Scene12「先輩と、友人A」
「お疲れ様で――」
いつものように部室に顔を出すと、部屋の中はいつもと様子が違っていた。
今日は、ほぼ必ずと言っていいほど僕よりも先に部室に到着しているはずの先輩が、居なかった。
そして……先輩の代わりに、部室のソファで寛いでいる別の人物。
「よっ、遅かったじゃん」
先輩ではない、謎の女生徒がそこにいた。
上履きの色からして、先輩と同じ2年生であることは分かる。
女生徒は、僕に対しまるで友人に会ったかのような口調で喋り出した。
「何、掃除当番だったん? ……あ、そっか。1年の校舎は東側だから遠いのか、なるほどね」
僕に質問を投げかけながら、僕が答えるまでもなく、自己完結してみせる。
なんなんだ……この人は……。
僕が訳も分からず扉の前で立ち尽くしていると、その謎の女生徒は僕に言った。
「どうしたの? 突っ立ってないで中に入って来なよ」
「……誰ですか? あなたは」
僕は、なんとか言葉を絞り出す。すると女生徒は僕が中に入ってこない理由にようやく気付いて、吹き出すように笑った。
「あはは! なるほど、そういうことか! ほら後輩くん、私の顔、覚えてない?」
そう言われて、僕は彼女の顔を凝視する。
そう言われれば……どこかで見たような気が……。
切れ長の目、クールな顔立ち……。
……あ!
「この前の、食堂で会った……」
「ピンポーン! 正解!」
そうだ、この人……この前学食でお昼を食べた時に先輩と一緒にいた、友人Aだ。
「私、里崎薫っていうから。以後、お見知りおきを」
とりあえず友人A――もとい里崎先輩の正体がはっきりしたので、僕はようやく部室の中に足を踏み入れる。
というか、そもそも……。
「なんで、その……里崎先輩がここに……?」
すると里崎先輩は、なおもソファの上でリラックスした体勢を取りながら、
「んー? いやね、まこっちゃんお気に入りの後輩くんが、一体どんな人物が知りたくなってね」
「はあ……」
とりあえず、まともに答える気はないらしい。
僕は、彼女を相手にするのは諦めて奥に行き、電気ケトルに水を入れてボタンを押した。電子ケトルは鈍い電動音と共に、湯を沸かし始める。お湯が沸くのにまだ数分は掛かるだろう。
すると、それを見ていた里崎先輩が、僕に向かってこう言った。
「あ、私、コーヒーね」
……図々しい人だな。
「後輩くんは何飲むの?」
「……? 紅茶ですけど」
「あー、まこっちゃんに毒された感じか」
「どういう意味ですか?」
「まこっちゃんって、やたらと他人に紅茶勧めるじゃん? でも私、コーヒーの方が好きだからさ。言ってやったんだ、インスタントコーヒーぐらい常備しやがれって」
……なるほど。部室に先輩が飲まないコーヒーが置いてあるのは、この人のせいだったのか。
僕は軽くため息を吐いた。
……まあ、いい。
今はこの人の言う通りにして大人しくしていよう。先輩がくるまでの辛抱だ。
だが、里崎先輩が次の瞬間放った言葉によって、僕の希望は脆くも崩れ去る。
「あ、そうだ。まこっちゃん今日は部活来れないよ」
「……えっ? そうなんですか?」
「うん。ほら、あとちょっとで中間テストじゃん? クラスの連中とテスト勉強する約束しちゃったみたいでさ。それを後輩くんに伝えてくれって」
それをもっと早く言え。
「きっと、断り切れなかったんだろーな。あの子、断るの下手だからさ」
里崎先輩は、そう言って苦笑する。
それはまあ、確かに……容易に想像できるが。
だがそれで、代わりに里崎先輩がここに来た訳か。
でも、だったら……。
「だったら里崎先輩」
「ん?」
「僕にそれを伝えるためにここで待っていたんでしょう? だったら、もうここに来る用は済んだんじゃないですか?」
「……なんだよ、つれないなあ」
しかし里崎先輩は、ソファから立ち上がろうとするどころか、さらに深く身を預けた。
「もう一つあるんだよ、ここに来た理由はね」
「もう一つ? なんですか、それ?」
「だからさっき言ったじゃん。後輩くんが、どんな人物なのか知りたいって」
「え?」
「いやー、こちとら不思議で仕方ないのよ。なんでまこっちゃんが、ここまでキミを気に入ってるのかをね。少し前までは、男子になんて1ミリも興味を示さなかったのに」
「……」
……そんなこと、僕が知る訳ないじゃないか。むしろこっちが知りたいくらいだ。
だが、そう思う僕を知ってか知らずか、里崎先輩は続けた。
「知ってるかな? 後輩くんが手芸部に入部する前……実は手芸部には、入部希望者がそれなりにいたんだ」
「え? 本当に?」
「うん。だけどまこっちゃんはそれを全部断った。理由は簡単だ。どいつもこいつもまこっちゃんにお近づきになりたいっていう、下心丸出しの連中ばかりだったから。でも……君だけが入部を許された。なぜだろうね?」
そんなの……聞かれたところで分かるものか。
だって僕が手芸部に入ったのは、本当にただの偶然でしかないのだから……。
「……まあ、私は、今日キミと話してて、なんとなく分かったけどね」
え……!?
「本当ですか?」
僕は驚きのあまり里崎先輩を見つめるが、里崎先輩は当然だと言わんばかりに肩を竦めた。
「まあね……でも、キミには教えられないかな。……私も馬に蹴られて死にたくはないからね」
馬に、って……どういう意味だろう?
しかしそれを尋ねたところで、里崎先輩が素直に教えてくれるはずもなく。
……そして里崎先輩は、コーヒーを飲み干して部室を後にするその時までとうとう、まともに答えようとしなかった。そして僕は、それをただ黙って見つめることしかできなかったのだった。