第一章 第十五話『覚醒め』
残酷な描写が多数あります。
苦手な方には危険です。
「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ジョンの絶叫が、長く、長く轟いた。いつ息を吸っているのかもわからないほど、長く迸る。
「な、なんだこいつ?」
周囲でその様子を見ていた山賊達は、異様な長さの絶叫にたじろいた。今まで何度も人や村を襲撃しては殺してきたが、目の前の子供のような反応は初めてだったのだ。
隣にいるはずのマリーも声を掛ける事すらできなかった。ジョンの嘆きが分かり、止める事をはばかられた。
絶叫しながら、どこを見ているのかもわからないジョンの虚ろな瞳には、目の前の光景ではなく別の情景が映し出されていた。
そこは、真っ赤に染まる空間だった。周囲全てを炎に包まれ、逃げ場すらない部屋の中、ひとりの青年が笑っていた。熱に満たされ、呼吸するだけで肺が焼ける状況にも関わらず、大声で笑っていた。肺を焼かれながら、高笑いしながら、ただただ楽しそうに死を待っていた。
遠くで村が燃える赤赤とした空が、真っ赤な空間と重なった。
青年の姿が、ケヴィンを、カルラを斬った山賊の姿と重なった。
最後に、高笑いをする青年の声とジョンの絶叫が重なった。
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっはっはっはっはっははははははははははははははっ!!!!」
――好きに遊べ。
そんな声が、叫び笑うジョンの耳に聞こえた気がした。
いつの間にか仰ぎ見るように上げていたジョンの頭が、目の前の山賊達を睥睨するように正面を向き、にやりと笑う。
「ねえ、貴方達はどんな風に死にたい?」
その邪悪さを感じさせる凄惨な笑みに、先程まで絶望して絶叫していた少年の面影はない。その変化に、山賊達はついていけず狼狽する。
「な、何言ってんだこいつ?」
「目の前の惨状に気でも狂ったか?」
互いに顔を見合わせ、ジョンの変化にどうした物かと思い悩む。
「……ジョン?」
その変化に、さすがのマリーも声をかけずにはいられなかった。今まで見たこともないような笑みを浮かべ、普段のジョンならまず言わない事を言う。信じられなかった。
信じられない事に、ジョンはその雰囲気だけでなく、見た目さえ、別の者へと変化していた。美しかった金髪は色が抜け、白く透けるような銀髪へ。透けるように白かった肌は焼き爛れたかのように赤黒く、緑の瞳は周囲の炎を旧下かのように真っ赤に染まっていた。そして、髪の毛に隠れて見えなかったはずの耳が、髪をかき分けて鋭く尖った先端を外へと飛び出させていた。
「さあ、行こうか」
自身の変化等知りもしないジョンは、狼狽し動揺している山賊達に何かを宣言する。その瞬間、ジョンの魔力が弾けて、村全体を包み込んだ。ジョンの『ダンジョンマスター』が発動したのだ。
突然、轟音を響かせて地面が揺れる。村を囲う様に巨大な壁が地面からせり上がり、そのまま村全体を包み込んだ。中にいる村人と山賊達を分断するように迷宮の壁が作られ、各々別々に隔離していく。せり上がった壁には無数の松明が設置されていて、壁と天井がぶつかると同時に火が灯る。無数の明かりの中、村全体が巨大なダンジョンと化していた。
「なんだ!? 何が起こってるんだ!?」
その変化に山賊達は周囲を見渡し、自分達が巨大な建造物の中にいる事を思い知る。だが、何がどうしてこうなったのかを理解できた者は誰一人いない。現状、これを行ったジョンだけが全てを理解していた。
地響きが止み、中にいる誰もがほっとする中、変化はこれだけに留まらない。
今度は、山賊達の目の前に影が湧き上がり、徐々に形を変えていく。その中から生まれ出てたのは無数の魔物。地獄の番犬ケロベロス。迷宮の万人ミノタウロス。密林の番人リザードマン。その他、多数の魔物が次々と姿を現した。
「わあああっ!? なんだ!? 今度は魔物か!?」
山賊達の目の前に見たこともないような巨大な魔物達。殆どの者が恐怖に駆られて、踵を返して魔物から逃げ出していた。だが、既に迷宮の中、出口などどこにもない。一人、また一人と追ってくる魔物に、ダンジョンの中に張り巡らされた罠に掛かり、悲惨な死を遂げていった。
ある者は……
「こっちに来るな! 近寄ってくるんじゃねえ!」
がむしゃらに武器を振って、近づいてこようとするケロベロスを牽制する。三首の魔物と真面に殺り合えるはずもなく、ただ近づけさせないようにするのが精一杯だった。
だが、そんな山賊をあざ笑うかのように、ケロベロスは牽制に振っていた武器を頭の一つであっさりと口に咥えていた。
「……あ」
山賊が間抜けな声を出した。
ケロベロスはそのまま無造作に首を振り、武器を奪い去る。そして、予想以上に呆気なく武器を奪われて呆然としている山賊に残った二つの首が食らいつき、そのまま食い殺されていった。
またある者は……
「ぶふおおおぉぉぉぉっ」
「うわあああぁぁぁぁ!!」
雄叫びを上げるミノタウロスにがっちり足を捕まれ、おもちゃのように振り回されていた。ものすごい圧に絶叫を上げる事しかできず、地面や壁にぶつからない事を祈るしかできなかった。しかも振り回されながらも手加減されているようで、意識を手放す事も出来ずにいた。時々、気を失う事はあったが、次の瞬間には強い衝撃で意識を戻された。
「あ……ああ……」
何度も何度も振り回されて、叫ぶ気力も失せた時、ミノタウロスの両手が片足ずつ山賊の足を掴み、意識があるまま力任せに引き裂かれた。既に生きる気力すら失っていた山賊は抵抗する事なく、成されるがままに殺されていった。
他にも……
通路の途中、山賊が武器を構えて何かに耐えていた。体中に無数の傷ができ、満身創痍といった感じだが、致命傷のような大きな傷は出来ていない。
「ちっ」
舌打ちと共に、山賊が武器を振る。
だが、当たらない。
よく見ると、ダンジョン内を素早い動きで動き回っている者がいた。リザードマンだ。山賊を翻弄するように壁や床、天井を蹴っては跳ね回っていた。
その動きに対応できずに、山賊は次から次へと体に小さな切り傷が出来ていく。だが、致命傷は避けられていて、どうにか反撃できないか、その糸口を探していた。
そうやってしばらく耐えていると、リザードマンは飽きたのか、急に動きを止め、山賊に止めを刺さずに背を向けた。そのまま山賊を置いて、どこかへ行ってしまう。
「……助かった、のか?」
山賊は、何がなんだかわからないが、どうやら助かったらしい事を理解して、どこかホッとしたような雰囲気になる。だが、その瞬間を狙っていたかのように遠くから目にも止まらぬ速さで突っ込んできたリザードマンに、意識を向ける間も無く、一刀両断されてしまった。油断したというには余りにも理不尽な殺され方だった。
魔物から逃げ出した者達はもっと悲惨な死が待っていた。逃げ出した先に仕掛けられた無数の罠に次から次へと嵌っていく。
落とし穴に落ちた山賊は、穴の底が沼へと変化した。
「うっ、動けねえ……」
ゆっくりと沈んでいく体。逃げ出そうと動くと余計に沈み、助かる方法が何かないかと考えるも、捕まる所もない穴の底、徐々に沈んでいく状況に死の恐怖を感じながら時間をかけて沼の中に没していった。
走って逃げている最中に、足挟みの様な物に引っ掛かり、足を挟まれて転けてしまう。
「うわっ! ……あ」
転んだ拍子に何かを押してしまったようで、気づいた時には釣天井が徐々に下りてくる所だった。このままいけば確実に潰されるであろう事が分かるだけに、足挟みが外せないか、色々試していく。だが、どうしても外れない。こうなれば、死ぬよりマシだと挟まれている足を切断して逃げ出したのに、次の瞬間には徐々に降りてきたのが嘘のように勢いよく降ってきて、山賊をぺしゃんこにしてしまった。
通路の角を曲がった山賊は、飛び出した所に飛んできた矢に当たってしまう。
「うぐっ、いてえ! なんだよ! 何なんだよここは!?」
理不尽な目にあっている自分を嘆き、現状を理解できずに叫ぶ。突き刺さった矢を無理やり引き抜き、どうにか逃げられないかを考える。いくつもの罠を回避してきたのに、ここに来て当たってしまった。ダンジョンの出口があるのか分からないが、どこかで仲間の山賊と合流できれば、何かできるかもしれない。
そんな事を考えていたら、矢が当たった箇所から異様な熱を感じて動きが止まる。
「……ぐっ」
苦悶に歪む顔。怪我をした箇所を確認すると、傷口周辺が溶けていた。
「うっ!?」
自分の体が溶けるおぞましい光景に、言葉を失う。信じられないとばかりに溶ける体を見ていることしかできなかった。しかし、変化はそれだけに留まらず、気が付けば全身が熱くなり、山賊の体全体が溶け出していた。自分の体が溶けていくさまを意識があるまま見せられ続けた。
ダンジョン内に、山賊の悲鳴が木霊する。
一瞬で死ねた者は運がいい方なのだろう。
他にも魔物に罠に、圧殺、刺殺、斬殺、射殺、焼殺、毒殺、爆殺。様々な方法で山賊達は殺されていった。
それらの様子を、ジョンは手元の球体で観察していると、不意に声をかけられた。
「これはお前が原因か!?」
ジョンがそちらを向くと、そこにはお頭と呼ばれた男が立っていた。
「そうですよ? 貴方がこいつらの棟梁なんですよね?」
ジョンが楽しそうに笑いかける。くすくすと、普段のジョンなら絶対しないような人を小馬鹿にした態度だった。
「一体何をしやがった!? さっさと元に戻しやがれっ!」
「それはダメです。せっかくこんな遊び場を作ったっていうのに戻したら台無しじゃないですか」
その言葉に、お頭はうっとなる。
今も辺りで響く山賊達の悲鳴。こいつはそれを遊びだと抜かしたのだ。何がどうなっているのかはわからないが、こいつは殺してでも止めないと危ないとお頭は判断した。こいつを攫う? そんな悠長な事はしていられない。報奨金など知ったことか!
「僕は貴方に会いたかった。だから、貴方をここに呼んだんです」
ジョンが続ける。
ジョンの言葉通り、お頭はここに来るまでの間、なんの妨害も受けていなかった。ダンジョンの中に閉じ込められながら、魔物に会う事も罠に掛かる事も一切なかった。ただ、周囲に響く部下の悲鳴に、なぜ自分には何もないのか、その事を恐怖と共にここまで来た。その理由がこれだったとは。
だが、たじろいていては何も始まらない。元凶がこの子供だというなら、力尽くで止めるまで。それが目的の子供であっても。
「ちっ、小僧。今すぐこの状況を元に戻せ。さもないと痛い目見る羽目になるぜ?」
脅すようにお頭は武器を構える。この子供には何かあるのかもしれない。だが、目の前にいる子供は武器を持っているようには見えなかった。だから、ここから一気呵成で飛び込めば、勝機はある。そう踏んだ。
その様子に、ジョンは可笑しそうに笑った。
「それで脅してるつもりですか? そんな調子じゃ僕より小さい子供だって怖がりませんよ?」
説教じみた助言まで付け加える。
「本当の脅しがどんな物か、これで知ってください。脅しはこうするんです!」
続けざまに語るジョンの目の前に黒い影が湧き上がる。それは形を変えて、三首の魔物ケロベロスとなった。ケロベロスは獣臭い息を吐きながら、お頭を見下ろす。体高だけで数メートルはあった。
ケロベロスはお頭に向かって、大ぶりに前足を振り下ろす。凄まじい衝撃が辺りに伝わり、叩きつけた地面はひび割れる。
お頭の背中に冷や汗が流れた。これは当たった時点で終了と言われたようなものだ。当たれば死。そんな結果が待っている。
「よく避けましたね。でも、これから先はどうなのかな?」
連続で前足を振るケロベロス。
お頭は大振りなそれを、かろうじて避け続けていた。
「な、何なんだよお前はよ! こんな話は聞いてねえぞ!」
避け続けながら、お頭が叫ぶ。もうすでに、ジョンを止めるだとか言っていられない。どうにか逃げられないか頭を巡らせていた。幸い、この魔物の攻撃は大ぶりで避ける事は問題ない。隙を見て、逃げ出す算段をする。
ケロベロスが、横薙ぎのように前足を振るう。
それをお頭はしゃがんで回避する。そして、その大ぶりの後、逃げ出せるだけの隙ができていたので、そのまま踵を返して逃げ出した。
「あばよ! こんなのいちいち相手にしてられるか!」
「あれ、逃げちゃうんですか? 僕に痛い目見させるんじゃなかったんですか?」
ジョンが、その後ろ姿に誂うような口調で言葉を投げる。
「うるせえ! そんなの知ったことか!」
お頭は、来た通路を全速力で逆走し、ジョンの言葉に振り返ることすらせずに、走り去っていった。
「はあ。まあ、でも、逃がしませんよ。ちゃんと脅させてください。さあ、行っておいで」
ケロベロスに声を掛けると、ケロベロスは待ってましたとばかりに走り出した。ものすごい足音を響かせてお頭を追いかける。
「さてと、僕も準備しようかな。マリーはここにいてね。危ないから。こいつらを護衛に置いておくから、誰か来たら守ってもらってね?」
マリーのそばにリザードマンのような魔物が二体現れる。それを見届けた後、ジョンは球体片手にお頭を追って動き出した。
走って逃げるお頭の前に地面から壁がせり上がってくる。
「ちっ」
お頭は舌打ちをして、手前の通路を左へと曲がる。後ろからは相も変わらずケロベロスが追いかけていて、止まることを許さない。どこかへ誘導されていることはわかるが、どうすることもできなかった。
幾つもの道を塞がれ、また違う通路へと誘導される。そんな事を繰り返すうちに、広めの通路へと飛び出していた。
「お帰りなさい。さあ、これで逃げ場はなくなりましたよ。存分に楽しみましょう?」
通路の先でジョンが先回りをして待っていた。いや、ジョンはそれほど動いていない。お頭がここに来るようにダンジョンを操作し続けただけだ。
後ろからケロベロスの足音が聞こえる。もうじき、追いつかれるかもしれない恐怖から、お頭はジョンに近づく他なかった。
「うおおおぉぉぉぉぉ!!」
武器を持ち、真っ直ぐジョンに突っ込んでいく。
それを気にせず、ジョンは何かを思い出したようなしぐさを見せる。
「そういえばまだ、脅しの途中でしたね。脅しは、圧倒的な力を見せて屈服させるんですよ。中途半端だとつまらないですから」
お頭の武器がジョンの手前で止まる。止めたのは、ジョンの隣に湧き出したミノタウロス。牛頭亜人がお頭の腕を掴んで止めていた。
「なっ!?」
いつの間にか現れた魔物に驚くと同時に、お頭の体は横に吹っ飛ばされていた。
「ごふっ」
凄まじい勢いで壁にぶつかり、そのままズルズルと崩れる。
お頭の前には前足を舐めるケロベロスの姿があった。お遊びのように追いかけていたケロベロスが、ジョンに危害が加わりそうになり、想像以上の瞬足で駆け寄り、動きの止まったお頭を殴ったのだ。
「さあ、どうします? それでおしまいですか?」
ケロベロスがお頭を見下ろして、子猫が毛糸玉にじゃれつくように爪を立てずにお頭を転がして遊び始める。
壁に激突した衝撃で意識を朦朧とさせていたお頭はなされるがまま。だが、ケロベロスが時間をかけて遊んでいるせいで、だんだんと意識がはっきりとしていき、力が戻ってくる。そして、じゃれつくケロベロスの前足を、跳んで躱した。
「へえ、もうそこまで回復したんですか。ならもっと避けてみてくださいよ!」
ケロベロスが前足を振るってお頭を叩き潰そうとする。
お菓子らはそれらを必死に躱す。ケロベロスが本気でないのは先ほどの攻撃で嫌というほど理解した。だが、避けない事は死と直結しているので躱さないわけには行かなかった。
「じゃあ、棟梁さんにいいことを教えてあげます。僕の後ろに出口を用意しました。あと十回避けられたら、その通路から貴方を外へ連れ出してあげますよ」
ジョンが、誘うように笑う。
お頭は、その言葉が嘘か誠か分からなかったが、今は信じるしかないと必死でケロベロスの攻撃を躱していく。
二回…三回………七回…八回。あと二回躱せば、言われた事はやり遂げられる!
そう思った瞬間、いきなり金属のぶつかる音がして、お頭の足が何かに挟まれていた。凄まじい痛みが走り、悶絶する。
「な……なんだ!?」
苦悶の表情で足元を見ると、そこには先程まで存在しなかった足挟みがあった。お頭の足に噛み付いて、その先は鎖で地面に繋がっている。
痛みで動きが止まった時、避け続けていたケロベロスの前足がお頭を吹き飛ばした。しまったと思う間も無く再び壁に叩きつけられそうになるが、足に噛み付いた足挟みでなんとかぶつからずに済む。だが、代わりに伸びきった鎖に引かれて、思いっきり地面へと叩きつけられた。噛み付かれたままの足は勢いのまま肉が裂け、骨が見えている。横に飛ぶ力を片足で受け止めたのだ。ちぎれなかっただけよかったのかもしれない。
「ぐはぁおぁっ!?」
肺から空気が押し出され、再び悶絶する。地面に転がったまま、のたうち回る事すらできずに体を痙攣させる。呼吸が真面に戻るまで、ほとんど身動きできなかった。
「十回回避できなかったので、罰を受けてもらいまーす。準備はいいですか?」
ようやく呼吸が戻ってきて動き出せそうだという時に、ジョンが手を挙げて罰を与えると言い出した。本当は準備などなく、気まぐれで言っているだけなのだが、ダンジョン内ならジョンが神のような存在だ。言った事は実現する。
お頭が起き上がろうと四肢に力を入れるより先に、体を固定するように、地面から突起物が飛び出してきて、両手両足を地面に縫い付けた。
「ぐっ……はっ……」
お頭の顔が今まで以上に歪む。躙り寄ってくるケロベロスをかろうじて見やり、振り上げられる前足に己の死を予見して、恐怖する。死にたくない、なんで俺がこんな死に方をしなきゃいけないんだ。そう目が訴えている。
だが、これで万事休すかと思いきや、それを見たケロベロスがつまらなそうに、動けなくなった御頭を放置して背中を向けて立ち去ろうとする。
「……へは?」
お頭の口から間抜けな声が出る。予想もしなかったケロベロスの行動に、拍子を抜かれ、唖然とする。だが、直ぐにどうやら自分は助かったらしいと思い、ほっとする。
だが、その様子をケロベロスの向こう側からジョンがニヤニヤしながら見つめていた。お頭の気の抜けた顔を面白そうに見つめている。
そんなジョンに気がつかないまま、お頭はなんとか拘束から逃げられないかともがいていた。ケロベロスは去ったのだ。なら、後はこの拘束さえどうにかできれば助かるかも知れない。そう思った。
「くそっ、外れねえ!」
だが、傷ついた体ではどうあがいても外す事ができない。逆にもがけばもがくほど体の痛みは増して行く。そのうち、逃げ出そうとする気力よりも痛みが勝り、動きを止める。
「いてえ……くそっ……早くこれを外しやがれってんだ」
ぼやく様に小さく呟く。誰に言う訳でもなく、外れない悔しさに言わずにはいられなかった。
「いいですよ?」
「あ?」
返事があるとは思っていなかった。御頭は顔を上げ、ジョンを見る。
「今なんつった?」
「だから、外してあげますよ」
ジョンが爽やかな笑顔でお頭に告げる。先ほどの邪悪な笑みではなく、むしろ慈愛に満ちた笑みだった。
今までのジョンの行動から、お頭にはその言葉が信じられなかった。だが、もし本当だったら? とそんな思いがふつふつと湧き上がり、消えてくれない。
「本当なんだろうな?」
「ええ、なんなら一つ外してあげましょう」
ジョンが言うと、拘束の一つが外れた。片手一本、自由になる。
「ははっ、まじか! おい、もったいぶらずに全部外してくれよ。もうお前は狙わねえからさ。こんな奴狙ってたら命がいくつあっても足りねえぜ! ははっ!」
お頭の気分が高揚し、予期せぬ出来事に痛みも忘れて嬉しそうに叫んでいた。
「じゃあ、全部外しますね」
ジョンが告げると、全ての拘束が外される。地面から飛び出していた突起部分が一瞬で地面に吸い込まれ、完全に自由になる。
「お、おお!」
お頭が外れた拘束に嬉しそうに体を起こそうとした矢先、突然降ってきた何かによって、新たに拘束が外れた片腕と片足が潰された。
「……え?」
一瞬何が起こったのか理解できなかったお頭だったが、再び体が動かせなくなり、凄まじい痛みで絶叫していた。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「いやー、ホッとした貴方の表情、とても良かったです。助かるかも知れない。助かった! そんな思いが表に出ていて、その後に待つ絶望の色がよりはっきりと見て取れて、とても面白かったですよ」
ジョンが語りながら近づいて来る。
その時には、降ってきた何かは無くなっていて、拘束も外れ、お頭は逃げられるようになっていた。だが、真面に動かせるのは片腕のみ。徐々に近づいて来るジョンに、得体の知れない恐怖を感じて、動かなくなった四肢を無理やり動かして、這いずるように必死に逃げようとする。
ジョンは、そんなお頭の表情に恐怖以外の感情を見る事ができず、つまらなそうな顔をした。
「ちょっとやりすぎたかなぁ。もう終わりかぁ。なら、貴方は用済みです。さようなら」
床を這いずってジョンから離れようとするお頭の下の地面が突然開き、真面に動けないお頭は逃げる事もできずにそのまま落ちてしまった。穴の底から上を見ると、穴の深さはたった一メートルとちょっと、普通ならなんと言う事もない深さの穴だったが、立つことのできない今の状況では、絶望的な高さだった。穴の淵にジョンが立ち、上を見るお頭を見下ろしていた。
「早く逃げたほうがいいですよ。そこにいると死んじゃいますよ?」
すると、左右の壁が鈍い振動と共に徐々に擦り寄ってくる。
ハッとなったお頭は、なんとか逃げ場はないか探す。上に上がるほどの力もないので、やむなく周囲を必死に捜すと、壁の一部が動いていないことに気がついた。なんとか、壁に挟まれるより先にその場所にたどり着けたのだが、左右の壁がぶつかると隙間がなくなり、何も見えなくなってしまう。
「嘘だろ……」
閉じ込められた。これだったら、壁に挟まれたり、ケロベロスに食い殺されていた方が楽な死に方だったのかもしれない。四肢を潰され、壁を壊す事も削る事もできずに、ただただ真っ暗な空間に取り残されていた。このまま、餓死するまで放置されるのか、あるいは酸欠になって意識を失う方が早いか……ただ、この先もう楽に死ぬ事すらできなかった。
ジョンは、穴に落ちたお頭に声を掛けて直ぐに、その場を後にしていた。向かったのは、元の場所。マリーが待っている場所だった。
ジョンが戻ると、マリーがその場にしゃがみこんで顔を伏せていた。周りには二体の魔物。その様子から、あれから何事もなかったようだ。
ジョンは、にこやかに笑って、マリーに話しかけた。
「戻ったよ。もう大丈夫。怖い人達はもういないから」
ジョンの声に跳ね上がるようにマリーの頭が上がる。そして、ジョンの姿を見て、表情に恐怖の色を浮かべた。これは誰? 私の知ってるジョンじゃない。ジョンは、こんな怖いことするはずない! そんな戸惑いと嘆きが、恐怖の中で踊っていた。
「ジョ…ジョン? ねえ、何したの? これ皆ジョンがやったの? 自分が何したか解ってるの!?」
唇を震えさせ、恐怖に様々な感情が混ざって真面に考えられない頭でなんとか言葉にする。一度言葉が出ると、その後は思いのままに言葉が流れ出た。
「何って、僕はただ遊んでただけだよ? わからなかった?」
何か可笑しな所でもあったのかと、ジョンは首をかしげる。自分はただ、襲いかかってきた人達を玩具にしただけだ。村を壊した奴らに遠慮なんてする必要はないし、皆の復讐という大義名分もある。そこに自分の遊びを混ぜてもおかしくはないだろう。そう思った。
その反応に、マリーは目の前のジョンが自分の知っているジョンではない事を改めて理解した。見た目と一緒に中身まで違う何かになってしまった。そんな気がした。
「ジョン。ねえ、ジョン! あなたは誰なの? 私の知ってるジョンを返してよ!」
「何言ってるの、マリー? 僕はジョンだよ?」
「違う! あなたはジョンじゃない!」
マリーが何言っているのか全くわからないという反応を返すジョンを、マリーは力いっぱい否定する。そして、すがりつくようにジョンに触れる。
「ジョン……正気に戻ってよ……ねえ、いつものジョンに戻って?」
泣きながら、正気に戻ってと何度も何度も繰り返す。力なく、ジョンの体を揺する。
マリーに揺すられながらもジョンはどこ吹く風だった。何を言っているんだという感じで全く理解しないまま、ジョンは楽しそうにダンジョン内で殺していった山賊達の末路を話し出した。
「ねえ、この山賊ね。すごい叫びながら死んでいったんだよ。こっちの山賊は爆発で散った体を集めようとしたり、面白いよねぇ」
「……何を言ってるの?」
その反応にマリーは愕然とする。そして、ジョンに対する恐怖は怒りへと変化していった。
「ジョン! 何がそんなに楽しいの!? 人がいっぱい死んだんだよ!?」
マリーが楽しそうなジョンに詰め寄る。
「早く正気に戻ってよ!!」
人の死を全く理解していないようなジョンの発言に、マリーの怒りは頂点となり、怒りと苛立ちを込めた張り手がジョンの頬に叩き込まれた。
パンッという小気味いい音が響き、ジョンは一瞬何をされたのか理解できずに動きを止めてしまう。ぽかんとした表情を浮かべ、先程までの雰囲気は消え去り、おかしくなっていた自分に気がついた。
「あれ……? 俺は、今まで何をしてたんだ……?」
叩かれた頬を触り、自分の両手を見るように手を広げて、目の前の球体に映し出された惨状を目にして愕然とする。
「ああ……あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……………」
気づいてしまったが最後、ジョンが作り出した全てを覆っていた巨大ダンジョンは崩壊する。魔物も罠も、何もかもがなかったかのように形を無くし、崩れ去っていく。後に残るのは、村人達と無残に殺されていった山賊達の死体だけ。
「俺は……なんてことを……」
そして、ダンジョンに全ての力を持って行かれたかのように、ジョンの嘆きと共にジョンは意識を失った。
「ジョン!?」
倒れるジョンの体をマリーは必死で支え、なんとか倒れるのだけは免れた。ゆっくりと地面に横たえさせると、そこにいつものジョンの姿を見て、ほっとする。今まで同様、金髪碧眼のジョンだった。ただ、尖ってしまった耳だけは戻っておらず、それを見たマリーは呟いていた。
「……エルフ?」
次にジョンが目を覚ました時、見知らぬ場所に寝かされていた。ふわふわのベッドに天蓋。広い部屋に、高級そうな家具が置かれている。
「ん……んんぅん…………ん?」
寝返りを打った際、周囲の状況が目に入る。全く知らない場所に、ジョンの意識は一気に覚醒し、跳ね起きた。
「いてて……ここは?」
急な動きでジョンの体は悲鳴を上げる。それに、ジョン自身が驚きつつ、なんとか周囲を見渡すだけの余裕を作る。ゆっくりと周囲を見渡して、やはり全く知らない場所だということだけは理解した。
しばらくぼーっとしていると、部屋の扉が開き、入ってきたメイドがジョンを見るなり手に持った花瓶を落としてしまう。
花瓶の割れる音に釣られてそちらを見ると、メイド服を着た少女がわなわなと震えながら、ジョンを見つめていた。
「ジョン……」
そんな呟きが聞こえてくる。次の瞬間には……
「ジョオオォォォォン!」
落とした花瓶には目も呉れず、ジョンに飛びついてきた。
「……マリー?」
飛びついてきたのは幼馴染の少女マリーだった。近くに来れば流石にわかる。ジョンの首にすがりついて、ひたすらジョンの名前を呼びながら、涙を流してた。
「マリー、何があった? ここはどこなのかな?」
「ひっく……ここはアルベルト様のお屋敷よ。あれからジョンはここに運び込まれて、今までずっと眠っていたの」
「ずっと?」
「うん、ずっと。あの日からもうひと月以上が経ってるの。その間、ジョンはずっと眠りっぱなしで、何をしても目を覚まさなかったの」
「そんなにか……」
ジョンにはマリーの話が信じられなかった。口ではわかったような事を言っても、内心ではそんな事はないだろうと思っていた。だが、マリーが嘘をつくはずがないという思いもあるので、とりあえず相槌を打つ。
ところが、マリーは予期してない質問をジョンにぶつけてきた。
「ねえ、ジョン。貴方は何者なの?」
「ん? 何者って、どういう質問?」
おかしな質問だった。何者も何もジョンはジョンだ。ほかに何があるというのか……
そこへマリーが部屋に置いてある手鏡を持ってきて、ジョンに手渡した。綺麗に磨かれた鏡面には指紋の一つもなく、歪みも曇りもなくジョンのありのままの姿をジョンの前に晒していた。
「……え?」
そこに映った自分の姿にジョンは驚いた。手鏡だけでは信じられず、手鏡を持った反対の手で実際に触ってみる。
「…………は?」
そこには本当に尖った耳があった。手鏡に映った姿は偽りなく、ジョンの『今』の姿だった。
「ジョン。貴方、エルフなの?」
「はい?」
ジョンからまた、間抜けな声が漏れた。




