表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

蒼穹の朱姫

朱い華

作者: 樹朱

 桜も雪も、私には同じに見える。はらはらと散るもの。

 こぶしの花が雪と同化するように、花開く。

 紅い朱い華で手をうめて。

 それでも先を運んでくれるものを望んでる。

 切り取られた赤い華。切られてもあと少しは綺麗に咲いて楽しませてくれるけど、来年にはもう咲いていない。


 ぽとんと。


 小さく華が落ちた。

 紅い華びら。

 真っ白い雪の上に彩られて染める。

 華やかにあでやかに咲き、美しくもはかなくも散っていく。咲き方も散り方も様々だけど皆同じく重みは一緒。

 手の中の華が重くて。

 私はこぶしの木の下にひざをついた。

 体にもついていた華が、いくつも雪の上に落ちる。

 疲れてた。重かった。

 何も、見たくはなかった。

 見たかったのは、この先で。

 たくさんの綺麗な赤い華。

 押し付けられたものも、にっこり笑ってもらったものも全て。……自分でむしりとってきたものも、ぜんぶ全部。

 後ろにおいて、先を見たい。

 重くて。

 ずっと、背負って、持って歩いてきた。

 重くて、重くて。

 もういいかなと思うくらいに。


「――……朱桜」


 遠くで、名が呼ばれた気がした。

 大嫌いな朱い華。あるはずもない桜。だけど。どこかに存在するならば。咲き方も散り方も。

 私みたいであってほしい。


 閉じかけた視界。ふっとかすめた白いモノ。

 雪が降り出したのかと思った。

 冷たくかじかんだ手の中に落ちたそれは、やわらかくすべすべとした肌触りで。真っ白い花びらが落ちたのだなと理解した。

 とろんとした闇の中。冷たい真っ白な世界。

 紅い朱い華に囲まれ、先を知る樹の根元。


「――朱桜」


 私を呼ぶ誰かの声。

 それと同時に。


 薄闇色の足音と、雅に羽ばたく漆黒の。

 ゆらりと揺れる。

 もしも。

 双方から手を差し出され選択の余地を与えられたら。

 紅い朱い華。

 私はどちらを取るだろうか。




 たぷんとたわんだ暗闇で、私はそっと目を開けた。

 真っ白くゆがんでいる。

 淡い淡い、闇の先。とっぷんとした闇を引きつれた足音。


 ばさばさもさもさと雪を蹴散らす間抜けな足音。慌てているのか時折、ばふっとすっ転ぶような音もして。

 思わず、笑ってしまった。

 なっさけない姿が容易に想像できて。必死に来てくれるその想い。


 先に私のもとまで着いた、足音の主を振り返る。

 たぷんと揺れる闇。

 ほのかに灯るかがり火、淡い色の古樹の桜。

 大きな、黄昏色の門。

 うっすらと伸びる長い道。

 見える。

 疲れたならば休めと優しい言葉が待っている道。

 薄闇の中では見えぬ顔。ゆっくりと人影が私に手を、差し伸べる。

 ごつごつとした温かい手。

 触れなくても、知っている。ずっと以前、私はこの手にしがみついていったのだから。

「……あの時は、どうも、ありがとうございました」




 闇の主は足元に座る少女を見つめた。あざやかな笑み。

 疲れて立つことすらやめたのに。それでもなお、まだ一緒には行けないと。……さっきまでは、一緒に行ってもいいと心のどこか、半分は迷っていたのに。

 ざくざくと。危なげな足取りでこちらに近づく雪を踏む音がする。

 一層、彼女の笑みが深まった、気がした。

「もう少しだけ、待っていてくださいますか。――闇の君」

 やみのきみ。

 舌足らずな声で呼ばれたあの時よりも、凛としたでも本質的には変わらない声が。

 意志を持って望んでいた。

 あの時に手放そうとしていたものを戻してやったのは私だ。

 今はそれを大事にかかえ。

 まだ、手放したくないと思ってくれるほど、大事にしている。

 彼女の周囲に散る赤い華。

 もらったり奪ったりしたものだろう。

 華はあっさりと捨てられる、その無情さ。――反する抱え、守るもの。

 もう少しだけ、いいかと彼は思ってしまった。

 意地汚くも生にしがみつく子狐が、小さいながらも威嚇してくる姿を見ているような気分で。

 ふっと唇に笑みを浮かべ彼はくるりと踵を返した。

 とぷんと姿が闇に沈む。背後で。

 少女を呼ぶ必死な声がきこえた。





 吹雪が、ぴたりと止んだ。

 前方にうっすらと人影のようなものが見えて、自分でも知らず、彼は走り出していた。まるで、見つけてもらいたくて雪も降るのをやめてやったかのようで。

 彼は走りながら周囲を見渡した。

 城の北方、蓮ヶ原よりやや東。連なる山々の間だろうかここは。蓮ヶ原の端故か、一面白で目印になるようなものがない。また雪に降られたら、帰り道がわからなくなりそうだ。

 ふうと一息ため息をつき、前を見て、彼は呆然とした。

 走っているはずなのに、全然進んでいないように見える。よったよた歩いてきただけなんじゃなかろうか。

 と。前方に見えた人影がふいに、がくりと崩れるように倒れこむ。その際に朱い何かが見えて彼はつっと息を飲んだ。

 天に伸びるほっそりとした木の根元。こぶしの木。

 彼はえっちらおっちら走り、その人自身が認識できるくらいには近づいて。足元に赤いモノがぽつぽつとしたたっているのに気づく。

「っ……――朱桜ーっ」

 木にもたれるように座り込み、血と雪にまみれて。

 どれだけの大声で名を呼んでも風に雪に吸い込まれるのか、全く届いていないようだった。

 無我夢中で、走る。こんなところで、手を離すわけにはいかない。

 ……死なせるわけには、いかない。

「朱ー桜っ」

 近づくにつれ、白い地面に朱い華がぼたぼたと花畑でも作る気だったのか落ちている。

 足元を見、走っていくと不意に。前の空気がややとろんとやわらかくなった気がした。寒さも雪の冷たさも、なんら変わらないはずなのに、だ。

 どこからか、鳥の羽ばたきがする。闇を引きつれる動物。

 ものすごく、嫌な予感。連れていくな、と思う。今はまだ。

 早く早く。気だけが急いて、足が雪ですくわれる。思いっきり、前のめりに倒れる。冷たい。

「……く、っそ……」

 もがいて、なんとか立ち上がって。

 一緒に歩いてきたからわかる。いつか消えることをどこかで望んでいること。

 だけど。

 消える時を迷っているのも知っている。

 木に近づくにつれて、雪が深くなっているのか、焦っているのが悪いのか。なかなか前に進まずいらいらする。

 降り積もったばかりの雪はふわふわと、けれどずっしり進行を邪魔している。どいつもこいつも、木の根元へ行くことを拒んでいるんじゃなかろうな。

「朱桜ーっきこえてるかよっ」

 近づくにつれ、濃くなる空気に顔をしかめる。

 彼女の笑みが見えた。唇がゆるく動く。


 やみのきみ。


 どこか毅然とした笑みで、きっと『やみのきみ』を見つめて、呼ぶ。

 そんなのは、

 もう、いいかな。

 そんな想いにも取れそうで彼は思い切り、名を呼んだ。




* * * * * * *




「心配ないよ、これくらい」


そういった少女は、椅子代わりにしていたベッドからひょいと飛び降りた。

「ほんと、心配性すぎると思います。……まぁ、そうゆうとこにも救われてはいるけど」

その場で彼女は服を見せびらかすかのように、くるりと一回転した。膝丈の木綿で出来たシンプルなワンピースが遅れて揺れる。

「危なっかしいって自覚あんならもうちょい、おとなしくしててくれない?」

「は、むりむり。色々名前売れちゃってるから、引っ張りだこだしね」

 部屋に一組だけあった机と椅子。その机に腰掛けながら、椅子に座る彼に笑ってみせる。

「もうさ、華がいっぱいだから。私には持ちきれないくらいなんだけど」

 けど。

 だけど。

 彼女の癖だ。途中で言葉にするのを諦める。または続きを考えている。

「持って歩くのやだなって思い始めてたんだけど、救われないじゃない。切り取ってきた華たちが。私のわがままで切ってきたのにいらなくなったから、捨てるなんて」

「切り取った時点で、おまえの興味がなくなってても?」

 意地悪く言ってみれば、彼女はむぅと顔を背けた。

「どうせ私の自己満足だよ。もうすこし抱えて生きてみようって。生きてるって感じようって」

「……それでまた、華を散々切り取ってきて、抱え込むんだろう?」

「おー。よくわかってるじゃん。どうせだって、私もいつかは切り取られるのよ」

 いや、切り取られに行く、かな。

 ぶつぶつ呟く彼女に、ため息を吐いて。

 彼はひとつっきりの窓から外を見た。

 相変わらずの雪景色。

 蓮ヶ原を城から見て東に抜けたところにある、小さな村の宿屋。この国の南領と西領の争いにはまだ、巻き込まれてはいないようだった。昨日見た限り、話のネタになっているだけ。

「ねぇ、遊眞。お腹空かない? 下行って何か食べてこよーよ」

「……まぁいいか」

 下に降りて、食堂に行っても新鮮な情報源にしかならないだろう。もしくは、遠巻きにされるかだ。



「それにさ。ふっといつかどこかで私には不意打ちみたいな形でなら、華になったげてもいいんだけど。あのひとに連れて行かれるのは自分の意志で、がいいんだよね」

 わがままだよね。

 部屋の戸を開け、廊下に出ながら彼女は苦笑した。

「それにひとりじゃないと、いけないきがする」

 さらりと、人を突き返すような事を言って。

 彼女は階段をリズムよく降りていった。

 ダメの意味のいけない、なのか。それとも行けない、なのか。

 部屋に鍵をかけながら、彼はやれやれと思った。

 いつもどおり、不安定な彼女だ。

 人の命を手にかけて。自分の命も落っことしそうになったときの彼女。

 ぐるぐる悩んで考えて。平和に憧れ、のんびり過ごすと、またぐるぐる悩んで考えて。今度は自分の命を懸けて綱渡りを始めて。

 何度でも繰り返す。

 いつもこっちへ引き上げることしかしない自分には少しだけわかる。しかし大半が謎だ。

「遊眞ーはーやく。おすすめランチなくなっちゃうよー」

 来るのが遅い彼を呼ぶ声。

 それを受けて、彼は宿の部屋鍵をポケットに滑り込ませ、足早に階段を降りた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ