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florist  作者: 鳴門ミシン屋
29/33

「戦い」と「人間嫌い」 1

 「…あの二人が心配?」

リーゼロッテを運んだときと同じように、ふわふわ浮かぶ術式を利用した白い布に乗りながら、カトレアは馬に乗って並走するフリージアにそう尋ねた。この馬はシオンが王都に来るまでに乗ってきたものであった。

「そう見えたかい?」

不敵な笑みを見せながら、フリージアは逆に聞き返した。カトレアはそれに対して小さく頷く。

「まあ相手が相手だからね…、心配じゃないと言うと嘘になる」

けれど、そう口にするフリージアの表情は全く曇っていなかった。

「でも、信じてるさ」

笑顔で、そして真っ直ぐとした瞳で前をただ見つめていた。




 ナスタチュウム王国、王都グロリオサ。その街の中では激しい戦闘が繰り広げられていた。

「消えろ、クソ犬が!」

四つ星クアドラプルの位を持つ仮面の花屋フローリストアキレアが怒号を上げながら、シオンに襲いかかっていた。

「…犬じゃない、狼だ」

シオンは手刀や蹴りを時には回避、時には太刀で受けつつ、猛攻を凌いでいた。戦いが始まってからおよそ一分、未だどちらも相手に明確なダメージを与えることは出来ていなかった。と言うかそもそも、

「受けてばっかじゃ話になんねぇぞ?」

シオンは攻撃に出ていなかった。手数の多い徒手で戦うアキレア、それに応じるシオンはリーチはあれど、隙は出来やすい太刀であったため、このような状況に陥るのは仕方ないことではあった。それに加えてアキレアは特殊だった。

「まあ、そんな代物じゃ俺は傷は負わんがな!」

頑丈な手甲やブーツを身に付けている訳ではない。それなのに、アキレアの攻撃を太刀で受けても、その身には傷一つ付かない。シオンが太刀を研ぐことを怠っているとは言え、普通の人間なら痣が出来たり、骨に何らかの傷を負うはずなのにアキレアにはそれがない。

「成る程な」

以前、アキレアと交戦した際にも傷一つ負わせることが出来なかった。けれど、シオンは冷静だった。

 何故なら彼は知っていたのだ。



 「術式を刻みつけるには、その使用者の血液が必要だというのは知ってるね?」

「いや、知らないな」

「えっ」

得意気に語り始めたダリアの言葉をシオンは顔色一つ変えることなく否定する。ダリアは面食らった表情で「うーん」と唸り始めた。

 ノースポールの町にて、ダリアが教えてくれた話をシオンは思い返していた。

「…じゃあ基本から説明しよう」

しばらく考え込んだ様子を見せた後、拗ねたような態度を見せながらダリアは語り始めた。

「術式を刻む際に必要なのは、刻みつけたい対象、術式使用者の血液、そして刻みたい術式に適した花なんだ」

必要とされる物を一つ挙げる毎にダリアは伸ばす指を一本一本増やしていく。

「花が必要とはどういうことだ?」

「んーとね、原理は分かんないんだけどね」

「はあ」

「そこに込められた思いが反映されるとか何とか先生は言ってたかなー」

シオンが少し呆れたような様子を見せるのでカトレアは後付けで説明を加えながら、説明を続けた。

「カンナなら「情熱」、カモミールなら「癒し」っていう風にね、花にはそこに込められた思いやメッセージという物があるんだよ」

花に関しての知識を元盗賊であるシオンは当然持ち合わせていない。だから何となくで納得しながら話を黙って聞くことにした。

「花を用いて、色水を作る。そこに血液を混ぜる。それで扱う術式に定められた形の紋様を刻みつけることで完成する」

説明に疲れてきたのか、早々と術式を刻む工程に移りたいのかダリアは説明を淡々とこなす。

「原理は不明、発明に際して魔法が関与しているって話らしいけど私は知らない。そうして出来た術式は使用者が手など身体の一部で触れることで効果を発揮する」

「ふむ」

ラグラスは手甲に刻まれた術式に触れて炎を生み出していた。ナイトハルトは鉄の靴に触れた後で、驚異的な跳躍などを見せていた。

「血液が必要なのはそういう所だと思う。術式において不便な点ではあるが原則としてそうなっているのだから仕方ないな」

「…原則、か」

「そう、あくまで原則。ということで例外はある」

ほんの僅かだけダリアの口調が重たい物に変わったのをシオンは感じた。

「通常、物に刻むべき術式を人の身体に刻みつける。そうすることでわざわざ手なんかで触れなくても術式の効果を発揮することが可能になる」

重たい口調、真剣な眼差し、息を漏らす唇、彼女がそうした振る舞いを見せる理由が分からずにシオンは少しだけ考え始めた。

「それは「ゾンデ」と呼ばれている」

「罪、か」

シオンはそう口にしながら思い出していた。

 フリージア・ハーティス、彼の左胸の辺りには謎の術式が刻まれていた。彼が「呪い」と称した不老の効果を発揮しているであろうその術式、ダリアが口にしたのはそのことなのだろうか。

「…君が出会ったアキレアもその一人、だね」

頭の中に無かった人物の名前が挙げられ、シオンは虚を衝かれたような思いがした。

「彼の術式は魔法の種類で言うとウェアだったかな…?」

術式研究者の権威という触れ込みだったはずのダリアは、その基となったらしい魔法に関しては門外漢のようだった。先ほどもそんな風なことを口にしていた。

「固い絆などの意味を持つ朝顔モーニンググローリーで作られた物だね」

「固い絆…」

「その意味から転じさせて彼は自分の身体を硬質化…いや、固い物質で覆っているの方が適切か」



 「…術式、というのは全く恐ろしいな」

鋼鉄の太刀でも傷一つ付けられない強固な身体をいとも簡単に作り上げてしまう。一度刻みつけることに手間を掛けてしまえば、後はなんてことはない。術式という技術の恐ろしさを改めてシオンは肌で感じていた。

「何だ、今更謝る気になったか?俺に屈服する気にでもなったか?」

「そんな訳ないだろ」

律儀に返しながらシオンは構えていた刀の柄から左手を離し、刀身を身体に寄せながら指先で触れようとそっと伸ばす。

「…そこにあるのは術式か?」

戦闘態勢を解き、怪しい動きを見せるシオンを観察しながらアキレアが尋ねた。

「ああ」

シオンがそう答えるなり、アキレアは神経を研ぎ澄ませ始めた。仮面から覗く目は一挙手一投足を逃さずに捉えようとする強い眼差しで、畏怖を覚えそうなほどであった。そこに先ほどまでの激情に身を任せていたような彼の姿はなかった。アキレア、国内最高峰の花屋フローリスト、常識外れの研究者、そういった一面を思わせる物が垣間見えた。

「…冷徹のハイドランジア、フリーズアーツ」

指先で術式に触れてシオンが口にし始めた瞬間、辺りに冷気が漂い始めた。アキレアは元々距離を取っていた位置から更に数歩下がり、警戒度を上げる。

「氷の術式か…そう簡単に凍らされるつもりはないぞ!」

「ああ」

叫ぶアキレアにシオンは端的に返す。それこそ冷徹で冷静な口調だった。

「俺もそのつもりはない」

周囲に漂っていた冷気がシオンが持つ太刀に集まり、次第に刀身に氷がまとわりつくようになっていく。

「凍てつき、刃を研ぎ澄ませる…、氷衣刀ひょういとうしろがね」」

それはまるで宝石のようだった。鈍い光を宿していたシオンの太刀が一瞬にして、鋭く輝く光を放ち始めた。

「お前を斬る」

シオンが改めて太刀を構え直した。二人の戦いはまだ始まったばかりだった。



 王都グロリオサの街の中心部からやや離れた地点でも戦いが行われていた。戦っているのは二人の少女、炎の術式を駆使して戦う花屋フローリストラグラス・ルゥ・メルシア。そして、茨のような物で攻撃を繰り出すチーゼルと呼ばれた不思議な空気を纏う少女だった。

「ふっ!」

チーゼルの身体から伸び、鞭のようにしなる茨をラグラスは地面を軽く蹴りながら、避け続けていた。前回の戦いを経てから、フリージアに戦い方を教わった。まだまだ発展途上な彼女ではあったが、ここまで一度も攻撃を受けることなく避け続けることが出来ていた。

「まだ師匠やナイトハルトさんには及ばない…!」

冷静に自身の実力を分析しながら、ラグラスはチーゼルと向かい合っていた。

「……………」

ラグラスがどれだけ視線を向けても、彼女は一言も発さない。以前、彼女と遭遇したときは接触がほとんどなかった。だから、チーゼルと呼ばれたこの少女のことをラグラスは徹底的に観察していた。相手をよく観察することの大切さはフリージアに教わった、そして「極力回避に努めること」をシオンに伝えられていた。



 「メルシア、奴の茨は術式によるものだ。奴の手に刻まれた術式から茨は生み出され、そして伸びてくる」

戦いが始まる前に、シオンがラグラスにそう話をしていた。

「そして、今お前は疲労状態にある。無理に攻めるな。避け続けろ、すぐに俺が加勢する」

端的な言葉、それに単純な作戦内容だった。

「…わかった」

不安はあった、けれどそうするしかないと思ったし、悠長に悩んでいる暇もなかった。ラグラスは返事をして、それから敵を見据えた。



 「いつ頃来るのかな、シオン君は…」

幸いなことに今はまだ攻撃を受けていないが、いつまでこの状態でいられるか分からない。それにあの茨に捕まってしまえば逆転の芽はほぼないと言っていいだろう。

「とか言ってる暇もないし!」

ラグラスが脇道に入って考え込んでいると、すぐさま茨が伸びてきて彼女に襲いかかる。横に飛び、転がりながら避けてラグラスはすぐさま体勢を整える。チーゼルを改めて視界に捉え、その動きや表情を観察する。

「変わんないなあ、ほんと…」

戦いが始まってからずっと観察を続けているが、チーゼルは顔色一つ変えることなくラグラスを追ってきていた。どれだけラグラスが必死に逃げても走ることなく、落ち着いた歩みで彼女は近づいてきていた。緩やかな足取りとは裏腹に茨による攻撃速度は凄まじく、気を抜いている暇がなかった。小さく呼吸をしながら、ラグラスはチーゼルの顔をじっと見た。

「ねえ、アンタは何で戦ってるの?」

チーゼルの正面に出てラグラスはそう尋ねた。けれど、返答はないまま、茨が攻撃を行う。

「喋れないわけじゃないでしょ!」

向かってくる茨を避けながら、ラグラスは声をかけ続けた。振り下ろされる茨は地面に当たった際に石つぶてが飛来する可能性があり避けづらく、横になぎ払われる茨はどこまで伸びてくるか曖昧でこれもまた避けづらい。どちらの攻撃方法にしても大きく避けることが求められる状況だった。ラグラスはチーゼルとの会話を試みようとしながらも、必死にそのように避け続けていた。

「まずは話しやすい状況に持ち込めってことかな!」

全く返答しようとしないチーゼルに業を煮やし始めたラグラスは半身の体勢を取り、左手で右手の拳を包むように構えた。

「フレイムアーツ!」

ラグラスの手に反撃の火が灯った。



 金属と金属がぶつかり合うような音がしていた。王都の街中で普段耳にしない激しい物音が、辺りに響き渡り、もはやそこは戦場と化していた。

 戦場であるならば剣で斬り結んでいる音だと納得する事が出来る。けれど、事実はそうではない。

「どうした!俺を斬るんじゃなかったのか?」

剣戟の様な音を作り出している存在の片方、アキレアが武器を持たぬ手で、相手の攻撃を捌ききっていた。対するシオンはひたすらにただ刃を振るい続けた。上段から振り下ろし、下段から切り上げ、そして袈裟切り。その他様々な方向からの斬撃を何度も繰り返し放ったが、アキレアはそのどれも難なく対処してみせた。時折笑い声を上げながらシオンの太刀を弾き、受け流し、避ける。シオンが術式を使って太刀に氷の刃を纏わせて戦っても、未だ傷を負わせることは出来ていなかった。

「お前のその脆弱な術式じゃあ俺は斬れないみたいだなあ!」

「……喧しいっ!」

苛立ちの声を上げながらシオンはアキレアの顔めがけて太刀を横薙ぎに払う。術式によって硬質化され傷を負わない体、ではない術式で守られていない顔を狙った一撃だった。

「おっと」

しかし、アキレアはさっと上体を低く下げてかわしてみせた。その動きはどこか余裕を感じさせる物だった。

「ちっ」

大振りした後の隙を狙われる前にシオンは咄嗟にバックステップでアキレアと距離を取った。

「硬質化されていない顔を狙うってのは悪くない考えだがなあ…甘いぜワンちゃん」

二人の戦いが始まってから恐らく十分ほどが経過していた。一見すると衣服がぼろぼろになっているアキレアの方が劣勢に思われたが、体には傷一つ無く余裕のある振る舞いを見せていた。相対するシオンは傷を負ってこそいなかったが、息を切らしている様は優勢だとは言えなかった。

「俺の名前はアキレア、んでもってアキレアの花言葉には「戦い」ってのがある」

呼吸を整えながら、シオンは「それがどうした」と思ったが言い返せないまま、体を休ませることに専念した。

「名は体を表す…事実、俺は強い。その強さで花屋フローリストの最高位である四つ星クアドラプルの資格を認められた。花屋フローリストの中には戦闘力が足りないってんで上に行けない奴がごまんといるらしいが、俺には無縁な話だね」

何かの演説でもしているかのようにアキレアは両手を大きく広げながら語りを続けた。一歩一歩シオンとの距離を詰めながらもその語りは止まらなかった。

「お前がどれほどの死線をくぐり抜けてきたかは知らないが、その俺が相手なんだ。己の無力さを恥じることはないぞ?」

そう言うとアキレアは高らかに声を上げて笑い始めた。強者の余裕、シオンという弱者を完全に見下しているからこその振る舞いであった。

「…羨ましいな」

ぼそりと呟いたシオンの言葉はアキレアには届かない。当然シオン自身届けようとも思っていないし、そもそも口に出す気もなかった。

 羨ましい、何故そんな言葉が自らの口から出てしまったのか分からないまま彼は小さく息を吐いた。それから少しだけ考えて、また息を吐く。

「そうか、久しく忘れていたな」

平静を取り戻そうと呼吸している中で、一瞬だけフラッシュバックした光景があった。フリージアと出会う前の自分、妹を探すために盗賊団を抜ける前の自分、盗賊として日々生きるために生きていたあの頃を。

「まだまだだな俺も」

過去を振り返る時ではない、そう言い聞かせて脳内を現実に引き戻す。握りしめていた太刀の重さを改めて知った。

 刃に目を向けるとそこには術式が刻まれていた。フリーズアーツ、凍結の能力を持つ術式。術式を刻む際に用いた花はハイドランジア。その花が持つ花言葉は「冷徹」というらしい。少しずつ冷静さを取り戻してきた頭でダリアが教えてくれたことを改めて理解することにした。

「冷徹…その理解に近付くことが必要、か」

 乱れていた呼吸はいつの間にか整っていた。


 シオンの周囲を覆う空気が冷たくなっていく。

「フリーズアーツ…氷衣刀…」

パキパキと小さく音をさせながら、シオンの持つ太刀が厚い氷を纏っていく。

「冷徹に、研ぎ澄ませる…」

シオンが言葉を紡ぐ度に氷の太刀の光が強く輝きを放つ。鋭く、妖しく、麗しく。

「消えろ」

シオンの太刀の間合い、その境界線に足をかけながらアキレアが硬質化した腕を伸ばす。太刀の刃が優に届く位置から、近すぎて逆に攻撃を行えない、その距離まで一気にアキレアは踏み込む。

 そのつもりだった。

「…あ?」

踏みだそうとした足に突如痛みが走った。しかも、その場で足が止まる。急加速しようとした上半身はバランスを崩され、前のめりに倒れ込もうとする。

「氷の…槍?」

倒れ込みながらアキレアは足下を見た。自身の動きを止めた存在の正体を見極めるために向けた視線の先には、赤い血が滴る氷の槍のような物体があった。

「…凍影とうえい

倒れ込むアキレアの頭上からシオンはそう告げた。

「虚をつく形なら俺の未熟な術式でも傷を付けれるようだ」

「貴様っ!」

アキレアが悪態をつきながら無理矢理に氷の槍から足を外す。血が流れたままの足で咄嗟に後退してみせるが、遠くへは行けない。それに動く度に激しい痛みが彼の体を襲う。

「ぐっ…」

苦悶の表情を見せながらアキレアはシオンを睨みつけようと顔を上げるが、そこにシオンはいなかった。

「ちゃんと防いでみせろよ」

と思いきや右側からシオンのそんな声がして、アキレアは瞬間的に右腕で防御の姿勢をとる。当然、術式を用いた硬質化も忘れずに行う。この刹那の対応はアキレアならではの技である。

「があっ!」

右腕に痛みが走った。太刀を受け止めたり弾いた時の衝撃とは違う、刺激だった。

「今のは不完全なやつだよな?」

アキレアの腕に一筋の線が刻まれ、血が流れる。その様を見ながらシオンは冷静に次の攻撃態勢に入る。初めて太刀での攻撃が通ったというのにあくまで平常心だった。いや、「冷徹」だった。

「調子に…乗るなよ!」

アキレアの皮膚が、顔を含めた体全体が黒く輝く物質に覆われていく。黒曜石のようなものへと姿を変えるアキレア、シオンは太刀を握る手に力をより一層強く力を込める。

「もっと鋭く…!」

白い息を吐きながらシオンが前へ出る。

「フンッ!」

氷の太刀と漆黒の腕が三度切り結ばれる。鳴り響く甲高い音、小さく聞こえる息遣い。これまで以上に激しい攻防、二人の戦いに終わりは来るのだろうか、そんな疑問を抱く前に戦局が傾いた。

「ぐっ…」

アキレアの体に亀裂が入り始めた。最初は細かなヒビのようなものでも、繰り返しシオンの太刀を受ける度に大きく、激しく線が幾重にも刻まれていく。

「俺はお前みたいに強くないから」

激しく、素早く太刀を振るいながらシオンが話を始めた。

「いつだって必死だ」

アキレアの体から黒い皮膚の欠片がぼろぼろ落ち始める。

「誰かに誇れるような…、驕れるような強さなんて持ち合わせていない」

言葉を続けながら、口を動かしながら、それでもシオンの攻撃が緩むことはない。

「弱くて、脆くて、それでも死にたくない…生きようともがきながらここまで来た」

「何が言いたいんだ!」

激昂しながらアキレアが腕を横薙ぎに大きく払う。纏っていた黒い鎧は半分近くが剥がれていて、アキレア自身の肌が大きく露出していた。

「これは俺の誇りの問題だ」

アキレアの反撃をバックステップでかわして、シオンは小さく息を吐く。

「俺はお前のように恵まれた存在が憎いのさ」

シオンは戦災孤児だった。物心付いた頃には親はなく、当然地位や身分もない。狼の亜人だというだけで人間から迫害を受ける日々。人に誇れるような才や能力はない。財があれば話は変わったのかもしれないがそれもない。当時の彼にあったのはたった一人の肉親である妹と、生まれつき備わった強靱な肉体、そして過酷な環境で培われた不屈の精神。自身の周りは全て敵、生きるためには何でもする。

 とある一人の男に出会うまで彼は人生に絶望しながら生きていた。

「ハッ、知らねえよ」

一方的に向けられた敵意、自分を追い込んでいる相手を見据えながらアキレアは鼻で笑った。

「てめぇら凡人が何を思おうが、俺の何に腹を立てようが関係ねぇな」

シオンとアキレア、二人の距離はざっと五メートル程、シオンの身体能力を以てすれば一っ飛びで彼の太刀は届く距離。しかし、それでいて刃が届ききる前にアキレアは防御もしくは回避が可能になる距離。二人は互いに間合いを見極めながら、にらみ合い次の行動を予測した。

「遅いぜ、わんこ君」

ふとアキレアがそう口にした。

「これで振り出しだ!」

アキレアが叫んだ。そう叫び終わらない内にアキレアの全身、顔を含めた彼の体全てが再び黒い鎧に覆われていく。

 普通の鎧などとは異なり、術式の方が有用だと言える大きな一つのポイントであろう。破壊されても即座に再生出来る。それには時間と集中力を要するが、一度完成してしまえば術式はその効力を惜しみなく発揮できる。

「…斬る」

アキレアの術式の復活、それに伴う再起の咆哮、シオンはそれらを意に介すことなくじっと太刀を構えていた。体の右側を相手に向けながら半身の体勢になり、両手に持つ太刀を顔の近くまで持ってくる。刀身は地面とほぼ平行に、相手を射抜くような形で切っ先を向ける。そして、左足を後方に下げながら、体の重心を低く落とす。

「フリーズアーツ…」

その構えから放たれる威圧感、術式によって満ちる冷気の濃さにアキレアが気付いた頃にはもう遅かった。

「貴様っ…!」

「捉えた…!」

太刀の刃が下から上に切り上げる形で回転する。間合いの外から放たれたその斬撃は振るわれると同時に無数の氷塊を飛ばすものだった。

「がぁっ!」

アキレアは氷塊を防ぐために咄嗟に防御の体勢を取った。術式を集中させた両腕を前に出し顔を守った。腕へ向かってきた氷塊は刺さることなく衝撃を届けるだけで終わったが、防御を怠った下半身へ飛来した氷塊は次々に刺さり、切り裂き、鮮血を吹き出す羽目になった。

「舐めるな!」

激痛に耐えながら、攻撃が弱まるのを見計らってアキレアは両腕の防御を解きながら氷塊を弾いてみせた。が、

「遅い」

自らの視界を防いでいた両腕をどかしたそのすぐ先にシオンの姿があった。

虚空翔こくうしょう

そう言い終わらない内にシオンの太刀が大きく横薙ぎに振るわれた。脇腹に走る激しい痛み、肺の中の空気を一気に吐き出すおぞましい感覚、そして地面を打ち付ける衝撃に悶える。アキレアが認識できたのはそこまでだった。

「…手間取られたな」

シオンは構えを解きながら、そうぼやいた。

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