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竜帝国と光彩の乙女  作者: 天瀬 澪
第1章:光の大陸
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2.光の竜王キアラ②


 全身を蝕むようなこの痛みが、闇の攻撃によるものなのか、地面に打ち付けられたときのものなのか、キアラにはもう分からなかった。


 視界が霞み、意識が朦朧としてくる。背中から落ちたキアラは、震えながら横を向き、宝物のように腕に抱えていたアベルを地面に降ろした。



「キアラッ……!」



 キアラの姿を見たアベルの瞳が大きく見開かれる。その視線が向かうのは、闇の刃で貫かれた胴の辺りだった。

 わざわざ確認しなくても、もう手遅れな傷だということがキアラには分かっている。


 真っ青な顔をしていたアベルが、すぐに頭を横に振ってキアラの頬の部分に触れた。



「……キアラ、問題ない。すぐに医者を呼ぶから」


『…………』



 とても優しい声だった。キアラが大好きなアベルの声だ。

 キアラを安心させようと、無理やり平静を保ってくれているのが分かった。手のひらから僅かな震えが伝わってくる。



「―――何事ですか!?」

「これはっ……」

「アベル団長と……光の竜王さま!?」



 バタバタと衛兵たちが集まって来ては、皆が途中で足を止め、絶望的な顔を浮かべた。中にはキアラからそっと目を背ける者もいる。



「誰か、すぐに竜騎士団から医者を呼んでくれ!キアラが……!」


「―――アベル」



 凛とした声が響き、衛兵たちが一斉に頭を下げる。キアラは痛みを必死に堪えながら、数回会ったことのある皇太子の顔を見た。

 同情と悲しみの表情を浮かべた皇太子は、アベルに残酷な言葉を放つ。



「……キアラはもう手遅れだろう。せめてこれ以上苦しまないよう…お前が葬ってやれ」


「何をっ……!」


「目を逸らすな、アベル。パートナーであるお前が、誰よりも現実と向き合うべきだ」



 アベルの動揺で揺れる瞳が、ゆっくりとキアラへ向けられる。

 キラアは荒い呼吸を繰り返しながら、一度瞼を閉じる。絶えず打ち付ける雨によって、光の竜王が涙を流したことに気付く者は誰もいなかった。



「……キアラ?」



 アベルが戸惑った声で名前を呼んだのは、キアラが呻き声を上げながら体を起こしたからだった。少し動いただけで全身が悲鳴を上げ、早く苦痛から解放されたいと心が叫ぶ。

 それでもキアラは、その役目をアベルに担わせようとは思わなかった。


 アベルの前では、最期まで誇り高き光の竜王でありたい―――その想いだけが、キアラの翼を羽ばたかせた。



「キアラ!?」


『ごめんなさい、アベル……もっとあなたと一緒にいたかった』


「キアラ、待てっ…!そんな体でどこへ行くんだ!?キアラッ……!」



 キアラの言葉は、アベルには伝わらない。それがもどかしくもあったが、だからこそ心が通じ合ったときの喜びは大きかった。



『―――さよなら、アベル』



 最期の言葉は、間違いなくアベルに届いたとキアラは思った。絶望の表情を浮かべたアベルを振り返ることなく、キアラは空高く舞い上がる。


 命が尽きるその瞬間まで、キアラは飛び続けようと決めた。アベルの手を汚すくらいなら、傷ついた顔を見るくらいなら―――独りで死を迎えようと。




 間もなく翼が動かせなくなることを悟り、キアラは草原に転がり落ちるように降り立った。濡れた草は冷たく、空から打ち付ける雨が弱まる気配はない。


 そっと瞼を閉じたキアラは、アベルの笑顔を思い出していた。

 ふと雨の気配を感じなくなり、不思議に思ったキアラはうっすらと瞼を持ち上げる。


 誰かが立っていた。そして、その誰かとキアラを囲むように光の輪が広がっており、その空間だけ雨が降っていない。

 神秘的な光景に見惚れながら、キアラは小さく呟いた。



『……竜神さま…?』


「その通りだ、光の竜王よ。私はお前たち竜を司る神だ」



 竜たちの間で語り継がれる伝承の神は、人間の男性の姿をしていた。長い金髪がサラリと揺れる。



「残念だが、そなたの命はもう間もなく散る。だが……一つ提案があってそなたの前に現れたのだ」


『提案……?』


「そなたと同じように、死期に近付いてる人間がいる。その人間の死は、私たち竜にとって痛手になるのだ」


『……』


「詳しく説明している暇は無い。即断してくれ。私はその人間の体に、そなたの魂を入れる……つまりそなたは、人間としてなら生き長らえることができる。さあ、私の提案に乗るか?」



 竜神が何を考えて提案したのか、キアラには何も分からない。それでも『人間として生きる』という言葉に強く惹かれてしまっていた。

 人間になればアベルと話すことができると思った瞬間、キアラの心は決意を抱く。



『提案に……乗ります。お願いします、竜神さま』


「英断を感謝する、光の竜王」



 竜神は微笑むと、キアラに向かって片手を広げた。手のひらに小さな光の粒が集まっていく様子を、キアラはぼんやりと霞んできた瞳で見つめていた。



「新しい体と魂が馴染むまで、ひと月ほどかかる。目覚めたあとも出来るだけ体を動かしてくれ。それから……」



 キアラの意識がだんだんと遠退き、竜神の言葉が聞こえなくなっていく。

 完全に暗闇に沈んでしまう直前まで、キアラはアベルの姿を思い浮かべていた。






 ***



 闇の竜の襲撃から一か月が過ぎた頃、光の大陸に住まうオールディス伯爵邸の一室で、一人の侍女が涙を流していた。

 鼻を啜りながら、ベッドで横たわる少女を見つめる。侍女が仕えている伯爵家の令嬢は、幼い頃から体が弱かった。


 痩せ細った体に、青白い肌。波打つ銀の髪は艶を失い、輝く宝石のような赤い瞳は閉じた瞼によって遮られている。



 伯爵令嬢ルーシャ・オールディスは、一か月以上前から昏睡状態に陥っていた。

 両親は病弱なルーシャを幼少期に見放しており、意識を失い倒れてから一度も見舞いに訪れたことはない。

 ルーシャのそばにずっとついていたのは、姉のような存在の侍女ただ一人だけだった。



「ルーシャお嬢さま……」



 侍女はルーシャの手をそっと握り俯くと、自らの額に当てた。

 昨夜、侍女は聞いてしまったのだ。あと数日の内に意識を取り戻さなければ、ルーシャの両親が医師を呼ぶことを止めると話していたことを。

 それは、娘の命を捨てたも同然の言葉だった。


 病弱ゆえに、一日のほとんどを部屋で過ごしていたルーシャ。両親から冷たい扱いを受けても、泣き言一つ言わなかったルーシャ。

 いつか竜の背中に乗って空を飛んでみたいと、笑いながら話していたルーシャの小さな夢を、奪わないでほしいと侍女は願った。



「どうか……ルーシャお嬢さまの意識を取り戻してくたさい……神さま……!」



 信じられないことに、侍女が祈った瞬間ルーシャの手がピクリと動いた。

 侍女は勢いよく顔を上げる。ルーシャの長いまつげが動き、瞼がゆっくりと持ち上がった。



「お嬢さま……っ、!?」



 イスから立ち上がった侍女は、大きく目を見開いた。


 赤かったはずのルーシャの瞳は―――黄金色へと変わっていたのだ。



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