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きっと、私は行方不明  作者: 黒月猫
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二滴


 ぼんやりとしたままの私は、世話係の人からしたら困った存在だろう。

 何もしない、何もしようとしない存在。

 邪魔でしかないだろう。一日中窓際でただ座っている私は。

 私の視界に入り込んだ赤が、自分の髪であることが嫌だった。切ってしまいたいけれど、そんなことできない。切っても見てもらえないのなら、切る意味なんてない。

 幼い頃からずっと放置されていた赤い髪は、清潔ではあるものの、傷んでいて枝毛がたくさん見つかる。伸ばしっぱなしにされて、毛先も揃っていない。手入れしていない私の手は、カサカサで爪なんてひび割れている。何もなかったように平和な街を窓から見ていて、やはり不思議に思う。

 なぜ、私が保護されたのか。私に価値があるとは思わない。価値があるから、丁寧に扱われるなら、まだ納得できる。でも、そうじゃない。

 どれだけ私がボロボロでも、きっと放置される。やっぱり、あの家と一緒。

 私が変わることなんて、ないんだ。


 *


 日が沈んで、また昇って、沈んで。

 繰り返すけど、それだけはきっと、私が生きているうちには変わらない。

 時折気絶するように眠っては、夜通し起きて、寝てるかと思えばそのまま何日も起きない。

 そんな不安定な私を見て、世話係の人が言っていた。いつ何があるか分からなくて休めない。と。

 だから、気にしなくていいといった。私をお世話する意味はないから、ただ寝て、起きて、食べて、寝て。それだけだから、特定の時間に来てくれればいいと、扉を開けて、起きていたらご飯を持ってきてほしい。

 結局、私は迷惑にしかならない。

 食べなければ死ぬ。食べる気力はない。でも、餓死する勇気はなかった。腕を切って死のうかと思った。でも、切れなかった。怖かった。


 中途半端な私が一番、嫌い。


 しばらくしてから、一人の男の人が来た。私を保護した理由なんかを聞かせてくれた。

 訴えがあったらしい。屋敷に閉じ込められている令嬢がいると。反乱を企てていたこの人たちからしたら、旧貴族から虐げられていた存在がいるということが明確に示せるいいチャンスだった。

 違う、違うの。

 私は逃げようと思えば逃げれた。

 監視なんていないし、あの人たちは私に無関心だったから。私が、外の世界に尻込みしていたから、あの人たちが死んだのだと思うと、罪悪感が心に顔を出す。

 やっぱり、キライだ。全部全部。

 鏡を見れば、底のない暗闇を瞳に乗せた赤い髪の女が立ってる。

 もう枯れたと思っていた涙が、頬を伝う。

 私は、何をしたらいいのか、何ができるのか、わからない。何をするのが正解なのかも、何をしたら不正解なのかも。

 全部全部、わからない。

 クラリと歪んだ視界が示したのは何だったのか、端から黒く染まっていった視界に呑み込まれた私には、分からなかった。


 結局、私の名前は誰も知らなかった。


 *


 ぴちゃぴちゃと水音がする。

 そこはやっぱり、いつもの暗闇。

 ただ暗くて、助けを求める声が聞こえるだけの空間にしては、いつもとは違った空気。

 なにもないはずなのに、今、ここでは雨が降っている。

 小さく嗚咽が聞こえた。

 誰かが泣いているのだろうか。


 ──だあれ?


 いつも何も言わない癖に、こんな時は話すのね。少しだけ、そう思った。


 ──そういうあなたはだあれ?

 ──私? 私は……

 ──『おい、赤いの!』

 ──あ……

 ──『呼んだらさっさとこい。ったく、なんでお前なんかが産まれたんだ』

 ──…………ごめんなさい。私が悪いんです。私なんかが生まれたから……


 ごめんなさい、ごめんなさい。

 私がいるから。私が産まれてしまったから。私が色が違ったから、お父様は、お母様は、こんなにも苦しんで……。

 赤色なんていらなかった。血のような鮮烈な赤じゃなくて、どちらでもいいから、金か黒が欲しかった。

 黒の瞳なんていらなかった。深淵みたいなこんな色じゃなくて、青や碧の、澄んだ色が欲しかった。


 ごめんなさい。


 その言葉は、私に絡みついた、私を認識してもらうために吐いたただの音。

 目の前で俯く少女は、私のまだずっと幼い頃の姿。

 まだ、親からの愛を諦めきれなかった哀れな子供。

 振り向いた少女は泣いていて、それを見向きもされなくて、苦しんでいる。

 突き放されて、落ち込んで。それでも諦められなくて、先も見えないままに藻掻いて、自分にできることを、探し続けて。

 私は、そんな生活に疲れてしまった。


 ──私は、さっき呼ばれたように赤いの、と呼ばれてます。ごめんなさい。名乗る名前なんて、ないんです


 泣き笑いのような表情で少女が言う。


 ──謝らないで


 思わずそう言っていた。謝ったらなにか変わるわけではない。ただ自分がつまらない、小さな存在になるだけ。


 ──あの人たちは変わらないのだから、謝る必要なんてない。あなたがそう産まれたのは、あなたのせいじゃない。名前がないのだって、


 自分が言ってほしかっただけかもしれないけれど、幼い自分にかけるなら、この言葉がきっと一番、優しい。

 ただの慰めは毒だ。傷から染み込んでいって、私を弱くする毒。

 でも、それでもいい。縋っても意味なんてないのだから、謝るなんて馬鹿のすることだ。少なくとも、あの人たちは、私が謝っても、無関心だ。


 ──あなた、名前がないの? なら私がつけてあげるわ

 ──ほんと?

 ──ええ


 にこりと、上手く笑顔を作れているかわからないが、笑って見せる。


 ──どんな名前がいいかしら。こんなのがいいとか、ある?


 私の問に目の前の小さな私は少し考えて、言った。


 ──私の髪色か、瞳の色に関わる名前がいい


 ピタリと思考が止まる。

 髪色、瞳の色。それは私が、ずっと忌み、嫌ってきたもの。


 ──みんなは私の色が汚いって、恐ろしいって言うけど、こんなにきれいな色なんだもん

 ──…………

 ──私の色なんだ! ってみんなにわかるように、そんな名前がほしい。みんなに、この色を、みて、ほしいの。こんなにもかわいくて、かっこよくて、最高にきれいな色だから、他と違うからなんて理由で、この色を嫌ってほしくない。……認めてほしいの、この色を


 そう語る小さな私の顔が見れない。

 こんな夢があった。そう、小さい頃は、色の違いで嫌ってほしくなくて、赤や黒のものを集めて、きれいなものでみんなに私の色だからって言う嫌いになる理由をなくしてほしかった。


 ──…………カーディナル、いえ……ヴィーノティンタかしら

 ──ヴィーノティンタ?

 ──ええ、赤ワインのことを指すの。鮮やかな赤い髪と、深みのあるきれいな黒の瞳にぴったりだと思うのだけど、どうかしら?


 キラリと瞳を輝かせて、小さな私は喜ぶ。ぴょんぴょん跳ねて、とても楽しそうだ。


 ──ありがとう


 笑顔を浮かべた姿は、私の小さな頃の姿とは思えないほどに輝いていた。

 頭を撫でると、擽ったそうに頬を緩ませる。そんな姿がとても可愛い。


 ──でも、この名前はお姉さんとの秘密!大切なものは大事に隠しておくんだって聞いた!

 ──そうなの?では……カロンなんてどう?赤と黒から一文字ずつ取ったのだけど

 ──うん! じゃあ、私はカロン! カロン・ヴィーノティンタ・ルミナリエ! お姉さん、ありがとう


 ふわりと景色が揺れて、意識が遠くなった。


 ──最後にこれをあげる。何の変哲もないネックレスだけど


 こちらこそ、ありがとう。

 沈んで、溶けていく中でそう思った。

 何か、大切なものがわかったような気がした。



 *



 目を開けたところは知らないところで、朝なのか、日差しが目にささる。

 また、場所が変わったのだろうか。

 上体を起こすと、ガシャンと何かを落とした音がした。目を向ければ、そこではふるふると身体を震わせる黒い服の女性がいた。

 わなわなと震える口が開かれ、言葉を発する。


「お……」

「?」

「お嬢様が! 目を覚まされましたぁぁぁぁ!!!」


 大きな音を立てて扉を開いた女性は、廊下に向かって思い切り叫んだ。

 久々に聞いた大声に耳がキーンとする。


「う、うるさ……」


 バタバタと足音が聞こえ、半開きだった扉が大きく開いた。


「起きたの?!」


 白い白衣のようなものを黒いシャツの上に羽織った、青い髪の青年。そしてその後ろにいる同じ色の、十歳ほどの歳の少年。

 ふたりとも瞳が紫色で、ふたりの周囲だけ空気がガラッと変わったような気がする。

 青年が私に向かって足を進めてくる。

 気迫が凄くて、思わずベッドの端まで後退りをした。こんにちは、とにこやかに挨拶をした青年。


「何処か痛いところはないかい? 動かしにくいとか、そうだ、気分はどう? だるいとかないかな」


 悲鳴を上げたいのを必死に抑えている。あまり近づかないでほしい。


「あ、怖い? ごめんね。えっと僕はエリクっていうんだけど、君は、なんて名前なのかな?」

「……カロン」

「そうか、いい名前だね。じゃあ順番に聞くけれど、痛いところはあるかな?」

「ないです」

「では動かしにくいところはあるかな?」

「ないです」

「気分が悪かったりはする?」

「いいえ」

「それは良かった」


 距離を取ったままに確認をとると、心底安堵したように青年が胸を撫で下ろす。

何がなんだかわからないまま、青年の隣りにいる少年に目を向ける。その少年の顔には見覚えがあった。

 以前あの家で見かけた少年だ。

 ああそうか、ここは王宮だ。その考えが一拍遅れて訪れた。紫の瞳と、大勢の使用人を見ればすぐわかることのはずなのに、すぐに気づかなかった。

 脳が麻痺しているのか、この状況に緊張しているのか。どちらでも良かった。


「こんにちはお姉さん。以前あったのを覚えていますか」

「……ええ」

「良かったです! ええと、お姉さんは三ヶ月間目が覚めなかったのですが、体調に変化などありますか? 動かしていなかったこともあって多少体動かしにくいかと思うのですが」

「それは、大丈夫です」


 ニコニコと笑う少年はとても嬉しそうだ。

 その後、いくつか診察を受け、私の正式な保護が決まったという話を聞いた。私は王宮で保護されるらしい。

 冬が明けた、暖かい季節に。自分の誕生の季節に。ずっと行方不明だった『私』という存在を見つけられた気がする。

 もう私は行方不明にはならない。

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