第三幕 一期一会 少年と少女の出会い(2)
「はぐはぐっ! はぐはぐっ!」
「あっ、えっと……もう少しゆっくり食べたら?」
目の前の光景に、本日三度目となる困惑を隠せない龍清は、それでも彼なりに必死に声を絞り出した。
あの後、倒れた彼女を必死に背負って町の商店街まで移動し、このラーメン屋で注文を頼んで彼女に食べさせようとした。
しかし、匂いを感知した途端、その後は今の通り、目の前に出された料理をものすごい勢いで平らげてしまった。しかも……
「こんなもんじゃまだ足りない! 追加で注文良い? あとおかわり!」
それからはこの調子だ。テーブルを埋め尽くすほどの量があったのに、片っ端から平らげてい行ってしまった。
空の皿や丼は積み上がり、しかし、空いたスペースに次々と料理が運ばれ、それがまた空になって積みあがる。ある程度積みあがると当然店員に回収されていったのだが、それなのに今また積みあがって行ってる。
もちろん、そのがっつき具合はマナーも品性もあったものではない。ラーメンを食べれば麺を啜る音が大きく響き、炒飯や餃子は食器同士のぶつかる音が鳴り響く。
その様子はまるで、何日も餌にありつけなかった肉食動物が獲物の群れを大量に仕留め、全部食いちらかすようだった。
「んぐっ……無理だって。こっちも腹ペコだったんだからさ」
「いや、それにしたって……」
もういくつ注文し、何度おかわりを申し込んだのか、テレビ番組で時々放送される大食いもかくやと言う勢いで次々と料理を平らげていく少女だったが、やがて、龍清が懸念した事態が起こる。
「むぐむぐ……んぐっ!?」
突然少女の手が止まり、どんどん顔色が青くなっていく。
直ぐに龍清は察した。料理を喉に詰まらせたのだ。
「ああ、言わんこっちゃない! 大将! お水ー!!」
そんな調子で少女は料理を次々と(ペースを少し落とした上で)平らげていき、再び出された餃子の済以後の一つを飲み込んで、ようやく手に持ってた箸を置いた。
「ぷはぁ! 食った食った~。久しぶりに腹一杯食ったわ~」
「そ、それは何より……」
満足げな表情の少女とは対照的に、龍清の顔は引き攣っていた。
何しろものすごい量だったのだ、後で代金を払う自分の身にもなってほしいと思わずにはいられなかった。
「いやでも本当に助かった。この町に来てから碌な食事にありつけなかったんだもんねえ」
「この町に来てからって、一体どんな生活送っていたの……?」
「ん? そりゃあ……その辺の川の魚吊って焼いたり、山に生えてる草とかキノコとか焼いたり、それから……」
「いい! もういいから!!」
その先は聞くのが怖くなった。店内にいる者、皆同じ心境だろう。
今のだけで解る。この少女の生活は、自分たちの常識的な人間の物ではない。少なくとも、文明の中で育ったものではないと。
「……何よ? その人を野の獣かなんかみたいに見る目は」
「えっ? いや、そういうつもりは……」
「あたしだって。好きでそんな生活してないし、ここにいるわけでもないの。ちょっと色々あってね……」
「……?」
その時、彼女に龍清は何かを感じた。
三人との喧嘩の様子。そしてさっきまでの会話の雰囲気から、彼女は男勝り、もしくは勝気な感じだったのだが、それとは違う何かだ。
「誰かに、追われてたりするの?」
「ん、まあ、そんなとこ」
周りに聞こえないように小声での囁きに、彼女は否定しなかった。
自分でも不思議な程に気になって仕方なかったが、龍清もそれ以上の詮索はせずに引くことにした。
「それよりも……」
テーブルから食器が全て片づけられたのを確認すると、少女は突如身を乗り出して龍清に顔を近づけてきた。
「な、何……?」
突然の事に、龍清も思わず身を固くする。
しばしの沈黙の後、少女は再び口を開く。
「あんた、何であの時反撃しなかったの?」
「……へっ?」
出てきた言葉に、思わず間の抜けた声を出してしまう。
恐らく、さっきのカツアゲに絡まれた時の事だろうが、何故そんなことを聞くのだろう? と思いつつも、龍清は正直に話す。
「いや、僕はあんまり荒事得意じゃないからさ。だからあの場はさっさとお金渡そうと……」
「それが駄目なのよ!」
ビシッ! と言う擬音が付きそうな勢いで人差し指を指す少女は龍清の考えに駄目だしをする。
「ああいう奴らはね、甘くするとかえってつけあがるの。嫌なものは嫌だってはっきり言ってやらないと!」
「いや、でもああ言う人たちは遊ぶお金目当てだからさ。さっさと目的の物渡した方が……」
「そうやって下手下手に出てたら、どこまでも付きまとわれるわよ? ああいうのは集ってくる虫と同じ、払っても払ってもきりがないんだから。実力行使あるのみでしょ!」
「いや、僕そんなに筋力無いから。ほら」
証拠とばかりに袖をまくって見せた腕は、確かにやや細く、喧嘩には向いてない感じだった。
彼女はそれでしぶしぶといった感じだが、同時に別の疑問も浮かんだ。
「あんたってさあ……本当に男?」
「……初見の人にはよく言われるよ。でも、れっきとした男です!」
彼にとって容姿はちょっとしたコンプレックスだ。やや中世的な顔立ちと白めの肌、そしてやや細見の体と低めの身長は、仕方ないと思ってても、人に指摘されると気分の良いものではないからだ。
「……ま、別にいいけどさ。でもちょっとは真っ向から反抗しなさいよ。そんなへたれ思考だと、また今回みたいなことがあったら、酷い事になりそうだし」
「あはは……ま、その時が来たらね。できれば来てほしくないけど……」
恐らく叶わぬ事だろう、とは思っても口には出さない。思ってる時点で空しいのだが、口にすれば更に空しくなるのが目に見えてるからだ。
「……さて、じゃああたしはそろそろ行くわ」
「えっ? 行くって、どこか行くあてはあるの?」
「無いわよそんなの? ま、雨風凌げればどこでもいいし。野宿も慣れっこだしね」
本当にどんな生活を送ってるのだろう? そう思いながら外に出ていく少女を見送る龍清だった。
「やれやれ……あっ、大将。お勘定は?」
彼女は一銭も払わず出て行ってしまったが、それは別に気にしていない。さっきの話を聞く限りでは無一文であろうし、助けてもらったお礼に奢るようなものだと考えていたし、店側にもそうしてほしいと頼んで了承してもらっていた。
何も問題はなかった。そう、この時までは……
「ああ……龍坊、それがなあ……」
どこか歯切れの悪い店主。よく見ると店員さん達も居心地悪そうな表情だ。
嫌な予感が止まらない。それでも支払いの義務を背負っているものとして逃げ出すわけにはいかず、そしてそれは渡された。
「……えっ?」
渡されたお勘定。そこに記されていた金額に、龍清は思わず店主に顔を向ける。
「嘘ですよね?」そう希うような視線に、店主は非情にも首を横に振る。
龍清は元々無駄遣いもしないし、何かほしいという欲求も強くは無いので、小遣いは溜まってる。しかし、持ち歩くお金はそれほど多いものでもないのだ。
いや、恐らくいつもの倍ぐらい入れてても、足りないだろう。と言うか、飲食店でこんな額に成る程食べるなど、誰が想像できようか。
「まあ、何だ……足りないならツケにしといてやるからさ。明日にでも持ってきてくれや、な?」
店主のありがたい情けに、思わず涙が出そうになる龍清だった。