婚約破棄された悪役令嬢、「どうだ、明るくなったろう」成金おじさんと出会って改心する
「君のような性格の悪いご令嬢との婚約は破棄させてもらうよ」
「なんですって……!」
晩餐会にて、伯爵令嬢イングリッドは侯爵家長男ファーガスにこう告げられた。
元々高飛車な彼女、侯爵家に嫁ぎ、さらに傲慢に振舞おうという人生計画を立てていたのだが、ここにあえなく破綻した。
しかも悪評を社交界にばら撒かれたため、上流社会には居場所がなくなってしまった。
父はイングリッドに激怒した。
「この恥晒しめ! お前のせいで我がエーヴェイア家の面目は丸潰れだ!」
「そんなの私のせいじゃないわ! あの男が悪いのよ!」
「一族の他の者にも迷惑がかかるゆえ、もう我が家に置いておくことはできん。せめてもの慈悲だ、家と仕事先は用意しておいた。お前はこれから独力で生きていけ!」
「嫌よ! なんで私が仕事だなんて下賤なことを……」
見苦しく喚くが、ボディガードたちによって屋敷の外に連れ出されてしまった。
縁こそ切られていないが、事実上、彼女は伯爵家から勘当されたことになる。
***
こうしてイングリッドはあるレストランで働くことになった。
王国でも極めて珍しい土足厳禁のレストランで、客は入り口で靴を脱いで、リラックスして食事を楽しむことができる。この妙なルールがかえって宣伝効果を生み、常連客は多い。
イングリッドは接客や靴の管理などを任されることとなった。
ウェーブがかった滑らかな金髪と華麗な美貌を持つ彼女に、レストランの従業員は大いに期待を寄せた。
しかし、イングリッドの働きぶりは酷いものであった。
「なぜ伯爵の娘であるこの私が、こんなことをしなければならないの!」
「誰かが履いた靴に触るなんてごめんですわ!」
「もう嫌! こんな仕事! お給料は安いし、疲れるし……」
毎日のようにわがままの言いたい放題。
レストランの支配人も頭を悩ませる。伯爵家の娘でなければとっくにクビにしていただろう。
それでもどうにか一通りの仕事は覚え込ませ、イングリッドは不平を漏らしつつ働くようにはなった。
そんなある日のことだった。
夜、一人の中年紳士がレストランに来ていた。上下スーツ姿で口髭を生やし、やや肥えた体型をしている。
食事を終えた紳士が帰ろうとする。イングリッドは彼の靴を探すが、この日はランプに不具合があり、玄関口は薄暗かった。
イングリッドが靴を探して戸惑う。
「暗くてお靴が分からないわ」
すると、紳士は財布から100ウェン札を取り出した。
まさかチップ? イングリッドはその仕事ぶりから、チップなど貰ったことがなかった。初チップの嬉しさに骨を差し出された仔犬のような顔になる。
ところが、紳士はそれを――
「火をつけよう」
燃やしてしまった。
「どうだ、明るくなったろう」
この炎を明かりにして、私の靴を探したまえ。そんな態度である。
「お金を燃やすなんて……なにを考えてるの!」
チップ欲しさとはいえ、イングリッドにしては正論。が、紳士は悪びれもせずこう返した。
「君の仕事ぶりにお金を払うより、こう使った方が有意義だろう」
ショックだった。
自分に紙幣を支払うくらいなら、燃やして明かりにした方がいい。今までに味わったどんな叱責よりも心に響いた。
婚約破棄された時や父から勘当を喰らった時も、ここまでの衝撃はなかった。
生まれて初めてイングリッドは打ちのめされた。
そして、こう思ったのである。
――この紳士に自分を認めさせたい!
***
それからというもの、イングリッドは心を入れ替えたように働いた。
いつかまたあの紳士が来た時、チップを払わせたかった。二度と紙幣を燃やさせるものか。
「いらっしゃいませ」
「10名様ですわね。ささ、こちらへどうぞ」
「さ、お靴ですわ」
あまりにも人が変わったようになったので、中には「頭でも打ったのか」「変な薬でも飲んだんじゃないか」などと陰口を叩く者もいたが、彼女は気にしなかった。
やがて、待ちに待った日が来た。紳士が再来訪したのだ。
イングリッドがはりきって接客する。
「いらっしゃいませ」
「君はいつぞやの……今日もよろしく頼むだろう」
この日、イングリッドの仕事ぶりは見事だった。挨拶、配膳、さらには下足番、どれも優雅にぬかりなくこなしてみせた。
元々伯爵家の長女として数々の作法を身につけていた娘である。素養はあったのだろう。
「今日は素晴らしい接客だったろう」
「ありがとうございます」
「君にチップをはずもう」
100ウェン札を渡される。
嬉しかった。チップを手に入れたことより、この紳士に認められたことが嬉しかった。
「では私は失礼するだろう」
「待って!」
思わず呼び止めていた。
「あなたのお名前は……?」
「私の名はナーリィ・キーン。長いので、“成金”でいいだろう」
「あまり長くない気もするけど……。いいわ、あなたのことは成金と呼ばせて頂くわ」
これをきっかけに二人はたびたび会うようになり、親密になっていった。
***
ある昼下がり、イングリッドは成金とカフェで紅茶を楽しんでいた。
「どうだ、美味しいだろう」「ええ、実に美味しいわ」といった気品に満ちた会話が展開される。
「君はあのエーヴェイア伯爵の娘だったのか。なのになぜ、レストランで働いているんだろう?」
「侯爵家の長男様に婚約破棄されてしまって……」
イングリッドは一連の出来事を話した。
「なるほど、事情は分かっただろう」
「自業自得なのよ。私の行いを振り返れば、ファーガス様がああなさるのも無理はなかったわ」
「しかし、婚約破棄はまだしも、悪評をばら撒くのはやりすぎという気もするだろう」
「そうかしら」
成金の顔には珍しく怒りが帯びていた。
「そうだとも。このままにしておいては私の気が済まないだろう」
「あなたの気が……?」
「君のような素晴らしい女性にそのような仕打ちをした男に、少々お灸をすえたいだろう」
イングリッドにもはやファーガスへの恨みつらみはなかったが、この成金の気持ちが嬉しかった。
「どうするというの? まさか……彼の家を燃やして『どうだ、明るくなったろう』とか?」
「それは過激すぎるだろう」
自分の中にまだまだかつての粗暴な部分が残ってることを自覚して反省するイングリッド。
「今から二人で新聞社に行くとしよう」
***
王国一の新聞社にやってきた二人。ここの新聞は評価が高く、一般大衆のみならず、王侯貴族ですら愛読している者は多い。
成金と同年代であろう編集長マーカスに会う。
「おお、キーン。久しぶりだな。綺麗なお嬢さんまで連れてどうした?」
「頼みがある」
「なんだ?」
「このイングリッド嬢が失踪したという記事を書いて欲しいだろう」
「失踪したって、そこにいるじゃないか。確か今はレストランで働いてるんだろ。嘘を書くわけにはいかないよ」
さすが、敏腕編集長。イングリッドの情報も入手していた。
「例えば『イングリッド嬢が失踪!?』という風な見出しにすれば嘘にはならない。勤めてるレストランはしばらく休むだろう」
「うーむ……しかし、明日の記事はもう決まってるし……」
「お金ならいくらでも払うだろう」
札束を積まれ、ついにマーカスが折れた。
「あんたには敵わないな、キーン……。分かった、あんたに協力するよ」
この財力、いや人間力、下手な貴族よりも上かもしれないな、とイングリッドは思った。
***
翌日、イングリッド失踪を報じる新聞が配布された。
この記事は当然、婚約破棄したファーガスも目にすることとなる。
「あいつが失踪……? 俺の婚約破棄にショックを受けて? まさかな、あの性悪が自死など選ぶわけがない」
とはいえ、最悪の事態が頭をよぎるのも事実。
妙な遺書など残されて死なれたら面倒だな……などとあくまで自分の心配だが。
このことが気がかりとなり、数日間、彼は精彩を欠いてしまう。
「こういう日は……飲むに限るか」
ファーガスは上着を引っかけると、貴族御用達のパブに出かける。心配事がある時のルーティン的な習慣である。
数時間後、小さなランタンを片手に帰路につくファーガス。
「いい酒が飲めた。すっかり暗くなったな。さっさと帰らないと」
すると――
ボワァ……。
ファーガスの眼前、暗闇の中に火の玉が浮かび上がった。
「なんだ?」
「よーくーもー……」
「こ、この声は……!」
すぐに声の主に気づく。
声だけではない。火に照らされているのは失踪しているはずのイングリッドの顔だった。
「ひっ!?」
「よくも私との婚約を……白紙にしてくれたわね……」
「わわっ!」
「おかげで私は……散々ひどい目にあったわ……。父に怒られ……家を追い出され……」
「わーっ!!!」
恨みを晴らすため、化けて出たか、とファーガスは狼狽する。
その拍子にランタンを落としてしまう。
「く、暗い! ……くそっ! 明かりを……明かりを……」
「暗いなら明かりをつけてあげよう」
「おお、かたじけない」
――と、思わず返事をしてしまったが、誰の声だ? イングリッドではなく男の声だった。
その途端、もう一つ火の玉が浮かび上がった。
「え……?」
火に照らされていたのは、口髭のおじさんだった。
「どうだ、明るくなったろう」
「うぎゃああああああああっ!!!」
暗闇の中、火に照らされたよく知っている令嬢と初めて見るおじさんに挟まれ、完全に腰を抜かすファーガス。
「ゆ、許してくれ! 許してくれええええええっ……!」
もはや立つこともかなわず、四つん這いで逃げていくファーガスをフフフと笑うイングリッドと成金。
「どうだ、しばらくは恐ろしくて外出もままならないだろう」
「普段は完璧な好青年に見えるけど、幽霊には弱かったのね」
「少しはスッキリしたかね?」
「ええ、スッキリしたわ」
二人は火に照らされたまま、顔を見合わせニッコリと笑った。ちなみに二人が燃やしているのは紙幣ではなく、古新聞の切れ端であった。
***
ファーガスにお灸をすえ、気持ちに整理がついたのか、イングリッドはますます精力的に働くようになった。
いつしかレストランの看板娘のような存在となっていった。
やがて、娘の反省を感じ取った父も、レストランを辞めて屋敷に戻ってこいと勧めた。
しかし、イングリッドはレストランで働き続けたいと言い張った。
父は「お前もすっかり変わったな」と笑うと、それ以上は無理強いしなかった。
ある日、レストランに成金が来ていた。
「今日もいい接客だったろう」
「ねえ、成金。今からちょっと時間ある?」
「かまわないだろう」
支配人の許可を得て、外を二人で歩く。
「あの日、あなたがお札を燃やしてくれたおかげで私は生まれ変われたわ」
「そんなことはないだろう」
「いいえ、あなたがいなければ私はきっと今も……レストランに迷惑をかけ続け、ファーガス様を恨んでいたかもしれない」
「……」
「あなたはお金だけじゃなく……私の悪しき心を燃やしてくれたのよ。そして、私の恋心も……」
「……!」
「成金……いいえ、ナーリィ様。私、あなたのことが……」
「ちょっと待つだろう」
コホンと咳払いすると成金は言った。
「私で……いいのかね?」
「あなた以外、考えられないわ」
「ならば、ここからは私に言わせて欲しいだろう」
イングリッドは黙って頷く。
「どうだ、私と……男女の仲になってくれ。結婚してくれ」
「喜んでお受けいたしますわ」
見つめ合う二人。
しばらくイングリッドの美しく穏やかな面相を見つめた後、成金はこうささやいた。
「君の顔……初めて出会った時よりずっと明るくなったろう」
~おわり~
何かありましたら感想等頂けるとありがたいです。