第十七話 「ブレイヴストーリーは突然に」
涼しい夜風が頬を撫でる。
俺は芝生の上で仰向きになっているようだ。
空には大きな月が輝いている。
ここはどこかの建物の屋上か何かだろう。
俺の記憶には無い場所のはずだ。
だから、これはきっと夢だ。
あの頻繁に見る、地獄のような夢と似たものなのだろう。
やけにリアルな感触も、この心の高鳴りすら、きっと現実のものではない。
俺は夜空の大きな月を眺めているふりをしながら、隣の彼女を見ている。
小麦色のポニーテールが、活発な彼女によく似合っている。
きっと、俺の大切な人。
掛け替えのない人。
そんな彼女は、天使のような微笑みで尋ねるのだ。
「ねぇ、■■。■■は、どんな王様になりたいの?」
それを聞いて。
俺は照れながらも、迷わずに答えるのだ。
ずっとずっと、心の中で決まっていたことだから。
俺にとって、大切なことだから。
大切な彼女との、約束だったはずだから。
「俺は――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――っ、」
―――
ハッとして俺は目を覚ました。
ぼやける視界が晴れていくと、まず映り込んだのは真っ白な天井だった。
「知らない天井だ……」
思わずそう呟いて、「うっ」となりながら、思い出すように頭を押さえる。
頭が割れるように痛い。
これはかなりの時間眠っていたときの、独特な痛みだ。
「……えっと」
確か。
黒竜を倒して、愛する妹に包まれて昇天するかのような思いで寝落ちしたんだったか。
暴走していた悪感情の渦は、どうやら収まってくれたらしい。
今では平常を心掛けることもできる。
そして同時に。
俺がかなりの狂乱状態であったことも、客観視することができた。
俺はハッとして左腕を見た。
そこに、あの時のような炎はない。
魔力を少しだけ込めようとして、やめた。
(あれを見て、俺はおかしくなってしまったんだしな……)
軽率な行動は控えるべきだ。
冷静になり、再び思考する。
あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。
一体どれだけの間、俺はこうして眠っていたのだろう。
入学試験は、どうなったのだろう。
というか、そもそも……。
「ここ、どこ?」
目をパチパチとさせながら、ぼーっと周囲を見渡してみる。
白を基調とした、簡素な部屋だ。
床も天井も白く、ついでに、俺が横になっていたベッドも純白。
すぐ近くに机があり、そこには多くの書類が山積みになっている。
大きな棚には、多くの本や、薬、応急処置用の道具が置いてある。
なるほど。
向かっていた目的地と、長い間眠っていたことを考慮してみる。
導かれる結論は一つだ。
「魔法騎士養成学院の保健室です」
――――と。
考えていたことを言い当てられ、俺の意識は声の主へと吸い寄せられた。
声の主は、俺が寝ていたベッドの傍らで座っていた。
まず、目に入ってきたのはフリフリのメイド服だ。
敬語という特徴、メイド服という特殊なアイテムから、ミラかな? と思ったが違うようだ。
金髪碧眼。
すらりとした体型の、美しい少女だった。
でも、なんだか違和感がある。
なんというか、人が百人いれば百人とも「美しい」と言うような。
求められた美を体現しているというか。
作り物のような、そんな少女だった。
妙に引き付けられる彼女を俺がまじまじと見ていると、場に変な空気が流れる。
そりゃあ、そうだろう。
2人しかいない密室で、その両方が何も話さなければ、こんな空気にもなる。
お、俺は別にコミュ障じゃないはず…‥!
そう心を奮い立たせながら、何を話そうかと悩んでいると。
彼女は何も言わずに立ち上がり、棚から箱ティッシュを持ってきた。
その一番上を引き抜き、俺に渡す。
「えっと……?」
困惑していると、彼女は無表情のまま、それを俺の額に押し付けてきた。
そして気付く。
俺が、涙を流していたことに。
「あ…………あれ……?」
それは、たった一筋の涙。
それは、俺の意思とは関係なく、溢れ出したものだった。疲れていたのだろうか。
……なんだか、最近泣いてばっかりな気がするな。それも女の子の前で。
うーん。
初対面の女の子に弱虫な男だと思われるのは、何だか癪だ。
そう思った俺は、なるべく明るい声音を意識しながら、少しからかうように声を掛けた。
「意外と、お優しい方なんですね?」
そう言うと、少女は表情を崩すことなく、
「いいえ、仕事ですので」
と、答えた。
美少女に冷たく返答されたせいで、完全にキョドる俺。
……うん。
どうやら俺はカウンターを喰らってしまったようだ。
―――
悪戯の反撃を喰らってから、しばらくの間。
地獄のような時間が流れていた。
「あの~……」
「……」
「えっと~……」
「……」
どうしても上手に話しかけられない俺は、絶賛人見知りを極みにあった。
いや、俺、そこそこコミュニケーション能力ある方だと思うよ?
でも、なんかさ。
独特の雰囲気というか、ウズウズしてしまうというか、なんというか…‥。
この人の前だと、緊張して上手く話しかけられないんだよね。
やっとこさ口に出した質問が「お名前何と言うんですか?」だったし、まぁ、アリスって可愛らしい名前が聞けたから全然良いんだけど!
…‥と、俺が「この状況どうしようかな~。もうここから出ちまおうかなぁ~」なんて思い始めていたとき。
コンコン。
ドアが二回ノックされる。
ガラガラとドアが開くと、ノックの主は、ぱぁっと花が開いたかのような笑顔で駆け込んできた。
「お兄様!!」
ガバッと抱き締められる。
ちょっと苦しいが、嬉しさが上回った。
「よかった。目が覚めたんですね……!」
そんなことを感慨深く呟くミラは、涙声だった。
俺は安心させるように彼女の背中をポンポンとたたく。
「ああ、ごめんな。心配かけて」
久しぶりに触れた妹の温度に酔いしれながら、
しかし、重度のシスコンだからこそ、そんな妹の大きな変化を俺は見逃さなかった。
彼女の服装が、いつもと違うのだ。
いつも狂ったように毎日メイド服を着ていた妹が来ているのは、
辺境の人間ですら知っているほどの有名な服装だった。
どうしても気になってしまった俺は、いまだにギュッと離さない妹に聞いてみた。
「…‥ところで、その可愛い制服は?」
胸にある杖と剣をクロスさせた紋章。
胸の部分には魔石が真ん中にはめ込まれたリボン。
白と黒で構成された特徴的なブレザーを見て、俺はそう問うた。
なぜなら、これは制服。
有名校、魔法騎士養成学院の生徒であることを証明する、制服だったからだ。
「これは……」
……と、彼女が説明を始めようとしていたところ。
「ここからは、私が説明致します」
ミラの隣に立っていた女性が、口を割り込んできた。
ミラと一緒に中へと入ってきた女性だ。
身長は高く、キリッとした印象を与える眼鏡を掛けている。
妹の話を遮った罪は看過できないが、初対面だし、美人だったので許すことにした。
「お初にお目にかかります。レイ・クリアード君。私は、この学院の理事長であり、学園都市の統括――――」
彼女は、わざとらしく眼鏡をクイっと上げて。
「【回復】の勇者、アリエスと申します」
衝撃的な自己紹介をしていた。