ガレット山脈の獣たち(上)
フリージアに助力を求めた騎士団員の男はデッゼと名乗った。デッゼがアザレアまで乗ってきた馬に共に乗せてもらってガレット山を目指すことになった。
デッゼの後ろでフリージアはあることを思い出していた。それは彼がまだ三つ星の資格を得てすぐの頃だった。
「リーゼロッテ、君は連れて行けない」
「なぜだ?理由を聞かせろ」
「君がお姫様だからだ。君を危険な所に連れて行って、君の身に何かあったら問題だからだ」
「つまらない男になったなフリージア。どいつもこいつも同じ理由で私を縛り付ける。ああ退屈だ、それも酷く、な」
ある土地の調査に駆り出されたフリージアは、調査の前に偶然近くの屋敷に逗留していたこの国のお姫様に顔を見せに来ていた。お姫様でもあり、彼の恩師でもあるリーゼロッテは退屈していた。
そこで、フリージアの調査に同行させるよう頼んでみたが、そう上手く行くはずもなかった。
「…これが最後だ。私を連れ出してくれ、フリージア」
「いくら君の頼みでも無理だ。分かってくれ」
「そうか…」
それから調査は何事もなく無事に終えた。調査を終えて以降のフリージアの頭の中に浮かぶ映像は僅かなものしかない。
リーゼロッテがいた屋敷が炎に包まれて、煌々と輝く姿。そして苦しそうに息を吐きながら横たわり、足を動かせないことを知る彼女の姿。当時何があったのかフリージアの記憶に全て残っていない。けれど、彼女がそうなった原因が自分にあることは分かっていた。歩くことが出来ない彼女が普段通りに笑うのを見て、フリージアは胸が締め付けられる思いを何度もした。
調査に行く前にリーゼロッテが最後に訴えた時の目は真に迫る物がありはしたが、フリージアは断るしかなかった。その時のリーゼロッテの目と、マリーが先ほど見せた目がフリージアにはどうにも重なって見えた。
「僕があの時、拒絶しなければ…」
あの時の後悔がフリージアの中には深く刻みつけられている。だから、マリーを拒むことが出来なかった。
「…ハーティス様、よろしいですか」
デッゼの声でフリージアははっと気が付く。今はそのことを思い出している時ではない。
「ああ、すまない。大丈夫だ」
「もう少しで山の入り口に到着しますので、もう一度状況の説明をします」
デッゼは器用に馬を操りながら、説明を始めた。
ガレット山脈の調査に訪れた騎士団は団長のゼスティエルを含め、総勢十名。山に到着して異変に気が付いたゼスティエルは即座に集団を二つの隊に分けた。団長を含めた五人は先遣隊として山に入り、残りの五人は山の入り口で支援態勢を整えた。
先遣隊が山に入って数時間、夜がすっかり更けてしまった頃にその時は訪れた。
ピイイイイ
甲高い笛の音が山の周辺に鳴り響いた。その音は予め決められていた「危機」を意味する音だった。その音を聞いた支援部隊の五人は慌ただしくもそれぞれが決められていた通りに動いた。五人の内の三人が装備などを整え、先遣隊を追うように山に入った。デッゼはアザレアの町までフリージアを呼びに向かった。残された一人はその場で支援態勢を維持しつつ、人々が立ち入らないよう警備を始めた。
「危機的な状況、というのは具体的に分かりますか?」
「申し訳ありませんが把握できておりません。笛を鳴らせるような状況ではある、ということしか…」
「なるほど。…ルドベキアだったかな。彼は先遣隊に?」
「ええ、そうですね」
そうデッゼが答えた後、馬の走る歩幅が狭まり、次第に動きを止めていった。
「何やら騒がしいですね」
ガレット山脈の入り口、騎士団が野営地としている場に辿り着いた二人だったが、大きな叫び声が聞こえてくる。先遣隊の皆が帰ってきているようなら喜ばしいことであるが、声色から察するにそれは有り得なさそうだった。
「どうしましたか」
何やら騒いでいる所にデッゼが声をかけた。騒いでいるのは幼い少女で、それを騎士団員の男が抑えている、そんな構図だった。
「なあに、女の子一人に男三人で相手するっての?騎士団もふぬけたんじゃない?」
少女は小柄で、暗めの茶髪、淡いエメラルドのような瞳をした人物で、理由は不明だが酷く激高していた。
「…僕は騎士団ではないが、今は忙しい。手短かに用件を話してくれ」
「ふうん。まあ。どっちでもいいけどね」
不機嫌な顔をしながら少女はフリージアに語り出した。
「私はこの山に調査に来た花屋なの、そしたらそこの男が今は入れませんとか言って私を入れてくれないの」
「それで?」
「この山は一つ星なら入れる所だから折角来たのに門前払い。危険な状態だから一つ星はダメだって言うの」
「申し訳ないが彼の言うとおりだ。君が三つ星以上なら考えるけどね」
「それは聞き飽きたわ。だから私にはその才能がある。いずれ三つ星になる人間だ、って言っても聞く耳持ってくれないんだから」
警備をしていた騎士団員の男が話を聞きながら困り顔でうんうんと頷いてみせる。対処に困るのも無理はないが呆れた理論だ、とフリージアは一蹴しようかと思いかけたが、
「…君には自信があるんだね?」
そう少女に問いかけた。
「もちろん。ん、お兄さん何とかしてくれんの?」
フリージアはふうっと息を吐きながら空を見上げる。そうして頭に思考を巡らせながら、一つの決意をする。
「どうも芯の強い女性が多いもんだな」
そうぽつりと呟いた。マリーにリーゼロッテ、それにこの少女。この国には強い女性が多い。まあ王女様が「あれ」だったからか、フリージアはそんなことを考えた。
「警備の君には悪いが、僕の権限でこの少女を連れてこれから山に入る」
そう言いながらフリージアは警備をしていた男に右手を差し出した。フリージアの右手、その薬指には煌めく金色の指輪がはめられていた。
「これは…それならば私は何も言えません。団長達をお願いします」
警備の男が頭を下げた。
「ああ。これより四つ星花屋の権限を行使する。以降はこの僕、フリージア・ハーティスの指示に従え!」
フリージアは騎士団員の二人に強くそう告げた。
「はっ!」
告げられた意志に二人は声を出して応じた。
「…ほ、本当にいたんだ四つ星の花屋…」
少女は状況に付いていけないまま、ただフリージアをじっと見つめていた。
「それでは早速、僕らは山に入る。デッゼは案内人として付いてきてくれ」
「了解です!」
「警備の君はこのまま入山規制を。ただし、これから来るであろう狼顔の男と長髪の女の二人組は通してくれ。僕の仲間だ」
「了解しました!」
二人に命令をしてから、フリージアはよし、と小さな声で呟き、装備の確認をした。
「君の名前は?」
「へっ?ああ。はい!私はラグラスです!」
ぼーっとしていた少女、ラグラスはフリージアに声を掛けられて、意識を目の前の状況に戻した。
「いいかい、ラグラス。今は緊急事態だ。付いて来られないようなら置いていく」
「…はい」
「君が望んだことだ。君が選んだ道だ。僕はその意思に責任は持てない」
一つ一つ、ラグラスの目を見ながら、フリージアは言葉を紡ぐ。
「…だから、無理だと感じたら諦めてくれ。不可能だと思ったら退いてくれ。大きな傷など負うことなく帰ってくれ。そして…」
彼女たちに言えなかった言葉。彼女たちに言うべきだった言葉。それを今、明確に言葉にして、目の前の少女に伝える。自分の頭の中に、心の奥底に深く刻み込むように。
「…そして必ず生きてくれ。それが僕の願いだ」
フリージアの強い意志の込められた言葉達に、ラグラスは頷く。どうしてこんなにも真剣な眼差しをするのか彼女には分からない。けれど言葉の意味は分かる。だからラグラスは静かに拳を握りしめた。
「行こう」
フリージアの言葉に合わせて、ラグラスとデッゼが動く。この山で何が起きているのか何も分からない。けれどゼスティエル達を助けるために三人はガレット山に入る。
そこに迷いはない。
三人が山に入った頃、マリーとシオンはアザレアの町を出ようとしていた。
「あいつの指示通りに手紙を届け屋とやらに渡した…これで行ける」
シオンはそうマリーに告げ、もう一度意思の確認をした。
「さっさと行こう。シオン」
意思の確認など必要ない、そう言いたげに冷たくマリーはシオンに言葉をぶつける。
「…分かったよ。じゃあ、俺の背に乗れ」
シオンはそう言いながら、膝を曲げて屈んだ。そして、おんぶをする体勢になった。
「…え?」
マリーは訳が分からずシオンを睨みつけた。二人の姿勢の差もあって、侮蔑しているように見えなくもなかった。
「俺の足で走って行けば早く着く。嫌なのは分かるが早くしろ」
「なるほどね…」
状況を理解したマリーはゆっくりと腕をシオンの腕に回し、背負われる形になった。その時マリーは苦虫を噛み潰したような表情をしていた。シオンからは当然見えない。
「捕まってろよ」
自身の長刀とマリーを背に上手く負いながら、シオンは狼の脚力をもって全力で走り出した。風を切りながら駆けていくその姿が後々、アザレアの町で噂になることを二人はまだ知らない。
こうしてガレット山脈に役者が集い始めた。
物語は確実に進んで行く。