遺品整理2
朝。
蓮は天井を見上げて、しばらく動かなかった。
昨日できた黒ずんだ染みは、夜のうちに広がっていた。
縁がぼんやりと丸く膨らみ、中心には灰色の影が浮いている。
布団の中で息を潜めながら、それが“顔の輪郭”に見えることには気づいていた。
ただ、それを認めるつもりはなかった。
エアコンは止まっていて、部屋の空気はひどく重たい。
古びたアパートの壁紙は水分を吸って端が浮き始め、剥がれかけた接着剤の匂いがじわじわと部屋に染みていく。
たまらず窓を開けても、湿りを含んだ気配が呼吸に絡みついて離れなかった。
起き上がって台所へ向かう。
足元がぬるつき、スリッパの裏に水跡がついた。
食事を簡単に済ませて、棚の隅にある硝子細工へ目を向ける。
蓮は布を持ち上げ、硝子の中の顔に目を落とした。
昨日は、泣いているように見えた。
その前は、無表情だった気がする。
今朝は、微かに——笑っているような気がした。
そもそも、最初に見たときの表情を正確に覚えていたかも怪しい。
自分に言い聞かせながら、鞄を手に取った。
仕事は入っていない。ただ部屋で過ごす気にはならなかっただけだ。
坂道の途中で足を止める。
空気の重さは部屋と変わらなかった。むしろ外の方が濃いようにさえ感じる。湿気は視界にまで染み込み、遠くの建物がぼんやりと滲んでいた。
蓮は首を傾けてそれを見つめた。壁だったのか窓だったのか曖昧になっている建物のひとかたまり。その影の中に、人の顔が混ざっているような気がした。ガラス越しの視線が、自分を見張っている。
気のせいだと思いながらも、足はなかなか前に出なかった。
道沿いに、雑草に埋もれた放置自転車や、錆びた水道管が斜めに突き出していて、どこかあのアパートの中に続いているような気がした。静かなはずの街路に、じっと息を潜めるような音があった。
蓮は鞄を握り直し、進み始める。