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Scene2「先輩と、手芸部」

「……お疲れ様、千秋くん」

「お、お疲れ様です……先輩……」


 先輩から声をかけられ、僕はほぼ反射的に返事をする。

 本当は、先輩に気付かれないうちに帰るつもりだったのだけど……こうなってしまった以上、もう観念するしかないだろう。

 僕は多少気後れしながらも、部室の中に足を踏み入れる。


「……なんだかいつもより遅いね。今日はもう、来てくれないかと思ったんだけど」


 僕は先輩の言葉を聞いて、申し訳ない気分になる。


「いやぁ……実は今日、掃除当番でして……もしかして、邪魔でしたか?」


 僕がそう訊くと、先輩はふふ、と笑いながら答える。


「ううん、来てくれて良かった。実はいつ来るのかなって、ずっとソワソワしてたから」

「そうですか……」


 先輩の気遣いの言葉にむず痒さを感じつつ、しかし取り合えず機嫌は損ねてなさそうなので、ほっと胸を撫で下ろす。

 だが、危惧していたとおり、何かの作業をする先輩の手は止まってしまっていた。それを見て僕は、やっぱり申し訳ない気分になる。

 やっぱりここに来なきゃ、先輩の手を煩わせずに済んだんじゃないか――って。

 そんな僕の密かな憂いを、先輩はかき消すように微笑む。


「風、凄かったね。ビックリしたでしょ?」

「あ……いえ」

「あったかくて気持ちよさそうだったから、気分転換に開けてみたんだけど。失敗だったみたい」


 確かに、新校舎から旧校舎へ向かう渡り廊下を抜けた時は、そこまで強い風を感じなかった。

 だけど文芸部の窓は中庭に面していて、その向こうに新校舎がある。もしかするとその校舎の配置が、風の逃げ辛い状況を生んでいるのかもしれなかった。


「僕、閉めますね」


 僕は、そう先輩に断り、彼女を横切って奥の窓へと向かう。そしてそのすれ違いざまに、先輩が手に持っていたものを確認する。


「……それ、制服ですか?」


 先輩が裁縫していたのは、この学校のブレザーだった。地味な紺色の、よくある感じのブレザーだ。先輩は普段から学校指定のベージュ色のセーターを着ていて、あまりブレザーを着用しているイメージはなかったため、僕はそれが妙に気になった。

 するとその答え合わせをするかのように、先輩が言った。


「うん、これ友達のなの」

「友達の、ですか?」

「袖のボタンがほつれちゃったみたいで、だったら私が治してあげよっかって」


 そう言われると確かに、先輩が着るにはサイズが多少大きいような気がしなくもなかった。友達のもの、というのは嘘ではないらしい。いやそもそも、先輩が僕に嘘をつく理由もないが。


「そういうの、いつも引き受けてるんですか?」

「……まぁ、どうせ暇だったから」


 先輩は、僕の質問に対し答えになっていない答えを返す。しかしその答えは……もしかして彼女がいいように使われているんじゃないかという疑念を、僕に抱かせるには十分だった。


「……あまり、そういうのは引き受けないほうが良いんじゃないですか?」

「どうして?」


 僕の言葉に、先輩は一切の曇りのない瞳で返す。僕はその瞳に、少し面食らってしまう。

 僕はその動揺を隠すように、先輩から視線を外し、そそくさと開いている窓に手をかけた。そして、窓を閉めながら言う。


「だ、だって……わざわざ先輩がやる必要はないじゃないですか……本来の活動もできなくなるし……」

「大丈夫よ。そんなに時間がかかるものでもないし」

「でっ、でも……」


「でも?」


 窓を閉め終えて僕が振り返ったその時、目の前に先輩の姿があった。

 身を預けていたソファから立ち上がり、僕のほうに向かってグイ、と身を乗り出していたのだ。


「っ……」


 急に先輩の顔が目の前に来たために、僕は息を呑む。


「だって……」

「だって……?」


 先輩の軽いウェーブのかかった髪の毛が僕の鼻先で踊る。

 髪の毛からはシャンプーの良い香りがした。

 ……って、変態か、僕は。


「……先輩の優しさにつけ込もうとする人がいるとしたら、嫌なだけです」

「なーんだ、そんなことか」


 匂いに中てられて軽く錯乱状態に陥っている僕が何とか絞り出した言葉を、先輩は軽い笑い声であしらった。


「大丈夫よ、だってこれ、仲のいい子から頼まれたものだし」


 そう言って、まだ手に持っていたブレザーを僕の前に掲げる。鼻先を掠めたそのブレザーからは、先輩とは違う匂いがする、気がした。


「だれかれ構わず安請け合いしてる訳じゃないから。だから大丈夫」

「は、はあ……」


 僕の曖昧な返事を聞いたことで満足したのか、先輩は僕のもとから離れて再びソファへと腰掛ける。

 まあ……先輩がそう言うなら、これ以上僕からは何も言うべきではないだろう。


 どこかに腰掛けようと思った僕は、部屋の隅に立てかけてあったパイプ椅子を引っ張り出してきて、そこに腰掛けた。先輩の座るソファにもまだ十分に余裕はあったが、彼女の隣を陣取る度胸は、僕にはない。

 だが、そこに腰掛けた瞬間、先輩は僕を見て言った。


「……ちょっと待って」

「え? 何ですか?」

「千秋くんの制服も……ボタン取れかかってない?」


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