第1話
痛い。苦しい。
そう感じていたのは何時間前のことだったのだろうか。視界は赤黒く染まり自分の身体にゆっくり落ちる雪を見ることしか今はできない。
次第に瞼の力が弱くなっていくのと同時に死というものを感じながら刻々と時が過ぎていった。この前まで死ぬということすら考えたこともなかったから恐怖より不思議な感覚が全身を包み込んでいる。最後の力を振り絞って手を動かし、自分の顔に積もりそうな雪を払おうとした瞬間、意識が遠のいた。
それから何年経ったのだろう。聞き覚えのない電子音で意識が朦朧としながらだが覚醒した。辺りは真っ暗で何も見えなかった。これが死後の世界というものなのか。神経に数秒間集中して、視覚はないが五感のうちほとんどが残っていることがわかった。
ふわふわとした触覚、永遠に続く電子音の聴覚、口の中が微妙に苦い味覚、少し薬っぽい嗅覚、そして何も見えない視覚。割といい場所なのではと思っていた時、突然耳元で若い女性のような声が囁かれた。
「おや?目を覚ましましたか?先生をお呼びするので少々お待ちくださいね。」
先生…?何かの聞き間違えか、それとも何か。さっきまで冷静でいた自分の脳内が一気に困惑に変わった。なんだなんだと思っているのもつかの間、数人がこっちに急いで走ってくる足音が聞こえ、息切れをさせながら無理に喋る声が近くで耳に入ってきた。
「ま、まさかあの状態から回復するなんて…」
「ええ、私も驚きですよ。もう無理だと思って今後からこの子をどうするか悩んでいた最中だったのに。」
「はぁ、はぁ、その前に彼に話を聞いてみては?」
「あぁ、まずはそうだな。」
と会話が終わった矢先、床と靴の踵が当たってカツカツと音が鳴るのが迫ってくる。
自分は何が起きてるのかがまだ分かってない混乱状態がさらに悪化した気がした。
「えーっと、鎌月 蓮くん?聞こえるかな?長い間寝てたから分からないことだらけだと思うけど自分のこと分かるかい?」
かまつき れん………?それは俺の名前だ。何故知ってるんだ。その前に長い間寝てたから…?どういう意味だ。もしかして死んでないのか。
「何かモーションとかできる?」
「今どんな気持ち?気分悪いとかない?」
「意識があるんだったら喋れると思うんだけどな。」
そんな考える暇もなく一斉に色んな人が話しかけてくる。俺のことを聖徳太子とでも思っているのだろうか。今の喉の調子的には喋れないことはない。何を話せばいいのか分からなくて混乱してる時、口から自然と言葉が出てきた。
「うるさい。もっと自分で考えて行動しなよ。」
その場は一気に沈黙した。
思った通りだ。想像もしてなかった出来事で変にテンションが上がってる人に冷静に言葉を刺すと急に黙ってしまうと昔お父さんに教えられた。はぁ、久しぶりに起きたのになんて最悪な感覚だ。
そして自分の周りに何人いるかも分からない、何もかも分からない状態だが声をもう一度上げた。
「ここは病院の入院ベッドの上ですよね?そしてこの質問と会話の感じからして俺は何年か植物状態だったことになりますよね。あの、今の状況とこれまでの経緯をもう少し知りたいんで話してもらえます?」
これまで黙っていた人が突然とこんなに喋り出すと逆に相手がどよめき始めた。
「ご、ごめん。一気に喋りすぎたね。今の状況とこれまでの経緯を話せばいいんだね。」
「ちょっと!なに勝手に話そうとしてるんですか!また院長先生に怒られますよ!」
「いいの、いいの、この子が知りたいんだから教えてあげないと。ここは夜々病院の重傷者管理室。その名の通り重傷者の管理をするところだよ。それと、君の名前は鎌月 蓮。19歳で今は大学に行ける歳だね。あとここに連れてこられた理由は君が隣町の道路で傷だらけで倒れていてその隣町には大きい病院がなくてここに運ばれてきたって訳。」
話を聞いてると限り、今は19歳で3年間くらい寝てたってことになるのかな。あとどうしても気になることを質問したかった。
「あの、俺の目ってどんな状態ですか?」
「それは……」
「なんでも受け止める覚悟はあります。言ってください。」
「わかったよ。君の目は壊死したよ。運ばれてる時にね。目以外の傷は何とかできたけどそれだけはもう手遅れだったんだよ。」
なんとなく察しはついていたがまさか本当に目がないとは。だから起きても真っ暗だったのか。
そっと手を目に当てると包帯越しではあるが目玉の感覚がない。目が合った場所に穴が空いてるようだ。
一生、外の世界が見えない。
絶対に見えないあの桜。
そんな絶望は自分だけ。
周りの人にはわからないことだ。
───どうして世界はこんなに理不尽なんだ───