Scene5「先輩と、紅茶」
「……千秋くんは、コーヒーと紅茶、どっちが好き?」
先輩がそんな質問をしてきたのは――僕がもう一度フェルト細工にリベンジするために、フェルティング針をチクチクやっていた時だった。
この質問を聞いて僕は、来た、と思う。
ここの部室の戸棚には、インスタントのコーヒーと紅茶の茶葉が常備されていて、電気ケトルでいつでもお湯を注げるようになっている。そして先輩は、時折、それを僕に振る舞ってくれるのだ。
だが、このコーヒーか紅茶かという二択、なんてことない二択のようでいて、実は正解が存在する。
なんでそんなこと分かるのかって?
そんなの簡単だ。
だって僕は……すでに一度、間違えてしまったのだから。
僕は極めて慎重に、その質問に答えた。
「えーっと……紅茶、ですかね……?」
そう。答えは紅茶だ。
いや、別にコーヒーを選んだところで大きな問題はないのだが……どうやら先輩は紅茶の方に並々ならぬ拘りを持っているらしく、コーヒーを選んでしまうと、若干ムスッとする。
と言っても、よく見ないと分からないくらいの小さな差でしかないのだが。それでもやっぱり、機嫌を損ねないに越したことはない。
というかだったら何でコーヒーなんか置いてあるんだという気もしなくもないが、僕にそんな事を聞ける度胸は存在していなかった。
「オッケー、紅茶ね」
僕の答えを聞いた先輩は、満足そうな笑みを浮かべた後、ソファから立ち上がって戸棚の方に向かった。そしてしばらくすると、こぽこぽとお湯の注がれる音が聞こえてきて、それを追うように紅茶のさわやかな匂いが香ってくる。
「お待たせ」
先輩が、2人分のティーカップを持って、こちらに戻ってくる。そして僕の目の前に、そのうちの1つをコトリ、と置いた。
「まだちょっと熱いかも知れないから気を付けてね」
先輩の言う通り、ティーカップからは白い湯気がふわふわと昇っていた。僕はその湯気を眺めながら、紅茶はどうして紅いのだろう、なんてどうでもいい考えていた。
そうこうしている間に、先輩は一足先に紅茶を口元へと運ぶ。そして満足げに頷いた。
「……うん、いい感じ。千秋くんも、ほら」
先輩に促された僕は、フェルティングを一旦中断し、ティーカップを持ち上げる。と、同時にカップの中の紅茶が揺れ、香り立つ。紅茶の知識こそない僕だったが、そんな僕ですら感じられるほど、その匂いは心地良いものだった。
そして、僕は一口啜る。
「……なるほど」
分からん。
どうやら、細かな味の違いが分かるほど、僕の舌はまだ肥えていないらしかった。
「どう?」
先輩が、心配げに聞いてくる。それに僕は答えた。
「美味しいです」
……ちなみに言っておくが、別に嘘ではない。実際美味しかったのは確かだ。
もっとも、それ以上味の感想を問われたところで、答えられそうにないのも確かだったが。
「そっか、良かった」
だが僕のそんな返答に満足したのか、先輩は微笑んでいた。その表情を見て、僕はホッと胸を撫で下ろす。
どうやら墓穴を掘ることにはならずに済みそうだ。だが、まだ油断は禁物だ。
僕は味の感想から話を逸らすために、先輩に質問を投げかけた。
「先輩は、そんなに好きなんですか? 紅茶」
すると先輩は、うーんと数秒間考える素振りを見せた後、こう答えた。
「別に、そうでもないかな。どっちかと言うと好きなだけだよ」
「どっちかと言うと、ですか」
「うん。どっちかと言うと、コーヒーよりも紅茶が好きなだけ」
「こんなに淹れるの上手いのに、ですか?」
「でも、そういうものじゃない? 好きかどうかなんて、変に意識しすぎても、窮屈になるだけだし」
「そういうもんですかね……」
なんだか分かるようで、よく分からない話だった。
先輩の言うことは、時々僕には難しい。
「……あ、でも」
先輩は、何かを思い付いたように言う。
「千秋くんがいない時の部室よりは、千秋くんがいる時の部室の方が……私は好きかな」
「そう、ですか……」
先輩の言うことは、時々僕には難しい。けど……。
とりあえず、次までに紅茶の勉強をしておこう――と僕は思ったのだった。