夢見るアリの王子さまと砂糖菓子のお城
あらすじ
アリの王子さまが住む家は砂糖菓子のお城。 兵隊さんも料理長さんも庭師さんも砂糖菓子でできている。 森に住む三匹の虫たちはアリの王子さまのお友達。 みんなで仲良くくらしていました。 けれどもアリの王様がなくなってしまってから、哀しんだ王子さまは友達を遠ざけてお城に籠もってしまいました。 そんな時アリの王子さまは一つの夢を見ます。 その夢とは……
【1】
アリの王子さまが住む家は、透明な砂糖菓子で出来た不思議なお城でした。
夏の陽射しを浴びれば、きらきらきらきらと虹色に輝きましたし、冬の雪の中に隠れてしまえばもうどこにあるのかもわかりません。
そのお城にあるものは、王子さまと王様以外はすべて砂糖で出来ています。
庭園には水晶のような木々が葉の無い枝を伸ばしており、道を飾るバラの花は透明な宝石がまるで実をつけたようでした。
兵隊さんも、料理長さんも、庭師さんも、お城で働く者はみな砂糖菓子で出来ていて、アリさんはいつも「食べたら甘そうだなぁ」、と思っていました。
砂糖菓子のお城で働く者達はアリの姿をしていましたが、喋ることはなく、ただ自分たちに割り振られた役割をこなしています。
いまよりももっと小さな頃、まだ赤ん坊だった頃に、アリのお后様をなくしてしまっていた王子さまは、それが哀しくてたまりませんでした。
もしも兵隊さん達とお話できればきっと楽しいに違いないのに。
ですがそれでもアリの王子さまは楽しく毎日を過ごしていました。
お父さんであるアリの王様はとても優しかったですし、砂糖菓子の城のまわりに広がる森には、王子さまの友達である虫さん達が住んでいたからです。
「やぁアリくん一緒に遊ぼうよ!」
「うん!クワガタくん! 一緒に遊ぼう!」
彼らはよく砂糖菓子のお城に遊びに来てくれます。アリの王子さまはよく彼らと夢の話をして過ごしていました。
力強いクワガタくんはカッコいい戦士になること。
物知りなトンボさんは立派な学者さんになること。
泣き虫さんのイモムシちゃんは泣き虫を卒業すること。
そしてアリの王子さまはお父さんのように、優しい王様になることを夢見ていました。
そんなある日のことです。
アリの王様が病気で死んでしまいました。庭師さんが砂糖で出来た土を掘り返し、お墓を作っていている間、アリの王子さまは泣いて泣いて泣き続けました。
けれどどれだけ泣いても泣いても、哀しさは尽きることがなかったのでした。
王様から受け継いだ、きらきら光る砂糖菓子の冠も慰めにはなりません。
むしろアリの王子さまの頭には少し大きすぎるくらいで、しゃっきり背筋を伸ばして歩いていたはずの王子の腰がその重さで曲がってしまうほどでした。
森に住む友達の、力強いクワガタくんや物知りなトンボさんや泣き虫のイモムシちゃんがやって来ましたが、王子さまは寝室に篭もりベットに潜り込んでしまい会おうとはしません。
しだいにアリの王子さまは泣いている自分のそばで、いつもと同じように仕事を始めていた兵隊さん達が嫌になってきました。
どうして兵隊さん達は平気な顔で仕事が出来るんだろう。ボクは哀しくてたまらない。
そんな事をベッドの中で思っていると、ゆっくりとまぶたが閉じていきました。
そして一つの夢が始まります。
【2】
アリの王子さまは目を開けました。いつもと変わらないベッドの中のようです。
まだ雪は降ってはおりませんが、冬の入口である季節の朝の空気はひりつくような寒さでした。
アリの王子さまは身震いをひとつしました。それから、まるで空に写るオーロラのひらひらを型取って作られたような透明な布を引き寄せて、頭までかぶりこんでしまいした。
その拍子に砂糖菓子の冠がズレてしまいましたが、王子は位置を直そうとは思いませんでした。
しばらく寒さのせいと王様のことを思い出していると、どこからか王子さまを呼ぶ声が聞こえて来ました。
「おーい! アリくーん! アリくーん!」
はっきりとしたその声は、力強いクワガタくんの声です。
「アリさーん! アリさーん!」
キビキビとしたその声は、物知りなトンボさんの声です。
「アリくーん……アリくーん……」
そして、気弱そうなその声は弱虫なイモムシちゃんの声でした。
アリの王子さまはベッドから起き上がろうとしましたが途中で諦めてしまいます。
「今は誰の声も聞きたくいんだ……あぁ神様、どうかお父さんを返してください……」
聞こえてくる友達の声に、耳を塞いで聞こえないふりをしていると、王子さまは自分でも不思議に思えるだろうくらい早く、そのまま寝息をたてて眠りこけてしまいました。
【3】
アリの王子さまは目を開けました。いつもと変わらないベットの中ようです。
王様のアリが失くなってから、どれくらいの時間が過ぎたのかわからないくらい寝ていたように思えました。
冬をいくつ超えたのか、春をいくつ迎えたのか。それが分からなくなるほどの季節が巡ったような気さえします。
すっかりアリの王子さまはお城の外への興味を失っていました。
お城の管理は庭師さんに任せ、お腹が空いたら料理長さんに甘い食事を作って貰い、そして王子様を心配してやって来ていた森の友達たちは兵隊さんに追い払って貰いました。
「大切な誰かがいなくなってしまうのが、あんなに哀しく痛いことなら最初からなければいいんだ! そうだ! 僕はもうりっぱな王様だ! これからは一匹で生きていこう!」
王子さまはそう言ってはばからず、好き勝手に暮らすようになっていました。
再びいくつかの春を超えて、再びいくつかの冬を迎えて、それでもアリの王子さまは好きに暮らしていました。森の友達はもう誰もお城に寄り付いて来ようとはしません。
それでも王子さまはちっとも哀しくありませんでした。
しかし何も変わらないことはありません。
アリの王子さまがお城の中に閉じこもっている間も季節が巡ったように、少しずつ少しずつ美しい砂糖菓子のお城にも変化が訪れていました。
最初は庭園の花がなくなっていました。それから木々が失われ、噴水が姿を消してしまいました。
庭を散歩していたアリの王子さまは不思議に思いましたが、特に気にすることもありませんでした。
大切なものほどすぐに溶けてなくなってしまう。まるで砂糖で出来たお菓子のように。溶けてなくなってしまうものをもう王子さまは愛せません。
大切なものをなくしてしまった王子さまは、もう大切にしたいものを見つけることが出来なくなっていました。
【4】
アリの王子さまは目を開きました。しかしいつもと変わらないベッドの中ではないようです。
アリの王子さまは地面に寝転がっていました。
砂糖菓子で出来たお城はもうどこにもありません。宝石のようなバラの一輪も、水晶のような木々も、光を溜め込んで輝いていた噴水だってありませんでした。
それどころかアリの王子さまの周りには誰もいません。砂糖菓子で出来た兵隊さんも、庭師さんも、料理長さんもいなくなっていました。
すべてアリの王子さまが食べてしまっていたからです。
前に王子さまが庭園を散歩していた時に、どうして庭の花や木々や噴水が消えていたのか。
それは王様がいなってからというもの、料理長さんが料理を作るために、砂糖菓子の城を少しずつ削っていたからでした。
アリの王様がお城を治めていた頃、料理長さんはお城を壊してはいけないと命じられていたのでお城を壊してまで料理を作ろうとはしませんでした。
しかしアリの王様は亡くなってしまい、王子さまは仕事を投げ出していましたから、もう誰も兵隊さんや庭師さんや料理長さんの役割を決める王様がいなくなってしまっていたのです。
最初は知らず知らずのうちに料理を食べていたアリの王子さまでしたが、途中からはだんだんと気づいていました。
いま自分が食べているものが、お城の一部であるということを。
しかしアリの王子さまはそれでも王様としての役割を果たそうとはしませんでした。
やがて庭園からは花が失われ、木々が失われ、噴水が失われてしまいました。
お城からも玉座やベッドが消え去ってしまいました。
そして兵隊さんも庭師さんも料理長さんも、もう今はどこにもいません。
アリの王子さまの手元にあるものはもう、泥に汚れた体には似つかわない砂糖菓子の冠だけです。
その冠だってあと一度の食べものにしかなりません。
それでもアリの王子さまは言いました。
「あぁボクはとうとう一匹になってしまったぞ。けれども決して不幸じゃない。寂しくも哀しくもないんだ。だってボクには大切なものなんてなにもないのだから。それはきっと幸せに違いないのに……」
そう言いながら、王子さまはついに冠を食べてしまいました。
バリバリ。バリバリ。ゴクン。ゴクン。バリバリ。バリバリ。ゴクン。ゴクン
アリの王子さまはもう王子さまではありません。
住むお城も、共に暮らしてきた兵隊さん達も、一緒に遊んだ友達もなくした、ただの一匹のアリさんになってしまいました。
冠を食べたことでお腹を満たしたアリさんは、ゆっくりと立ち上がりました。
もう冠はかぶっていないのに、腰はやはり曲がったままでした。
これからはアリさんは自分の力で食べ物を取らなければなりません。
アリさんは食べるものを探すために、とぼとぼと森の方へと歩いて行きました。
【5】
アリさんが森へと向かってから数日が経ちました。
あれからアリさんは一度も食べ物を取ることが出来ませんでした。
いったい自分が食べられるものがどこにあるのかもわかりません。お腹がすけばそのへんのものを手にとって食べられていた砂糖菓子の城とは森の中は違うのでした。
夜になる前に食べ物を探さなければならなかったのに、もうあたりはすっかり暗くなってしまっていました。
空にはまんまるお月さまが昇っています。
と、その時です。誰かの話し声が聞こえてきたのは。
砂糖菓子ではない、緑色の草木をかき分けゆっくりと進みます。しだいに遠くの方に赤くて黄色いような一つの灯りが見えてきました。
誰かが焚き火をしているようです。
それはアリさんのかつての友達の三匹でした。
とっさにアリさんは、近くの草陰に隠れてしまいました。
クワガタくんは大きい二本のアゴを力強くゆらし、メガネをかけたトンボさんは、たくさんの腕にそれぞれ本を持っています。
そして泣き虫だったイモムシちゃんはもうブヨブヨとしていた緑色の体ではありませんでした。
きらきらきらきらと、まるで砂糖菓子のお城が日差しに輝いていたように、やはり、きらきらきらきらと、月夜の光を羽いっぱいに受けながらお空を飛んでいます。
「やぁれやぁれ! おめでとうイモムシちゃん!」
「まるで月夜の光を取り込んだような羽ですね」
「ありがとうクワガタくん、トンボくん。今日、ちゃんと大人なることが出来たのはみんなのおかげ。私ももう泣き虫じゃないわ」
楽しそうに笑っている三匹の姿に、アリさんはあっけに取られてなにも考えられなくなってしまいました。
まるで夢のような光景です。
アリさんは疲れ切っていたしたが、とぼとぼとぼとぼと三匹がいる方からゆっくりと離れて行きました。
王様が亡くなってからというもの三匹の友達には酷いことをしてしまいましたし、もう王子さまでもない自分の姿を見られたくはなかったのです。
それからどれだけの時間を歩いたのでしょうか。
アリさんのお腹はとうとうペコペコです。腰の曲がった体も痛くて痛くてたまりません。
ついにアリさんは歩くことも出来ずに地面に倒れてしまいました。
「……どうしてボクはあの時みんなの事を追い返してしまったのだろう。どうして王様としての仕事をしなかったのだろう」
昔々アリさんが王子さまだった頃、王様を亡くしてから哀しくて辛くて痛くてたまらなくて、これからは何も失わないように一匹で生きて行こうと決めたはずでした。
しかし友達を追い返し兵隊さん達もいなくなり、本当に一匹になった時にアリさんは生きてはいけませんでした。
アリさんは一匹でも寂しくて辛くて苦しくてたまらなくなりました。
やがてアリさんはゆっくりと目を閉じ眠ってしまいました。
【6】
一つの夢が終わりを迎えました。
アリの王子さまは目を覚ましました。いつもと変わらないベッドの中です。
アリの王子様は自分が夢の中にいたことに気づきました。
いつから見ていた夢のなのかは分かりません。しかしとてもとても長い間、それこそ一つの生を終える程に長い間、夢を見ていたような気分でした。
けれども自分の頭に手をやると、砂糖菓子で作られた王冠を被っていましたから、アリの王様が亡くなったあとだというのは分かりました。
アリの王子さまはため息を一つ吐き出しました。
すると、お城の外から三匹の友達の声が。
「おーい! アリくーん! アリくーん!」
はっきりとしたその声は、力強いクワガタくんの声です。
「アリさーん! アリさーん!」
キビキビとしたその声は、物知りなトンボさんの声です。
「アリくーん……アリくーん……」
そして、気弱そうなその声は弱虫なイモムシちゃんの声でした。
夢の中では失ってしまった友達たちの声を聞けたアリの王子さまは、とてもとても嬉しい気持ちになりました。
「あぁ良かった。あれは夢に違いなかったのだ。けれどもきっと、夢の中のような事をすれば同じことになるだろう。ボクはもう自分だけの寂しさ苦しみの為に、自分以外の世界を捨てないぞ!」
決意を新たにアリの王子さまはベッドからでると立ち上がりました。
やはり砂糖菓子の冠はアリの王子さまの頭には少し大きすぎるくらいで、その重みでついつい腰が曲がりそうになってしまいました。
けれどもアリの王子さまはズレていた冠の位置を直します。それからしゃっきりと背筋を伸ばし歩き出しました。
ともすればまた腰が曲がってしまいそうでしたが、もう誰も失いたくない王子さまは砂糖菓子の冠の重さに耐えることが出来ました。
そうしてお城の外で待ってくれているだろう三匹の友達の元へと、アリの王子さまは向かっていくのでした。
【7】
それからしばらくの月日が過ぎて、アリの王子さまはアリの王様になりました。
砂糖菓子のお城の中で、兵隊さんや料理長さんや庭師さんに役割を与えて共に暮らしています。
力強いクワガタくんや物知りなトンボさんや勇敢なチョウチョちゃん達とは今でもとても仲良しです。
砂糖菓子のお城や周囲の森やそこに住む者達も、もちろんアリの王様も、いつまでもいつまでも幸せに暮らしたのでした。
おしまい
読了ありがとうございます。
今回、私自身が童話が好きなので冬童話2024という企画を知り参加させていただきました。
ご感想やご評価をいただけますとマタタビを与えられた猫のように喜びます。
少しでも楽しんで頂けていれば幸いです。
ありがとうございました!