Scene13「先輩と、テスト勉強」
「――ごめんね、昨日は」
僕が部室に来るなり、先輩が開口一番に放った言葉は、それだった。
「……何がですか?」
「ほら、昨日ここに来れなかったから」
「ああ……」
そう言えばそうだった。それで、代わりに里崎先輩がコーヒーを飲みにやって来たのだ。まあ本当にコーヒーを飲むだけ飲んで帰ったので、一体何しに来たんだろう、という感じだけど。
その里崎先輩が言うには、確か昨日先輩は、クラスの友達とテスト勉強をしていたはず。
「勉強は捗りましたか?」
「えっ……?」
僕が尋ねると、先輩は驚きに目を丸くした。
「よく知ってるね、私が昨日テスト勉強してたって」
え?
だってそれは、昨日は里崎先輩が……。
「……里崎先輩が教えてくれましたよ? わざわざこの部室にまで来て」
僕がそう言うと先輩は、はぁ、とため息を吐いた。
「なるほどね……あの子のお節介焼きにも困ったもんだわ……」
つまり、昨日の里崎先輩の訪問――里崎先輩自身は頼まれたからと言っていたけど、実際はあの人の独断だったという訳か。
何がしたいのか、ますます良く分からない人だった。
「まぁ……テスト勉強って言っても、私はほとんど教える側だったから……それはそれで復習にはなるけど、捗ったかって聞かれると、ちょっと微妙かな」
先輩は苦笑交じりにそう言った。
その様子を見て、僕は、先輩らしいなと思った。
先輩はいつも、自分じゃない誰かを優先して行動するからだ。昨日、里崎先輩も言っていたけど、きっと今回の勉強会も断り切れなくて参加することになったのだろう。そして、結局教える側に回ることになってしまった、と。
ちなみに余談だが、先輩は勉強もかなりできるらしい。実際に目の当たりにしたことはないけど、去年の期末試験なんかは、学年1位だったとか。
そりゃ、優しくて勉強も出来るともなれば、こんなふうに引っ張りだこなのも頷ける。
もっともそれで自分の勉強がおろそかになってしまうんじゃ、世話ないが。でもきっと、先輩はケロッとした顔でまた学年1位なんか簡単にとってしまうのだろう。先輩はそういう人なのだっだ。
「あ、千秋くん……なんか失礼なこと考えてない~?」
「べ、別に何も考えてませんよ」
「ふ~ん? ……じゃあ、ちなみに聞くけど、千秋くんは今度の中間試験、自信あるの?」
「それは……」
先輩の言葉に、僕は思わず言い淀む。
……自慢じゃないが、僕は勉強がそんなに得意ではない。
いや、全くできないって訳ではもちろんないのだが……でもずば抜けて頭が良いわけでもない。良くも悪くも並レベルだ。
しかもそれは中学までの話であって、環境が変わった高校生活で、僕の学力がどのレベルなのかは、正直サッパリ見当がつかなかった。
「まあ、大丈夫ですよ……多分」
「ほんとかなぁ?」
苦し紛れで放った僕の言葉を、先輩は全く信じていないようだった。
そして、続けて先輩は言う。
「ねえ、もし良かったらさ」
「はい」
「勉強……私が教えてあげよっか?」
「……はい?」
思いもしなかった先輩のその誘いに、僕の声は自然と上ずっていた。
「い、いや……悪いですよ……」
正直……かなり魅力的な誘いだったけど、この好意に甘えてしまったら、僕もそれこそ先輩のクラスメイト達と一緒じゃないか。先輩の負担を何も考えずに、自分勝手なことはしたくない。
それに、先昨日の今日でまた他人に勉強を教えるなんて、先輩も流石に疲れるだろう。
だから僕はその申し出を断ろうとしたのだけれど。
「そんなに遠慮しなくていいよ。私が教えたいだけだし……だから、ねぇ……お願い♪」
そう言って、先輩は拝むように両手のひらを合わせてみせる。
先輩にここまで言われてしまっては、何だか断るのも逆に申し訳ないいがしてくる。
僕は観念して言った。
「……分かりました。先輩、お願いしても良いですか?」
「やった、そうこなくっちゃ!」
僕の言質を取った先輩は、楽しそうに鞄を取りに行く。
というか、なんで先輩……勉強を教えるだけなのに、こんなに楽しそうなんだろう……。
先輩の言動に釈然としないものを感じつつも、僕も鞄を掴んで、そこから教科書を取り出した。
「ねえ千秋くん。千秋くんは何の教科が得意なの?」
筆記用具を広げると、向かい側に座った先輩が、僕にそう尋ねた。
「そうですね……めちゃくちゃ得意って訳じゃないですけど……強いて挙げれば、数学ですかね」
「へー、そうなんだ。っていうことは、千秋くん……理系なんだ!」
「えっと、まあ……はい」
「ふふふ……そっか……」
先輩は、何故か、嬉しそうだった。
「僕が理系なのって、そんなに変ですか?」
僕がそう聞くと、先輩は首を横に振った。
「ううん、違うの……千秋くんのこと、また一つ知れたから、何だか嬉しくて」
「そ、そうですか……」
こんなことで良ければ、聞かれればいくらだって教えるのにな……。
思わず、そんな無粋なことを考えてしまう僕だった。