黒の序章
日本某所。とある町にひとつの道場があった。昔からこの地でその看板を守り続けてきた“聖覇剣一刀流”と言えば、ご近所はおろか地域を越えてあまねくその名を轟かす、現代では珍しい「剣術」を学ぶ道場である。
そんな道場で今、神聖な儀式が行われようとしていた。道場の中を見れば人が壁を沿うように座っていた。見れば道着を着た門下生だけでなく私服の中高生ぐらいの子も見かけられる。
中央より少し離れた場所に目をやると風格ある一人の男性が正座して時を待っていた。彼こそ聖覇剣一刀流道場の師範である。長らくここの主として数えきれぬ弟子達をを我が子のように育て上げそれ以上に己自身も心身ともに鍛え上げてきたが、その全ては今日と言う日のためにあったものだと感じている。
やがて道場の出入り口から一人の少年がやってきた。黒で纏められた道着を身に付け左側の腰には重い真剣が差されていた。少年が師範と向かい合う位置に着くと師範がゆっくりと立ち上がる。
「よくやってきたな、才雅よ。こうやって相対する日がこんなに早くやってくるとは思わなかった。」
「俺の申し出を受けてくれてありがとう、父さん。」
そう、この場にやってきた少年の名は「聖 才雅」。聖家次男にして師範の実の息子である。本来なら長男が跡取りになる予定だったが事故で満足に動けない身体になってしまい才雅にその役目が回ってきた。才雅の実力は誰もが認めるほどあり現在高校二年生にして覚悟を持って、先月の誕生日に後継者として少年は父に挑んだ。
「跡取りとなるからには死ぬ気でかかってこい。」
「俺の剣は生きるためにある。」
お互いは刀を抜くと間合いを測るように距離を詰める。こういう一対一の真剣勝負の場合決着は一瞬だ。自分と相手の制空圏を的確に読み取り、打ち合いにならずに決めることが望ましい。時代劇であるようなチャンバラや鍔迫り合いというのは刀身が傷付くものでいざというときに斬れなくなる。故に一太刀で決めるか、振り抜く軌道を見極め避けて隙をつくかするものなのだ。
間合いを取り両者の動きが止まったその一瞬、互いの刃が目まぐるしく斬りかかり、それに合わせるように避けていき、ついには師範の刀が弾かれ才雅の刀が師範の喉元へ向けられる。回りから感嘆の声があがった。
定石ならこれで決まり手となるわけだが、ここからが聖覇剣一刀流である。師範は白羽取りの要領で刀を両手で挟み上体を回す。それと同時に才雅の脚をかけようとした。これを避けようと才雅は脚に気を取られ刀を握りが甘くなり、才雅の刀は手から離れてしまった。すると師範の元に刀は戻り形勢逆転となっていた。
聖覇剣一刀流は実践剣術であり戦場で戦い抜くために編み出された戦法である。如何なる状況からも自身の護衛手段と攻撃手段を予測立てして相手の優位を崩し勝つ。完全降伏しない限り負けはない。
才雅は師範に対して構えを取るが、無論武器持ちである師範の方が現状有利である。師範が上段に構えると才雅はより一層師範に対し強く構える。師範はこの状況を楽しんでいた。それは満身や驕りではなく才雅がこの状態で勝ちを見いだしていることに気付いていたからだ。それが師範として、親として嬉しかった。自分と本気で向き合う子どもと冷静に熱く立ち回るのが楽しかったのだ。だからこそ息子がどのようにして勝つのか見てみたい。
そんな素直な気持ちが揺るぎ無い綺麗な一閃を放った。刀はあろうことか才雅の頭を割るように振り抜いた。がそこにいるはずの才雅は斬られなかった。才雅はフェイントをかけて紙一重で避けた。直後、才雅は振り落とされた刀をさらに上から蹴って道場の床に突き刺した。
師範がこれに気を取られている隙に才雅は師範に背を向けて弾かれた師範の刀を迎えにいった。師範もすぐに刀を抜き出してあとを追う。だが才雅は早く刀を手にした直後、時計回りに素早く振り抜き、突かれるはずだった師範の刀を斬り折った。その光景に驚いた師範を尻目に才雅は刀を逆手に持つと柄頭で師範のみぞおちを強く殴った。倒れてきたところを続けて背中から押さえ込むように地面に落とし、うつ伏せになった状態でマウントポジションを取り、刀を首筋に押し当てた。ここまですると死と同じ状態と言える。師範はここまで追いやった才雅の実力を認め
「参った……」
と一言呟いた。
歓声が一気に挙がり拍手が響く。才雅は師範から降りて少し距離を置いたところで門下生が師範を起こしにいく。才雅の友達であろう少年達が才雅の元へ向かうが、やっと起き上がった師範に待ったをかけられた。
「よくぞ、俺を破ったな。」
支えられながらやっと座ることが出来た師範は自分を負かした息子をじっと見つめる。
「これまでよく頑張ってきたな。だがそれはまだ入り口へ進むための階段でしかない。本当に苦労するのはここからだ。これからは自分の力を過信せず、家族に、仲間に、友達に支えてもらいながら進みなさい。」
「……はい。」
「特にお前はまだ高校生だ。剣術だけでなく勉強や多くの機会や経験も疎かにしてはいかん。ひとつひとつが自分と関わっていること、それが大なり小なり繋がっていくこと、多くを感じ、全てを自らの糧として人生を豊かなものにしなさい。」
「…………」
「常に冷静に、しかし情熱は忘れずに、物事を見極め、人の心情を読み取り、より良い人間を目指しなさい。打ち負けてしまうことがあっても、挫け悩むことがあっても、自分を鍛え続け、学び変わることを心に刻みなさい。」
当たり前のような人生論が才雅の涙腺を緩ませた。自分が歩むべき道は果てしないが足元を見て一歩ずつ踏みしめて行こうと強く胸に誓った。
「これより!聖覇剣一刀流師範をッ!」
「「!?」」
そのときだった。急に才雅の足元が光り、輝きに包み込まれた。辺りが騒がしくなり、どういうことかと思った瞬間、才雅は現れた光と共に消えた。