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とある書き手のエッセイ集

物語作家は自分に酔っている

作者: ぽてぽてぽてち

 物語作家は自分に酔っている。


 そもそも自分の中に確かな『個』がなければ、言葉が出てこない。物語に潜るだけならばそれはいらないけれど、文にするなら強い意志や主張、個性がなければ、筆を取ることさえ叶わない。自分の中から生まれるそれらは、自分の価値観からしか生まれない。それを人は自分に酔っていると言うかもしれない。


 物語作家は自分に酔っている。


 好きなものがわからなければ、そもそも主張は湧いてこない。それがなければ、何かを真似たただ空っぽの似たような量産品にしかならないだろう。手に取られても、代わりができれば捨てられるそれでは機械で十分だ。好きなものを好きな自分を好きでなければ、臆してそれを書き連ねることなど到底できっこない。


 物語作家は自分に酔っている。


 そもそも根底に自分が好きでなければ、自信を持って文など書けない。迷いは筆を鈍らせるだろう。自分を愛さぬ者に夢など描けない。自愛の精神こそ、安定した空想を生み出すエンジンだ。けれどそれだけでは足りない。自尊心が驕りになっては、面白い話の種を見逃すことになる。


 物語作家は自分に酔っている。


 酔っているからこそ、饒舌に喋る。喋るように書く。書かねば作家ではない。それはただの妄想家でしかない。形を成さなければ人の共感は得られない。その手段が『書く』という事になった時、人は初めて作家気取りになれる。けれどそれだけでは自称でしかない。他者に認められてこそ、人は真の作家になれる。


 物語作家は自分に酔っている。


 面白い話を面白いと思わせられないのなら、それは物語ではない。作家の観客は自分ではない。自分に酔わなければ面白い話など生み出せはしないが、一方的で想像させない話は人にとって面白い話ではない。それはただの自己主張であり、聞かせるつもりもないく従わせたいだけの自己満足の言葉でしかない。物語とは、面白くなければならない。多くの人の興味を引いて文で楽しませてこそ、初めて作家は自称ではなくなる。


 物語作家は自分に酔っている。


 酔っているからこそ、悲劇や喜劇を主観的に書くことができる。客観だけの情報ならば、端的な文字の羅列で十分だ。物語である必要がない。多分な装飾を用いて文を彩ってこそ、物語は息をする。その先に世界が広がり、その吐息を身近に感じる時、人は追体験をする。いわゆる、没入感。それがないなら物語ではない。


 物語作家は自分に酔っている。


 物語は嘘と虚像だ。それをまるで目に映るように連ねるには、作家本人の酔うような、豊かで深い情緒や体験で肉付ける必要がある。しかし気持ちだけを述べるのはエッセイでしかない。本人だけの物語は、他者には物語ではなく世間話だ。物語とは、もっと自由に、読む者を縛らない。物語は、中の空気を共に肌で感じることができる。


 物語作家は自分に酔っている。


 酔うものには余裕がある。余裕があるから酔えるのだ。ただし酔うだけならば作家ではない。その余裕を人の意識へ向けて文にしてこそ、物語は成立する。人の興味を惹くには知識や思考が必要で、それが複雑であるほど面白くできる確率が上がる。ただしそれをわかるように書けないならば、そんなものはない方がいい。無駄な装飾は人の目を遠ざける無駄なものでしかない。


 物語作家は自分に酔っている。


 酔っているから魅せ方にこだわる。しかしタネや仕掛けがあっても、それが自然だと錯覚させなければならない。わかりやすいトリックのマジックなど、誰が面白いと思うだろうか。同じことだ。強引で自分だけが楽しい主張に、人々は辟易する。自分の楽しさと人の楽しさは別であると、わかっていなければ作家にはなれない。


 物語作家は自分に酔っている。


 酔っているから自分の内側に潜り、時に青い緑を、時に柔く脆い心を引き出しから取ってくることができる。けれど取り出しただけでは、それは素材でしかない。物語とは料理だ。調理しないと、人をそそるものにはならない。その調理を間違えたなら、物語ではなく妄想日記になりかねない。


 物語作家は自分に酔っている。


 万人が良いと言う物語などない。人の思考は多種多様だからだ。批判も当然あるだろう。だから物語作家は自分に酔っていなければならない。酔っていなければ、物語という壮大な嘘を、自信を持って面に出すことなどできようか。それを恐れれば、書くことはできない。書いても読まれて、良いと言う人がいないならば真の作家ではない。多ければ多いほど良い。しかし人の意見は変わるものであるから、心が折れないために自分に酔っていなくてはならない。



 物語作家は自分に酔っているが。

 酔いすぎていては作家になれない。



 知識がなければならない。

 文を書けなければならない。

 こだわりがなければならない。



 けれどなにより、読む人がいなければまず物語自体が意味をなさなくなってしまう。



 ただの空想を書くだけならば作家ではない。いかに面白く、いかに魅せて、いかに引き込むかーー。


 自分と同じように、物語で人を酔わせることができた時。それを人は興奮と呼び、その物語を好きだと主張し、書いた物を尊敬して作家や小説家、または先生と呼ぶだろう。


 作家は自らなることはできない。

 作家とは、人にしてもらうものだ。

 読む者がいて初めて、作家は作家になる。



 夢見る者は、心得なければならない。自分に酔っただけの文章は、ただの妄想で終わるのだから。

返信しないかもしれませんが、匿名投稿なので感想解放しときます。お好きにご利用下さい。

あ、ついでにポテチ食う?

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同じワードをリフレインさせるのシャレてますねー 酔った文章ではなく、ほんのちょっとだけ小洒落れてみると引き締まって見えるようになるのかなぁ 何れにしても一朝一夕に成らない高等テクニックで自分にはまだ早…
[良い点] 作家さんがそうやって自分に酔って、酔ったうえで様々な工夫をこらして生み出された文章なんだって思うと物語を読む際の味わい深さが変わりそうです。 [一言] ポテチ、衝動的に食べたくなる時があり…
[良い点] ポテポテぽてちさん……いったい誰なんだ。 [一言] わかるー。 同意しかないです。 自分がないと書けない。 自己愛に目覚めたものだけが物語を紡ぐことができる。 でもその中に他人が介在しな…
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