Scene14「先輩と、衣替え」
中間テストも無事終わり、残すところあとわずかとなった1学期。
先輩とのテスト勉強のお陰で取り敢えず人に見せても恥ずかしくない程度の成績を取った僕は、今日も今日とて、手芸部の部室で先輩と二人だべっていた。
「あー……あっついねー」
先輩がそう言いながら、ブラウスをパタパタとあおぐ。先輩の首筋は僅かに汗ばんでいた。
確かに、暑いと感じる日が多くなってきている気がする。
気がつけばもう、6月……季節は初夏へと突入していた。
「……そういえば、先輩、今日から夏服なんですね」
僕は先輩の姿を眺めながらそう言った。
先週先輩を見たときは、まだ冬服を着ていたのだけれど。かく言う僕は、まだ冬服を着用している。
「うん。6月は夏服への移行期間だし、早速着てきたの。それより千秋くんこそ、まだ冬服なんだ?」
「はは……まだ冬服でも大丈夫かと思ったんですけど……」
実際は、先輩の選択が正解だったようだ。この気温でブレザー着用は、流石にキツいものがあった。正直言って後悔しかない。だったら脱げばいいだろうという話ではあるのだが、どこかに置き忘れてしまいそうな気がして、脱ぐのが億劫になってしまっていた。
「僕も今日から夏服にすれば良かったです」
「だよねー。私なんて、冬服のままなんて多分耐えられないよー」
「急に暑くなりましたからね」
「ねー」
そんな他愛のない会話をするその実……僕は、あることが気になって仕方がなかった。
それは……先輩の胸元だ。
ブラウスを掴みながらパタパタと胸元に空気を送り込むその仕草――それが絶妙に、その先が見えてしまいそうな開き具合だったのだ。
僕はその誘惑に負けて覗き込んでしまいそうになる一方で――ある言葉が、脳裏によぎる。
『―― だけどまこっちゃんはそれを全部断った。理由は簡単だ。どいつもこいつもまこっちゃんにお近づきになりたいっていう、下心丸出しの連中ばかりだったから』
それは、この前里崎先輩がこの部室に来たときに言った言葉だ。
里崎先輩によると、先輩は、下心のある生徒の入部を断っていたらしい。
そして、一番下心の無かった僕を入部させた。
……要約すると、そういうことだ。
だけど、もし仮にそれが入部条件ならば――僕にはもうこの部にいる資格は無いのかも知れなかった。
だって、最近の僕は、気付けば先輩のことばかり考えてしまっているからだ。
それってつまり……入部を断られた生徒たちと、まったく相違ないじゃないか。
だから僕は、出来るだけ先輩に、先輩への下心を悟られないようにしないといけないのだけど。
なのに、今日の先輩ときたら……。
チラチラと見える白い素肌の先に、その、下着が見えそうで……。
……いや、見ちゃダメだ。絶対に。
だが、僕が人知れず葛藤を続けているうちに、先輩は僕の挙動不審さに気づいたらしく。
「……ねぇ、千秋くん、どうかした?」
先輩が、疑問のこもった声を僕に投げかけてくる。
「……なんでもないです」
僕は多少口籠もりつつも、無難な答えをするほか無かった。
「ふーん」
だが、先輩には、僕の考えていることがなんとなく分かったらしい。
「そんなに見たいなら、見せてあげよっか? ほれ」
ニタニタといらやしい笑みを浮かべながら、僕に向かって胸元をパタパタを仰ぐ。
「ちょ……、やめてください……!」
僕は思わず目を逸らす。
だが、一瞬ではあるが確実に見えたそれが網膜に焼き付いて、僕は、ただでさえ暑いのに自分の体温が上昇していくのを感じた。
それを見て、先輩は堪えるように笑いを漏らす。
「千秋くんはエッチだねぇ」
「せせ、先輩が自分で見せたんでしょ……!?」
「だって千秋くん、いちいち面白い反応するから」
「面白いって……」
そんな理由でからかわれていたら、からかわれるほうは堪ったもんじゃない。
「千秋くんは本当に、面白いなぁ……」
先輩は、そうしみじみと呟いた。
先輩が僕のことをそう思ってくれるなら、まあ、悪い気はしないけど……。
……先輩はどうして……僕を入部させたのだろう?
ふと僕は、そんなことを思った。
変な下心がなかったから?
そうだとしたら、たったそれだけの理由しかない僕は、先輩にとってなんなのだろう。
他の男子と比べても何の取り柄のない僕なんかを、一体先輩はどう思って、この手芸部に引き入れたのだろう――。
「……先輩は」
「うん?」
「後悔してないですか? ……僕を入部させたこと」
「……どうして?」
「だって……僕、思うんです。僕が入部しなかった方が、先輩の1人の時間を邪魔することもなかったんじゃないかって」
「……うーん、そうだなぁ……」
先輩は考える素振りを少しだけ見せた後、こう言った。
「私は別に、1人が好きな訳じゃないよ。ただ、つまんないのが嫌なだけ。それに……」
「それに?」
「もしも後悔することがあったとしても……それは多分今じゃない……かな」
「……どういう意味ですか?」
「さあ……? どういう意味だろうね?」
先輩は、からかうように笑った。そんな彼女を見て僕は、少なくとも今は、つまらなくはなさそうだな、と思うのだった。