ガレット山脈の獣たち(中)
「…数多くの優秀な功績を残した三つ星、それでいて国王様に直に判断してもらって、承認される階級。現在は片手で数えきれるくらいの数しかいない。花に関することはもちろんのこと、政治的なことにおいても発言力、権力を有する」
山道を進みながら、ラグラスがふと語り出した。教科書で学んだことをそのまま、口に出しているような整えられた文言をつらつらと述べてから「こんな感じで合ってます?」とフリージアに尋ねた。
「まあ、概ね合っているよ。でも今はそんなことより、目の前の状況に集中してくれ」
「そんなことって言われてもなあ…」
自分の記憶力を誉めてもらえるかも、と思っていたラグラスだったが、フリージアに咎められてしゅんとしてしまう。そんな状況でも、しっかり走りながら自分に付いてくることにフリージアは内心驚いていたが、自身が言った通り今はそんな状況ではない。
「しかし、今のところ何の痕跡も見つかりませんね…」
デッゼががはあはあと息を切らしながら言葉を漏らした。軽装のフリージアとラグラスに比べて、鎧を着込んだ彼の疲労は甚大である。それでもしっかりここまで付いてきているのは騎士団員としての誇りがそうさせているのだろうか。
「先遣隊はここまでは何事もなく登っている、ということだろうね」
フリージアは足を止めてから、デッゼにそう返した。それを見たラグラスも足を止める。
「ゼスティエル達は水源を中心に探索する、そう言っていたんだね?」
「はい、王都の花屋の方々の意見を踏まえて、ですね。この山々の異変の原因は十中八九水源に何かしらがあったのだろう、とのことですので」
少しずつ呼吸を整えながらデッゼが説明をした。
「そうだね、僕もそう思うよ。おかしくなった水を吸う木々や花々、それらなんかを食べる動物達。そう考えるのが当然だね」
「…で、何があっておかしくなったの?」
道が細くなり、少し荒れてきたので三人は走るのを止めて、歩いて道を進み始めた。先頭を歩くラグラスが後ろ向きで前に進みながらフリージアにそう質問した。今のところ上手く歩いているが、この先何があるか分からない。フリージアは歩く速度を上げて、ラグラスの横に並んだ。
「僕の予想が正しければ、マナが原因だ」
フリージアの答えに対して前に向き直ったラグラスが首を傾げる。
「え?マナってあれでしょ。マナ教の教えで出てくる人間の中にある生命力みたいなもんでしょ?それが何で?」
「いや、この場合は違うマナ、と言った方がいいのかな」
ラグラスはますます訳が分からないという感じで困惑する。そんな彼女を見てフリージアは「授業の時間だな」と呟いて説明を始めた。最近マリーに物事を教えることが多いので、少し慣れたものである。
「…かつてこの辺りには魔法使いとよばれる人々が多くいた。彼らが放つ魔法に含まれていたものも、マナというんだ」
「魔法使い…そんなのいたんだ」
聞き慣れない言葉に戸惑いを覚えつつも、先輩花屋の教えに耳を真剣に傾け始める。
「二つのマナを同じ、とする説もあるけれどね。今回は魔法使いのマナの説明だ。この山みたいに魔法使いがいたとされる地では、放たれた魔法のマナが空気中や地中に残留していることがある。それが何らかの原因で一カ所に集まると生態系に原因を及ぼす、らしい」
「魔法使いのマナ…そんなのがあるなんて…」
「通常はここまで影響が出ることはないからね。ちなみに三つ星の知識になるから君はこれからしっかり学ぶといい」
ラグラスはフリージアの丁寧な説明やアドバイスに嬉しそうに頷きながら、跳ねるように前へ前へと進んで行く。どこまであの調子で行くのかとフリージアが思いかけたとき、ラグラスは足を止めて振り返った。
「…でも今は魔法使いっていないんでしょ?」
「いや、数は少ないけどまだ残ってるらしいんだ」
「ではこの山で異常が発生しているのはその魔法使いの生き残りがこの地を訪れた、ということになるのでしょうか」
「その可能性もなくはないけれど、今回はマナクリスタルというものだと思うよ」
「マナクリスタル?」
「さっき説明した、マナが何らかの原因で集まって結晶化した物質のことだよ。見た目は水晶のようになっているからクリスタル、と名付けられている」
「じゃあ、それを見つけて回収…?すれば異常はなくなるの?」
「実際にこの目で確認するまでは分からないけど、まあそうなるだろうね。回収以外にも方法があるけど、今回はここまでにしておこうかな」
指折りの存在である四つ星花屋の授業を聞いた二人は素直に感心した。特にラグラスは自分の未熟さをひどく感じていた。三つ星の才能がある、と豪語していた自分が恥ずかしく思えてきた。そして、ある決心をした。
「あの、フリージア…さん。私をー」
「待って」
ラグラスの言葉を遮ってフリージアがラグラスの前に立った。
「不穏な臭いがしてきた…。急ぐよ」
フリージアはこの山に入ってからずっと警戒をしていた。二人に授業をしている際にもそれは続けられていた。二人が真剣に話を聞いていたのはフリージアの集中を乱してしまわないように、極力静かにしている必要性を感じたからだった。
しかし、それまでとは異質ともよべるほどの緊張が走ったのを二人は感じた。
「血の臭いがする、それと獣のような…。走るよ」
「はい」
返事を聞いたフリージアは腰にある剣の柄に右手をかけて走り出した。置いて行かれないように二人も走り出した。
三人が走り出して二、三分、坂道を上った所で、広場のような開けた所に出た。
「ゼスティエル!」
そこに到着した瞬間、フリージアが叫んだ。それから程なくして後続の二人が到着した。
「団長!」
ゼスティエルのもとへ駆け寄るフリージアに続けて、デッゼも走り出した。ラグラスは辺りを見回しながらその後をゆっくりと追う。
「なに…これ…」
広場では壮絶な光景が広がっていた。崖を背にした状態で立つ騎士団長ゼスティエル、崖と彼の間には倒れ込んでいる団員たちがいた。そんな騎士団の周囲には数頭の猪が血塗れで倒れていた。
「大丈夫か、ゼスティエル!」
地面に突き立てた剣を支えにやっとのことで立っているであろうゼスティエルにフリージアが声をかけた。
「ああ…先生…きてくれたんですね…」
フリージアと誰かを見間違えたのか、虚ろな目をしながらゼスティエルはそんなことを言いながら笑顔を見せた。
「…早く治療をしよう」
ゼスティエルの状態を見て、危機を感じたフリージアは血相を変えて指示を出した。惨状に取り乱していたデッゼはその言葉で我に返り、作業を始めた。
「…こんなことになるなら治癒の『術式』を持ってくるべきだった」
「『術式』、か…」
「ハーティスさんは持ってないのですか?」
「…すまない」
フリージアは謝りながら、自分が持ってきた荷物からいくつか必要そうな物を取り出してデッゼに渡した。フリージアが渡した物は薬の類だった。痛み止めの効能やや気付けとなるようなものなど、多種多様の薬草を混ぜ合わせて粉薬にしたものを騎士団員一人一人に飲ませていく。
「…ありがとう、ございます」
少し意識をはっきりさせたゼスティエルがかすかな声でそう言った。傷の状態や広場の状況からして団員を守りながら猪達と一人で戦っていたのだろう。酷い傷ではあったが、命に別状はないようで、彼のお礼の言葉を聞いたときフリージアとデッゼはほっと息をついた。
「とりあえず、団長の無事は確認できたな」
「ええ、他の団員も傷は負っていますが、団長が守ってくれたおかげで命を落とさずに済んだようで…良かった」
今朝フリージアを宿まで呼びに来た時からずっと張りつめていた神経が緩んだようで、デッゼは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「喜ぶのはまだ早いよデッゼ。まずはこの山から無事に下りなきゃいけない。それに、」
「それに?」
涙を流してはいないものの鼻声になっている声でデッゼがそう尋ねた。
「ルドベキアがここにはいない」
「術式」。デッゼが口にし、フリージアが静かに反応を見せたもの。それはこのナスタチュウム王国に存在している技術の一つである。
この国が国として成り立つ前、一部の人間が魔法を扱うことの出来る魔法使いだった。箒で空を飛ぶ、手から炎を出す、姿を全く別の物に変える、など一般の法則を無視して行われるそれらの事象を目の当たりにした魔法使いではない、いわゆる凡人はただ憧れた。魔法は才能によるもので、才能のない物は魔法を使えない。それが人々にとって当たり前の理だった。
そこで産み出された物が「術式」である。いつ、誰が、どのように発明したのか定かにされてはいないが、それは革新的な物だった。「術式」は道具などに特殊な紋様を刻むことで、誰でも魔法のような技を扱えるようになる。癒しの術式を刻んだ包帯で傷を癒したり、物を動かす術式を刻んだ手袋で重たい物を持ち上げたりなど刻みつける「術式」の種類によって可能となることが異なる。一つの術式で一つの事象しか行えない、というのは魔法に比べるといささか不便な気がするが、魔法と異なり才能に関係なく誰でも扱えるというのが「術式」の最大の利点であった。
そして、この「術式」はマナが引き起こす問題の解決に用いられることも出来る。フリージアがラグラスに説明したマナクリスタルへの対処法だる物質そのものの回収。そしてもう一つの対処法が「術式」なのである。
しかし「術式」は便利ではあるが、国民に浸透するまでには至っていない。それは「術式」に謎が多く、その構造などの解明が為されていないためである。
現在「術式」は主に騎士団員など国に認められた者達が実験的に用いることでその効果を確認している。全ての謎が解き明かされれば国民の全てが用いることが出来るようになり、生活は豊かなものになる。そう信じて日夜、多くの人々によって研究が行われている。生態系やマナとの関係性から一部の花屋もそうした研究に携わることがある。だからフリージアも当然「術式」の存在を認識している。
けれど「術式」の謎はいまだに明らかにされていない。
だから、誰も知らない。
本来、物に刻みつけるはずの「術式」を、人間の体に刻みつけた存在がいるということを。