8.《光彩の乙女》②
「―――君が、《光彩の乙女》?」
ノクトにそう問われたルーシャは、最初何を言われているのかよく分からなかった。
《光彩の乙女》は、ルトアーナ帝国の各大陸に存在する五体の竜王を統べることのできる存在だ。
ルーシャの体には、そのうちの一体である光の竜王キアラの魂が入っている。
「ち……違うわ!どうしてそんな結論に!?」
「だって君は、竜と会話が出来るんだろ?それに、竜たちがこんなに懐いてる……!」
「それはっ……!」
うっかりと「私はキアラだから」と説明しそうになり、ルーシャはぐっと口をつぐむ。ここでキアラの名前を出せば、またあの時と同じ空気になってしまう。
ルーシャはどこか期待に満ちたノクトの眼差しから目を逸らしながら、必死に言い訳を考えた。
「それは、それは……竜のことをたくさん勉強したから!何となくこんなことを言ってるんじゃないかな〜?って分かるのよ、うん」
「……何となく?雰囲気で、ってこと?」
「そうよ!」
「……竜の言葉が分かるわけじゃなく?」
「も、勿論!分かるわけないでしょ?」
大げさに笑ってみせると、グランヴィルが『演技ヘタクソだな、キアラ』とボソリと呟いた。
(……弱点の鱗の隙間をくすぐってあげようかしら。それより、ノクトの疑いは逸らせた……?)
ちらりとノクトを見れば、脱力したように床に座り込んでいた。ルーシャは慌てて駆け寄る。
「どうしたの?立ち眩み?」
「いや……君が《光彩の乙女》だったらどうしようかと……」
「……なかなか失礼じゃない?」
闇の竜王が現れた今、皇帝や竜騎士団は一刻も早く《光彩の乙女》を見つけ出したいだろう。
それなのにノクトは、ルーシャにその可能性を見出しておきながら、違うと分かれば『君じゃなくて良かった』と遠回しに言ったのだ。
ルーシャの非難めいた口調に、ノクトは頭をガリガリと掻く。
「確かにその通りだ、ごめん。動揺からつい本音が」
「わざと言ってるの?」
思わず睨んでしまったルーシャに、ノクトが声を出して笑う。それは繕った笑顔ではなく、ルーシャが良く知る無邪気な笑顔だった。
「本当にごめん、ルーシャ嬢。竜たちの……グランヴィルの態度を見る限り、君は脅威の無い存在なんだろうね」
それでも、と言ってノクトが少しだけ申し訳なさそうに続ける。
「君に対するアベルの……竜騎士団長の評価はきっと最悪だ。団長を認めさせない限り、君の出入りは許されないだろう」
「……そう、ね……」
最後に見たアベルの表情を思い出し、ルーシャの心はまたぐりぐりと抉られる。さらにそこへ、グランヴィルや他の竜たちの『アベルのパートナーだったくせに』という冷ややかな視線が突き刺さる。
ルーシャが胸元をぐっと握りしめると、ノクトが分かりやすく眉を下げた。
「……病弱で、またいつ倒れるか分からないんだもんなぁ…。何とかしてあげたい気持ちはあるけど……」
『何?キアラ、その人間は病弱なのか?』
『もう会えないの?そんなの嫌よ!』
『キアラは僕たちの女王さまなのに〜!何とかしてよノクト!グランヴィル〜!』
竜たちが一斉に騒ぎ出し、ルーシャのドレスを咥えて引っ張ったり、甘えるように顔を擦り付けたりした。
グランヴィルはパートナーであるノクトへ首を伸ばし、じっと視線を送る。
「グラン……君は彼女が竜騎士団にとって必要な存在だと、そう言いたいのか?」
『……そうだ』
グランヴィルの言葉は、ノクトの耳には竜の唸り声となって届いただろう。それでもパートナーとして通じ合っているからか、ノクトは「そっか」と言って苦笑した。
「ルーシャ嬢、君の夢は一旦俺に預けてくれない?」
「えっ?」
「俺が竜騎士団長に掛け合ってみるよ」
突然の申し出に、ルーシャは喜びよりも戸惑いが勝ってしまった。ほんの数十分前までは、あんなに鬱陶しそうにルーシャを見ていたのに。
「……どうして急に?私は《光彩の乙女》でもないのに……」
「君が言ってたでしょ。竜の背中に乗るには信頼関係が大事、って」
ノクトの紫の瞳が、グランヴィルから他の竜たちへと順に向く。竜騎士たちがそれぞれパートナーの竜に見せる、優しい眼差しだ。
「俺の信頼している竜が、君を信頼している。理由なんて、それだけで充分だ」
「……っ、ノクト……!」
ルーシャはがばっと勢いよくノクトに抱きついた。体が強張ったような気がするが、お構い無しにぎゅうぎゅうと抱きしめる。
(竜のみんなを信頼してくれてるのが嬉しい……!それに人間ってすごい!両手で力いっぱい抱きしめて感謝を伝えることができるんだもの……!)
ルーシャが感激している間、ノクトはその細腕から離れようと必死だった。
「ちょっ、ルーシャ嬢!?淑女がむやみに男に抱きつくんじゃありませんっ!」
「だって嬉しいのよ、ノクト!どうしてこんなに優しいあなたがモテないのかしら?」
「え、どうして俺がモテたいこと知って……?」
『おいキアラ、そのくらいにしておけ。今アベルがこの場に来たら修羅場になるぞ』
グランヴィルのため息と共に聞こえた言葉に、ルーシャはパッとノクトから体を離した。
(そうよ。私の本来の目的はアベルと話すことなんだから……!)
ルーシャは姿勢を正すと、ノクトに向かって深々と頭を下げる。
「……どうか、私の夢のために力添えをお願いします」
「最善を尽くすよ。それより君、オールディス伯爵家の令嬢でしょ?結果は伯爵邸に手紙を送れば良い?」
「あ……、伯爵邸のエドナ宛でお願いしても平気?」
「エドナ?誰?」
「……私の侍女よ」
エドナ宛にしてもらうのは、万が一両親に手紙を見られた時のための対策だ。
無能な娘の手紙を破り捨てることはあっても、家に仕える有能な侍女の手紙を破り捨てることはないだろう。
ノクトは一瞬不審そうな顔をしたが、それ以上何も訊かずに頷いてくれた。
「分かった、なるべく早く手紙を送るよ。今君の家の御者を呼ぶから、ここで待ってて」
「え?ノクトにそこまでしてもらうわけにはいかないわ。私が自分で歩いて……」
「待ってて。気付いてないなら言うけど、顔が青白くなってるから。そのうち倒れるよ」
―――最近のアベルと同じように。
ノクトが呟いた小さな言葉を、ルーシャの耳は拾ってしまった。
駆けるように宿舎を出て行くノクトの背中を見送ってから、ルーシャはふらりと後ろに倒れる。
『……キアラ』
「グランヴィル……ごめんね、ありがとう」
『気にするな』
ルーシャの体はグランヴィルの尻尾で支えられ、倒れ込むことはなかった。それでも、心に痛みが走る。
そのまま体重を預けながら、ルーシャはぼうっと無機質な天井を見上げた。
「……アベルは、どこかケガしたの……?」
『いや……疲労が溜まっているんだろう』
「……そう……」
冷たい瞳をしたアベルの顔を思い出すと、その瞳の下には、確かに隈ができていた。
(私の存在が、アベルの大きな負担になっていなければいいんだけど―――…)
そう思いながら、ルーシャは静かに涙を流していた。
それから程なくして戻って来たノクトに付き添われ、ルーシャは竜騎士団をあとにした。
竜騎士団の馬車の待機場所でずっと待ってくれていた御者は、何も言わずに馬車を走らせる。
行儀悪くも長椅子に横になったルーシャは、相変わらずの馬車の遅さに早くもうんざりし始めていた。
(……早く竜の背中に乗って移動したいわ。ああ、気持ち悪い。帰ったらエドナに今日のことを報告して、もっと体力をつけられるように運動をして……)
緊張から解き放たれたからか、疲れと眠気が一気にルーシャを襲った。瞼はだんだんと重くなり、それに逆らえないルーシャはやがて眠りに落ちていく。
深い眠りの中で、ルーシャは繰り返し夢を見ていた。それは、闇の竜王の攻撃で体を貫かれたあの光景だった。
全身を蝕む闇の力。体が軋むほどの耐え難い痛み。それらを鮮明に思い出し、ルーシャは眠りながらも呻き声を上げる。
そして不意に、闇の竜王の言葉が蘇った。
―――『さらばだ、光の竜王よ』
ドスン、と鈍い音と共にルーシャの体が長椅子から落下した。その衝撃で目を覚ましたルーシャは、夢で感じた疑問をそのまま口にする。
「……どうして闇の竜王は、私を狙ったの?」
その疑問に答えたのは、馬車の車輪がガラガラと地面を踏みしめる音だけだった。