名付けの秘密
フリージアとラグラスが城へ向かっている頃、宿に残された三人は静かな時を過ごしていた。元々口数の多くないマリーとナイトハルト、それに加えてこの緊迫した状況。沈黙した空気が流れるのは必然だった。
「…ああ、そういや聞きてえことがあったんだった」
寝転がった体勢のままでダンデが不意に口を開いた。その声は確実に二人の耳に届いているはずなのだが、どちらも微動だにすることなく沈黙を保ち続けた。その様子を暫く眺めてからダンデは上体を起こして視線をマリーへと向けた。
「…嬢ちゃんはマリーって名前だったよな?」
そう声をかけられてからようやくマリーはダンデの方を見て「そうだよ」と短く答えた。
「でも、記憶喪失、だったよな?その名前は覚えてたもんか?それとも今そう名乗ってるってだけか?」
マリーが記憶喪失であることは一行がダンデと初めて出会ったときに話をしていた。それは旅の目的として、旅を始めた理由として説明をしていた。
「記憶喪失の少女の記憶を探す手がかりとなるような何かしらを探す」
フリージアはそういう風に端的に説明をして、ダンデはそれを特に深慮することなく受け入れていた。
だが、ある時ダンデはふと疑問に思ったのだった。マリーというこの名前は彼女本来の名前なのか、と。
「フリージアがくれた名前だよ」
どうして質問してくるのか分からないといった様子を見せながらマリーは答えた。フリージアが彼女の瞳の色から連想したローズマリーの花弁の色、そこからフリージアは名前の一部を取ってマリーという名前を少女に付けた。詳細な説明を付け加えてマリーは経緯を語った。この時までダンデはその事実を知らなかった。
「んー、そんじゃあ無駄、か」
事実を知ったダンデはそんな風に訳の分からない言葉で反応してみせた。訳が分からないままに「無駄」という単語に何となくマリーは嫌悪感を抱いた。
「…あー、悪い。説明するわ」
マリーの睨みつける鋭い視線を感じたダンデは少し慌てた様子を見せて、小さく息を吐いた。
「この国にいる人間ってな、そいつの名前を聞けば、どの辺りの出身だとか、親族がどういう所で暮らしてたかってのが推測出来るのさ」
「どういうこと?」
先ほどのダンデの発言に何となく悪意がないことは分かったが、マリーは話の内容を理解出来ずに困惑した。
「ま、例を示すと花の名前が付けられてる奴はアウグストゥス…花の国の生まれだったり、名付けた親とかがそこ生まれって分かる」
「ふーん、そうなんだ」
ダンデの話を理解は出来たが、マリーの反応はいまいちだった。表情が特に変化しないのを見て、ダンデは付け加えて説明をした。
「だから、嬢ちゃんのマリーってのが本当の名前…ローズマリーから付けられた物だったなら嬢ちゃんの出身はアウグストゥスなんだって分かっただろうなっていう話だよ」
「なるほど…、でも、私の名前はフリージアが付けてくれたものだよ?」
「…だから聞いたのが無駄たった、残念だったって話だよ」
申し訳なさそうに語るダンデのその様子を見て「あ」とマリーは声を漏らして全て納得したようだった。
「ちなみに魔法使いの国クランドールだと、そいつ自身の魔法に関連した名前が付けられる。それ以外の感じだと亜人の国リルカハーケンって予想出来る」
そこまで説明をして最後に「あくまで予想、そういう傾向があるって話だけどな」という言葉で話を締めた。
「それじゃあ、そこのナイトハルトとか、騎士団長さんはリルカハーケン?…あれ、でも亜人じゃないよね?」
「そこの執事君に関しては知らんが…、亜人の国だったからって亜人しかいなかった訳じゃないからなあ。人間と亜人が共存してた国ってのがリルカハーケンって所だ」
何となくフリージアの説明に慣れてしまっているせいか、ダンデが説明をするというのに今更目を丸くさせながらマリーは黙って話を聞いた。
「…確かに私はリルカハーケンと呼ばれていた地方の生まれではあるが亜人ではない。あんたの言う通りだ」
マリーがすぐさま反応を見せないのを認識して、ナイトハルトが口を開いた。
「ただし、共存していたというのは誤りだ」
すねたような口調でそれだけ付け加えると、再びだんまりに戻った。
「あー、何があったか知らんがそれで、狼君のこと嫌いなんか、なるほど」
ナイトハルトの不機嫌そうな態度を見てダンデはあることを察した。
「馬車の中でなんか言ってたから何事かと思えば八つ当たりか」
「八つ当たり…?」
ナイトハルトの目が見開かれ、鋭くダンデの顔を捉える。
「リルカハーケンとアウグストゥス、それにクランドール。三つがくっついた今でもそれぞれの地方では独自の風習があるんだろ?んで、お前さんが生まれた時には当然リルカハーケンの名前は残ってなかったけど、亜人達の力が強かった」
自信が思い至った事実を精査するように、マリーにも分かりやすく話すように、一言一句丁寧にダンデは語り始める。
「執事君はそこで不当な扱いを受けた。生命への慈愛を謳うこの国であっちゃならないような…感じか?」
「…黙れ」
聞こえるか聞こえないか分からないくらいの微かな声で、言葉を口にしながらナイトハルトがゆらりと立ち上がった。
「それで亜人を、亜人全体を憎むようになった。何かされた訳でもねえのにあの狼君に敵意を向けてるらしいのはそういうことだろ?」
「黙れ!」
ナイトハルトがダンデの服の左側、その襟の部分を掴んで引っ張るようにしながら強い眼差しを向けた。
「八つ当たりだな、それもこれも」
しかし、ダンデはあくまでも冷静に言葉を告げた。顔色一つ変えることなく相手の顔をじっと見つめた。
「…ま、思いやりなく言い過ぎたのは認めるさ」
二人が向かい合って数秒、ダンデがおもむろに口を開いた。
「その非は認めてやる。だからさっさと手を離してくれ」
そう発されてからやや遅れてナイトハルトは服を掴んでいた手から力を抜いた。しかし、その怒りはいささか治まっていなかった。
「外出て頭冷やせって言いたいところだが、お前は外出禁止だからな。俺が出てくるわ」
立ち上がって少し乱れた服を整えながら、ダンデは扉へとゆっくり歩き出した。一歩、二歩と扉までゆるりと近寄りながら進む足は、ふと扉の前で止まった。
「でもな」
振り返らないままダンデは話を始めた。
「てめぇは間違ってる。…お前自身分かってるだろうから、これ以上は言わねぇけどな」
いつも飄々とした振る舞いを見せるダンデらしからぬ強い口調の言葉だった。
「そんじゃ、あいつらが戻る前には帰ってくるよ」
そして、何事もなかったかのようにあっさりと部屋を後にしたのだった。
「…ああ、不愉快だ」
ナイトハルトは俯いたままでぽつりと思いを口にした。歯を食いしばりながら、握り拳を作る彼をマリーはただじっと見つめていた。




