遺品整理3
鍵の回る音がやけに乾いて響いた。
夕焼けが色を失いはじめ、薄暗い光の境目が床を撫でる。
蓮は玄関のドアを静かに閉め、部屋の空気に足を踏み入れた。
すぐに違和感が背中を這った。
空気が鈍く、皮膚に貼りつく。
台所の棚——そこに湯呑みがあった。
淡青磁。丸みのある胴。
縁の欠けた部分に、微かな茶渋が滲んでいる。
祖母が最後まで手放さなかった湯呑みだった。
蓮は即座に動きを止めた。
靴跡、窓の鍵、扉の枠——誰かが侵入した形跡はない。
——それを持ち出したのは、祖母が亡くなった夜のこと。
「これはね、高くていいものなのよ。私が死んだら、蓮ちゃんにあげるね」
棚の片隅で、一つだけ箱に入っていないそれを見つけたとき、迷いは一瞬だった。
行き慣れない路線を乗り継ぎ、家から遠く離れた骨董屋の前に立ったとき、汗が襟元に滲んでいた。
値段は思ったより高かった。
安堵と、喉の奥に残る引っかかりが混ざった。
それでも、金だけは確かに受け取った。
居間。畳の縁に白木の箱が置かれている。
中には錫の酒器。柔らかい布に包まれている。
——あれは、寝たきり老人の部屋だった。
週に数度、何人かの学生がボランティアとして通っていた。
排泄介助と配膳と簡単な清掃。
そのうち、部屋の片づけを任され、誰も手をつけない棚の中から「使われていなさそうな一点」を選んだ。
「錫の肌、いいですね」と店員が言った時、
蓮は「たまたまです」とだけ答えた。
何が“たまたま”だったのか、すぐに忘れた。
今、その酒器もまた戻ってきている。
蓮の部屋に、音もなく。
そして、テーブルの上。
ラップの端がわずかに浮いている。
茶色の塊。輪郭は曖昧で、空気が鼻を刺す。
——腐敗。酸味。
文恵の台所にあった“総菜”。
液体は底に沈殿し、ラップには白い靄が滲む。
蓮は目を逸らした。
冷蔵庫の側面で、何かがきしんだ。
蓮はゆっくりと距離を取る。
部屋が、過去に染まり始めている。