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florist  作者: 鳴門ミシン屋
10/33

話をするならこんな夜

 「お前は何でか昔から使うことを避けているけどな」

リーゼロッテに術式を使わないことを問われてフリージアは何も言葉を返すことが出来なかった。

 フリージアは自分の胸に自らが「呪い」と呼んでいる術式が刻まれていることをリーゼロッテに伝えていなかった。そしてフリージアはそのことを伝えようと思ったことはなかった。

 だからフリージアは何も言えず黙ってしまった。

「…まあお前がそれで構わないなら私はいいんだけどな」

「…とりあえず汗を流させてくれないか?」

フリージアの願いにリーゼロッテは黙ったまま頷き、ナイトハルトに浴場の支度をするように命じた。

 ナイトハルトに案内されるまで誰一人言葉を発する者はいなかった。



 リーゼロッテの屋敷の浴場はとてつもなく広かった。湯船だけでも三十人は入れるほどの容量があり、湯気が立ちこめると浴槽の端が見えなくなった。

「…どうしたもんかな」

そんな中フリージアは一人で湯船に浸かっていた。何をするでもなくただぼーっと体の全てを湯船に預けていた。ふと、自分の胸に目をやるとそこには変わらず未知の術式が刻まれていた。


 どうしてこんなものが僕の胸にあるのだろう?


何度も繰り返してきたその問いに対する答えはフリージアの中にはなかった。


 ピチョン


水が跳ねるような音と共に誰かがこの浴室に入って来たことをフリージアは感じ取った。そして咄嗟にその人物が入って来た方向から自分の胸が見えないように隠した。

「安心しろ、俺だ」

眼鏡を外していることに加え、立ちこめる湯気で姿を認識することは困難だったが、声の主はシオンだった。

「シオンだけかい?」

「ああ、あの執事ならお姫様の説教食らってるよ」

「説教?」

フリージアが疑問を抱いていると、シオンがゆっくりと湯船に足を入れて、フリージアから少し離れた隣に座った。

「あのナイトハルトとかいう男、どうも亜人を毛嫌いしててな、それで俺と入りたがらないのを見たご主人様が切れたって訳さ」

「はあ…毛むくじゃらだな」

「…人の話聞いてたか?」

シオンは狼の亜人である。狼が二足歩行をしているような姿である彼は当然、全身が狼のように毛に覆われている。そのことはフリージアも認識していたが、普段服に隠れて見えない部分をこうして目の当たりにすると、まあ当然だが毛で覆われているのである。フリージアは改めてそのことを認識して声を漏らしたのだった。

「…聞いているよ」

「なら俺の目を見ろ。物珍しそうに俺の体を見回すな」

そう言われてようやくフリージアはシオンの目を見た。ただ視力が悪いせいで、目を細めてでしか、はっきりとシオンの顔を見ることが出来なかった。

「…お前のその胸のやつ、お姫様は知らないみたいだな」

「そう、だね。君たちに見られるまでは僕だけの秘密だったんだ」

フリージアが自分の胸に手をそっと当てながら静かに答えた。

「最近のお前はおかしいな」

「おかしい?僕がかい?」

「ああ。あの男に負けたこととか、その胸の術式を俺らに知られたこととかがあるんだろうが…」


「俺が最初に会ったときの余裕みたいなものが今のお前にはないな」


「そんな状態なら旅するのやめろよ。マリーの記憶のこととか俺の妹のこととかはひとまずお姫様に聞いてみるさ」

シオンのその言葉を聞いてフリージアは胸に何か刺さるものを感じた。それは今のフリージアにとって鋭く強烈な物だった。

「…僕はひどい奴だ」

フリージアは忘れていた。そして、シオンの言葉で思い出した。


 自分が何故旅に出たのか、その目的を。


 始めはマリーの記憶を知る手がかりを得るため、彼女のことを知る人物を探すため彼は花屋を休みにして町を出た。

 それからシオンに出会って妹を探す手伝いをすることを決めた。有事の際に護衛役として働くことを条件として契約をした。

 そして、ガレット山脈での様々な出来事でフリージアはそれらのことを忘れていた。


「ああ、僕は何をやってるんだ…」


「まずはリーゼに話をしなきゃいけなかったのにな」



 「僕の話を聞いてくれ、リーゼ」

浴室から出て、フリージアは急いでリーゼの部屋へ向かいそう告げて、話をした。

 自分が町を出て、旅を始めた理由。マリーのことやシオンの妹のこと、何か知っていることはないか尋ねた。残念なことに答えは「すまない。何の情報もないな」だった。

 それからこれまでの話をした。ゼスティエル達騎士団と出会い、共にガレット山の異変を解決したこと、そこでラグラスに出会ったこと、そして、赤髪の男に遭遇し、戦って負けたこと。それら全ての話を聞いてリーゼロッテは「そうか…赤髪の男、か」と呟きながら物憂げな表情を見せた。

 赤髪の男。「血の帳」を引き起こしたとされる人物。リーゼロッテの母親である王妃を暗殺されたと目されている人物。自分の母親を殺害したかもしれない人物の消息を知り、リーゼロッテは体を小刻みに震わせ始めた。

「貴様…!」

そう言ってリーゼロッテの隣にいたナイトハルトがフリージアの胸ぐらを掴んだ。

「その話を主の前でするな…!今すぐその口を閉じろ!さっさとこの屋敷から出て行け!」

胸ぐらを掴んだままナイトハルトはひたすらまくしたて、一通り侮蔑の言葉を言い終わると、フリージアを掴んだままの手で強く押して床に倒した。

「ぐっ!」

何の抵抗もすることなくそのまま倒れたフリージアは衝撃で息を漏らし、立ち上がることなくナイトハルトをじっと見た。

「その目は何だ?」

怒りが頂点に達したナイトハルトは髪が乱れることも構わずフリージアの下へ一歩一歩歩み寄っていく。

「やめろ!」

リーゼロッテ声でが制止した。

「しかし、この男は…」

「やめろ、ナイトハルト」

二度言われてようやくナイトハルトは緊張状態を解いた。そして、主に何を言うこともなくゆっくりと去って行った。

「すまない、フリージア」

ナイトハルトが部屋を出た後、リーゼロッテが車椅子を動かしてフリージアの下に近づいてきた。

「謝らなきゃいけないのは僕の方さ、ごめんよ」

リーゼロッテが伸ばした手に頼ることなくフリージアは一人で立ち上がり、乱れた服を整えた。

「…ナイトハルトは優秀なんだがな、忠誠心みたいなのが強すぎることが困り物なんだ」

「まあ、君に害がないなら僕は構わないよ」

そこで、フリージアはリーゼロッテに伝え忘れていたことがあったことを思い出した。

「君にとっていい話なのかは分からないけど」

「…なんだ?」

「ゼスティエルがな、その赤髪の男は偽者かもしれない、って言ってたよ」

「偽者…?」

ゼスティエルが語っていたことを一つ一つ思い出しながらリーゼロッテに伝えていく。

「僕には分からないけれど、見た目の話をしたときに彼は何か不思議に感じ取っていたようだった」

フリージアの話を聞きながらリーゼロッテは声にならない声で困惑した様子を見せる。

「あ、この話ゼスティエルに誰にも言うなって言われてたんだった」

忠告されていたことを今更思い出して、フリージアはリーゼロッテに告げた。

「秘密にしててくれよ」

戸惑うリーゼロッテを置いてフリージアは部屋を後にした。



 屋敷で一行に対しての二度目の食事が振る舞われた。昼間の時よりも豪華な食事が並べられていたが、食事の場にはリーゼロッテもナイトハルトもいなかった。ベテランの風格を漂わせる高齢の女性が一人、部屋の隅で腰掛けているだけだった。マリーはその女性に食事の味付けや食材のことを尋ねながら会話をしたが、それ以外の三人は相槌を打つ程度で、黙々と食事をした。

 それからリーゼロッテの屋敷で一泊させてもらうことになり、フリージアとシオンの男部屋、マリーとラグラスの女部屋に分けられた。

「…いい夜だな」

壁に体を預けながら、窓から覗く夜空を見つめながらシオンが言った。

「ああ、こんなに静かな夜は久しぶりだ」

フリージアは返事をしながら用意されたベッドに腰掛けた。

「シオン、昼間はリーゼとどんな話をしたんだい?」

「術式のこととか、この国の歴史だとかを教えてもらったよ」

「そっか、まあ彼女ならちゃんと教えてくれただろう」

「それからあの話も聞いたぞ」

「あの話?」

そこまで話すとシオンが黙ったまま月を眺めていたが、やがて夜空から視線を外し、フリージアの顔を見た。

「あのお姫様が足を怪我した火災のことだ」

「ああ…、その話か」

一瞬にしてフリージアの表情が曇った。その変化を確認したシオンは「なるほどな」と言いながらフリージアの傍まで歩いてきた。

「どういう意味だい?」

半ば睨みつけるようにしながらフリージアが尋ねた。

「お姫様が言っていた。あの火災に関してお前が責任を感じている、とな」

「…僕があの時リーゼを屋敷の外に連れ出していればあんなことにはならなかったのは事実だよ

「貴様は馬鹿だな」

シオンのその言葉にフリージアの瞳孔が開いた。

「…僕が馬鹿だと?」

「ああ。その火災で悪いのは貴様じゃない、ましてやお姫様でもない」

「シオン…?」

「当たり前のことを言うようだが、悪いのは火を放った人物だ」

「火を放った?」

リーゼロッテが足を負傷した火災、どこから火の手が上がったのか、誰かが火を放ったのか未だにその原因は定かになっていない。

 そのはずなのにシオンは「屋敷に火を放った」と断言した。「リーゼは犯人を知っているのか?」という疑問がフリージアの頭の中をよぎった。

「これはあくまで俺の推測だ。だから全てを真に受けるな」

そう念押しをして語り始めた。

「その燃えた屋敷というのは都から離れた別荘のようなものなのだろう」

「それがどうした」

「その屋敷をお姫様が訪れたのはただの偶然か?」

「…あの火災は彼女を狙ったものだと?」

シオンが小さく頷きながら、話を続けた。

「王妃も暗殺された国だ。その娘が狙われたとしてもおかしな話ではない。そう考えると必然的に何者かによる放火、となる」

「だとしたら誰がそんなことを…。まさか、いや…」

フリージアが何かに気付いたように口ごもり始めた。畳みかけるようにシオンが言葉を続ける。

「俺は愛国心など持ち合わせていない盗賊だ。それを踏まえて言わせてもらう」

シオンが少し間を空けて、溜めてからその言葉を口にした。


「二つの事件、首謀者は国王じゃないのか?」


 コンコン


「入ってもいいですか?」

部屋の扉を叩く音とそれに続いて聞こえたラグラスの声で二人の会話は終わった。

「…この話は頭の片隅にでも置いておいてくれ」

シオンはそう言うと自分のベッドに横になった。天井をじっと見つめている辺り、まだ眠りにつく訳ではなさそうだった。

「入ってきていいよ」

酷く混乱する頭の中に目眩がしながらも、フリージアはそう言ってラグラスを招き入れた。

 ラグラスとその後ろにいたマリーが扉を開けて部屋に入ってきた。

「なんだ、マリーもいたのか」

「うん」

マリーは部屋に入るなりフリージアの隣に座り、自分の部屋のベッドとの違いを確かめるようにベッドを手でぽんぽんと叩き始めた。

「どうかしたのかい。ラグラス」

「師匠、私に戦い方を教えてください!」

「戦い方?僕に?」

突如ぶつけられたお願いにフリージアは困惑した。

「私、この前全然役に立てなくて迷惑かけたから…」

ラグラスの言いたいことはフリージアには理解できた。けれど、彼は不思議に思うことがあった。

「とは言ってもなあ…。この前は僕も役には立ってないし、何も今言いに来なくても…」

疑問に思ったことを素直にぶつけた。

「で、でも私の師匠は師匠しかいないし、何となく今日言わなきゃいけない気がして…」

しどろもどろになりながらラグラスは言う。更に頬の辺りをかきながら「考えると眠れなくなっちゃって…」と照れくさそうにしてみせた。

「僕は君の師匠なんだ。しばらくの間はずっと一緒だよ」

「そっか…。良かった、です」

ラグラスのほっとした様子を何となく微笑ましいいなと思いながらフリージアは見ていた。

 フリージアにはリーゼロッテという師匠がいて、何かを教えられることはなくなっても今日みたいに繋がりはある。

 こうして目の前にいるラグラスとも良い師弟関係が結べるのだろうか。そんなことをフリージアは思った。

「どれぐらいかかるかなあ…」

フリージアは一人そう呟き将来のことを考え始めた。少し考えた所で、フリージアはあることに気付いた。

「そっか、ずっと一緒にいるんだよな…」

「どうかしたのフリージア」

いつの間にかフリージアのベッドで横になってごろごろしているマリーが髪をぐしゃぐしゃにしながらフリージアに聞いた。

 けれど、フリージアはすぐに答えることなく、しばらく何かを考えているようだった。

「みんなに聞いてほしい話があるんだ」

部屋の中に数分程静寂が訪れた後にフリージアがおもむろに立ち上がってそう言った。

「何の話?」

マリーがそう尋ねると、ラグラスとシオンはフリージアの方向を向いて返答を待った。

「今からする話は僕の過去の話だ」

遠くを見つめるような視線をしながらフリージアは答えた。

「そして、この胸に刻まれた呪いの話もしよう」



 「出来るだけ手短に話すよ。質問は後から受けることにするよ」

そう言ってフリージアは自らの過去を語り始めた。

「実は僕ってマリーと同じで記憶喪失なんだ。


 マリーと違うところは僕には覚えている物があった。


 僕にはフリージアとリモニウムという二つの名前の記憶があった。


 僕が気が付いて始めにしたことはリモニウムという名の人物を探すことだった。


 僕は必死に彼女を探した。


 けれど、彼女は見つからなかった。


 人に色々と聞いている内に分かったことがあった。


 リモニウムという人物はこの国の王妃で、何者かに暗殺されたということだった。


 暗殺されたことを知った僕はその事件の真相を調べようと思った。


 けれど、一介の民が得られる情報は僅かなものだった。


 情報を得るためには国家資格を取得する必要があった。


 それが、僕が花屋フローリストになろうと思ったきっかけだった。


 花屋フローリストの資格を得て、リーゼロッテに弟子入りをした。


 彼女に弟子入りをした後は資格のランクを上げていった。


 けれど、二つ星や三つ星じゃあ事件の詳細は分からなかった。


 そして僕は最高の四つ星の資格を得た。


 今度王都を訪れる時に赤髪の男について調べるつもりなんだ


 リモニウムがいない世界で、僕の記憶を知る手がかりになりそうなのは事件を起こした赤髪の男を置いて他にはいない。


 そう思って僕は「血の帳」について調べている」


 そこまでフリージアは語って、小さく息を吐いた。訪れた間にマリーとラグラスは口を開けてぽかんとして、何も言葉を発することが出来なかった。フリージアが続きを話そうと口を開きかけた時、シオンが言葉を発した。

「四つ星の花屋フローリストになるってのは普通どれくらいの時間を要する物なんだ?」

シオンがした質問の意図をマリーとラグラスは分からないまま首を傾げた。

「…四つ星の資格を持つ人物はそんなにいないから断言は出来ないけれど、少なくとも二十年はかかるんじゃないかな」

そのフリージアの答えにシオンの眉がぴくりと動いた。

「…で、お前はどれぐらいかかったんだ?」

「…二十年くらいだよ」

フリージアにはシオンの質問の意図が分かっていた。ラグラスは分からないなりに何かおかしなことになっているような気がして、頭を抱えたがシオンの次の質問でその謎の困惑に答えが出た。

「ハーティス、お前は今何歳なんだ…?」

シオンは自分で言葉にしながら、自分の体に流れる血が冷たくなっていくのを感じた多分それはラグラスも同じだったと思うし、もしかしたらマリーもそうだったかもしれない。

 フリージアの外見ははっきり言って若い。見た目だけで彼の年齢を推測するなら、十代後半から二十歳前後がいいところだ。

 フリージアがした話を信じるなら、彼が自身の記憶喪失に気付いてから少なくとも二十年は経っていることになる。そして、記憶喪失というものを自覚するのは赤子では無理だ。ある程度成長してからでないと、それは認識できない。

 仮に十歳でフリージアが自身の記憶喪失を認識したとしたら、今現在の彼の年齢は三十前後になる。

 けれど、見た目からはそんな年齢だとはとても思えなかった。それ以上若いとするなら、辻褄を

会わせるのが困難になってくる。

 だから、シオンは問いただしたのだった。


「さすがシオン、気付きが早くて助かるよ」

そう言うとフリージアは服を脱いで、胸の術式が皆に見えるようにした。

「この僕の胸に刻まれた術式、これこそがその原因だと僕は考えている。というかこれ以外に考えられない」

三人に緊張が走った。

「僕の体は二十年以上、変わることなくこの姿を保ち続けている」


「僕は不老の呪いをこの身に受けているんだ」


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