それは道端に咲く花のように
リーゼロッテの屋敷を追い出されるように後にしてから、一行はひとまず逃げるように走った。
裏庭から敷地の外へ出て、整備されていない木々の間を縫うように進んだ。
「とにかく今は走ろう」
フリージアの声で皆は戸惑いながらもひたすら前に進んだ。
しばらく進むと森を抜けて街道に出た。フリージアが立ち止まって辺りを見渡し、人の気配がないことを確認した。
「ここらへんまで来れば大丈夫かな」
後ろの三人に声をかけてフリージアはゆっくり歩き出して、どこへ向かうのかと思えば足を止めて空を見上げた。
「何をしているんだ」
「方角を確認してる、太陽があっちにあるからこの道に沿って行けばフロックスの町まで行けそうだよ」
そう言いながらフリージアが落ち着いて後ろを振り返ると、マリーとラグラスが息を切らして辛そうにしていた。
「休めないのか」
シオンは涼しい顔をしていたが、二人を慮ってそうフリージアに尋ねた。
「休もう…って言いたいところなんだけど追っ手が来ないとは言い切れない。ゆっくり歩きながら休もう」
ろくに準備運動もしないままの全力疾走、慣れないマリーやラグラスには非常に堪えただろうが、休む訳にはいかなかった。
「多分、リーゼが何とかしてくれるとは思うんだけど、一応、ね」
二人にそう声をかけるとフリージアはゆっくり前に進み始めた。
「ハーティス、お前は状況が掴めているのか」
突然の事態にも落ち着き払って対応するフリージアに疑問を抱いたシオンが聞いた。
「僕もわからないよ」
だが、フリージアは平然とそう答えてみせた。その解答に戸惑うシオンにフリージアは「ただ」と言って答えるのを続けた。
「リーゼは昔から勘が働くことがあったし、それに相手があの王様だからね」
「お前はあの王と面識があるのか?」
「何度かあるよ。花屋として城に出向いた時とかにね」
「どんな男なんだ?」
シオンがそう尋ねると、少し考え込んでから「あくまで僕個人の感想だよ」と前置きして語り始めた。
「王の風格とでも言うのかな、彼が現れるとその場の空気が一気に固まってね、静まり返るんだ。後は目が印象的だった。戦争を生き抜いたからなのか冷たくてどこか深さを感じさせるような目をしていた」
いつの間にかマリーとラグラスも二人の傍で話を聞いていた。マリーはまだ少しきつそうにしていたが、普通に歩けるくらいには体力が戻っていたようだった。
「僕はリーゼことを知っていたから、接しやすい人物かと思っていたんだけど、むしろ真逆でね」
フリージアは目の前の河に架かった大きめの橋があるのに気付くと「よし、こっちで合ってるな」と口にして、途切れていた話を始めた。
「考えてみれば分かることだったんだけどね」
「何がだ?」
「リーゼと王の関係さ」
「二人は親子なんですよね?」
橋に使われている板を踏みしめる音の感触を味わうようにしながらラグラスが尋ねた。
「うん、それはそうなんだけどね。リーゼがああやって都から離れた屋敷にいるのは今に始まったことじゃないんだ」
「厄介払い、ということか?」
シオンのその言葉に顔を少し歪めながらフリージアは答えた。
「そう思いたくはないけど、ね。あの王様は実の娘とあまり関わりを持ちたがらないのさ」
「…その王が突然何の連絡もなしに会いに来た、と」
何かを確かめるように呟きながらシオンは納得したようだった。
「だから僕はこうしてリーゼの意向に従って慌てて屋敷を後にしたって訳さ」
橋を渡り終えた先にはいくつも丘が見えた。
「この丘を越えるとフロックスの町があるよ」
その言葉を聞いて足取りが軽くなるのを感じながら進んでいると、少し先に何かがあるのが見えた。一つ目の小さな丘を越える前には見えなかったそれは人のように見えた。
「行ってみよう」
フリージアの言葉で一行は走り出した。緩やかではあるが傾斜があったので全力疾走とはいかなかったが、ひたすら走った。
「誰か倒れてるみたいですよ、師匠」
一行が見つけたのは原っぱで倒れている体格の良い男だった。
「なんだ花じゃなかったのか」
マリーがそう言葉を発したが、見間違えるのも仕方がない話だった。その男の髪は鮮やかなオレンジ色をしていて、この丘の緑と妙に合っていたのだ。遠目からぼうっと見ると何らかの花にみえなくもなかった。
「…生きているのか?」
うつ伏せのままぴくりとも動かない男を見ながらシオンが尋ねた。自身で確認することを避けているようだった。
「確かめてみるよ」
そう言ってフリージアが男の体を揺すると、
ゴォォォォォォォォ…
と獣の呻き声のような物がどこからか聞こえてきた。
「いびきの音?」
「いや、これは腹が鳴る音だと思うよ」
マリーの出した答えをそっとフリージアが訂正すると、突如男の体がビクッと震えた。
「お、生きてるな」
この男の体臭がそうさせているのかシオンはみんなから少し離れた位置から冷静に評してみせる。
「えっと、大丈夫ですか?」
「…うぃ、おぁ?」
フリージアの声に寝ぼけながらよく分からない発音で発声しながら男は目を覚ました。
「っと…ああ、これか」
男は寝ぼけながらも手を伸ばし、自身の持ち物であろう長い鉄製の棒のような物をしっかりと掴み直した。
「おじさん目覚めた?」
一行に中々反応を示さない男に今度はラグラスが声をかけた。
「…ん、ああ、寝てた」
男がそう呟きながら体をゆっくり起こし、立ち上がるかと思いきや地面にあぐらをかいて座ってしまった。
「…おはよう、グッモーニン、フッデモルヘン」
男は髪を手でグシャグシャにしながら挨拶を思いつくまま並べ立てた。
「とりあえず腹減ったなあ」
自分の置かれている状況を理解しているのか定かではないが男はそう口にしたのだった。
「ほーん、花屋の仕事で旅してんのか」
倒れていた男を連れて一行はフロックスの町に入った。お昼時であったので男と一緒にみんなで食事を取ることにして、ようやく覚醒した男にフリージアが自分たちが男を見つけた経緯について話をした。
「ほりゃあ、はほひほうはは」
食べ物を口に入れたまま喋るので男が何を言っているの分からなかったが、構わず話をすることにした。
「で、あんたは何をしてたんだ」
自分の分をさっさと食べ終えたシオンが男に尋ねた。
「…ま、旅だな、あんたらと同じで俺も探してるもんがあってね」
男は質問に答えるとまた口に食事を詰め始めた。この時点で常人の一日分の量ぐらいはその胃に運ばれていたが、止まる気配は感じられなかった。
「あなたは何を探してるんですか?」
フリージアがそう質問すると男の手がぴたりと急に止まった。男はそれ以上食事を口に運ぶのをやめ、口の中に残った分をゆっくり咀嚼し始めた。
そうして、膨らんでいた頬が徐々にしぼんでゴクンという飲み込む音とともに顔は通常の大きさになった。
「…そういや、まだ名乗ってなかったな。俺はダンデ・L・ストライヴス。死にそうなところを救ってくれて感謝するぜ、お花屋さん」
ここまで来た経緯を話した際にフリージア達は自己紹介を済ませていたのだが、何故かダンデというこの男はフリージアのことを「花屋」と呼んだ。
「まあ、あんな所で倒れてればね…。で、ストライヴスさん、あなたの探し物とは?」
「ダンデでいいぜ、花屋くん」
そう言われてフリージアは「あ、苦手な人だ」と思ったが口には出すことはなかった。
「…僕のことも名前でいいですよ」
「俺、人の名前覚えんの苦手なんだよね!」
フリージアの中で何か理性のような物が吹き飛びかけたが何とかこらえた。唇を噛みしめるようにしながら。
「いいから、さっさと話せ」
「おー、狼君は怖いねぇ」
フリージアの代わりにシオンの感情が爆発しかけた。だが、ダンデは飄々とかわす。
「俺の探し物ってのはなあ、魔法使いなんだ」
「は?魔法使い?」
ダンデがようやく語った物に全員が怪訝そうな顔をした。
「聞いたことくらいあるだろー?そんな人をおかしな物を見る目で見るなよー」
「いや、そりゃあ話は聞いたことあるけど…おじさん何言ってんの?」
「おじさんって…おいおい。嬢ちゃんからしたらそんな老いて見えるのか」
ラグラスが「おじさん」と呼んだことに対してダンデは不服そうな顔をするが、本題ではないことを自ら理解して話を始めた。
「訳は言えねえ、だが俺には魔法使いの奴らに用があるんだ。周りに魔法使いがいたりしねぇか?
もしくはお前らが魔法使いとか」
「…残念だけど僕らは魔法使いではないし、知り合いにもいないな」
期待に添えなくてすまないな、と申し訳なさそうな表情をフリージアは見せたが、
「ま、そうだよな。っていうか魔法使いなんて今じゃ希少すぎて命狙われるから名乗るやついないけどな!」
とダンデは何ら気にすることなく笑顔を見せた。
「さってと」
そう言うとダンデは立ち上がり、伸びをし始めた。伸びと同時に体のあちこちがパキパキと鳴る音がした。
「俺はもう行くわ、飯旨かったぜ、ごっそさん」
「お金はないのかい?」
食事代を支払わずに去ろうとするダンデにフリージアが聞くと、「ばれたか」という感じのばつが悪そうな顔をした。
「…今度なんかの形で恩返しするから許してくれ」
手を合わせてダンデは必死に懇願した。
「…信じていいのかい?」
「俺はそういう不義理はしねえ男だと思ってる」
その態度を見てフリージアは渋々男の意思を受け入れた。
「じゃあな!」
支払いをしなくていいことが決まるとダンデは脱兎のごとくその場を去って行った。
「っと忘れ物した!」
が、すぐに戻ってきた。ダンデは倒れていたときに持っていた謎の長い鉄棒を食事の場に置き忘れていたのだ。
「よっと」
「はあ?」
ダンデの言葉と手の動きに合わせて、床に置かれていた謎の鉄棒がふわふわと浮き上がり、ダンデの手に吸い込まれるように飛翔して行った。
「んじゃ、今度こそあばよ!」
一行だけではなく、その場にいた店員や他の客も口を開けてポカンとしたまま呆然とするのを気にも留めずダンデは今度こそ去ってしまった。
「何なんだあいつは…」
道端の花かと思えば嵐のような理解不能な男、ダンデ・L・ストライヴスとの出会いだった。