ゾンビになっても僕は君に恋をする
秋。それは灼熱を乗り越え来たる極寒に備える為の実りの季節。その秋は、食欲、文化、スポーツと様々な言葉と共に例えられる。そんな涼しげな日々の中、未だ夏のように燃え上がる一人の少年がいた。
「亜希子先輩、俺と付き合ってください!」
そう告白して目の前の少女に花束を渡す少年。彼の名は秋野鏡也。
「だ、だからあたしは色恋沙汰に興味ないって何度も言ってんだろうが!」
素っ気なく答える少女の名は伴緒亜希子、。黒髪を背中まで伸ばした彼女はその整った容姿を戸惑いの表情に変えている。
「何故ですか? ちゃんとした返事をもらえない限り、俺は引きませんよ?」
「う、うるさい! 興味ないったら興味ないんだよっ!」
「グホァ!?」
亜希子からの突然のボディブローが鏡也に炸裂する。
「ふん、朝っぱらから付きまとってんじゃねえよ!」
肩を怒らせた亜希子は下駄箱の奥へと消えていった。
仰向けに倒れている鏡也は、想い人の背中が消える様子を見届け、自身の想いを吐露する。
「先輩……くっ、何故だ? 何度も告白しているのに何故返事が貰えない?」
「そういう所がダメなんじゃないか?」
その言葉とともに鏡也の顔に影が差す。
「ん? おお、ヨッシーじゃないか」
「おいおい、緑の不気味な恐竜と一緒にするなっていつも言ってるだろ?」
そう言って穏やかにツッコミを入れる少年の名は義親友樹。どこか飄々とした雰囲気を感じさせる鏡也の友人である。
「それで? 俺のどういった所が先輩に嫌われているって言うんだ?」
「おれのツッコミは無視か……、まあいい。秋野、お前は学業優秀、見た目もイケメンで人望も厚い。だが一つだけ欠点がある」
そう、彼は全てにおいて女性の理想像を具現化したような存在だった。ただ一点を除いては。
「問題は、その異常なほどの伴緒先輩ラブな所だよ」
「何言ってるんだ、当たり前じゃないか! あそこまで美しさと強さを兼ね備えた人は他にいないだろ! そして時おり見せる少女のようなあどけなさ! まさに完璧じゃないか!!」
そう力説する鏡也は鼻息荒く、目は真っ赤に血走っていて、とてもではないがイケメンと呼べるような状態ではない。
「お、おう、そうだな。まあ確かにあの『悪姫』とまで呼ばれた最凶の番長が、お前にだけはあんな風に素の状態をさらけ出してるもんな」
鏡也の愛する亜希子は周辺の学校全ての不良を男女問わず拳一つで従えていることから、『亜希』の部分をもじった『悪姫』の通称で呼ばれている。
正直秋野と知り合ってなかったら絶対に避けてた人種だったろうなあ。目の前の友人を見ながらそう思う友樹であった
「その呼び方の『姫』の部分は同感だが、『悪』の部分は同意できないな。何故なら先輩は悪行を繰り返す不良のみに鉄拳制裁を加えるだけで、いじめられている子供を見ると助けに入り、捨てられた子猫を持ち帰っては世話をするようなお人好しだからだ!!」
そう大声で叫ぶ鏡也の顔は生き生きと輝いていた。
「なあ、さっきから馬鹿みたいに叫んでるけどさ。ここ、下駄箱だからな?」
そう、二人のいるその場所は、登校時間真っ只中の下駄箱である。周囲には教室に向かう人の波が出来ている中で、寝転びながら叫ぶ鏡也は完全に注目の的となっていた。
「秋野くん、また先輩大好き宣言してるよ」
「あれさえ無ければ完璧超人なのにねー」
そう言って通り過ぎる女子達。彼女たち以外の周囲が話す内容も似たりよったりだ。
「ふふっ、俺の亜希子先輩への愛は既に周知の事実となっているわけだ」
喜びを噛みしめる鏡也。残念なイケメンである。
「ソウダネー。何度断られても告白する鏡也くんスゴイネー」
投げやり気味に返す友樹。彼にとって既にそれは何度も見た光景なのだろう。周囲の反応も含めて。
「はっはっは、そうだろう、そうだろう」
「はあ、そろそろチャイムが鳴るから先行ってるぞ。遅れるなよ、って言っても先輩以外が絡まない限り真人間なお前に言っても意味ないよな」
諦めの境地に達した友樹は、溜息交じりにその場を去る。
「俺もすぐ行くよ。しかし、こう何度告白しても返事が無いとなると、やはりあれしかないな」
そう呟いた鏡也は神妙な表情で下駄箱から上履きを取り出し、履き替える。
その日登校する生徒たちの空気は、どこかいつもと違う色を感じさせた。
「……こ先輩、起きてください、亜希子先輩」
「んぁ?」
机に突っ伏していた亜希子は、かけられた声に従い顔を上げる。そこには目の前で見つめている鏡也がいた。
「うわあっ、お、お前、ここは二年の教室だぞ!」
「そんなこと言ってもとっくに授業は終わってますよ?」
そう言われて亜希子が教室を見渡すと、教室には誰一人としておらず、亜希子と鏡也が机を挟んで向かい合うのみだった。
「いつのまにか寝ちまってたのか。今何時だ?」
「四時過ぎですね。今日から試験一週間前で部活も無いので、残っている人も少ないですよ」
「……マジかよ、もうすぐテストか。全然勉強してないぞ」
亜希子は興味のある事柄以外は無関心なことが多い。従ってテストがいつあるのかすら記憶していないのだ。
「試験の実施期間くらい、興味持って下さいよ……。ふふ、それならまた俺が教えてあげましょうか?」
そう溢した後で得意げに胸を張る鏡也は、そこはかとなく嬉しそうである。
「何でお前は一年の癖して二年のあたしに勉強を教えられるんだよ」
「もちろん先輩に教える為ですよ! 一応、高校三年間の主要科目は大体頭の中に入ってますので」
ドヤァ、そんな擬態語が聞こえてきそうになるしたり顔である。
「っ……、ふ、ふん、最近は真面目に授業にも出てるんだ。赤点なんざ余裕で回避してやるさ」
「でも先輩、こんな時間までずっと寝てましたよね?」
何とか言い返した亜希子だったが、数分前までの自身の行いにより、すぐに退路を断たれてしまう。
「それは……たまたまだ!」
「いやあ、苦し紛れに反論する先輩もかわいいですねえ」
「う、うるさい、帰るぞ!」
「はいはい、分かってますよ」
そう言って亜希子は椅子から立ち上がり教室の外へと向かう。
廊下に出た二人は、当たり前のように並んで歩き始めた。
「それにしても鏡也、お前は何でそんなにあたしに付きまとうんだ?」
「もちろん好きだからに決まってますよ」
なんでお前みたいな出来るやつが私みたいな人間に。そんな意味を込めた質問に鏡也は一瞬の思考も挟まずに答える。
「っ……、そ、そうか」
そう言って明確な返事をしない亜希子の横顔は、沈み始めた夕日によって紅く彩られていた。
「なんたって小学六年生から続く初恋の人ですからね!」
「おい、その言い方だとあたしが小生徒を誑かしたみたいな言い方になるだろ、やめろ!」
「ははっ、先輩、よく誑かすなんて言葉知ってますね」
「この野郎、バカにしやがって……」
階段を下り切った亜希子は、後ろを歩く鏡也に顔を向けた。
その瞬間。
「先輩危なーい!」
突如、一階の角から飛び出した影が亜希子に迫る。
「ッラア!」
「グヘッ」
それに一瞬で反応し、強烈なパンチを繰り出す亜希子。
そして自身が殴りつけた先を確認すると、プラスチック製のジャック・オー・ランタンの仮面をつけた男子生徒が転がっていた。
「なんだお前? ハロウィンはまだ先だから、あたしが伴緒亜希子だって知ってて襲ってきたってことだよな?」
そう断定する理由は、すぐ近くに銀色に光るバットが転がっているからだ。そして襲撃犯のマスクは、何の躊躇いもなく手を伸ばす彼女の手によってす即座に剥がされる。
「お前は……」
そこに現れた顔は、鏡也の友人の義親友樹だった。
「てめえ、鏡也のダチの癖して何でこんなことしてんだ? あ?」
その怒りの表情は、先ほどとは明らかに別人である。凄まれた友樹は冷や汗をかきながら溜息をつく。
「はあ、だからやりたくなかったんだよ……。おい鏡也、何とかしろよ」
「あん? どういうことだ?」
そう言って振り向いた先には、焦った表情を浮かべる残念イケメンの姿があった。
「えーっと、そのですね、これには深い訳がありまして」
「正座しろ」
「へ?」
「正座」
そう鏡也に迫る亜希子の顔は般若も真っ青で逃げ出す形相であった。
「はい」
これはあかんやつや。そう悟った鏡也は言い訳するでもなく、素直に正座する。廊下のリノリウムによるひんやりとした冷たさが焦る鏡也の体を冷やす。
「さて、それじゃあ話を聞こうか」
ちなみに友樹は言われるまでもなく、鏡也の横で既に正座をしている。
「せ、先輩」
「聞こうか?」
鏡也は辺りを見渡すが、下駄箱の前であるにも関わらず試験期間だからか人通りは全くと言っていいほど無かった。
四面楚歌のイケメンは観念し、正直に話すことにする。
「先輩があまりにも告白の返事をしてくれないから、親友の友樹くんに暴漢役を演じてもらって俺が颯爽と先輩を助ける芝居をするという計画でした!」
「ほう、お前が考えたにしては随分と間抜けな作戦だな。こんなもんを振り回して他の人に当たった時のことも考えないのは、お前らしくないな。ん? これは……」
亜希子は問い詰めながら友樹の持っていたバットを蹴った瞬間に、すぐに違和感に気づく。
「大丈夫です、金属製に見えるよう精巧に作られたスポンジ製のバットなので、振り回しても全く問題ありません。何より俺が先輩を傷つけるような真似する訳ないじゃないですか!」
「っ……、そ、そうか。まあこれに懲りてこんなガキみたいな真似はするな。二人ともいいな?」
「はい!」
「はい。……どう考えてもこいつの時だけ罰が甘いよなぁ」
返事をする友樹だったが、思わず小声で不平を溢す。
「義親、何か言ったか?」
「いえ、何も言ってません。全く問題ありません。……はあ、おい鏡也、俺はもうこんな事、二度とやらないからな」
「分かってるよ、悪かったな。今度埋め合わせするからさ」
「期待せずに待っとくわ。じゃあ二人の邪魔しちゃ悪いんで、俺は先に帰りますね」
鏡也と亜希子とは帰宅する方向が反対であることも手伝い、友樹はさっさと靴に履き替え始める。
「う、うるせえ、さっさと帰れ!」
「さすが親友、空気が読めるな! こんなに気が利くのに彼女が出来ないのは何故だろうな!」
「もうやだ、おうち帰る」
頼まれて渋々芝居を打っただけなのに散々な言い草である。がんばれ友樹
下駄箱からすぐの校門を抜けたその背中には、一言では言い表せない哀愁が漂っていた……。
その後ろ姿を見届けた鏡也は、後ろにいる亜希子へと向き直る。
「よし、じゃあ俺達も帰りましょうか」
「ふん」
亜希子は鏡也の横を通り過ぎ、一人下駄箱で靴を履き替える。
「先輩、もしかしてまだ怒ってます?」
「当たり前だ、ダチまで巻き込んですることじゃないだろうが」
「いつも冷静沈着な俺がおかしくなるのは、先輩が美しすぎる所為ですよ」
そう言ってキリリと顔を引き締めるが、亜希子は目もくれずに歩く。
「何でもかんでも褒めてれば許されると思うなよ」
「そうですね、反省してます。」
鏡也は悲しげに眉を下げる。
そんな風にこっちを睨む先輩も綺麗だけど、かなり怒ってるみたいだし口に出すのは止そう。
思っていることと言っていることがめちゃくちゃな鏡也であった。
「キャアッーーーーー!」
その時、突然悲鳴が上がる。
「急に悲鳴がするってのは、何かあったか?」
二人は下駄箱を出て、声のした校門とは逆方向の敷地内へと向かう。
「そうですねぇ。先輩が助けに入るべきなのか、見てきましょうか?」
先輩は助けが必要かどうか気にしてるだけでしょう? そう語りかけるように鏡也は笑った。
「う、うるさい! ん? あいつ、様子がおかしくないか?」
亜希子が顎で示した先には、校舎の角から現れた男子生徒だった。その足取りはふらふらと覚束ない様子である。
「様子がおかしいですね」
そう話し合っていると、どこからか男女数人が駆け寄り、心配そうに声をかけ始めた。
しかし次の瞬間。
「うわぁああっ」
「きゃあっ」
角から出てきた男子生徒が、突然他の生徒に襲い掛かったのだ。
「おい、止めに入るぞ!」
「はい!」
そう言うなり走り出した亜希子。しかしすぐに事態の異常に気付き、足を止める。
「どうしたんですか先ぱ……あ、あれって」
「ああ……」
襲い掛かった男子生徒は、真っ赤に充血した目をギョロつかせ、襲い掛っている生徒の腕に何度も噛みつていたのだ。
「や、やめろ、痛えよ、放せよぉ」
地面に飛び散るほどの血を流しながら、襲われた男子生徒は抵抗している。しかし恐怖によるものか振り払うほどの力はない。
「グルゥ、グル、グルァッ」
獣のようなうなり声を上げて執拗に噛みつくその様子は、どう考えても常軌を逸していた。
「くそっ、なんだあれは。おいお前、ヤクでもやってんのか!」
亜希子は狂った男子を止めようと走り出す。
「先輩、待ってください!」
そう鏡也が言った直後、唐突に校舎からゾロゾロと生徒たちが現れた。男女も学年もバラバラな彼ら彼女らの顔は、一様に目が充血し口がだらしなく開いている。
「お、おいおい、急にどうしたよ?」
その亜希子の呼びかけに反応したのだろう、生徒たちは一斉に亜希子と鏡也に目を向ける。まるで人形のような、ぎこちない動きで。
そして二人の姿を確認した途端、雄叫びを上げた。
「ガァアアアア!」
「ゲハァ!」
上げると同時に、二人に向かって走り出した。
「な、何だこいつら?!」
亜希子はあまりに急転する事態に戸惑いながらも、襲いくる集団に呼応して両拳を構え迎撃の姿勢を取る。
「先輩ダメです、ここは逃げましょう!」
しかし鏡也は亜希子の強引に腕を掴み、集団から逃げるように走り出した。
「ちょ、おい、何で逃げるんだよ」
「あの数を倒すのは先輩でも時間がかかりますよ! それにあれ、絶対ゾンビってやつです!」
「はあ!? お前、ゾンビってゲームとか漫画の中だけの話だろ。頭でも打ったか?」
「いや、ゾンビみたになる病気ってことです。数日前に狂犬病の変異種が中国で発生したってニュースがあったじゃないですか」
「……ニュースは見ない主義なんだ」
亜希子は走りながらも器用に顔を背けた。
身体能力の高い亜希子と、彼女に釣り合うように鍛えている鏡也は、襲い来る集団を引き離しながらも会話するほどの余裕を見せていた。
「いやいや、結構話題になってましたよ。ニュースくらい見ましょうよ!」
気まずそうにこっち見ない先輩もかわいいな、そう考えながらもニヤつくと怒られそうだと一切表情に出さずにツッコミを入れる鏡也。無駄にハイスペックである。
二人は校舎の中に入り、脅威の速度で曲がり角を何度も曲がる。
「うるさい! それで、その病気がどうしたんだ?」
亜希子は話題を逸らすようにそう言った所で、二人は階段を通り過ぎて後ろを確認する。
「っと、撒いたみたいですね。それにしても指摘されてムキになる先輩もかわいいですね~。うわっ、殴らないでくださいよ。グへッ、ちゃんと説明しますから」
我慢できずに亜希子への想いを溢す鏡也だったが、軽く腹部に一撃もらっておとなしくなる。
「ふん、最初からそうすりゃ良かったんだよ」
二人は階段の影に隠れながら情報の共有を始める。
「簡単に説明しますと、狂犬病の変異種が発見されたらしいんです。ただしその原因になっているウイルスは何故か人にだけ発症する上に、患者は脳に異常をきたして感染していない人間だけを襲うようになるそうです」
「たしかにそれだけ聞くとゾンビみたいな病気だな」
「ですね。違いとしては、感染した人は死んではいないので、そのうち治療薬が出来たら治せるかも知れない点ですね」
「厄介だな。ゲームみたいに死んでるなら遠慮なくブン殴れるのにな」
「先輩、発想が物騒過ぎますよ。それに感染してる人は一切の躊躇なく襲ってくるんですから、一対一ならまだしも複数相手だと先輩でも負ける可能性がありますよ」
鏡也は先ほど訳もなく「負ける可能性がある」と説明すると亜希子がムキになって集団と戦う恐れがあった為、逃げる際に「時間がかかる可能性がある」と言葉を選んだのだ。
なかなか有能なイケメンである。
「なるほどな。負けるかも知れないし、勝ったとしても噛まれたらおしまいってことだから、やっぱし逃げるのが一番の対処法ってことか」
「その通りです。クソッ、それにしてももっと早く気づくべきでした。朝の登校の時から、学校にくる人たちも含めて街の様子が何かおかしかったんです。あの違和感はウイルスが広がっていたんだと思います。気づいていたら対処できたかも知れないのに……」
「そんなこと今言ってもどうしようも無いだろ。今生きることを考えろ」
「……それもそうですね。じゃあまずは、学校を出る方向で考えましょうか。感染が広まっているのがもしかしたらまだ街の一部や外では感染が広がっていない場所もあるかも知れませんから、まずは学校を出ることを考えましょう」
「よし分かった。ならまずは校門を目指すぞ」
「分かりました。何か使える武器はないかと思って探してみたんですけど、箒は掴まれそうだし、一心不乱に襲ってくるあの様子を見ると消火器も効果が薄そうですから、余計なものを持たずに走って逃げた方が良いと思います」
「あたしは元から素手が一番しっくりくるから関係ねえよ。よし、見つからないように進むぞ」
今後の方針を決めて勇み足で歩き出す二人だったが、廊下を曲がってすぐの所に数人の生徒がいた。異様な形相と所々血で赤黒く染まっているその様子から、感染者か否かは一目瞭然である。
「いやぁ、まさかこんなに早く『見つからないように』のフラグを回収するとは思いませんでしたよ、先輩」
「うるせえよバカ、逃げるぞ!」
二人は踵を返し元来た道を走り出す。案の定、奇声を上げつつ後ろから追いかけてきた。
「ガァッ」
「ギイイッ」
しかし二人はすぐに高速離脱と呼ぶに相応しい速度で距離を開く。
「変な声で鳴きやがって。くそっ、やっぱり戦わずに逃げなきゃならないの面倒だな」
「先輩、前!」
そう言われて亜希子尾が前に向き直ると、進行方向にはまたしても血に塗れた制服の群れ。
「チッ、こうなったらやるしかないか」
「ダメですって、二階に上がって別の階段から降りましょう!」
鏡也は亜希子の手を引っ張って傍にある階段を駆け上がった。
しかし上った先の二階の踊り場にも、新たな制服を纏った人影が目に入る。
「ここもかよ、もう一つ上がるぞ!」
更に上へ上ることを選択する。
「はい!」
振り返り、三階への階段を登ろうとした瞬間。
階段にも待ち受けていた生徒が、亜希子に向かって飛び上がった。
彼女の瞳に映る、ゆっくりと迫りくるズボン姿の生徒。
「っ!」
反応し損ねた。そう悟った亜希子はとっさに両腕で顔を庇う。
「先輩危ない!」
そう言いながら、鏡也は亜希子とゾンビ間に割って入る。
「っぐぁ!」
目の前に差し出された鏡也の腕に噛みつく男子生徒。赤黒い染みが広がり、制服の右腕部分を一瞬にして染め上げる。
「鏡也?! てめえこの野郎!」
「グエッ」
亜希子は噛みついているゾンビに大振りに一発拳を入れて引き離す。
「くそっ、大丈夫か鏡也」
「だ、大丈夫です。それより、上からも来てます」
「くそっ、こっちだ、あそこの隙間から逃げるぞ。ついてこい!」
二階の踊り場から迫っているゾンビは、ズボンが血で染まっている生徒が多かった。感染の際に足を噛まれたのだろう、その為踊り場の感染者たちは今までの生徒と比べて遅い足取りだった。二人はその隙を突き、包囲網の空いている所から脱出を図る。
「よし、抜けたぞ。このまま他の階段から降りるぞ」
「先輩、あれ……」
二人は踊り場を抜けて廊下を走るが、またしても進行方向から人の形をした集団が近づいていた。
「くそっ、突破するしか無さそうだな」
「っぐうう……」
「鏡也!?」
強行突破しようとする亜希子だったが、鏡也が苦しそうに声を上げる。振り返った彼女には、廊下に滴るほどに出血し、とてもではないが強引に突破できるような状態にない彼の姿が目に入った。
「くそっ、こっちの部屋に入るぞ!」
「すみません、先輩」
そう言ってすぐ近くにあった小さな物置部屋へと入る。
亜希子は入ってすぐに鍵を閉め、部屋に置かれていた机や椅子を手早く積み上げる。
バンバン、バンッ!
積み終えた直後、無数の手が扉の向こうから激しく叩く音が部屋中に響く。
「こうなったら、窓から飛び降りるしかないな」
亜希子は扉の反対側に設置されている窓からの脱出という、次の逃走ルートを考える。
だが床に座り込む鏡也は、自身の決意を口にする。
「先輩、俺を置いて行って下さい」
「な、はぁ?! バカ言ってんじゃねえ、置いて行ける訳ねえだろ、そんな案は無しだ無し!」
「先輩、分かってるでしょ? 俺はあいつらに噛まれたんですよ。後どの位か分かりませんけど、すぐにあいつらの仲間入りです」
「そ、そんなの、ワクチンがもう出来てるかも知れないだろ? デカい病院に行けばきっと」
「先輩!!」
鏡也は大声でその提案を遮った。いや、提案とも呼べない現実逃避だからこそ遮ったのだろう。
「先輩、こんな怪我までしてるんです。どう頑張ったって逃げられっこありませんよ。せめて先輩だけでも逃げてください」
「あ……う、でも」
彼女もそれは分かっていた。いつ破られるとも知れないその場しのぎのバリケード、迫りくる生徒たちの集団。何より彼の望みは亜希子に生きてもらうことなのだ。
「仕方ありませんよ。ああ、でも死ぬ前に一つだけお願いを聞いてもらっても良いですか?」
「……何だよ、言ってみろ。くだらねえ頼みだったらブン殴るからな」
唇を噛み締め、いつも通りの軽口を叩く彼女の瞳は濡れていた。
「告白の、返事を聞かせて下さい。興味ないとか、今は良いとかじゃなくて、はいかいいえかで答えてください」
「な! お、お前、こんな時に何言ってんだ?!」
先ほどのしおらしさから一転、元気を取り戻したかのように狼狽する。
パリン!
そんな空気を読まずに、扉のガラスが割れて長袖のブレザーに包まれた腕が伸びる。
パリィン!
二人の間を引き裂くような甲高い音は、残された時間が僅かであることを彼女に告げる。
「こんな時だから言ってるんじゃないですか。ほら、もう時間がありませんよ」
「いや、でも」
「先輩」
鏡也は躊躇っている亜希子を見つめ、何度も言ってきた言葉をもう一度繰り返す。
「あなたのことが好きです。俺と付き合ってくれますか?」
「……っ」
「付き合って、くれますか?」
その問いに彼女は、俯きながら小さく答える。
「……ぃ」
「え?」
「はいって言ってんだよ! あたしもお前のことが好きだ!」
そう言った亜希子の顔は、窓から射す夕焼けに勝るほどの恥じらいの紅に染まっていた。
「そ、その言葉、嘘じゃないですよね?」
「あ、当たり前だバカ!」
「……」
鏡也は突然下を向き、押し黙る。
「お、おい?」
まさかついにウイルスが回りきってしまったのか。
そう考えた亜希子だったが……
「ぃよっしゃああああああああああああああ! オッケーもらったぞおおおおおおお!!」
その思考は鏡也が突然上げた雄叫びによって掻き消される。
その直後、彼に続くように周囲から歓声が上がった。
「「「うおおおおおおおおお!」」」
「おめでとう!」
「おめでとー」
「いやあ、まさかほんとにこうなるとはなあ」
「良かった良かった」
そう言って祝福の言葉をかけるのは、つい先ほどまで力づくで扉をこじ開けようとしていた生徒達だった。
その表情と声は先ほどと打って変わって、理性を感じさせるものである。
「……へ?」
亜希子は呆然となって、思わず間抜けな声を漏らす。
「あっはっは、すみません先輩。余りにも返事を待つのが我慢出来なかったから、みんなに一芝居打ってもらったんです」
そう言って鏡也は満面の笑みで立ち上がる。怪我など無かったかのように。
「いやあ、特殊メイクやら血糊やらはバレないように本格的なものにしましたからね。学校の生徒のうち、半数近くの人数分の費用は大変でしたよ。今まで貯めてたお小遣いが全部吹き飛びましたよ」
つまりこの騒動全てが鏡也の仕業だったというわけだ。
ちなみに下駄箱前で友樹に頼んだ雑な芝居は、予め芝居だったとバラしておくことで、次の本命を芝居だと思わせない為の作戦でものあった。
「おま……おま、おまえええええ!」
状況を瞬時に理解した亜希子の表情は恥じらいの紅から一転、憤怒の赤へと変わる。
「いやあ、俺のことが好きな先輩が怒ってる顔はかわいいですねえ!」
「っう……!」
そう、彼女は自身の想いを打ち明けてしまったのだ。亜希子はその事実を思い出すと同時に、羞恥の余り再び顔を紅く染める。
「ふふふ、これで俺と先輩は相思相愛ですね!」
「っ……うるさい!!」
そう言って熟れたりんごのように顔を真っ赤に染める亜希子には、「悪姫」と呼ばれた頃の迫力の欠片も無い。
「でも先輩、なんで俺の事が好きだったのに今まで返事をくれなかったんですか?」
鏡也は浮かれながらも浮かび上がった疑問をぶつけてみる。
「……言いたくない」
そう言ってそっぽを向く彼女の行動は頬を膨らませていることもあって実に愛らしい。
「そんな風に拗ねても納得いかないですよ。ここまで待たされた上に、色んな人を巻き込んで大がかりにやったんですから、教えてくれないとみんなも納得しませんよ?」
そう言って鏡也は周囲を味方につける。巻き込んだのは自分であるに関わらず、だ。どの口が言っているのやら。
しかし暴力的だが根は素直で正義感に溢れている亜希子は、罪悪感と混乱に次ぐ混乱とが相まって渋々口にする。
「……に………から」
「え?」
口ごもりながら答えるその声は全くと言っていいほど拾うことが出来ない。
しかしもう告白してしまった為、吹っ切れたのだろう、亜希子は半ばやけくそ気味に叫ぶ。
「秋野亜希子になるのが嫌だったからだ!」
「……へ?」
今度は秋野鏡也が呆ける番だった。
それはつまり、鏡也の苗字を名乗ることまで想定した末に、秋野亜希子と「あき」続きになることが嫌だったというだけの、何とも拍子抜けな理由だった。
「せ、先輩、俺と結婚するくらい先のことまで考えてたんですか?!」
しかしこの男はそうでは無かった。
「う、うるさい!」
「つまりもう結婚するのもオッケーってことですよね?」
「う、うるさい!」
「もう死ぬまで一緒、死が二人を別つその時まで、ってやつですね!?」
「うるさぁい!」
「うおおおおお、先輩! 大好きです!」
「抱き着くなバカぁ!」
「あふんっ♥」
襲い掛かる鏡也とアッパーをお見舞いする亜希子。
その様子は見慣れた光景だが、これまでと違ってその行為も砂糖より甘く見える。
公衆の面前でイチャついてんじゃねえよ、このバカップルめ。二人を取り囲む周囲の生徒がそう思ったのは言うまでもない。
楽しんで頂けたら幸いです。
ちなみに今回の作品、秋がテーマということで秋にまつわる言葉をいくつか入れています。
分かりやすいものとして、「秋」野、「亜希」子、哀「愁」。
秋の果物として、ジャック・オー・ランタン(かぼちゃ)、高速離脱、消火器、無し(ナシ)、その行為も砂糖より~(こうイモさとう)、となっています。少し強引にねじ込んだ部分もあったので、もしかしたら気づいた人もいるかも知れませんね。
更に上級者向けとして、この作品の題名自体が「ゾンビになっても僕は君に恋をする(bokuhAKImini)」となっています。正直ここまでやっていると気持ち悪いですね。
……ちなみに「秋」が隠れるような題名を考え付く為に、30分以上悩んだのはここだけの秘密です。