アザレアの町と騎士団長
今日もまた朝を迎える。
「呪い」は変わらずそこにある。
問題、といってしまうと大げさかもしれない。しかし、そう表現させてもらうことにする。その問題というのが今朝起きた。いや、発覚した。
「おい、ハーティス」
フリージアの店でもあり家でもある場所で一夜を明かした三人はそれぞれ出立の用意をしていた。そんな時、不意にシオンがフリージアに話しかけた。理由は不明だが、シオンはフリージアのことをファミリーネームでよぶ。
「なんだい?今日の予定なら後で歩きながら確認しようと思ってたんだけど」
「そのことじゃない。あの女のことだ」
あの女、とは当然マリーのことである。名前で呼んでほしいな、とフリージアは思ったが構わず話を聞くことにした。
「あの女、俺のこと避けてないか?」
「ああ…」
シオンに言われて、思い返してみると確かに出会ってから二人は会話をしていない。昨夜も特に何の絡みもなかった。お互いが初対面の人間に出会ってすぐに仲良くなれるようなタイプではないだろう、とフリージアは思うが、それでもマリーはあまりにも露骨にシオンを避けていた。
その内仲良くなるだろう、と思って放っておいたのだが、シオンは気にしているようだ。ちなみにこうして二人で話している今、マリーはこちらを見ることなく自身の髪をクルクルしながら遊んでいた。
「何か悪いことをした記憶はないんだが。その辺心当たりはあるか」
「いや、特にはないな。彼女が失った記憶の中に何かしらがあって、体が自然と拒んでる感じじゃないかな?」
「何かしら、とはなんだ」
「知らないよ。例えばその昔犬に噛まれたことがある、とかじゃない?」
これが今朝の会話である。それから旅の準備を終えて、アルモニアの町を出て次に目指す町までの道を三人は歩いていた。
「遠いなあ…」
そうぼやくのは先頭を歩くフリージアである。彼が遠い、と言ったのは道のりの長さではなく三人の距離感、正しくはマリーとシオンの距離だった。
「ねえ、フリージア次の町はどんなところ?」
フリージアの傍にぴったり着いて歩くマリーが質問をしてきた。シオンは二人の五メートルほど後ろを歩いていた。それ以上近付くとマリーが後ろを振り返ってじっと見てくるものだから、シオンは二人から離れて歩くしかなかったのだ。
「…次の町はアザレアといってね、酒と祭の町とよばれてるんだ」
シオンのことなどお構いなしに話を始めるマリーに少し戸惑いながらも、フリージアは答えた。
「そこで何するの?」
「マリーのことと、シオンの妹さんのことを知っている人がいないか聞くよ。アザレア自体に特別な用があるわけじゃないから、そこには立ち寄る、って感じだね」
「おいしいものあるかな」
「あるはずだよ。ほら見て」
フリージアが指で示しながら、マリーにある方向を見るように促す。そこには小高い山々が見えた。
「あれはガレット山脈といってね、あの山脈の南側の麓にあるのがアザレアなんだけど、あそこでは水とか果物とか、その他色々な物、山の恵みで溢れているんだ」
フリージアはそう流暢に説明をして最後に「だからおいしいものあると思うよ」と付け加えた。それを聞いたマリーはぱあっと明るい笑顔を見せる。その感情の欠片でもいいからシオンに向けてやってくれないかなとフリージアが考えていると、
「おい、何か来るぞ」
山を見ている二人とは反対の方向を見ていたシオンが何かに気が付いて声を掛けてきた。二人が視線を変えると、数頭の動物のようなものがこちらに向かって走ってきていた。真っ直ぐ向かってくるその集団を見極めようと、フリージアはマリーを守る形で前に立ち、シオンはそっと武器を構えた。もう少しで判別できる、というところでその集団が巻き上げた砂塵で一瞬、姿が見えなくなった。
「止まれ!」
砂塵の向こうから声がした。野太く強い男の声だった。そして次第に砂塵が晴れていき、その姿を三人は視界に捉えることが出来た。
「もしや、貴方は花屋のフリージア・ハーティス殿ではありませんか」
集団の正体は馬に跨がり鎧を身に纏った男たちだった。その男たちの先頭に立つ人物がフリージアを見つめながら返答を待った。
「…ええ、その通りですよ。団長さん、お久しぶりですね」
団長、とフリージアはその男を呼んだ。男が纏う鎧、団長という役職にあることから考えるとこの集団は騎士団、というやつか。シオンはそんなことを考えながら、二人の話を黙って聞くことにした。
「まさか、このような場所で貴方にお会いできるとは…。アザレアに向かう途上でしょうか?」
団長と呼ばれたその男は透き通るような金の髪に青く優しい瞳をしていた。どれほどの一団の長かは分からないが、シオンはこの人物から風格のようなものを感じていた。そして、強いだろうということも。
「ええ。それで団長さんはどちらに…?こんな田舎の方まで団長さんが来られるなんて…」
「私はガレット山です。実は…」
そこで団長は、話を一端止めて後ろで待機していた面々に「先に向かって野営の用意を」と指示をした。指示を受けた部下達はフリージア達を横目に山の方角へと走り去っていった。残ったのは団長と副官のような男だけだった。
「我々はガレット山脈の調査に来たのです」
そう言って団長は詳細を語り始めた。
ガレット山脈。その昔、この辺りで暮らしていた魔法使いが、この山々を自らの修練の場として用いていたことからその魔法使いの名前が付けられた地だと言われている。
標高は低く、子供でも二、三時間あれば頂上まで到達できる。道の大半は平坦で整備されていて、周辺で暮らす人々は軽い運動にこの山脈を登ることが多い。木々に止まる鳥達、清らかな流れの小川、実にのどかな場所である。
しかし、最近この山脈から流れてくる水が濁っている、山に住む動物達の気性が激しい、木々にどこか精気が感じられない、などといった噂が出始めた。
「別の遠征でこちらの方に出向くついで、ではありますが我々の団が赴くこととなったのです」
団長は長い説明を終えて、その言葉で締めた。
「ふむ、団長殿自ら出てくるのにはそういう訳があったのですね。納得しました」
「より危機的な状況であれば、貴方に助力をお願いする所ではありますが、今回は恐らく大丈夫でしょう」
団長は「我々にお任せください」と自信たっぷりに言ってみせた。
「…ですので、早急にガレット山脈の調査を終えて次へ向かいましょう」
フリージアと団長の会話に副官らしき男が割って入って来た。長話をする上司に苛立ちを覚えているのか、髪で隠れていない左目は鋭く刺さるような目つきだった。
「黒衣の狼なる盗賊団、魔獣の討伐…」
副官らしき男は語りながらその冷たい目を一度、シオンに向けた。それからすぐに団長の方へと向き直った。「黒衣の狼」というの名の盗賊団がどんなものなのかフリージアは知らなかったが、シオンが狼の姿をしているだけで、まるでそれと決めつけているかのように男は蔑むような目をしていた。確かにシオンは狼の姿で盗賊団に入っていたけれど。少しだけフリージアは憤りを抱いた。
「…それに赤髪の男のこともあります」
「そう…だな。すまないルドベキア」
どうやらこの団長の隣にいる男はルドベキアという名らしい。
「赤髪の男っていうと…あれの?」
男の名より、フリージアが気になったのはそのことだった。団長はその問いに対して
「そうですね。詳しく話したいことではありますが、我々はもう失礼させてもらいます」
と悲しげな表情をしながら答えた。
「…ああ、どうか気を付けて」
団長は言葉を発さず軽く頭を下げ、ルドベキアと共に馬を走らせ去っていった。
「あのルドベキアとかいう男、一度俺を睨みつけたよな?」
二人の姿が見えなくなって、シオンが口を開いた。
「君のことを黒衣の狼、とかいう盗賊団だと思ったんだろうね」
フリージアはルドベキアが見せた冷たい臙脂色の瞳を思い出しながらそう言った。なぜあんなにも冷たい目をあの男はしていたのだろう。フリージアにはそれが分からなかったが、シオンに向けるのは間違いだ、そう思った。
「何を言っているハーティス」
シオンが少し驚いたような顔をしながら喋る。
「俺はそこにいた男だぞ。あいつに問いただされなくて良かった、というのが今の率直な感想だ」
「…そういうことは教えておいてくれよ」
確かに盗賊団にいたとは言っていた。狼の亜人だから名前に狼を入れるというのは安直すぎやしないか。狼の亜人自体珍しいのだから、そういうことは深く考えてくれ、フリージアはそう思いながら心の中で呆れた。
「そんなことより、赤髪の男ってのは何だ?」
「それは…」
そこまで喋ってフリージアは、どこか遠くを見ながら言葉を切ってしまった。
「どうしたハーティス」
「…ここでは教えられない」
シオンの声ではっと気づいたフリージアは静かにそう言った。
「宿に着いてから、にしようかな」
先ほどの騎士団長が見せた表情に似て、フリージアはどこか悲しげな顔をしていた。それを見たシオンは何も言うことなく黙った。マリーは芝生の上で体操座りをして眠っていた。吹いている風が止むとそんな彼女の静かな寝息を聞くことが出来た。
アザレアの町には日が沈みかけた頃に到着した。時間帯が遅かったからか町中の店はほとんどが閉まっていて、町はとても静かだった。そんな中フリージア達は宿を見つけて、そこで一夜を明かすことにした。
「泊まっていただくのは可能なんですが、食事がお出しできないんです」
宿の主人にそう言われて、初めは奇妙だと思ったが事情を聞くと納得が出来た。宿の主人が説明してくれた内容は昼間出会った騎士団長に聞いた話と同じだったからだ。近くの山から食材が手に入らなかったり、流れてくる水が使えないとあって、ここ最近のアザレアの人々の生活は非常に質素かつ色々と満たされないものとなっているらしい。
部屋の確保は出来たので、この町では寝泊まりだけを行うことになる。いまだに眠り続けているマリーに説明しなきゃな、なんてことを考えながら部屋に荷物を置き、「赤髪の男」の話をしようと小さなテーブルを挟んでシオンと向かい合った。そんな時、
「あ、やることがあった」
フリージアがそんなことを言い出した。
「僕としたことが忘れていた…。書く物は宿の人に言えば借りられるか…?」
落ち着いて話そうか、そう言って腰掛けた椅子から落ち着く暇なく立ち上がって、フリージアはあからさまに動揺をし始めた。
「落ち着け、そして話をしろ」
シオンは冷静に諭しながら、話をすることを急がせた。けれど、
「すまん、ちょっと行ってくる!」
シオンの言葉を無視して、フリージアは部屋を飛び出した。その時フリージアが勢いよくドアを閉めた音で、ベッドで寝ていたマリーが目を覚ましてしまった。
「ごはん…、フリージアは?ここはベッド?」
寝ぼけ眼をこすりながら告げる言葉にシオンはどうすることも出来ず、呆然としていた。
しばらくしてフリージアが羽のペンとインク、紙を持って部屋に帰ってきた。
「お、マリー起きたのか」
「ごはんは?おいしいやつ」
「えっと、…おいしいのは、ないんだ」
「え…」
それまでとろんとした目で話をしていたマリーだったが、フリージアのその言葉を聞いた瞬間、目をかっと見開いた。
「どういうこと…?まさか二人だけで食べたの?」
「違うよ、マリー」
予想していた事態なので、フリージアは冷静に説明を始めた。
「君は寝てたから知らないかもしれないけれど、この町のそばの山から流れてくる水が汚れているらしい。そのせいでこの町でまともな食料が確保できていないらしいんだ」
話を聞きながら、見る見る内にマリーの表情が曇っていく。
「だから、今日は僕が持ってきた非常食で我慢してくれ」
そう言われながら渡された燻した肉のようなものをマリーは奪い取るように持って行き、ベッドに寝転がった。
一連のやり取りを見ていたであろうシオンと目があったフリージアは「困り物だね」と半笑いを見せた。それからシオンの傍にある一度腰掛けていた椅子まで歩み寄りながら
「シオンは今いくつだい?」
と尋ねた。
「歳の話か?それなら十九だ」
「じゃあ、『朱の帳』って事件は知らないかな」
「ああ、知らないな」
シオンの返答に「ま、当然か」とぼやきながらフリージアが椅子に座り、説明を始めた。
「『朱の帳』っていうのはね、二十年程前にこの国の王女様が何者かに暗殺された事件のことさ」
フリージアの表情にいつもの爽やかさのようなものはなかった。
「王女様が眠っていた寝台、その天蓋なんかが赤く染まっていたことから、『朱の帳』とよばれているんだ。それに犯人と思われる人物に赤が関係していたのもあるだろうね…」
「それが赤髪の男、か?」
「…ああ」
フリージアが静かに答えた。
「この国に赤い髪をした人間はその男しかいないから、すぐに見つかるものかと思われていたんだけど、現在に至るまで見つかっていない」
「で、最近の目撃情報か」
「そういうことだ」
二十年近く見つかっていなかった事件の犯人、その目撃情報があれば喜ばしいことではないか、シオンはそう思ったが、物憂げな顔をするフリージアに言うことは出来なかった。
「で、僕はこれから手紙を書かなきゃいけない」
「…関係者か?」
フリージアが頷く。表情は少しずつ普段の彼に戻りつつあった。
「亡くなった王女様、その夫であるこの国の国王、その二人の唯一の子であるお方さ」
「それは姫、ということか」
「今は隠居しているけどね。王位を継ぐ資格はあると思うよ」
「お前は何でそんな相手と繋がりがあるんだ。それも国家資格の力か」
シオンが抱いた疑問に「それもないわけじゃないけどね」と笑って返す。
「彼女はね、僕の花の師匠…つまり花屋になれたのは、彼女のおかげなのさ」
「師匠…か、それで?」
「何かあった時や、僕が店を止めて旅に出る時には顔を出すように言われていたのを、ゼスティエルと話していて思い出したのさ」
「ゼスティエル?」
「ん?ああ、今日会った騎士団長さんの名前だよ。ゼスティエル・ラ・ヴァンガード。ナスタチュウム王国最高の騎士団の長にして、最強の槍使い」
「槍使い?今日は持っていなかった気がしたが」
「そういえばそうだね。軽い調査だから置いてきたのかな?」
二人でそんな風に会話をしていると、フリージアからもらった肉を食べ終わったマリーがふらふらと近付いてきた。
「手紙ってこれのこと?」
テーブルに置かれた紙などを見ながらマリーが聞いてきた。
「そうだね。この紙に言葉を書いて、遠くにいる人なんかに伝えたい内容を伝えたり出来るものだよ」
「へー」
興味がなさそうな返答だ、とフリージアは思いかけたが
「私も書きたい」
とマリーが言い出した。
「書きたいって言っても手紙を書きたい相手でもいるのかい?」
フリージアがそう尋ねると、マリーはうーん、とうなり、それから「…フリージア?」と答えた。
「僕はここにいるんだけどなあ。言いたいことあるなら直接言って欲しいな」
「そっかあ」
少し残念そうな顔を一瞬見せたが、それから
「じゃあ、もしもフリージアが遠くに行ったら書くね」
と笑ってみせた。
「そうだね、その時はお願いするよ」
フリージアのその言葉を聞いて、機嫌が良くなったマリーはベッドに勢いよく倒れ込んで幸せそうな顔をしながら程なく眠りについた。
「僕は手紙を書いて眠るから、シオンは好きに休んでくれ」
「ああ、そうさせてもらう」
アザレアでの夜はこうして更けていった。
翌朝、日がまだ昇りきっていないほどの早い時間に、フリージア達は全く予期していなかったものに起こされる形で朝を迎えた。
「この宿に花屋のハーティス様はいらっしゃいませんか!」
階下の、宿のエントランスの方からそんな大声がしたのだった。
「それは僕だけど、何かあったのかい?」
声で目覚めたフリージアは重たい体を引きずりながら、部屋を出て聞こえた声の主に声をかけた。
「貴方がそうですか、急いで来てくださいガレット山脈で…団長が!」
声の主は鎧を着ていて、どうやら昨日見かけた騎士団員の一人であるようだった。となれば団長というのはゼスティエルのことか、そのことに気が付いたフリージアは一気に覚醒した。
「支度するから待っててくれ!」
フリージアが部屋に戻ると、二人とも目を覚ましていた。といってもマリーは目が開いていなかった。
「何かあったのか」
「みたいだ。来てくれるかシオン」
「…ああ」
何も伝えていないのにシオンは武器の用意をし始めた。フリージアの表情や空気から状況を察したのだろう。その様子を見ながらマリーがベッドから離れて、フリージアのもとまでやってきた。
「私も行く」
「マリー…君はいてくれ」
フリージアは真剣な眼差しでマリーに訴えたが、
「いやだ」
マリーは負けじと強い意志を秘めた瞳で見つめ返す。フリージアは何も言い返すことなく、小さく息を吐いた。
「シオン、マリーと一緒に落ち着いて準備をして後から来てくれ。それと僕が書いた手紙をこの町の届け屋に渡しておいてくれ」
「…わかった」
「僕は先に行く。山の入り口は…昨日の騎士団が向かった方角だ」
「ああ」
シオンの力強い返答を聞いたフリージアは、マリーのことを一度見つめることだけをして、何も言葉を残さず宿の部屋を後にした。