわずかに動いていた。
翌朝、友人のひとりが川で溺れて亡くなったという連絡が入った。直樹さんたちと別れた直後だった。
葬儀を終えた後、例の石が消えていることに気づいたという。
直樹さんはすぐにまわりを探したが、石はどこにも見つからなかった。
ポケットの中に入れていたはずなのに――。
その夜、再び夢に女が現れ、静かにこう言った――「あと二人」。
直樹さんは眠ること自体を恐れ始めた。
だがどうあがいても、眠りは訪れる。
夢の中、女は声を発せず、川辺に立ち、背後に二つの影を従えていたという。
そのうちのひとつが、友人の姿に見えた。
次の日、もう一人の友人が帰宅していないことがわかり、警察が捜索を開始。
だが、川沿いで足跡が途切れていた以外には、手がかりはなかった。
直樹さんは大学の図書館で、過去の水難事故に関する郷土資料を探した。
その中に、次のような記録をみつけた。
昭和十一年九月
川辺ニテ女子一名水死
身元不明、赤布ニ巻キ祠ニ納ム
村役人ニヨリ「祠ノ石ハ三ツノミ」ト定ム
この「三」という数字に、直樹さんは凍りついたという。
自分が持ち帰った石は一つ。
女の言葉「あと二人」が、石の数を示していたのか――あるいは犠牲の定数だったのか。
直樹さんは焦燥の中、自分の部屋を隅々まで探した。
机の引き出し、着ていた服のポケット、洗濯物の中、通学に使う鞄の底――それまで何度も石を触れていた記憶があるのに、どこにも見当たらなかった。
彼は思い当たる場所すべてを巡った。通った道、葬儀に向かった時のバス停、
大学の机の周り――「どこかに落としたはず」と自分に言い聞かせながら。
だが、石はどこにもなかった。まるで最初から存在しなかったかのように。
それから数日。大学近くの川筋で水位が急上昇し、濁流が橋を押し流した。
キャンパスの一部が浸水し、学生寮では複数の部屋が使用不能になった。消防による避難誘導が深夜にかけて行われた。
同時期、学内でも原因不明の停電や通信障害が連発した。
地元紙は「水源からの異常な電流が流入した可能性」を報じた。
直樹さんは大学を休学し、間もなく岐阜を離れた。引っ越し先も明かさず、友人たちには簡単なメッセージだけ残した。
祠のある場所は、今も地図に載っている。
与えたテーマが心霊スポットだったので、タイトルを修正しました