6.竜騎士団②
夜空のような深い紺の髪に、夜空に散らばる星のように輝く銀の瞳。
その左目の下にある黒子が見える位置にまで、アベルが近付いて来る。
(アベル……アベルだわ……!)
ルーシャは感激のあまり体が震え、涙が勝手に零れ出す。二人の門番はぎょっと目を見開き、顔を見合わせていた。
アベルは騎士団員と何か会話をしているようだが、さすがに話し声までは耳に入って来ない。そこでルーシャは気付いた。
今の自分は、竜ではなく人間なのだと。そして―――人間同士は会話が出来るのだと。
ルーシャは深く息を吸い込むと、ありったけの大声で叫ぶように名前を呼ぶ。
「アベル―――!!」
どうか届けと、こっちに気付いてほしいと、そう願いを込めて呼んだ名前に、アベルが反応した。
銀の瞳が門へと向けられ、ルーシャは涙に濡れた顔のまま叫び続けた。
「アベル!アベルッ……!アベ……」
「こら、静かにしろ!」
「アベル団長を呼び捨てにするなんて、君は何を考えているんだ!?」
慌てた門番に口を塞がれ、ルーシャは門の鉄格子を掴んで揺する。すると、今度は両手を無理やり引き剥がされた。
じたばたと暴れるルーシャを、門番がなんとか宥めようとしている時だった。
「―――何事だ?」
艶のある声が響き、ルーシャはピタリと動きを止めた。
門を挟んだ反対側に、アベルが立っている。
「アベル団長、お疲れさまです!お騒がせしてすみません!」
「この少女がどうしても竜騎士団本部へ入りたいと、駄々をこねておりまして……!」
門番がアベルに向かって頭を下げた。ルーシャは門番の力が緩んだ瞬間に抜け出すと、再び鉄格子を掴んでアベルを真正面から見据える。
普通に立っていても見上げる身長差のある自分が、とても不思議な生き物に思えた。
「ア……アベル……」
「……確かに俺はアベルだが、君は誰だ?会ったことはないだろ?」
不審そうに眉を寄せたアベルの口から発せられた言葉が、ルーシャの心を抉った。そして気付けば勝手に、震える唇が動いていた。
「……私は…ラ……、」
「ん?」
「私はっ……、キアラよ……!!」
―――その瞬間、空気が凍った。
感情を殺した冷たい銀の瞳が、不快なモノを見るようにルーシャを射抜いたあと、スッと逸らされる。
そのまま背を向けて立ち去っていくアベルの背中に、ルーシャは声を掛けられなかった。明らかな拒絶の反応に、心が引き裂かれていく。
アベルが遠ざかってようやく、凍りついていた空気が少し和らいだ。
門番が遠慮がちに声を掛けてくる。
「……ほら、早く帰りなさい。アベル団長に罰せられなかっただけでも幸運だと思うんだ」
「そうだぞ。もう無謀な思いつきでここへ来るんじゃない」
「…………」
それでもルーシャは鉄格子から手を離さなかった。ここで引き下がればもう二度と会えなくなってしまうと、そんな予感がしたからだ。
竜たちは竜騎士に連れられ、宿舎へ連れられて行く。彼らの嫌悪の視線がルーシャに向けられていた。
そんな中、一人の竜騎士がルーシャに向かって歩いて来る。
「お嬢さん、名前は?」
にこりと微笑んだ男性を、ルーシャは知っていた。
セットに時間がかかると言っていた茶髪の癖毛に、微笑んではいるが一切笑っていない紫の瞳。
竜騎士団の副団長ノクトは、アベルの右腕と呼べる存在だ。
「私は……ルーシャ……」
「ルーシャ嬢。家名は?」
ルーシャは家名を名乗るのを躊躇った。父親に『迷惑を掛けるなよ』と言われたが、ここで名乗れば間違いなく迷惑を掛けることになるからだ。
けれど、ここで逃げ出してもすぐにノクトが素性を調べ上げるだろうということを、ルーシャは知っていている。
「……オールディス。ルーシャ・オールディスよ」
「オールディス?……ああ、君が伯爵家の『幽霊令嬢』?」
影で呼ばれている不名誉な名前を堂々と本人の前で言うあたり、「だからモテないのよ」とルーシャは吐き捨てたくなった。
(ノクトが私を敵視しているのは間違いない。アベルを怒らせてしまったんだもの。でも……)
アベルの冷たい瞳を思い出し、ルーシャはヒュッと息を飲んだ。立ち眩みと同時に激しく咳き込んでしまい、ハンカチで口元を押さえる。
一時間以上馬車に揺られ、少しの距離だが走り、大声でアベルの名前を呼んだ。ルーシャの体は限界を迎えていた。
「……病弱なんだっけ?早く帰ったらどう?」
それでは、と言って立ち去ろうとするノクトの背中で揺れる外套を、ルーシャは鉄格子の間から手を伸ばして掴む。
くんっと後ろへ引っ張られたノクトは、持ち前の体幹の強さでその場に踏みとどまった。
「ちょっとご令嬢、手を放してください」
「嫌。私は……あなたが知っての通り病弱で、つい最近まで昏睡状態だったの。そんな私の夢は……」
ルーシャはぐっと唇を噛みながら、心の中でもういなくなってしまった本当のルーシャに謝った。
「私の夢は、竜の背中に乗って空を飛ぶこと……!またいつ倒れるか、命の危険な状態に陥るか分からない私の願いを、竜騎士団のあなたはこの場で撥ねつけるの!?」
ルーシャの夢など、ノクトにとっては関係がない。それでも、竜騎士団には竜と国民を護る義務がある。
竜の背中に乗ることを夢見る病弱な少女の願いを、副団長であるノクトはこの場ですぐに撥ねつけることはしないだろうと、ルーシャは一つの賭けに出た。
紫色の瞳が探るようにルーシャの全身を見る。
「……ここへ押しかけて来た目的は、竜の背中に乗るという夢を叶えるためだと?」
「押しっ……、そ、そうよ」
「残念ながらその夢は叶えられないね。君の格好は、竜の背中に乗るには不向きだ」
笑顔で拒絶され、ルーシャは頭の中でノクトを蹴り飛ばした。もちろん竜のキアラの姿で。
負けるものか、と光の竜王として生まれ持つ闘志が燃え上がる。
「今すぐに乗せろ、と言っているわけじゃないわ。竜の背中に乗るには信頼関係が大事だもの」
「……それで?」
「餌やりでもケガの手当てでも、宿舎の掃除でも……何でも良いからやらせてほしいの」
ルーシャはじっとノクトを見た。
竜騎士団は、竜との信頼関係を最も大事に日々を過ごしている。今のルーシャが移動用に訓練された竜以外の背中に乗るなど、光の竜王だと信じてもらえなければ無理だ。
やがてノクトは肩を竦めると、門番に門を開けるよう声を掛ける。ルーシャは顔を輝かせた。
「は……入ってもいいの!?」
「本当に竜の世話がしたいなら、君にピッタリの仕事を一回だけ与えてあげる」
人差し指を口元に当てて笑ったノクトの目は、優しさを宿してはいなかった。
ガシャン、と音を立てて門が横に開き、ノクトが「ついて来て」と言って歩き出す。ルーシャは門番に頭を下げてからあとに続いた。
ノクトが何を考えているか分からないが、竜騎士団の敷地内にルーシャは足を踏み入れることができたのだ。
「私は何をすればいいの?ノクト」
「君にはこれからブラッシングを……って、俺名乗ったっけ?」
「ブラッシングね!分かったわ!」
首を傾げるノクトに連れられ、数ある竜の宿舎のうち一つに到着した。倉庫から必要な道具を取り出してルーシャに押し付けるようにして渡すと、僕たちははひらひらと片手を振る。
「それじゃ、少ししたら戻るので。それまで存分にブラッシングをどうぞ」
口笛でも吹き出しそうな笑顔を浮かべながら、ノクトはスタスタと去って行った。ルーシャは首を傾げると、道具を持って宿舎の扉をゆっくりと開く。
中にいた数体の竜たちが、すぐにルーシャに気付き威嚇の声を上げる。
『誰だ?あの人間』
『竜騎士団の関係者じゃないわね。侵入者かしら?』
『あんなすぐ折れそうな小娘が侵入者?笑わせるな』
『さっき門のところにいた子だろ?アベルを呼び捨てで呼んでた』
『アベルを?こいつバカか?』
威嚇の視線と声をものともせず、ルーシャは一番奥へと向かう。
光の竜王であるキアラがいなくなった今、光の竜たちを束ねる存在である、副団長ノクトのパートナー……グランヴィルの元へ。
上質な毛皮のベッドの上で丸くなっていたグランヴィルは、片目を開けてルーシャを一瞥すると鼻を鳴らした。
『……フン。お前らの威嚇が弱すぎるからここまで来たぞ?さっさと追い出してくれ、不愉快だ』
『はぁ?あたしたちは本気でやってるけど?』
「そうよね、イーニッド。グラン、みんなの威嚇はバッチリよ。普通の人間なら腰を抜かして動けなくなるでしょうね」
『ほらみなさい!この小娘もそう言って……え?どうしてあたしとグランヴィルの名前を知ってるの?っていうか言葉が……?』
竜たちが揃ってルーシャに注目し、グランヴィルも顔を持ち上げた。懐かしい顔ぶれに囲まれ、ルーシャは自然と笑顔が零れ落ちる。
「久しぶりね、みんな。グラン……あなたなら分かってくれるかしら。あなたが隻眼となってしまった原因である私が―――この人間の中にある魂が、誰のものなのか」
『……まさか』
グランヴィルの片目が、信じられないとばかりに大きく見開かれる。
『―――キアラなのか?』
ルーシャが満足そうに微笑んだ次の瞬間、竜たちの驚きの叫び声が宿舎の中に響き渡るのだった。