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florist  作者: 鳴門ミシン屋
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始まりはアルモニア


 ある時ふと「それ」に気が付いた。


「それ」はなぜそうなっているのか、どうすれば「それ」から逃れられるのか全く見当がつかなかった。

 だから、僕は「それ」を「呪い」とよんだ。



 ナスタチュウム王国。この国にはある特殊な国家資格が存在していた。「花屋フローリスト」と称されるその資格は、この国には必要不可欠なものであり、保有する国民の数が最も多いものである。

 とはいっても一番ランクの低い、一つ星シングルでは何かしらの許可が与えられたりはしない。資格が効果をはっきりと表すようになるのは、下から数えて三つ目、三つ星トリプルまで到達した時である。そこまで到達した者は、花屋を経営する許可を国にもらえるのである。


 都から少し離れた田舎町、アルモニア。ここで花屋を経営している彼も当然ながら、「花屋フローリスト」の資格を保有しているのである。

 彼の名前はフリージア・ハーティス。黄色い髪と瞳、それに眼鏡をかけた姿が特徴的な好青年、といった雰囲気の人物である。

「ふぅ、今日も疲れたな」

彼はこの町唯一の花屋の経営者であり、毎日一人で店を切り盛りしていた。彼の業務は日の昇る頃から始まり、日の沈む頃に終わりを迎える。一日中並べてある商品のチェックを行いながら、質の悪い物があれば裏に保管してある物と入れ替えたり、値段を安くするなどしている。客が来ればその都度対応し、様々な相談に乗りながら販売を行う。それが彼の仕事であり、彼の日常だった。

「さて、店じまいするか」

今日も一通り仕事を終えて、日が傾いてきたのを確認してから、フリージアは閉店の作業を始めようとした。

 だが、町の入り口近く、店からそう遠くない場所に人影があるのが見えて、作業に取りかかろうとした手を止めた。

「なんだろう、あれは…」 

ただ人影が見える、それならば気にせず作業に取りかかるのだが、その人影はどこか変だった。足取りが重くふらついていて今にも倒れそうだった。それでいてその人影、恐らく少女は髪が異様に長かった。ぼさぼさになってあらゆる所がはねまくっている少女の黒髪は膝の辺りまで伸びていて、そんな彼女からフリージアは目が離せなかった。こちらに近付いてくるにつれて、顔も認識出来るようになると、少女はぼうっとした表情で、目の焦点がどこにも合っていない感じだった。

「大丈夫ですか?何かありましたか?」

フリージアは少女に駆け寄り、そう声をかけた。声に気付いた少女は立ち止まって、ゆっくりと口を動かしてこう言った。

「えっと、わかんない」

「え、わからない?」

予想外の解答にフリージアは困惑した。

「とりあえずここまで歩いてきたんだけど…」

少女はそれ以上何を言えばいいか分からないようで、黙ってしまった。

 何を言っているんだこの子は、フリージアは率直な感想が外に溢れないように必死に押しとどめた。



 記憶喪失。少女は自分の名前も分からない、この国の名前も知らない、自分がどういう人間なのかも全く覚えていなかった。

 フリージアはひとまずその少女を自分の住居でもある店に連れて帰ることにした。それから、ボロボロの衣服や髪をなんとかするために、少女を風呂に入らせた。服は棚から引っ張り出した自分のものを貸し与えて、それまで着ていた物は捨てた。風呂の後には食事を与えた。その食事の場で少女に色々と質問をしてみたが、答えは「わかんない」ばかりで、何も情報は得られなかった。

「どうしたものかな…」

そうやって頭を抱えるフリージアに対して、少女はのんきなもので「頭痛いの?」と尋ねるのだった。

 記憶喪失の人間に出会うのは初めてだった。体の洗い方や服の着方などは教えるまでもなく、難なくこなしていたようなのでその点は安心だった。けれど、名前などの自身に関するものは何も覚えていなかった。

「…君は記憶を取り戻したいとか、待ってるであろう家族や友人に会いたいとかそういうものはないのかい?」

「そういうのはない、かなあ」

「そっか…」

フリージアは大きくため息をついて、これからどうするべきか考えた。

 少女自身に願いはなくとも、このまま記憶喪失のまま過ごすのは何かと不都合だろう。それにきっと、彼女の周りの人間は彼女を探しているはずだ。となれば、何とかするしかない。僕がこの少女の為に。

「まずはこの町にいる人に君のことを知っている人がいないか探してみるよ。それで、何も進展がなかったら都に行こう。都ならたくさん人がいるから君のことを見たことある人がいるかもしれない」

それに、都なら君を預かってくれるような場所もあるだろう、という考えも彼にはあったが、何となく少女にそれを告げることはしなかった。

「えっと…じゃあそんな感じで」

「なら決まりだね。それじゃ今日はもう休んだ方がいいよ。ベッドは好きに使っていいからね」

そう言うとフリージアは少女を寝室に案内した。

 あの長い髪でどうやって眠るのだろう、自分で踏んだりして大変だろうな、などと考えていると少女がじっとこちらを見つめていることに気が付いた。淡い水色をした美しい瞳だった。

「どうかしたかい?」

「何も言ってなかったな、って思って」

「…えっと、何かな?」

「ありがとう、おやすみなさい」

それだけ言ってしまうと少女は寝室の扉を閉めてしまった。虚を突かれた形になったフリージアは何も言葉を返すことが出来なかった。

「…いまいち掴めない子だなあ」

不思議な少女であるが、悪い子ではない。それがフリージアが少女と出会った初日に抱いた素直な感想だった。



 翌日、二人は外に出る支度を整えて、町の人々に少女のことを尋ねて回ることにした。このアルモニアは小さな町なので、二人で店や民家を渡り歩くのに時間はさほどかからないだろうと思ったが、大事をとって花屋は臨時休業にした。最低限の世話は済ませてあるので問題はない。

 お昼前から二人で店や民家を一軒一軒訪ねたが「見たことない」「知らない」という答えが返って来るばかりで収穫はなかった。

「…ここで最後だな」

何の成果も得られないまま、二人が最後に訪れた場所は衣服や装飾品を扱っている雑貨店のような所だった。これまで全て空振りだったため、正直なところ諦めの気持ちが強く出てきてはいたが、一縷の望みをかけてフリージアはその店の扉を開いた。

「お。いらっしゃーい。って花屋の兄ちゃんじゃないか」

雑貨店の店主は誰にでも分け隔てなく接してくれる親しみやすいおばちゃんといった感じの人で、よくフリージアの花屋に来てくれるので、顔なじみの人物だった。

「今日は何買いに来たんだい?」

「いや、申し訳ないんですけど、今日は違うんですよ。こちらにいるこの女の子なんですけど…」

「ん、その子…」

質問をする前におばちゃんは少女のことをまじまじと見始めた。それもとてもいぶかしげな様子だった。

 このおばちゃんはこの少女のことを何か知っているのだろうか。もし、そうだったとしたら少しでもこの状況は前進する。自分の行為は全くの無駄ではなかったということか。フリージアがそう思いかけたその時、

「なんて服着てんだい!」

おばちゃんが叫んだ。

「女の子ならもっとかわいい服を着な!」

想定外の言葉だった。少女が着ていた服は昨日フリージアが貸し与えたものであり、普段自らが愛用しているものでもある。特に飾り気のない黒のタンクトップに、下もこれまた何の装飾も施されていない長い丈の黒パンツ。フリージアが自宅でしている格好だった。確かに女の子が着るようなかわいい服ではなかった。

「花屋の兄ちゃん、あんたの趣味かい?こんな服着せるなんて…」

「いや、それには事情がありまして…」

「こんなかわいらしい女の子に男物のだっさい服着させる事情なんて知らないね!」

おばちゃんはそう言ってフリージアを責め立てて、少女を引っ張って店の奥の方へと消えていった。弁明する暇も与えてくれないほどにまくし立てられた彼はただそこに立っているしかなかった。



 「いや、こんな女の子見るの初めてだわあ」

平静を取り戻したおばちゃんにこれまでの事情を説明して、少女のことについて何か知らないか聞いた際の答えがこれである。一縷の望みを懸けてはいたものの、結局はそれまでと何ら変わることはなかった。

 当の記憶喪失の本人はというと、新しい服に着替えて鏡の前に立ちっぱなしでいる。白の丈の短いローブのようなものに、黒系のミニスカート。股の辺りだけ肌が露出していて、それより下の部分は紺のニーソックスと白のブーツで覆われている。上半身の服には左脇にベルトが三つ付けられているのだが、単なる装飾なのか、着るのに必要な物なのかはフリージアには判別不可能だった。

 ベルトやブーツは動きにくかったりしないものか少し心配になったが、鏡の前でクルクル回っているので、動きにくさみたいなものはなく、ひたすらに嬉しそうだった。この少女は表情があまり表に出ないので、どうも感情が察しづらい。

「で、あんたこれからどうするんだい?」

「んー、まずは港町…それから都の方角に向かって町を巡ろうかと考えてます」

「んなら、その間店は休むのかい?」

「そうですねぇ…」

この町に少女のことを知る人間は居なかった。となれば当初の予定通りに都へ向かうべきだ。その道中にある町でも少女のことを聞いてみるつもりではいるが、店は当然やっていられない。

「当分、花屋はお休みです。…それにもしかしたらそのまま移転なんてこともあるやもしれませんね」

「あら、そうなのかい?それは少し寂しいねぇ」

「…まあ色々とありましてね」

昨日少女に出会った時には店を休むようなことになるとは思わなかったが、致し方ない。フリージアはこの記憶喪失の少女を放っておけるような人間ではない。また、この町から離れなければならないという点においては彼自身の「ある事情」も関わってくるため、フリージアにとっては良い機会だった。

「…そしたら、さっさと行動するかあ」

フリージアはおばちゃんが淹れてくれた紅茶を一気に飲み干してから立ち上がった。

「それじゃあ、僕らは行きますね。色々とありがとうございました。花屋の方はこれからあれこれしてから、お休みにします」

「そうかい、いつでもこの町に帰ってきていいからね」

おばちゃんに「はい」と笑顔で返してから、フリージアは少女に声をかけた。少女はクルクル回ってフリージアの顔を見ると

「私かわいい?」

と聞いてきたので、「うん、似合ってる」とだけ返した。それから二人で店を後にしようと扉に手をかけたその時、おばちゃんが叫んだ。

「ちょっと待った!」

「はい?」

「その子の服のお代もらってないんだけど!」



 フリージアと少女は花屋に帰ってきた。もちろん服の料金はちゃんと支払った。少しまけてくれたりしないものかと思ったが、そこは向こうも流石の商売人であり、きっちりと値引きされることなく元値そのままの額で支払わされた。

「それで、これからどうするの?」

「うん、まずはここにある花たちを近くの港町まで卸に行く。このままここで枯らしてしまうわけにはいかないからね。全て港町にある花屋の人に上手く扱って貰おう」

「うんうん、それで?」

「それからは君のことを調べるために旅に出る。君のことを知っている人、君のことを探している人がいないか探してみよう」

「そっか。うん、わかった」

特に疑問など抱かないままに頷く少女を見て、本当に理解できているのかと思ったりしたが、疑われても困る。少女には信じて貰うしかない。

「それで、君がー」

フリージアはそこで何かに気が付いたように、言葉を遮った。

「どうかした?」

「…名前が欲しいな。その方が色々と便利だ」

少女には記憶がないから、当然名前がわからない。いつまでも君、と呼ぶのは何となく嫌だな、フリージアはそう思った。

「名前…私の?」

「まあ仮の、だけどね。君が記憶を取り戻すまでの間だけの名前を考えよう」

そう言うとフリージアはじっと少女の顔を見つめた。少女は物怖じすることなく、フリージアの瞳を真っすぐ見つめ返す。

「淡い水色の瞳…」

初めて見た時から美しいと思った少女の瞳。その瞳に吸い込まれそうになりながらフリージアは考える。

「水色…か。ならローズマリー、いや、それは長いか。…マリー、マリーはどうだろう?」

「マリー、…それが私の名前?」

「うん。君はマリーだ」

「私はマリー、マリー…」

少女は与えられた名前をしっかりと確認するように何度も呟く。

「そしてあなたが…」

「ああ、そういえば自己紹介してなかったっけ。僕はフリージア、花屋フローリストのフリージア・ハーティスだよ」


 花屋のフリージア、記憶喪失のマリー。

 二人の運命が動き出した瞬間である。

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