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florist  作者: 鳴門ミシン屋
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港町 ブーゲンビリア

 真昼を少し過ぎた頃、アルモニアの町を出て二人が向かった先はブーゲンビリアという名前の港町だった。常日頃、人と船の往来があり、活気に満ちあふれた町である。距離としてはアルモニアからそう遠くない位置にあるのだが、最短距離で行こうとすると土地の起伏が激しいことに加え、木々が鬱蒼と生い茂った森があるため、楽な道とは言い難い。加えて今回は売り物の花々とマリーを載せた荷車を引いていくこともあって、遠回りにはなるが平坦な道を行く他なかった。

 澄み渡る青空の中、微かな潮風を浴びながら歩くというのは非常に気持ちが良かった。ブーゲンビリアに行く時にはいつも通る道だったが、今日は一人じゃない。マリーと共に行くこの道はいつにも増して快適だ、フリージアはそんなことを思いながら歩いていた。

「なんだか楽しそうだね」

「ん、そう見えるかい?なら、そうなんだろうね」

荷車に乗っているマリーからはフリージアの背中しか見えないが、それでも分かる程に彼は気持ちが乗っていたのだった。

「さて、これから町に入るから速度落とすよ」

フリージアはマリーに忠告してからブーゲンビリアの町に入った。

 ブーゲンビリアは多くの人で賑わっていた。道が塞がれるまではなかったので、荷車は止まることなく進めるが、人々が足を止めることなく行き交っていた。

「アルモニアとは違うね。それとも今日はお祭り?」

「いや、これがここの日常だよ。まあ、今日は一週間で一番多く船が入って来る日だから、こうして人が多いんだ。まあ、少ない日でも田舎のアルモニアよりは沢山人がいるけどね」

フリージアの説明を聞きながら、横を通り過ぎて行く人の姿を見てマリーは「はあ」と感嘆の息を漏らした。

「いらっしゃい、今日はいい天気だねえ」

「今日はいいもん入ったんだ、見ていきな!」

「安くしとくよ、兄ちゃん」

周りから聞こえてくる声にフリージアは時折笑顔を向けたり、「後でね」などと返したりしながら、進んでいく。マリーに声をかけてくる者もいたが、マリーは何をどう答えたらいいか分からないまま、見つめ返すことしかできなかった。

「とうちゃーく」

そんなやり取りを何度も繰り返した後、フリージアはそう言って、花屋の前で荷車を引くのを止めた。

「ちょっと待っててね、すぐ戻るから」

マリーにそう言い残すと、フリージアは店の中に入っていった。マリーは荷車に花々と共に取り残された。それから言葉通りに彼は一分経たない内に、店主の男を連れて店から出てきた。

「ほう、今日はまたえらく大量に持ってきたじゃないか」

店主はそう言って、荷車に載った花々を品定めし始めた。

「カーネーションにアカンサスにチューリップ…どれも状態はいいな。それにパンジー、んで女の子が一人…」

店主は花々の一つ一つに視線を移して回っていたが、マリーが視界に入ったところで動きが止まった。

「…俺の見間違いじゃないよな。なんだこの子は」

「その子はマリー。当然ながら売り物ではありませんよ」

「わかっとるわ!おまえさんがこの子を売りに来たなんてぬかしたら殴ってでも止めてやるわ!」

「ですよね」

 フリージアは店主にこれまでの経緯を説明した。話を全て聞き終えて店主は全て納得したように何度もうんうんと頷いた。それから少し考えて口を開いた。

「…じゃあ、店の方はしばらくやんねえのか」

「そのために今日は来たんです」

「…ってことはもう一つの方をやってく感じかい?お前さんも大変だな」

店主の言葉にフリージアは「仕方ないですよ」と優しく笑ってみせる。と、そこでマリーが会話に入ってきた。

「もう一つの方ってなあに?」

「もう一つの方っていうのは…まあ、簡単にいうと研究すること、だね」

「研究?」

マリーのきょとんとした顔を見て、フリージアは小さく息をついて「少し長くなるけどいいかい?」と彼女に尋ねた。マリーは小さく頷き、小さな子供のようにきらきらとした目でフリージアを見つめた。

「それじゃあ、説明するよ」

そう言って話をし始めるとマリーに続いて、店主も耳を傾けた。

花屋フローリスト。この国でその資格を持っていて、仕事を行う人間には大きく分けて二つ仕事がある。一つは言葉の通りそのまま花屋の経営に関することだね。店を構えて商品を売ったり、こうして他の花屋に商品を卸したりするんだ。」

「それでそれで?」

「そして、二つ目がいわゆる研究者としての花屋だね。数多くある花々の生態、特徴なんかまだ分かっていない部分が多くあるんだ。それを解明するために花に様々な実験を施したり、花が咲いている土地を調査する。それが花屋フローリストのもう一つの仕事さ」

「で、これからフリージアの兄ちゃんはその研究をしながら色んな所を旅するんだとさ」

フリージアの少し長めの説明の最後に店主が付け加えをしてくれた。

 これがナスタチュウム王国が誇る「花屋フローリスト」の使命なのである。

「…ねえ、フリージア」

「ん?君も花屋フローリストに興味を持ったかい?」

マリーはその問いに首を振った。それから

「おなかすいた」

と言ってフリージアの服の裾を軽く引っ張り始めた。

「おもしろい嬢ちゃんだな!」

フリージアは呆気にとられて声が出せなかった。

さっきまでのきらきらした瞳はどこへ行ったのか。マリーはどこまでも自由奔放だった。


 店主に花々の扱いを任せる言葉と、それに対してのお礼を述べてから二人は足早に店を後にした。ここまで運んできた荷車は預けたので、ここからの移動は身軽なものである。ということでまず向かう先は当然食事が出来るところである。

 花屋を出てから、数分歩いたところに酒場のようなものを見つけた。酒を飲むつもりはもちろんない。この昼の時間帯であれば軽食があるだろうと、それを目当てにすぐさま店に入った。

 店に入ると客がまばらにいて、どの客も屈強な男たちばかりだった。恐らく船荷の運搬等の仕事を終えてここで休んでいるのだろう。談笑しながら食事を楽しんでいる様子なのが一目見て分かった。食事だけではなく、中にはテーブルに酒が並べられている所もあった。

 フリージアはカウンターにいた店員らしき男に「二人分の食事を見繕って持ってきてください」と注文をしてから空いた席に腰を落ち着けた。そこは窓から外の景色が見える四人用のテーブル席だった。店に入ってからずっとマリーは店内をきょろきょろ見回していた。当たり前の話ではあるのだが、記憶喪失の彼女にとってはどの景色も新鮮なもので、視界に入る物は初めて見るものばかりで気になってしょうがないのだろう。店内に飾られた絵画や壁に掛けられた鹿の剥製、掲示板に貼られた労働者募集の張り紙など、気になるものを発見してはフリージアに一つ一つ質問することを繰り返した。

 店内の物をあらかた質問をし終えたマリーはそれから、外の風景に目を向けた。

「あの建物はなに?」

マリーが指で指し示した建物は、全体が真っ白な壁で覆われていて、細長く高さのあるものだった。そして、建物の屋根の頂点には十字架がある。

「ああ…あれは教会だね」

「教会…?」

「この国で信仰されている「マナ教」の女神、マナが祀られている場所さ」

宗教や女神という言葉が理解できないのか、マリーは首を傾げている。フリージアはそれを見て語り始めた。

「マナ教っていうのは簡単に言うと命を大事にしましょう、大事にしていれば自分の命や魂に不幸になるようなことは訪れませんよ、っていうことを教えている物なんだ。あの教会ではその教えを信じている人たちが集まって女神に日々祈りを捧げている場所なんだ」

フリージアの丁寧な説明にマリーはあまり納得がいっていないのか、険しい表情をしてみせる。フリージアは構わず説明を続ける。

「それで、あのてっぺんにあるのは蓮十字ってよばれる物でね。蓮の花びらと下に真っ直ぐ伸びる根、それに垂直に交わる葉が十字架に絡みつくようになってるだろう?あれがマナ教のシンボルだよ」

マリーは依然として難しい顔をしていた。話が難しすぎたのか、それともただ単純にお腹が空いているのかフリージアは判断しかねていると

「宗教…?ってよくわかんないんだけど、必要なものなの、かな?」

そんな質問をした。フリージアは少女から放たれたその質問に思わず面食らってしまった。それから数秒考えてからゆっくり口を動かした。

「…人によってはね。とても大切な物なんだよ」

小さく「この国では特にね」と付け加えた。質問の答えにとりあえず理解はしてみせるが、マリーは完全に納得はいっていないようだった。その内分かることだろう、フリージアはそう思いそれ以上説明をすることはなかった。

 それから少し経ってから食事が運ばれ始めた。マリーの興味はマナ教から目の前に並べられた食事へと移り、またフリージアに一つ一つ質問をし始めた。窯で焼かれたであろう大きなパン、港町ならではの新鮮な魚を焼いたもの、色鮮やかな野菜のサラダなど、どれも美味しそうなものばかりで、マリーを目を輝かせながら料理を眺めていた。

「さあ、食べようか」

フリージアが言い終わる前に、「いただきます!」と言ってマリーは食事を始めた。

「…盗賊が出るって話本当か?」

食事を始めて数分経った頃だろうか、ふとそんな話し声が耳に入ってきた。話をしていたのは二人のテーブルから見て通路を挟んだ反対側にいた二人の男だった。

「ああ、本当さ。最近あそこを通った連中は軒並みやられちまってる」

それから男の一人は、被害にあった人々の名前を一人一人挙げていき、話を聞く男を驚かせていた。

そこまで話を聞いたフリージアは食事を続けるマリーに「ちょっと待っててね」と告げ、席を離れた。

「その話詳しく聞かせて貰っても構いませんか?」

フリージアは男たちの所へ行き、そう声をかけた。男たちは少し警戒した様子を見せ、フリージアを品定めするようにじろじろと見始めた。

「話をするのは構わねえが、兄ちゃんみてえな貧弱な体じゃ、盗賊に身ぐるみ剥がされておしまいだぜ」

男たちは自分たちに声を掛けてきた男をそう評して、まともに取り扱おうとはしなかった。フリージアから視線を離し、男は二人とも向かい合ってそれぞれの酒らしき飲み物を口に含み始めた。

「ご心配には及びませんよ。こう見えても僕強いんですから」

フリージアは笑顔でそう男たちに告げ、「だから教えてくれ」と目で訴えかけた。男たちはにわかに信じられないといった感じで、怪訝そうな顔をしていたが、その男の一人が語り始めた。

「ここからアルモニアに向かう途中の森に最近盗賊が出るんだ。ここまではいいな?」

フリージアは「ええ」とだけ返し、続きを促した。

「んで、その盗賊の目当てが金品の類じゃないってのがおかしな話なのさ。俺が聞いた話によるとだな、そいつは森を通るやつを呼び止めてから質問してくるんだ」


「この辺りで狼の亜人、それも女のやつを見たり、それに類する話を聞いたことはないか」


「ってな。で、それに対してその盗賊が何の情報も得られないと分かると、次に食料を欲しがるんだと。それに反抗すると襲われて持ってる食料を奪われるらしい」

男はそこまで話し終えると「俺が知ってるのはこんな感じだ」と言い、また酒を口に含み始めた。

「ありがとうございます。気を付けるようにしますね」

フリージアは男にそう言って、自分の席に帰った。

 席に帰り着くと、テーブルの上の食事はほとんどなくなっていて、マリーが満足そうな表情で休んでいた。

「…お腹はいっぱいになったかい?」

「うん。もう入らないくらいにはね!」

そこまで食べるなら、腹八分くらいにして、自分の分をもう少し残しておいてくれないか、フリージアはそう思ったが口には出さず、残された食事を片づけることにした。食事を口に運びながらフリージアは考えた。なぜ、こんな辺鄙な場所に盗賊が出るのか、と。都近くの方が人の通りが多く、その盗賊が求める物が手にしやすいと思うのだが。

「…ま、聞いてみるしかないか、本人に」



 「それで帰り道はどうするの?」

店を出てから、マリーがフリージアに質問した。マリーは食事に夢中になっているように見えて、男たちとの会話をしっかり聞いていた。器用、と言っていいのか分からないが不思議な能力を持つ少女である。記憶喪失だという時点で、特殊な人間な気はするが、ますますこの少女のことがよく分からなくなってきていた。そもそも、記憶喪失というのはこういうものなのか。知識として知っている物と知らない物の境界線はどこにあるのか。

「森を通って帰るよ」

記憶喪失の人間に出会うのはこれが初めてなのだから、悩んだってしょうがない。記憶喪失の人間というのはこういう物なのだ、そう自分に言い聞かせながらフリージアは質問に答えた。

「でも、盗賊さんが出るんでしょう…?」

「盗賊さん…。まあ、そうだね。盗賊が出る。それでも構わない。真っ正面から向かっていくさ。それがアルモニアに帰る最短ルートだからね」

「でも、それじゃあ物とか盗られちゃうんじゃないの?」

「大丈夫、その心配はいらないよ。だからそのために僕はここに来たんだ」

そう言ってフリージアが立ち止まった場所はとある店の前だった。

「…武器屋、さん?」

「そう、ここは武器屋。色んな武器が売ってる店だよ」

フリージアはそう言うと店の中へすっと入っていった。

 店の中はフリージアが言った通り様々な武器が並べられていた。刀剣類に、槍などの長い柄の物、弓など遠くから攻撃を行うもの。数少なくではあるが、防具の類も置いてある。マリーはここでも色々な物に視線を移しながら店内を歩き回った。カウンターの所まで行くとフリージアが立っていた。店主のような人物の姿は見えない。

「ちょっと待っててね」

自分の傍まで来たマリーの姿を確認すると、フリージアはそう声を掛けてきた。それから実際にちょっと…数秒すると店の奥から男が一人出てきた。

「ほらよ、あんたのはこれだろ」

男はそう言いながらフリージアに剣を渡した。革の鞘に収まったそれは、腕の長さとそう変わらないくらいの大きさだった。この国の騎士団が持つ一般的な剣よりはかなり短い剣だった。

「手入れはばっちりしてあるぜ」

男の言葉を聞きながら、フリージアは鞘から剣をゆっくりと引き抜いた。鏡のように顔が映り込むほど輝く刀身、その両側が刃として作られている。柄や鍔には装飾など施されておらず、質素な作りとなっている。

「ん、いい感じですね。さすがの仕事ぶりです」

「まあな」

刀身の状態を確認したフリージアは剣を鞘に収めると、慣れた手つきで剣を背中側の腰に下げた。鞘に付けられた紐を、自らの服のベルトに通す形だ。剣を受け取ってからの動きを、マリーは黙って見ていた。目の前の状況に理解が追いつけなかった。

「それじゃあ、行くとしますか」



 武器屋を後にしてから、二人はどこかに寄ることなく真っ直ぐ町を出た。行きと違って、花々などを積んできた荷車はもうない。先ほどの言葉通りに森を抜けて帰路に着くことにした。

 ブーゲンビリアを出てから、歩いて三分ほどすると森の入り口が見えた。その入り口の手前に立てられた看板には「この森抜けるとアルモニア」と記されていた。その年季を感じさせるボロボロの看板から察するに、二人が往路で通ってきた道が道として整備される前から、ここに立っているのだろうと思われた。

「本当にここに盗賊が出るのかな?」

「あの人たちの噂を信じるならね。まあ、出ないに越したことはないけどね」

 森に入ると、これまで浴び続けていた日の光をもう浴びなくてもいいことに気が付いた。それほどにこの森の木々は生い茂っていた。その木々の間に最低限、といった感じで整えられた細道を二人は歩く。

「ねえ、さっきの剣…ってフリージアが使うの?

「そうだよ。僕が使うようには見えないかな?」

「うん、見えない」

フリージアの少し意地悪な答え方に、マリーは容赦なく答える。けれど、そういう評価を受け慣れているのかフリージアは遺憾の意を示したりはしない。

「フリージアはその剣を使って戦うの?戦えるの?」

心優しい花屋の店主、それがマリーの抱いたフリージアへの印象である。そして、それが全く的外れというわけではないだろう。そんな彼が細い腕で剣を手にして戦う姿がマリーには想像できなかった。

「戦うよ」

そんなマリーに対してフリージアは迷うことなく笑顔で答える。これまで見てきた彼の表情と何ら変わることのない優しい笑顔である。

花屋フローリストの説明を覚えているかい?」

フリージアはマリーから視線を外し、進むべき道の方向に向き直り、そう言った。

「お花屋さんと…研究者?だよね?」

「その通り。ただね、研究者って言っても四六時中屋内に閉じこもって、机に向き合ってるようなことをしてるわけじゃないんだ」

ゆっくり歩きながらフリージアは説明を始める。どうしてだか、マリーの顔を見ないまま前にどんどん進んで行ってしまう。

「時には花に関する研究、調査のために危険な土地に行かなきゃならないことがある。そういう時に生きて帰って来られる力が花屋フローリストには求められる…」

マリーとの距離が五メートル程離れた所で不意にフリージアが足を止めた。そしてゆっくりと右手を腰に下げられた剣の柄へと伸ばす。

「こういう具合にね!」

そう言いながらフリージアは剣を素早く引き抜き、自らの上にあるものを振り払うように剣を振った。


  ガギンッ!


 マリーが状況を理解できたのはその音が聞こえてからのことだった。フリージアの剣と何か堅いものがぶつかり合う甲高い音、その音ともに目の前に影が姿を現した。フリージアより一回り大きなその影はフリージアの剣に弾かれたようで、滑るように移動しながら、二人の進む道を遮る位置で止まった。

「…強いな」

影は小さな声で言いながら、持っていた武器のようなものを構え直した。ただの影のように見えていたそれは人間だった。ただし、全身は黒い布でまとわれていてその姿形は判別できない。フードを深く被り、顔も分からない。背丈や声色から男だろうことは分かるが、それ以外に分かることは持っている物が異様な長さの刀剣の類だということだけだった。

「全身黒い衣か…。怪しさ満点だね。もしかしなくても君が噂の盗賊くんかな?」

突如襲われたにも関わらず、フリージアは軽口でそう言い放つ。

「…噂になっているかは知らないが、確かに俺は盗賊だ」

フリージアの疑問に答えながら男は剣を構えて、戦闘態勢に入った。体を半身にして、左足を強く踏み込むように前に出す。そして剣は自らの体で隠すように後ろに下げる。八双に似た構えだった。

「その盗賊の頭上からの不意打ちをものともせずに立っている貴様は一体何者なんだ」

「そう誉めないでくれよ。僕はただの花屋さ」

フリージアは相手に合わせて剣を構える…ことはせず真っ直ぐ立っているだけだった。

「構えろ」

男が怒気を込めて告げる。それに対してフリージアは笑みを浮かべながら、

「構える必要はない…というかこれが僕の構え、かな」

フリージアは足を肩幅に開いた状態で、体を正面に向けていた。そして剣は右手、それも順手ではなく逆手でただ持っているという感じの構えだった。自然体、といえばそうなのかもしれないがあまりにも力が入っていないように見えた。

「ただの花屋、という答えも馬鹿げていたが、戦う構えがそれとはどこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ」

「別に馬鹿にしてるつもりはないよ?」

男のむき出しの怒りに怖じ気付くことなく、フリージアはいつもの調子で返す。

「…ああ、わかった。それでいい」

そんなフリージアに男は呆れたように言いながら、剣を握る力を少し強くする。

「安心しろ…


 命までは奪わない!」


男が言葉と同時に前に踏み出し、剣を鋭く横に切り払う。男の目測が正しければ、切っ先で相手の腹に傷を付けることが出来る。たとえそうならなくとも、後ろに退いた所に素早く追撃するつもりだったし、また剣で防がれるようなことになっても、力で押せる。そう思って振るった剣、しかしフリージアは男の予想とはどれも異なる動きをした。

「よっと」

フリージアは振るわれた剣を喰らうことなく、退くことなく、防ぐことなく、しゃがんでかわした。そしてかわすだけでなく、カウンターを仕掛ける。男が斬り払い終わってから次の行動に移ろうとする前に、フリージアは剣を持った右手を突きだして殴った。男の腹を思い切りよく。

「ガハッ」

向かってくる剣を何とか防ごうと頭を働かせた男はまたも意表をつかれる形になってしまった。そして続けてフリージアは男が剣を持つ左手、その手首の辺りに右足で蹴りを加えた。体勢が十分でなかったのか、蹴りで男から剣が離れることはなかったが、全身の重心が乱れる。「まずい!」と男はそう思ったが、もう遅い。フリージアの左手で体を押され地面に倒れ込む。頭が地面に着くとほぼ同時にフリージアの剣の刃が頬の横の土に刺さる。そこからさらに足で剣を持つ腕を踏まれ、押さえ込まれた。

「っ」

あまりにも素早い一連の動きに付いて行くのがやっとだった男は声を出すことが出来ず、相手をにらむのがやっとだった。

「降参するかい?」

この状態から、本気で力を込めれば態勢を立て直すことが出来るかもしれない。だが、

「ああ、俺の負けだ…」

男は降参した。息一つ切らさず不敵に笑ってみせるフリージアに男は畏怖のような物を抱いたのだ。もしかしたらやり直せば何か変わるかもしれない、という考えがないわけではなかったが、一度目のぶつかり合いでここまでの力量を見せつけられてしまうと、今すぐにリベンジをしようという気にはならなかった。

「オッケー」

男の言葉を疑うことなく、フリージアは相手の拘束を解き、剣を鞘にしまう。離れた所で見ていたマリーに「強いでしょ?」と得意げに声をかける。

「…俺は騎士団にでも突き出されるのか?」

その声に反応して振り返ると男は片膝を立てて、地面に座り込んでいた。最初の頃の強気な様子はもうなくなっていた。

「えっ、あれって…」

そんな男の様子より二人は男の姿に釘付けになっていた。男のフードは取れ、顔が露わになっていたのだ。その姿を見てからマリーは言葉に詰まってしまった。

「…話を聞いたときからもしかしたら、とは思っていたけどね」

対してフリージアは比較的落ち着いた様子で

「臭いも少しそれっぽかったしね」

と一人納得してみせた。

盗賊の男の顔、それはフリージアやマリーと異なっていた。男の顔は青みがかった灰色のような毛で覆われており、まるで狼のような見た目をしていた。顔だけが唯一露出しているので、他の部分は分からないが恐らく同様なのだろう。

 狼の亜人である。分かりやすく表現するならその男は直立二足歩行の狼、もしくは全身を毛に覆われた人間、と言った感じの容貌をしていた。

「…おかしな目で見られるのは慣れてるよ」

男はそう言いながら、ため息をつく。

「それで俺はどうなるんだ?」

「君をどうするかは君次第かな」

「どういうことだ」

「聞きたいことがある。その解答如何によっては騎士団に突き出すかもね」

いまいち理解できていない男だったが、「ああ、わかった」と答えた。

「よし、それじゃあ狼くん、質問するよ」

フリージアが男に問いかけた。

「君はどうしてこんなところで盗賊をしているんだい?それと女の狼の亜人、ってのは君とどういう関係なのかな?」

ブーゲンビリアで話を聞いたときから抱いていた疑問、自分一人では答えを見つけ出せずこうして本人に尋ねることにした。

「…それにたいする答えでお前の何がどう変わるのか知らんが…まあいい。ただ、その前に狼くんはやめろ」

男はまとっていた黒いマントのようなものを外しながら、二人の近くまで歩み寄ってきた。その手に剣はなく、どうやら敵意がないことを表しているらしい。

「俺はシオンだ、そう呼べ花屋」



 「俺は戦災孤児、というやつでな」

重たい口調でシオンが語り始めた…がすぐさまフリージアが「その話は長くなる?それなら歩きながらにしてほしいんだけど…」と頼んだ。そう言われてシオンは一瞬不服そうな表情を見せたが、日が沈みかけていることと負けた相手の言葉には逆らえない、ということで渋々了承の意を示し、歩き始めた。

 そして現在はアルモニアへの帰路につきながら、二人はシオンの話を聞いていた。

「それから俺を拾ってくれた奴と、俺、俺の妹で盗賊団を結成した」

「へぇ、妹がいるのか。かわいい?」

「話を逸らすな。黙って聞け」

「おー、怖い怖い」

凄んでみせたシオンだったが、フリージアは意に介さずへらへらしながら歩みを進める。

「…それから少しずつ盗賊団は大きくなっていった。孤児だった俺にとって盗賊団は家族みたいなものだった。死ぬまでこいつらと居続けるんだろうな、と考えたこともあった」

フリージアは注意を受けたこともあって、その時には真剣に話を聞いていたが、マリーはもう興味をなくしていたようだった。自分の長い髪をくるくるといじりながらふらふら歩いていた。

「だが、そんなある日妹が盗賊団を抜け出した。それも仲間を数人切りつけた上で、だ」

そんなマリーを気にすることなくシオンは話を続ける。

「俺はその責任を取る形で、団を抜け妹を探した。あの森にいたのは妹の痕跡があったからだ。…まあ、正確には痕跡がそこまでしかなかったんだがな」

「なるほど、女の狼の亜人を探してるって話は…」

「ああ、その妹だ。それから、俺は休息と情報収集を兼ねて、あの森で盗賊として活動をしていた、というわけさ」

「ふむ、まさに群れからはぐれた一匹狼というやつか」

「…はぐれたわけじゃないけどな」

フリージアの軽口にシオンは反応してみせる。どうやらこのような文言は受け入れてくれる人間であるようだ。

「ふむ、君の事情は分かった。そこで提案があるんだが、聞くかい?」

「仮に聞かない、と答えたところでお前は話すのだろう?」

「…いやまあ、そうなんだけどさあ。あんまり邪険にしないでくれよ。なんせ君にとっても悪い話じゃない」

「ああ、すまない。聞こう」

見た目は少し怖い印象を抱かせるシオンだが、中身はそうでもないようだった。狼の鋭い瞳がそうさせているのだろうが、彼は意外と素直に謝ることが出来る男だ。そんなことを感じつつ、フリージアが話を始めた。

「僕とマリーはこれからこの国の色んな所に行くつもりだ。ただ、二人旅だと心配なこともあってね。出来れば用心棒のような存在が欲しいんだ」

「…それを俺がやれ、と」

「強制じゃない。でも、僕らと行動するならその探してる妹さんの情報も手に入りやすいと思うよ」

フリージアは得意げに笑みを浮かべながらシオンの顔を見る。「なんたって僕は国に認められた資格持ちだしね。君みたいな盗賊一人よりはましだと思うよ」と付け加えながら。

「なるほどな」

シオンは黙り込んで思考し始めた。

「たっぷり考えてくれ。といっても出来れば今日明日中に答えは欲しいかな」

シオンは少し大きく息を吐いた。こういう仕草を見ても何ら人間と変わることはない。狼の亜人、見た目は違えど、人間と同じような存在であるといえた。

「…考えてはみたが俺に選択権はないな。断って騎士団に突き出されるよりはずっといい」

どこか嬉しそうに口元を緩ませながらシオンは答えた。

「それに俺はお前に負けた。ならお前に従う。それが俺のいた盗賊団のルールだったからな」

強い意志を秘めた瞳を見せながらシオンは提案に乗ると言ってくれた。

「まあ、ここは盗賊団じゃないが受けてくれるならありがたい」

フリージアは笑顔を向けながらシオンに向かって手を伸ばした。握手を求める形で、右手を真っ直ぐに。

「よろしくな、シオン」

「ああ」

日が沈み、ぽつぽつと灯り始めたアルモニアの町の明かりを背に二人は強く手を握り合った。ここに一つの雇用契約のようなものが結ばれたのだった。

「アルモニアに着いたよ?」

二人はマリーにかけられたその声を聞いて手を離した。

「それじゃあ、今日のところはゆっくり休もうか。詳しい話は、僕の家に着いてからするよ」

三人はアルモニアの町の門を越え、フリージアの花屋を目指して歩き始めた。


 花屋のフリージア、記憶喪失のマリー、盗賊のシオン。

 三人の旅は明日から始まる。

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