9.竜騎士団長アベル
竜騎士団長アベル・ベレスフォード。
光の竜王に選ばれた歴代のパートナーの中でも一番年若く、竜騎士団からではなく外部から選ばれた唯一の人物だった。
アベルは伯爵家の長男だった。幼少期から厳しい教育を施され、一切の自由を許されなかった。
そんな中、剣術の稽古の時間だけがアベルの日々の息抜きの時間だった。
十歳の頃、初めて光の竜王であるキアラと会ったときの感動を、アベルは忘れたことはない。
―――それは、寒さの残る夕暮れ時、白い息を吐きながら剣を振るっていたときだった。
「……あれは何だ?」
最初にただならぬ気配に気付いたのは、剣の稽古をしてくれていた護衛騎士だった。騎士の視線の先を追うようにして空を見上げたアベルは、銀の雪のように舞い降りる竜を見つけたのだ。
「……まさか……光の竜王キアラさまか!?」
「あれが……光の竜王?」
きれいだ、とアベルはポツリと呟いた。
白銀の鱗に覆われた体に、金色に輝く双眸。光の大陸を護る、光の竜たちの女王―――。
光の竜王キアラは、驚くほど静かにアベルの前に降り立った。翼の羽ばたきで起きた風が、アベルの紺の髪を攫う。
初めて間近で見た大きな竜から目を逸らせずにいると、キアラがアベルに向かって頭を低く下げた。―――それは、竜王がパートナーとして選んだ相手に見せる行動だった。
「驚いた。キアラ……君はベレスフォード公爵のご子息をパートナーに選んだのか」
背後から現れたのは、当時の竜騎士団副団長と、数名の竜騎士たちだった。その後ろからアベルの両親が血相を変えて駆け寄ってくる。
「何の騒ぎだ!?……こ、これは……!」
「光の竜王さま……?まさか、アベルが……!?」
両親はアベルの前で頭を下げるキアラを見て足を止め、説明を求めるように竜騎士団の人間を睨んだ。
「どういうことだ!まさか私の息子が竜騎士団長になるわけではないだろうな!?」
「……そのまさかになりそうですね。公爵のご子息は、光の竜王のパートナーに選ばれたのです」
「ふざけるな!アベルはまだ竜の背中に乗って戦える年齢ではない!それに次期公爵としての教育がっ……」
「―――ベレスフォード公爵。光の竜王に選ばれるのは、ルトアーナ帝国で最も名誉あることですよ」
副団長は笑顔でアベルの父親の言葉を遮った。大人たちのやり取りよりも、アベルの意識は目の前のキアラへと持っていかれてしまう。
頭を下げ続けているキアラヘゆっくりと近付くと、アベルはそっと片手を伸ばした。
「……キアラ?」
頭にそっと触れると、ゴツゴツとした感触が手のひらに伝わった。名前を呼ばれたキアラは嬉しそうに喉を鳴らしている。
「本当に……俺をパートナーに?」
アベルはキアラだけに聞こえるように、そっと問い掛けた。
竜騎士団長は、光の竜王に選ばれる。戦いや事故で団長が命を落とせば、竜王がまた新しいパートナーを選ぶ。
そのことをアベルは知識として知ってはいたが、竜騎士団長とは竜騎士団にいる者の中から選ばれると思っていた。
だからこそ、アベルは嬉しかった。公爵家という、生まれたときから用意されていた窮屈な箱の中から抜け出せる道を、キアラが与えてくれたのだから。
キアラはスッと顔を上げ、金色の瞳でじっとアベルを見据えた。そして小さく頷くと、甘えるように鼻先を擦り付けて来る。
アベルは自然と笑みが零れた。
「……とにかく、ご子息は我々竜騎士団が預からせていただきます。年若いことは確かですので、副団長の私が可能だと判断するまでは団長の座を渡すことはしませんので、ご安心ください」
竜騎士団の副団長と両親の会話が、アベルの耳に再び届く。
父親がアベルを引き渡すことを拒否しているようだ。
「ふざけるな!私は認めないぞ!アベルを育てるために、一体いくら注ぎ込んだと思ってる!?」
「……話が通じませんね」
「な、何だと!?」
肩を竦めた副団長が、ふとアベルへと視線を向けた。直接言葉を掛けられたわけではないのに、その目が「どうしたい?」と問い掛けているように思えた。
アベルはすぐに、キアラと共に歩む道を選択する。
「―――父さん、母さん。俺は竜騎士団へ行きます」
両親の絶望した表情を見ても、アベルの心は痛まなかった。ようやくこの公爵家から抜け出せるという、安堵の気持ちの方が大きかった。
けれど、両親の過度な期待と執着心は、公爵邸を立ち去る瞬間までアベルにつきまとっていた。
「アベル……私たちは絶対に、お前を取り戻すぞ……」
その呪いの言葉は、アベルの消えない背中の傷に今でも絡みついている。
竜騎士団へ入団したアベルは、副団長の元で剣術を学び、同時にキアラとの絆を深めていった。
団員たちは皆が優しく、アベルに竜のことを詳しく教えてくれた。アベルは毎日を楽しく過ごし、十六歳という異例の若さで竜騎士団の団長に就任した。
それでも、国民たちから不安や不満の声が上がらなかったのは、皆が光の竜王に絶大な信頼を寄せていたからだ。
歴代の竜騎士団長たちは、それぞれが竜王と共に偉業を成し遂げている。自分を選んでくれたキアラのためにも、アベルは立派な竜騎士団長になると強く決心した。
アベルが二十になる頃、副団長が腕を負傷し戦えなくなり、その座をノクトへ譲った。ノクトはアベルにとって初めての友人だった。
両親の呪いの言葉は、いつもアベルの頭の片隅にあった。それでも、直接何かをされるわけでもなく、連絡もほとんど取っていない。
やがてアベルは次期公爵の座を弟に譲ることにしたのだと考えるようになった。
居心地の良い竜騎士団。アベルはずっとここでキアラの背に乗って悪しき竜と戦い、ルトアーナ帝国を護っていくのだと、本気でそう思っていた。
―――キアラがいなくなったあの日まで、ずっと。
「……ル、……アベル!」
肩を揺さぶられ、アベルはハッと目を覚ました。
副団長のノクトが、呆れた顔でアベルを睨んでいる。団長室のソファで横たわったまま寝てしまっていたようだ。
「寝るのはいいけど、ちゃんとベッドで寝ろよ。また倒れるぞ」
「……大丈夫だ。それよりグランヴィルを貸してくれ」
「また一人でキアラ探しか?じきに暗くなるから止めとけって」
「暗くなる?」
アベルはパッと視線を窓の外へ向けた。ノクトの言う通り夕焼け色の空が見え、どうやら長い間眠ってしまっていたことが分かった。
思わず舌打ちをしてから、再度体をソファに沈める。
「最悪だ……時間を無駄にした」
「あのなぁ……今のお前には休息が一番必要だぞ?仕事してるかキアラ探してるかで、見てるこっちが苦しくなる」
ノクトがそう言ってソファの背にもたれてくる。茶色の癖毛を眺めながら、アベルはため息を吐き出した。
「……一番苦しんでるのはキアラだ。誰にも見つけてもらえず、ずっと独りで……」
一か月以上前、突如現れた闇の竜王から致命傷を受けたキアラは、どこかへ飛び去って行ってしまった。
毎日亡骸を探し回っているが一向に見つからず、アベルは未だに心の整理ができないでいる。
(別れを告げられない悲しみと……もしかしたらどこかで生きているんじゃないかという期待が、ずっとぶつかり合ってるんだよな……)
竜王の死は、歴史上一度も無かったわけではない。
他の竜は命を失えばそこで終わってしまうが、竜王は違う。新たな竜王として必ずその大陸で生まれ変わるのだ。
そしてその新たな竜王は、また新たなパートナーを……竜騎士団長となる器を選ぶ。
つまり、キアラの命が本当に失われてしまったならば、この光の大陸のどこかで新たな竜王として生まれ変わっている。
そして―――アベルがまたパートナーとして選ばれる可能性があるかどうかは、誰にも分からないということだ。
(新たな竜王から選ばれなければ……俺は竜騎士団長ではなくなる。ただの竜騎士団員となった俺を、両親は連れ戻そうとするんだろうか)
どんどん暗くなっていく思考の片隅で、やけに鮮明に残っている声が響いた。
あろうことか、キアラの名を騙る腹立たしい少女の声が。
―――『私はっ……、キアラよ……!!』
キアラに似た黄金色の瞳を思い出し、アベルは不快感から思いきり眉を寄せた。
そのとき、ノクトがやけに明るい声で話し出す。
「キアラと言えばさ!門のところでお前を怒らせた令嬢のことなんだけどさ!」
「……あ゛?」
アベルのドス黒い声と歪んだ表情に、ノクトは場違いな笑顔で固まるのだった。