第2話
気分なんて感じない。
痛みも苦しみも。
だってもう[ ]だから。
目のない自分を襲う睡魔に負けそうになりながら先生からの話を聞いているうちに何度もこのフレーズが脳内に流れた。自分はそうとは一切思ってもいないのに。しかし最後の[ ]がいつも霧がかかったように分からない。
だってもう……だから。
自分は何か取り返しのつかないことになっているのだろうか。何度考えても思い出せない。その前に何のことを言っているのかすら分からない。
ふと気がつくと周りは静かになっていた。どうやら先生の話が終わってたらしい。あのフレーズのことを考えるのに必死で話がまったく頭に入っていないが多分大丈夫だろう。それにしても目がないと何時かも分からないし、周りがどうなっているのかも分からなくてとても不便だと今更ながら痛感した。
いつ退院出来るのだろう。今後どうしていこうか。点字を覚えないといけないのか。通っていた学校はどうしたのか。色々と疑問を心の中で唱えてるうちに深海のような眠りに落ちていた。
穏やかな鳩の鳴き声と病院内の雑音が混ざった音で目が覚めた。やはり視界は暗い。昨日まで実は夢だったという希望は少しはあったが今はもうない。
はぁ、という大きなため息を吐いたその時目の前で何かの物音が聞こえた。
カタッ
「鎌月さん、朝ごはんお持ちしましたよ。1人で食べれます?よかったら手伝いますよ。」
「うわっ!?」
俺は急な物音と声に驚き声を上げ身体をビクッとさせてしまった。視覚がないとこんな日常的な声掛けにも驚いてしまうとは思ってもいなかった。
「ご、ごめんなさい!昨日、先生からの長い話を終始静かに聞いてたからもう視界がないの慣れたのかなって思っちゃった。」
「い、いえ貴方が謝る必要はないんですよ。俺がまだ慣れてないのがいけないんですよ。」
話を聞いてなかったなんて口が裂けても言えない。言ってしまったら色んな人に怒られるに違いない。
「ところで朝ごはんどうします?今日は目覚めたばかりなので、お粥とバナナにしてありますよ。」
「お粥とバナナですか。じゃあレンゲをこの手に渡してくれるだけでいいですよ。ちょうど食事の練習がしたかったんです。ありがとうございます。」
「鎌月さんって頑張り屋さんなんですね。」
「え…?」
「私がもし鎌月さんの立場だったらどうしたらいいかわからなくてずっと泣いていますよ。」
「その気持ち、わかりますよ。俺も昨日ずっとずっと悩んで苦しんで泣きたかった。でも泣けない。泣くのは枯れた薔薇のように美しくない行為だってあの人に教わったから。」
そう。泣くのは美しくない。世界一美しくない。自分が小さい頃あの人に言われた一生忘れない一言。
「ほら、いつまでも泣いてないで!泣き顔っていうのは世界、いや宇宙一美しくないものなんだぞ!お前にそんなのは似合わないから泣き止んで一緒に笑顔になろうよ!」
あぁ、何度思い出しても鮮明に聞こえてくるあの人の声。また聞けたらいいのに。
「鎌月さんってやっぱり頑張り屋さんですね。私、尊敬しちゃうな。あ、あと先生が言ってたんですけど今日から退院できるらしいですよ。詳しい話は直接お願いしますね。じゃあ食事の練習頑張ってね。」
とだけ言ってさっきの看護師は病室を出ていった。
この数分間話していた彼女、何か思い詰めてることがある気がした。気のせいだろうか。今度会った時に話を聞いてみようかな。
そんなことを考えながら利き手に持ったレンゲでお粥を食べようとしているが思った以上に難しい。どれくらい掬っているのかを感覚でやらないといけないのが特に難しい。結構お椀一杯とカットバナナ数個を食べ終わるのに1時間くらいかかってしまった。
慣れない食事をし終わったタイミングでこの前色々教えてくれた先生が部屋に入ってきた。
「調子はどうだい?少しは慣れたかな?」
「昨日はいっぱい教えてくれてありがとうございました。はい、今のところ健康に問題はありません。まだ食事とかは慣れてませんけど他は大丈夫です。」
「いえいえ、どういたしまして。そうか。食事はやっぱりまだ慣れてないよね。ところで君、なんで私だってわかった?声かい?」
「いえ、部屋に入ってからこっちに向かってくる時の先生の独特な靴の音でわかりました。」
「ハハハ!凄いじゃないか!名探偵みたいだよ!」
「そ、そうですか。ありがとうございます。あの、先生。今日退院ってできるんですよね?」
「退院?もうしちゃって大丈夫?大丈夫なら全然いいんだけど。」
「じゃあ退院させてください!」
その後、退院手続きなどを口頭で済ませ家に帰る支度をした。といっても財布とスマホを持って着替えるだけ。運ばれた時、服はもうボロボロだったらしいから新しいのを看護師に買ってきてもらった。色は分からないが何故か和服を買ってきたらしい。これは目が見えなくても看護師のファッションセンスを疑う。普段和服を着ないため着るのにとても戸惑ったが看護師に手伝ってもらいなんとかなった。
まさか着替えで気力が持っていかれるなんて予想もしてなかった。それから看護師と先生に手をとられながら病院の正面玄関まで連れていってもらった。
色んな人が心配そうに声をかけてくれた。こんな多くの人に心配されるのはいつ以来だろう。
タクシー乗り場まで一人で行けるからという言葉とお礼を先生たちにして正面玄関から出た。
左手には財布とスマホ。右手には先生がさっきくれた杖。目元にはぐるぐる巻きの包帯。空気を通しやすい和服。今ある全てが体験したことのない初のことだ。
タクシー乗り場まで正面玄関から真っ直ぐ五十メートルらしい。地面にある点字ブロックを頼りに歩いていると自分より小さい何かにぶつかった。
ドンッ
「あ、ご、ごめんなさい。目が見えなくなって初めての外で慣れてないんです。ぶつかってすみません。」
咄嗟に謝った。もしぶつかったのが人だったらという仮定のときの意味で謝った。
「あなた………」
「は、はい!ごめんなさい!怪我はありませんか?」
「私とコンビを組みませんか?」